か》よう、と云ってハア蚊帳に縋り付くだ、それを無理に引張ったから、お前《めえ》生爪エ剥したゞ」
新「おい冗談じゃアねえ、折角の興が醒めらア、止せ、擽《くす》ぐるぞ」
作「擽ぐッちゃアいけねえ」
新「お喋りはよせ」
作「宜えやな」
新「冗談云うな、喋ると口を押《おせ》えるぞ」
作「よせ、口を押《おせ》えちゃアいけねえ、エ、おいお賤さん、其の爪を己《おれ》がに喰えって、誰が爪エ食う奴が有るもんかてえと、己が口へおッぺし込んだゞ、そりゃアまア宜えが、お前《めえ》薬鑵を」
新「冗談はよせ」
作「いゝや、よせよ擽ぐってえ」
新「寝ッちまいな/\」
と無理に欺《だま》して部屋へ連れて行って寝かしてしまいました。それから二人も寝る仕度になりますと、何《ど》う云う事か其の晩は酒の機嫌でお賤がすや/\能く寝ます。雨はどうどと車軸を流す様に降って来ました。彼是八ツ時でもあろうと云う時刻に、表の戸をトン/\。
「御免なさい/\」
新「お賤/\誰か表を叩くよ、能く寝るなア、お賤/\」
賤「あいよ、あゝ眠い、何《ど》うしたのか今夜の様に眠いと思った事はないよ」
新「誰か表を叩いて居る」
賤「はい、何方《どなた》」
「一寸《ちょっと》御免なすって、私《わたくし》でございます」
新「何《なん》だ庭の方から来たようだぜ」
賤「今明けますよ、何方でございますか名を云って下さらないでは困りますが」
「ヘイ新吉の家内、累でございます」
賤「え、お内儀《かみさん》が来たとさア、はい只今」
新「よしねえ、来る訳はねえ、病人で居るのだもの」
賤「お前逢って」
新「来る気遣《きづけえ》ねえよ」
賤「気遣《きづかえ》がないったって、お内儀が迎いに来たのだから嬉しそうな顔付をしてさ」
新「冗談じゃアねえ、嬉しい事も何もあるもんか、来る気遣《きづけえ》ねえよ」
賤「只今開けますよ、大事な御亭主を引留めて済みませんねえ」
と仇口《あだぐち》をきゝながら、がらりと明けますと、どん/\降る中をびしょ濡になって、利かない身体で赤ん坊を抱いて漸々《よう/\》と縁側から、
累「御免なさい」
と這入ったから、
新「何《なん》だって此の降る中を来たのだなア何《ど》うしたのだ」
累「貴方がお賤さんでございますか、駈違《かけちが》ってお目に掛りませんが、毎度新吉が上りまして、御厄介様になりますから、何卒《どうか》一度はお目に掛ってお礼を申し度《た》いと存じておりましても、何分にも子供はございますし、私《わたくし》も疾《と》うより不快でおりました故、御無沙汰を致しました」
賤「誠にまア何うも降る中を夜中《やちゅう》にお出《いで》なすって、そんな事を仰しゃっては困りますねえ、新吉さんも江戸からのお馴染でございますから、私は此方《こっち》へ参っても馴染も無いもんでございますから、遊びにお出なすって下さいと、私が申しました、それから旦那も誠に贔屓《ひいき》にして、斯《こ》うやってお出なさるが、御亭主を引留めて遊ばしたと云えば、お前さんも心持が快《よ》くは有りますまいけれども、是に付いては種々《いろ/\》深い訳がある事でございますが、それは只今何も云いません、新吉さん折角迎いにお出でなすったからお帰りよ」
新「帰《けえ》ることはねえ、おい、お前《めえ》冗談じゃアねえ、そんな形《なり》をして来て見っとも無い、亭主の恥を晒《さら》しに来る様なものだ、エ何《なん》だなア、おい、此の降る中を、お前なんだ逆上《のぼ》せて居るぜ、*たじれて居るなア」
*「のぼせて気が変になる。むちゅうになって気ちがいじみる」
四十五
累「はい、たじれ[#「たじれ」に傍点]たか知りません、私は何《ど》うなっても宜しゅうございますが、貴方の児《こ》だから殺すとも[#「殺すとも」は底本では「殺とすも」]何共《どうとも》勝手になさいだが、表向には出来ませんから、此の坊やアだけは今晩|夜《よ》が明けないうち法蔵寺様へでも願って埋葬《ともらい》を致したいと存じます、誰も宅《うち》へ参り人《て》はなし、私が此の病人では何う致す事も出来ませんから、何卒《どうぞ》一寸お帰りなすって、お埋葬《とむらい》だけをなすって、然《そ》うして又|此方《こちら》へ遊びに入らしって下さい、お賤さん、私が申しますと宅《やど》が立腹致しますから、何卒《どうか》あなたから、今夜だけ帰って子供の始末を付けてやれと仰しゃって」
賤「はい、お帰りよ新吉さんよう」
新「帰《けえ》れたって夜中に仕様がねえ」
賤「夜中だって用があって迎いに来たのだからお帰りよ、旨く云って居ても本木《もとき》に優《まさ》る梢木《うらき》は無いという事だからねえ、お内儀《かみさん》に迎いに来られゝば心持が宜《い》いねえ、旨く云ったってにこ/\顔付に見えるよ」
新「何がにこ/\、冗談じゃアねえ、帰《けえ》らねえ、おい」
累「はい、何卒《どうか》お前さん坊の始末を」
新「始末も何もねえ、行《ゆ》かねえか」
賤「其様《そんな》に云わずにお前お帰りよ、折角お迎いにお出《いで》なすったに誠にお気の毒様、大事な御亭主を引留めてね、さアお帰りよ、手を引かれてよ」
新「何を云うのだ、帰《けえ》らねえか」
と、さア癇癪に障ったから新吉は、突然《いきなり》利かない身体の女房お累の胸倉を取るが早いか、どんと突くと縁側から赤ん坊を抱いたなりコロ/\と転がり落ち、
累「あゝ情ない、新吉さん、今夜帰って下さらんと此の児《こ》の始末が出来ません」
と泥だらけの姿で這上るところを突飛ばすと仰向に倒れる、と構わずピタリと戸を閉《た》てゝ、下《おろ》し桟《ざん》をして仕舞ったから、表ではお累がワッと泣き倒れまする。此の時雨は愈々《いよ/\》烈《はげ》しくドウドッと降出します。
新「エヽ気色が悪《わり》い、酒を出しねえ」
賤「酒をったって私は困るよ、彼様《あん》な酷《ひど》いことをして、一寸帰ってお遣《や》りよ」
新「うまく云ってやアがる、酒を出しねえ、冷たくっても宜《い》いや」
と燗冷《かんざま》しの酒を湯呑に八分目ばかりも酌《つ》いで飲み、
新「お前《めえ》も飲みねえ」
と互に飲んで床につくと、何《ど》ういう訳か其の晩は、お賤が枕を付けると、常になくすや/\能く寝ます。小川から雨の落込んで来る音がどう/\といいます。夜は深《ふ》けて一際《ひときわ》しんと致しますと、新吉は何うも寝付かれません。もう小一時《こいっとき》も経《た》ったかと思うと、二畳の部屋に寝て居りました馬方の作藏が魘《うなさ》れる声が、
作「ウーン、アア……」
新「忌《いめ》えましい奴だな、此畜生《こんちきしょう》、作藏/\おい作や、魘れて居るぜ、作藏、眼を覚まさねえかよ、作藏、夢を見て居るのだ」
作「エ、ウウ、ウンア」
新「忌えましい畜生だ、やい」
作「ヘエ、あゝ」
新「胆《きも》を潰さア、冗談じゃアねえ寝惚けるな、お賤が眼を覚さア」
作「寝惚けたのじゃアねえよ」
新「何うした」
作「己《おれ》が彼処《あすこ》に寝て居るとお前《めえ》、裏の方の竹を打付《ぶっつ》けた窓がある、彼処のお前雨戸を明けて、何うして這入《へえ》ったかと見ると、お前の処の姉御、お累さんが赤ん坊を抱いて、ずぶ濡れで、痩せた手を己の胸の上へ載せて、よう新吉さんを帰《けえ》しておくんなさいよ、新吉さんを帰しておくんなさいよと云って、己が胸を押圧《おっぺしょ》れる時の、怖《こえ》えの怖くねえのって、己はせつなくって口イ利けなかった」
新「夢を見たのだよ、種々《いろん》な事で気を揉むから然《そ》う云う夢を見るのだ、夢だよ」
作「夢で無《ね》えよ、あゝ彼処の二畳の隅に樽があるだろう」
新「ウン」
作「樽の上に簑《みの》が掛けてある」
新「ウン、ある」
作[#「作」は底本では「新」]「簑の掛けてある処に赤ん坊を抱いて立って居るよう」
新「よせ畜生、気の故《せい》だ」
作「気の故じゃア無え、あゝ怖《おっ》かねえ、あれ/\」
新「おい潜り込んで己の処へ這入《へえ》って来ちゃアいけねえ、仕様がねえなア」
とん/\、
「御免なさい/\」
新「誰だい」
作「また来た、あゝ怖っかねえ/\」
新「誰だい」
男「えゝ新吉さんは此方《こちら》にお出《いで》なさいますか、ちょっくら帰《けえ》って、家《うち》は騒ぎが出来ました、お累さんが飛んだ事になりましたから方々《ほう/″\》捜して居たんだ、直《すぐ》に帰《けえ》って下せえ」
作「誰だか」
新「誰だか見な」
作「怖くって外へは出られねえ、皆《みんな》此処《こゝ》に居るだけれども、中々歩く訳にいかねえ、足イすくんで歩かれねえ」
四十六
新「何方《どなた》でございます」
とガラリと明けて見ると村の者。
男「やア新吉さん、居たか、あゝ好《よ》かった、さア帰《けえ》って、気の毒とも何《なん》とも姉御の始末が付かねえ、何《ど》うも捜したの捜さねえのって直ぐ帰《けえ》らないではいけねえ、届ける所へ届けて、名主様へも話イしてね、困るから、さア帰《けえ》って」
と云われ、新吉は何《なん》の事だかとんと分りませんが、致し方なく夜明け方に帰りますると、情ないかな、女房お累は、草苅鎌の研澄《とぎすま》したので咽喉笛《のどぶえ》を掻《かき》切って、片手に子供を抱いたなり死んで居るから、ぞっとする程凄かったが、仕方がないから気が狂《ちが》ってなどと云立て、先《ま》ず名主へも届けて野辺送りをする事になりました。それからは懲りて三藏も中々容易に寄り付きません。新吉もお累が死んで仕舞った後《あと》は、三藏から内所で金を送る事もなし、別に見当《みあて》がないから宿替《やどがえ》をしようと、欲しがる人に悉皆《そっくり》家を譲って、時々お賤の処へしけ込みます。其の間は仕方がないから、水街道へ参って宿屋へ泊り、大生郷の宇治の里へ参って泊りなどして、惣右衞門が留守だと近々《ちか/″\》しけ込みます。世間でもかんづいて居るから新吉は憎まれ者で、誰《たれ》も付合う人がない。横曾根|辺《あたり》の者は新吉に逢っても挨拶もせぬようになりました。新吉はどん/\降る中を潜《そ》っと忍んでお賤の処《とこ》へ来ました。
新「おい/\お賤さん」
賤「あい新吉さんかえ」
新「あゝ明けておくれな」
賤「あい能くお出《いで》だね、傘なしかえ」
新「傘は有ったが借傘《かりがさ》で、柄漏《えもり》がして、差しても差さねえでも同じ事でずぶ濡だ、旦那の病気は何《ど》うだえ」
賤「お前がちょい/\見舞に来てくれるので、新吉は親切な者だ心に掛けてちょく/\来て呉れるが感心だって、悦んで居るが、年が年だからねえ、何《なん》だって五十五だもの、病気疲れですっかり寝付いて居るからお上《あが》りよ」
新「そうかえ夜来るのも極りが悪い様だが、実は少し小遣《こづけえ》が無くなって、外《ほか》へ泊る訳にいかねえから、看病かた/″\来たのだが、能く御新造さんが承知で旦那を此方《こっち》へよこして置くね」
賤「なに碌《ろく》な看病もしないけれども、お宅《うち》では気に入らないと云ってね、気に入った処で看病をして貰う方がよいと人が来ると憎まれ口を利くから、お内儀《かみ》さんも若旦那も此の二三日来ないから、私一人で看病するのだから実は困るよ、困るけれども其の代りには首尾がよくって、種々《いろ/\》旦那に話して置いた事もあるのだからね、遺言状まで私は頼んで書いて貰って置いたから、今能く寝付いて居るし、遊んでおいでな、揺《ゆさ》ぶっても病気疲れで能く寝て居るから、茲《こゝ》で何を云っても旦那に聞える気遣《きづかい》は無し、他に誰も居ないから、真に差向いで話しするがね、私は旦那に受出されて此処《こゝ》へ来て、お前とは江戸に居る時分から、まア心易《こゝろやす》いが、私の方で彼様《あんな》事を云出してから、お前も厭々ながらお内儀《かみさん》まであゝ云う訳になって苦
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