って下さいませんか」
 三「もうそんな事をおいいでないよ、お母様もまた是非来たがって居るのだからお連れ申す様にしましょう、其様《そん》な事をいわずにくよ/\せずに、さア/\蚊帳の中へ這入って居なよ」
 與「大丈夫《でえじょうぶ》だよ、お母様ア己が連れて来るよ、其様な事を云うと悲しくって帰《けえ》れねえから這入ってお呉んなさえよ、ア、赤ん坊が泣くよ、憫然《かわいそう》に本当に泣けねえ」
 三「アヽ鼻血が出た、與助、男の鼻血だから仔細はあるまいけれども、盆凹《ぼんのくぼ》の毛を一本抜いて、ちり毛を抜くのは呪《まじねえ》だから、アヽ痛《いて》え、其様《そんな》に沢山抜く奴があるか、一掴《ひとつかみ》抜いて」
 與「沢山《たんと》抜けば沢山|験《き》くと思って」
 三「えゝ痛いワ、さあ/\行きますよ」
 と名残《なごり》惜《おし》いが、二人とも外へ出ると生憎《あいにく》気になる事ばかり。
 三「アヽ痛」
 與「何《ど》うかしましたかえ」
 三「下駄の鼻緒が切れた」
 與「横鼻緒が切れましたか、ヘエ」
 三「與助何うも気になるなア、お累の病気はとても助かるまいよ」
 與「ヘエ助かりませんか、憫然《かわいそう》にねえ、早くお母様アおよこし申す様にしましょうか」
 三「何しろ早く帰ろう」
 と三藏が帰ると、入違えて帰って来たのは深見新吉。酒の機嫌で作藏を連れてヒョロ/\踉《よろ》けながら帰って来て、
 新「オイ作藏、今夜行かなければ悪かろうなア」
 作「悪《わり》いって悪くねえって行かねば己叱られるだ、行って遣って下せえ、出掛《でがけ》に己《おら》ア肩|叩《たて》えてなア、作さん今夜新吉さんを連れて来ないと打敲《ぶったゝ》くよ、と云って斯《こ》う脊中ア打《ぶ》ったから、なに大丈夫《でえじょうぶ》だ、一杯《いっぺえ》飲んで日が暮れると来るから大丈夫だと云って、声掛けて来ただ」
 新「いつも行《ゆ》く度《たび》に向《むこう》で散財して、酒肴《さけさかな》を取って貰って、余《あんま》り気が利かねえ、些《ちっ》とは旨《うめ》え物でも買って行《い》こうと思うが、金がねえから仕方がねえ」
 作「金エなくったって、向でもって小遣も己《おれ》に呉れて、何うもハア新吉さんなら命までも入れ上げる積りだよ、と姉御《あねご》が云ってるから、行って逢ってお遣《や》りなせえよ」
 新「明日《あした》はまた大生郷辺で一杯《いっぺえ》遣って日を暮さなければ成らねえ、仕方がねえから今日は家《うち》に寝ようと思って」
 作「家に寝るって、己《おら》が困るから行ってよう」
 新「コウ/\見ねえ/\」
 作「何《なん》だか」
 新「妙な事がある、己《おれ》の家に蚊帳が釣ってある」
 作「ハテ是は珍らしいなア、是は評判すべえ」

        四十三

 新「其様《そん》な余計な憎まれ口をきくなえ、今|行違《ゆきちが》ったなア三藏だ、己が留守に来やアがって蚊帳ア釣って行《い》きやアがったのだな、斯《こ》んな大きな蚊帳が入《い》るもんじゃアねえ、蚊帳を窃《そっ》と畳んで、離れた処《とけ》え持って行って質に入れゝば、二両や三両は貸すから、病人に知れねえ様に持出そう」
 作「だから金と云うものは何処《どこ》から来るか知れねえなア、取るべえ」
 新「手前《てめえ》ひょろ/\していていけねえ、病人が眼を覚《さま》すといけねえから」
 と云うが、酔っておりますから階子《はしご》に打突《ぶっつか》って、ドタリバタリ。是では誰にでも知れますが、新吉が病人の頭の上からソックリ蚊帳を取って持出そうとすると、お累は存じて居りますから、
 累「旦那様お帰り遊ばせ」
 新「アヽ眼が覚めたか」
 累「はい、貴方此の蚊帳を何《ど》うなさいます」
 新「何うするたって暑ッ苦しいよ、今友達を連れて来たが、狭い家《うち》にだゞっ広《ぴろ》い大きな蚊帳を引摺り引廻《ひんまア》して、風が這入らねえのか、暑くって仕様がねえから取るのだ」
 累「坊が蚊に螫《く》われて憫然《かわいそう》でございますから、何卒《どうか》それだけはお釣り遊ばして」
 新「少し金が入用《いりよう》だからよ、これを持って行って金を借りるんだ、友達の交際《つきあい》で仕様がねえから持って行くよ」
 累「はい、それをお持遊ばしては困りますから何卒《どうぞ》お願いで」
 新「お願いだって誰がこんな狭い家《うち》へ大きな蚊帳を引摺り引廻《ひんまわ》せと云った、茲《こゝ》は己の家《うち》だ、誰が蚊帳を釣った」
 累「はい今日《こんにち》兄が通り掛りまして、手前は憎い奴だが如何にも坊が憫然だ、蚊ッ喰《くい》だらけになるから釣って遣ろうと申して家から取寄せて釣ってくれましたので」
 新「それが己の気に入らねえのだ、よ、兄と己は縁が切れて居る、手前《てめえ》は己の女房だ、親|同胞《きょうだい》を捨てゝも亭主に附くと手前云った廉《かど》があるだろう、然《そ》うじゃアねえか、え、おい、縁の切れた兄を何故《なぜ》敷居を跨《また》がせて入れた、それが己の気に入らねえ、兄の釣った蚊帳なれば猶《なお》気に入らねえ、気色が悪《わり》いから是を売って他の蚊帳にするのだ」
 累「何卒《どうぞ》お金子《かね》がお入用《いりよう》なれば兄が金を三両程置いて参りましたから、是をお持ち遊ばして、蚊帳だけは何卒《どうか》」
 新「金を置いて行った、そうか、どれ見せろ」
 作「だから金は何処《どこ》から出るか知んねえ、富貴《ふうき》天にあり牡丹餅《ぼたもち》棚にありと神道者《しんどうしゃ》が云う通りだ、おいサア行くべえ」
 新「行くったって三両|許《ばか》りじゃア、塩噌《えんそ》に足りねえといけねえ、蚊帳も序《ついで》に持って行って質に入れ様じゃアねえか」
 作「マア蚊帳は止せよ、子供が蚊に喰われるからと姉御が云うから、三両取ったら堪忍して遣って、子供が憫然だから蚊帳は止せよ」
 新「何《なん》だ弱《よえ》え事を云うな」
 作「弱えたって人間だから、お内儀《かみ》さんが塩梅《あんべえ》の悪《わり》いのに憫然ぐれえ知って居らア、止せよ」
 新「憫然も何も有るもんか、何を云やアがるのだ此ン畜生《ちきしょう》、蚊帳を放さねえか」
 累「それは旦那様お情のうございます、金をお持ち遊ばして其の上蚊帳までも持って行っては私《わたくし》は構いませんが坊が憫然で」
 新「何《なん》だ坊は己の餓鬼だ、何だ放さねえかよう、此畜生《こんちきしょう》め」
 と拳《こぶし》を固めて病人の頬をポカリ/\撲《ぶ》つから、是を見て居る作藏も身の毛|立《だ》つようで、
 作「止せよ兄貴、己酒の酔《えい》も何も醒《さ》めて仕舞った、兄貴止せよ、姉御、見込んだら放さねえ男だから、なア、仕方がねえから放しなさえ、だが、敲くのは止せよ」
 新「なに、此畜生め、オイ頭の兀《はげ》てる所《とこ》を打《ぶ》つと、手が粘って変な心持がするから、棒か何か無《ね》えか、其処《そこ》に麁朶《そだ》があらア、其の麁朶を取ってくんな」
 作「止せよ/\、麁朶はお願いだから止せよ」
 新「なに此畜生|撲《なぐ》るぞ」
 作「姉御麁朶を取って出さねえと己《おら》を撲るから、放すが宜《え》え、見込まれたら蚊帳は助からねえからよ」
 新「サア出せ、出さねえと撲るぞ、厭でも撲るぞ、此度《こんだ》ア手じゃアねえ薪《まき》だぞ、放さねえか」
 累「アヽお情ない、新吉さん此の蚊帳は私が死んでも放しません」
 と縋《すが》りつくのを五つ六つ続け打《うち》にする。泣転《なきころ》がる処を無理に取ろうとするから、ピリ/\と蚊帳が裂ける生爪が剥《は》がれる。作藏は、
 作「南無阿弥陀仏/\、酷《ひど》い事をするなア、顔は綺麗だが、怖《おっ》かねえ事をする、怖《こえ》えなア」
 新「サア此の蚊帳《かやア》持って行《ゆ》こう」
 作「アレ/\」
 新「なに」
 作「爪がよう」
 新「どう、違《ちげ》えねえ縋り付きやアがるから生爪が剥がれた、厭な色だな、血が付いて居らア、作藏|舐《な》めろ」
 作「厭だ、よせ、虫持《むしもち》じゃア有るめえし、爪え喰う奴があるもんか」
 新「此の蚊帳《かやア》持って往ったら三両か五両も貸すか」
 作「貸《つ》くもんか」
 新「爪を込んで借りよう」
 作「琴の爪じゃアあるめえし」
 とずう/\しい奴で、其の蚊帳を肩に引掛《ひっか》けて出て行《ゆ》きます。お累は出口へ斯《こ》う這出したが、口惜《くや》しいと見えて、
 累「エヽ新吉さん」
 と云うと、
 新「何をいやアがる」
 とツカ/\と立ち戻って来て、脇に掛って有った薬鑵《やかん》を取って沸湯《にえゆ》を口から掛けると、現在我が子與之助の顔へ掛ったから、子供は、
 子供「ヒー」
 と二声《ふたこえ》三声《みこえ》泣入ったのが此の世のなごり。
 累「鬼の様なるお前さん」
 新「何をいやアがるのだ」
 と持って居た薬鑵を投げると、双《もろ》に頭から肩へ沸湯を浴《あび》せたからお累は泣倒れる。新吉は構わずに作藏を連れて出て参りましたが、斯う憎くなると云うのは、仏説でいう悪因縁で、心から鬼は有りませんが、憎い/\と思って居る処から自然と斯様《かよう》な事になります。

        四十四

 新吉は蚊帳を持って出まして、是を金にして作藏と二人でお賤の宅へしけ込み、こっそり酒宴《さかもり》を致して居ります、其の内に段々と作藏が酔って来ると、馬方でございますから、野良で話を為《し》つけて居りますから、つい声が大きくなる。
 新「おい作、手前《てめえ》酔うと大きな声を出して困る、些《ちっ》と静かにしろ」
 作「静かにたって、大丈夫《でえじょうぶ》だ人子《ひとっこ》一人通らねえ土手下の一軒家田や畑で懸隔《かけへだ》って誰も通りゃアしねえから心配《しんぺえ》ねえよ」
 賤「いゝよ、私はまた作さんの酔ったのは可笑しいよ余念が無くって、お前さん慾の無い人だよ」
 作「慾が無《ね》い事《こた》アねえ、是で慾張って居るだが、何方《どっち》かというと足癖の悪《わり》い馬ア曳張《ひっぱ》って、下り坂を歩くより、兄いと二人で此処《こけ》え来て、斯う遣って酔って居れば好《い》いからね、先刻《さっき》は己《おら》ア酔《えい》が醒めたね」
 新「止せえ、先刻の話は止せよ」
 作「止せたってお賤さん、お前《めえ》マア新吉さんは可愛いゝ人だと思って居るから、首尾して、他人《ひと》にも知んねえように白《しら》ばっくれて寄せるけれども、新吉さんが此処《こけ》え来るってえ心配《しんぺえ》は是《こ》りア己《おれ》が魂消《たまげ》た事がある、今日ね」
 新「そんな詰らねえ事をいうな手前《てめえ》は酔うとお喋《しゃべ》りをしていけねえ」
 作「お喋りったって、一杯《いっぺえ》飲んで図に乗っていうのだ、エヽ、おい、それでねえ、マア一杯飲んで帰《けえ》った処が、銭イなえと云うから、無くったって好《い》いや、何《なん》でもお賤さんの処《とこ》へ行ってお呉んなせえというと、いつも行って馳走になって小遣《こづけえ》貰って帰《けえ》るべえ能でもねえじゃアねえか、何卒《どうか》己も偶《たま》にア旨《うめ》え物でも買って行って、お賤に食わしてえって、其処《そこ》はソレ情合《じょうあい》だからそんな事を云ったゞが、いゝや旨え物持って行くたって無《ね》えものはハア駄目だ、お賤さんの方が、旨え物|拵《こし》れえて待って居るから今夜呼んで来てくんなせえよと、己が頼まれたから構わねえじゃアねえかと云っても、金が無ければてえので家《うち》へ帰《けえ》ると、家に蚊帳が釣って有るだ」
 新「よせ/\、そんな話は止せよ」
 作「話したって宜《よ》かんべえ、それで其の蚊帳《かやア》質屋へ持って行こうって取りに掛ると、女房《かみさん》は塩梅《あんべえ》が悪《わり》いし赤ん坊は寝て居るし」
 新「コレよせ、よさねえか」
 作「云ったって宜《え》え、そんなに小言云わねえが宜え、蚊帳へ縋《すが》り付いて、己《おら》ア宜えが子供が蚊に喰われて憫然《かわいそう》だから何卒《どう
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