労さした事も忘れやアしないから、私は何処《どこ》迄もお前に厭がられても縋《すが》りつく了簡だが、若《も》しお前に厭がられ、見捨てられると困るが、見捨てないというお前の証拠が見度《みた》いわ」
新「見捨てるも見捨てないも実はお前己だって身寄頼りもない身体、今は斯《こ》うなって誰も鼻撮《はなッつま》みで新吉と云うと他人は恐気《おぞけ》を振《ふる》って居るのだ、長く此処《こゝ》に居る気もないから、寧《いっ》そ土地を変えて常陸《ひたち》の方へでも行《ゆ》こうか、上州の方へ行こうか、それとも江戸へ帰《けえ》ろうかと思う事も有るが、お前が此処に居る中《うち》は何《ど》うしても離れる事は出来ないが、村中《むらじゅう》で憎まれてるから土手に待伏でもして居て向臑《むこうずね》でも引払《ひっぱら》われやアしねえかと心配でのう」
賤「私も一緒に行って仕舞い度《た》いが、今旦那が死掛って居るから、旦那が死んで仕舞えば行《い》かれるが、今|直《すぐ》には行けない、大きな声では云えないけれども、私は形見分《かたみわけ》の事も遺言状に書かして置いたし、お前の事も書かしてね、其処《そこ》は旨く行って居るけれども、旦那が癒《なお》ればまだ五十五だもの、其様《そんな》にお爺さんでもないから、達者になりゃア何時《いつ》迄も一緒に居て、ベン/\とおん爺《じい》の機嫌を取らなければならないが、新吉さん無理な事を頼む様だが、お前私を見捨てないと云う証拠を見せるならば今夜見せてお呉れ」
新「何《ど》うしよう」
賤「うちの旦那を殺してお呉れな」
四十七
新「殺せって其様《そん》な事は出来ねえ」
賤「なぜ/\なぜ出来ないの」
新「人情として出来ねえ、お前の執成《とりなし》が宜《い》いから、旦那は己が来ると、新吉|手前《てめえ》の様に親切な者はねえ、小遣《こづけえ》を持って行け、独身《ひとりみ》では困るだろう、此の帯は手前に遣《や》る着物も遣ると、仮令《たとえ》着古した物でも真に親切にして呉れて、旦那の顔を見ては何《ど》うしても殺せないよ」
賤「殺せます、だから新吉さん、私はお前が可愛いと云う情《じょう》のない事を知って居るよ」
新「情がないとは」
賤「情が有るなら殺してお呉れよ」
新[#「新」は底本では「賤」]「情が有るから殺せないのだ」
賤「何を云うのだね、じれったいよ、お出でったらお出でよ」
然《そ》うなると婦人の方が度胸の能《よ》いもので、新吉の手を引いて病間へ窃《そう》っと忍んで参りますと、惣右衞門は病気疲れでグッスリと寝入端《ねいりばな》でございます。ブル/\慄《ふる》えて居る新吉に構わず、細引《ほそびき》を取って向《むこう》の柱へ結び付け、惣右衞門の側へ来て寝息を窺《うか》がって、起るか起きぬか試《ためし》に小声で、
賤「旦那/\」
と二声《ふたこえ》三声《みこえ》呼んでみたが、グウ/″\と鼾《いびき》が途断《とぎ》れませんから、窃《そっ》と襟の間へ細引を挟み、また此方《こちら》へ綾《あや》に取って、お賤は新吉に眼くばせをするから、新吉ももう仕方がないと度胸を据《す》えて、細引を手に捲《ま》き付けて足を踏張《ふんば》る。お賤は枕を押えて、
賤「旦那え/\」
と云いながら、枕を引く途端、新吉は力に任《まか》して、
新「うーム」
と引くと仰向に寝たなり虚空を掴んで、
惣「ウーン」
賤「じれったいね新吉さん、グッと斯《こ》うお引きよ、もう一つお引きよ」
新「うむ」
と又引く途端新吉は滑って後《うしろ》の柱で頭をコツン。
新「アイタ」
賤「アヽじれったいね」
と有合《ありあわ》せた小杉紙《こすぎがみ》を台処《だいどころ》で三帖《さんじょう》ばかり濡して来て、ピッタリと惣右衞門の顔へ当てがって暫く置いた。新吉はそれ程の悪党でもないからブル/\慄《ふる》えて居りまする。濡紙を取って呼吸を見るとパッタリ息は絶えた様子細引を取って見ると、咽喉頸《のどくび》に細引で縊《くゝ》りました痕《きず》が二本付いて居りますから、手の掌《ひら》で水を付けては頻《しき》りに揉療治を始めました。すると此の痕は少し消えた様な塩梅。
賤「さアもう大丈夫だ、新吉さんお前は今夜帰って、そうしてこれ/\にするのだから、明日《あした》お前悟られない様に度胸を据《す》えて来てお呉れよ」
といって新吉を帰して、すっぱり跡方の始末を付けて、直《すぐ》に自分は本家へ跣足《はだし》で駈込んで行《ゆ》きまして
賤「旦那様がむずかしくなりましたからお出《いで》なすって、まだ息は有りますが御様子が変ったから」
というと驚きまして、本家では悴《せがれ》惣二郎《そうじろう》から弟息子の惣吉《そうきち》にお内儀《かみ》さん村の年寄が駈けて来て見ると間に合いません間に合わない訳で、殺した奴が知らしたのでございますから。是非なく是から遺言状をというので出して見ると、其の書置《かきおき》に、私は老年の病気だから明日《あす》が日も知れん、若《も》し私が亡《な》い後《のち》は家督相続は惣二郎、又弟惣吉は相当の処へ惣二郎の眼識《めがね》を以て養子に遣って呉れ、形見分《かたみわけ》は是々、何事も年寄作右衞門と相談の上事を謀《はか》る様、お賤は身寄頼りもない者、無理無体に身請をして連れて来た者であるから、私が死ねば皆《みんな》に憎まれて此の土地にいられまいから、元々の通り江戸へ帰して遣ってくれ、帰る時は必ず金を五十両付けて帰してくれ、形見分はお賤に是々、新吉は折々見舞に来る親切な男なれども、お賤と中がよいから、村方の者は密通でもしている様に思うが、彼《あれ》は江戸からの親《ちか》しい男で、左様な訳はない、親切な者で有る事は見抜いているから、己が葬式は、本葬は後《あと》でしても、遺骸を埋《うず》めるのは内葬にして、湯灌《ゆかん》は新吉一人に申し付ける、外《ほか》の者は親類でも手を付ける事は相成らぬ。という妙な書置でございますが、田舎は堅いから、其の通りに先《ま》ずお寺様へ知らせに遣り、夜《よ》に入《い》り内葬だから湯灌に成りましても新吉一人、湯灌は一人では出来ぬもので、早桶を湯灌場に置いて、誰《たれ》も手を付けては成らぬというのだから、
新「皆さん入らしっては困りますよ、遺言に背きますから」
「実にお前は仕合《しやわ》せだ」
と年寄から親類の者も本堂に控えて居る。是から早桶の蓋を取ると合掌を組んだなり、惣右衞門の仏様は斯《こ》う首を垂れて居るのを見ると、新吉は現在自分が殺したと思うとおど/\して手が附けられません。殊《こと》に一人では出来ないがと思って居る処へ、土手の甚藏という男、是は新吉と一旦兄弟分に成りました悪漢《わる》。
甚「新吉/\」
新「兄いか」
甚「一寸《ちょっと》顔出しをしたのだが、本家へ行ったらお内儀《かみ》さんが泣いているし、誠にお愁傷でのう、惜しい旦那を殺した、えゝ此の位《くれ》え物の解《わか》ったあんな名主は近村《きんそん》にねえ善《い》い人だが、新吉、手前《てめえ》仕合《しやわ》せだな、一人で湯灌を言付けられて、形見分もたんまりと、エおい、おつう遣っているぜ」
新「却《かえ》って有難迷惑で一人で困ってるのだ」
甚「困るたって新吉、一人で湯灌は馴れなくっては出来ねえ、おい、それじゃアいかねえ、内所で己が手伝って遣ろうか」
新「じゃア内所で遣ってくんねえ」
四十八
甚「弓張《ゆみはり》なざア其方《そっち》の羽目へ指しねえな、提灯《ちょうちん》をよ、盥《たれえ》を伏せて置いて、仏様の腋《わき》の下へ手を入れて、ずうッと遣って、盥の際《きわ》で早桶を横にするとずうッと足が出る、足を盥の上へ載せて、胡坐《あぐら》をかゝせて膝で押《おせ》えるのだ、自分の胸の処へ仏様の頭を押付《おっつ》けて、肋骨《あばらぼね》まで洗うのだ」
新「一人じゃア出来ねえ」
甚「己は馴れていらア、手伝って遣ろう」
新「何《ど》う」
甚「何うだって盥《たれえ》を伏せるのだよ、提灯《ちょうちん》を其方《そっち》へ、えゝ暗《くれ》え心《しん》を切りねえ、えゝ出しねえ、出た/\オヽ冷てえなア、お手伝いでござえ、早桶をグッと引くのだ」
新「何う」
甚「何うたってグッと力に任して、えゝ気味を悪がるな」
新「あゝ出た/\」
甚「出たって出したのだ、さア胡座《あぐら》をかゝせな、盥《たれえ》の上へ、宜《よ》し/\そりゃ来た水を、水だよ、湯灌をするのに水が汲んでねえのか、仕様がねえなア、早く水を持って来《き》ねえ」
と云うから新吉はブル/\慄《ふる》えながら二つの手桶を提《さ》げて井戸端へ行《ゆ》く。
甚「旦那お手伝でげすよ」
と抱上げて見ると、仏様の首がガックリ垂れると、何《ど》う云うものか惣右衞門の鼻からタラ/\と鼻血が流れました。
甚「おや血が出た、身寄か親類が来ると血が出るというが己は身寄親類でもねえが、何うして血が出るか、おゝ恐ろしく片方《かたっぽ》から出るなア」
と仰向にして仏様の首を見ると、時|過《た》ったから前よりは判然《はっきり》と黒ずんだ紫色に細引の痕《あと》が二本有るから、甚藏はジーッと暫く見て居る処へ手桶を提げて新吉がヒョロ/\遣って来て、
新「兄い水を持って来たよ」
甚「水を持って来たか此方《こっち》へ入れて戸を締めなよ」
新「な何《なん》だ」
甚「此処《こけ》へ来て見やア、仏様の顔を見やア」
新「見たって仕様がねえ」
甚「見やア此の鼻血をよ」
新「いけねえなア、其様《そん》なものを見たって仕様がねえ、悪《わり》い悪戯《いたずら》アするなア」
甚「悪《わり》いたって己がしたのじゃアねえ、自然《ひとりで》に出たのだ新吉|咽喉頸《のどっくび》に筋が出て居るな、此の筋を見や」
新「エ、筋が有ったっても構わねえ、水を掛けて早く埋めよう、おい早く納めよう」
甚[#「甚」は底本では「新」]「納められるもんかえ、やい、是《こ》りゃア旦那は病気で死んだのじゃアねえ変死だ、咽喉頸に筋があり、鼻血が出れば何奴《どいつ》か縊《くび》り殺した奴が有るに違《ちげ》えねえ」
新「何《なん》だ人聴《ひとぎき》が悪《わり》いや、大きな声をしなさんな、仏様の為にならねえ」
甚「手前《てめえ》も己も旦那には御恩があらア、其の旦那の変死を此の儘に埋めちゃア済まねえ、誰《たれ》か此の村に居る奴が殺したに違《ちげ》えねえから、敵《かたき》を捜して、手前も己も旦那の敵を取って恩返《おんげえ》しを仕なけりゃア済まねえ、代官へでも何処《どこ》へでも引張《ひっぱ》って行くのだ、本堂に若旦那が居るから若旦那に一寸《ちょいと》と云って呼んで……」
新「何《なん》だな其様《そん》な事をして兄い困るよ、藪を突付《つっつ》いて蛇を出す様な事をいっちゃア困らアな、今お経を誦《あ》げてるから、エーおい兄い、それはそれにして埋めて仕舞おう」
甚「埋められるもんかえ、それとも新吉、実は兄い私《わっち》が殺したんだと一言《ひとこと》云やア黙って埋めて遣ろう」
新「何を詰らねえ事を、な何を、思い掛けねえ事をいうじゃアねえか何《なん》だって旦那を」
甚「手前《てめえ》が殺したんでなけりゃア外《ほか》に敵が有るのだから敵討をしようじゃアねえか、手前お賤と疾《と》うから深《ふけ》え中で逢引するなア種が上って居るが、手前は度胸がなくっても彼《あ》の女《あま》ア度胸が宜《いい》から殺してくれエといい兼ねゝえ、キュウと遣ったな」
新「何《ど》うも、な何《なん》だってそれは、何うも、エおい兄《あんに》い外の事と違って大恩人だもの、何ういう訳で思い違《ちげ》えて其様《そん》な事を、え、おい兄《あんに》い」
甚「何をいやアがるのだ、手前《てめえ》が殺さなけりゃア殺さねえで宜《い》いやア、手前と己は兄弟分の誼《よしみ》が有るから打明けて殺したと云やア黙って口を拭《ふ》いて埋めるが、外に敵が有れば敵討だ、マア仏様を本堂へ持って行こう」
新「これドヽ何
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