ば七八《しちはち》の大きいので宜い病人の中へ這入って擦《さす》る者も広い方が宜いから」
 與「直《じ》き往って来ましょう」
 三「早く往って」
 與[#「與」は底本では「三」]「ヘエ、お累様|直《じき》往って参《めえ》りますよ」
 と親切な男で、飛ぶようにして蚊帳を取りに行《ゆ》きました。
 三「暗くっていかぬから灯《あかり》を点《つ》けましょう、何処《どこ》に火打箱はあるのだえ、何所《どこ》に、え、竈《かまど》を持出して売ったア、呆れます何《ど》うも、家《うち》ではお飯《まんま》も喰わねえ了簡、左様《そう》云う悪《にく》い奴だ」
 と段々手探りで台所の隅へ行って、
 三「アヽ茲《こゝ》に在《あ》った/\」
 と漸《ようや》く火打箱を取出しましてカチ/\打ちまするが、石は丸くなって火が出ない、漸くの事で火を附木《つけぎ》に移し、破れ行燈《あんどう》を引出して灯《あかり》を点《つ》け、善々《よく/\》お累の顔を見ると、実に今にも死のうかと思うほど痩衰えて、見る影はありませんから、兄三藏は驚きまして、
 三「あゝお累、お前是は一通りの病気ではない余程の大病だよ、此の前に来た時は此様《こん》なに瘠《やせ》てはいなかったが、何も食べさせはせず、薬一服|煎《せん》じて呑ませる了簡もなく、出歩いてばっかり居る奴だから、自分には煮炊《にたき》も出来ずお前が此様な病気でも見舞に来る人もないから知らせる人もなし、物を食べなけりゃア力が附かないから、是では仮令《たとえ》病気でなくとも死にます、見れば畳も持出して売りやアがったと見えて、根太《ねだ》が処々《ところ/″\》剥《は》がれて、まア縁の下から草が出ているぜ、実に何《ど》うも酷《ひど》いじゃアないか、えゝおい、彼《あ》の非道な新吉を何処《どこ》までもお前亭主と思って慕う了簡かえ、お前は罰《ばち》があたって居るのだよ、私がお母様《っかさん》にお気の毒だと思って種々《いろ/\》云うと、お母様は私への義理だから、何《なん》の親|同胞《きょうだい》を捨てゝ出る様な者は娘とは思わぬ、敵《かたき》同士だ、病気見舞にも行ってくれるな、彼様《あん》な奴は早く死ねばいゝ、と口では仰しゃるけれども、朝晩如来様に向って看経《かんきん》の末には、お累は大病でございます、何卒《どうか》お累の病気全快を願います、新吉と手を切りまして、一つ処へ親子三人寄って笑顔《わらいがお》を見て私も死度《しにと》うございます、何卒お護《まも》りなすって下さいまし、と神様や仏様に無理な願掛《がんがけ》をなさるも、お前が可愛いからで、親の心子知らずと云うのはお前の事で、さア今日は新吉とフッヽリ縁を切ります諦めますとお前が云えば、彼様な奴だから三十両か四十両の端金《はしたがね》で手を切って、お前を家《うち》へ連れて行って、身体さえ丈夫になれば立派な処へ縁附ける、左《さ》も無ければ別家《べっけ》をしても宜《い》い、彼奴《あいつ》に面当《つらあて》だからな、えゝ、今日は諦めますと云わなければなりませんよ、さア諦めたと云いなさい、えゝ、おい、云えないかえ、今日諦めなければ私はもう二度と再び顔は見ません、もう決して足踏《あしぶみ》は致しません、もう兄妹の是が別れだ、外《ほか》に兄弟があるじゃアなし、お前と私ばかり、お前亭主を持たないうち何《なん》と云った、私が他《わき》へ縁付きましても、子というは兄《あに》さんと私ぎりだから、二人でお母様に孝行しようと云ったじゃアないか、して見れば親の有難い事も知っているだろう、さア、お前の身が大事だからいうのだよ、返答が出来ませんかよ、えゝお累、返答しなければ私は二度と再び来ませんよ」

        四十一

 累「はい/\」
 と利かない手を漸《やっ》と突いてガックリ起上り、兄三藏の膝の上へ手を載せて兄の顔を見る眼に溜《たま》る涙の雨はら/\と膝に翻《こぼ》れるのを、
 三「これ/\たゞ泣いていては却《かえ》って病《やまい》に障るよ」
 累「はいお兄様《あにいさま》どうも重々《じゅう/\》の不孝でございました、まア是迄御丹精を受けました私《わたくし》が、お兄様のお言葉を背きましては、お母様《っかさま》へ猶々《なお/\》不孝を重ねまする因果者、此の節のように新吉が打って変って邪慳では、迚《とて》も側には居られません、少しばかり意見がましい事を申せば、手にあたる物でぶち打擲致しますから、小児《あか》が可愛《かわゆ》くないかと膝の上へ此の坊を載せますと、エヽうるせえ、とこんな病身の小児を畳の上へ放り出します、それほど気に入らぬ女房なれば離縁して下さい、兄の方へ帰りましょうと申しますと、男の子は男に付くものだから、此の與之助は置いて行《ゆ》けと申します、彼様《あん》な鬼の様な人の側へ此の坊を置きましては、見す/\見殺しに致しまするようなものと、つい此の小僧に心が引かされて、お兄様やお母様に不孝を致します、せめて此の與之助が四歳《よっつ》か五歳《いつゝ》に成ります迄|何卒《どうぞ》お待ち遊ばして」
 三「其様《そん》な分らぬ事を云っては困りますよ、お前|何《ど》うも、四歳か五歳になる迄お前の身体が保《も》ちゃアしませんよ、能く考えて御覧、子を捨てる藪はあるが身を捨てる藪はないと云う譬《たとえ》の通りだ、置いて行《い》けと云うなら置いて行って御覧、乳はなし、困るからやっぱりお前の方へ帰って来るよ、エヽ、私の云う事を聴かれませんか、是程に訳を云ってもお前は聴かれませんかえ、悪魔が魅入ったのだ、お前そんな心ではなかったが情《なさけ》ない了簡だ、私はもう二度と再び来ません、思えばお前は馬鹿になって了《しま》ったのだ、呆れます」
 と腹が立つのでは有りませんが、妹《いもと》が可愛い紛れに荒い意見をいうと、お累は取詰めて来まして癪《しゃく》を起し、
 累「ウーン」
 と虚空を掴んで横にぱったり倒れましたから、三藏は驚きまして、
 三「エヽ困ったなア、少し小言を云うと癪を起すような小さい心でありながら、何《ど》う云うもので、此様《こん》なに強情を張るのだろう、新吉の野郎め、困ったな、水はねえかな、何卒《どうか》これ、お累|確《しっ》かりしてくれよ、心を慥《たし》かに持たなければならんよ、此の大病の中で差込が来ては堪《たま》らん、確かりして」
 と一人で手に余る処へ、帰って来たは與助、風呂敷包に蚊帳の大きなのを持って、
 與「旦那取って来ました」
 三「蚊帳を取って来たか、今お累が癪を起して気絶してしまった」
 與「えゝまア、そりゃ、お累さん/\何《ど》うしただ、これお累さん、あゝまア歯ア喰いしばって、えらい顔になって、是はまア死んだに違《ちげ》えねえ、骨と皮ばかりで」
 三「死んだのじゃアねえ今|塞《と》じて来たのだが、アヽこれっ切りに成るかしら、あゝもうとても助かるまい」
 與「助からねえッてえ可哀そうに、これマア迚《とて》も駄目だねえ、お累さん私《わし》イ小せえうちから馴染ではござえませんか、私イ今ア蚊帳《かやア》取りに行く間待っても宜《よ》かんべえがそれにマア死んでしまうとは情ねえ、彼様《あん》な悪徒《あくと》野郎が側に附いて居るから、近所の者も見舞にも来ず、薬一服煎じて飲ませる看病人も無い、此様《こん》なになって死ぬのは誠に情ねえ訳で、何《ど》うして死んだかなア」
 三「其様《そんな》に泣いたって仕様があるものか、命数が尽きれば仕方がねえ、其様に女々しく泣くな、男らしくもねえ、腹一杯親|同胞《きょうだい》に不孝をして苦労を掛けて是で先立つたア此様《こん》な憎い奴はねえ、憫然《かわいそう》とは思わない、悪《にく》いと思え、泣く事はねえ、泣くな」
 與「泣くなって、泣いたって宜《よ》かんべえ、死んだ時でも泣かなきゃア泣く時はねえ、私《わし》い憫然でなんねえだよ、斯《こ》んな立派な兄《あに》さんがあっても、薬一服煎じて飲ませねえで憫然だと思うから泣くのだ、お前さんも我慢しずに泣くが宜《え》え」
 三「まア水でも飲まして見ようか」
 與「まだ水も何も飲ませねえのかえ」
 三「オイ己《おれ》が水を飲ませるから其処《そこ》を押えて、首を斯《こ》うやって、固く成って居るからの、力一ぱい、なに腕が折れると、死んで居るから構やアしねえ、宜《い》いか、今水を飲ませるから、ウグ/\/\/\」
 與「何だか云う事が分んねえ」
 三「いけねえ、己が飲んでしまった」
 與[#「與」は底本では「三」]「仕様がねえな、含《くゝ》んでゝ喋れば飲込むだ、喋らずに」
 と漸《ようや》く三藏が口移しにすると、水が通ったと見えて、
 累「ウム」
 という。
 三「アヽ與助、漸く水が通った」
 與「通ったか、通れば助かります、お累様ア、確《しっ》かりして、水が通ったから確かりして、お累さん/\」
 三「お累確かりしろ、兄《あに》さんが此処《こゝ》に附いて居るから確かりしろよ」
 與「お累様確かりおしなさえよ、與助が此処へ参《めえ》って居りますから、お累様、確かりおしなさえよ」
 累「ア…………」
 三「其方《そっち》へ退《ど》きなさい、頭を出すから、アヽ痛い」
 與「大丈夫《でえじょうぶ》己来たからよう、アヽ好《い》い塩梅《あんべえ》だ気が付いた、アヽ……」
 三「何《なん》だ手前《てめえ》気が付きゃアそれで好いや、気が付いて泣く奴があるものか」
 與「嬉し涙で、もう大丈夫《でえじょうぶ》だ」
 三「もう一杯飲むかえ、さア/\水を飲みなさい」

        四十二

 累「ハイ……気が付きました、何卒《どうぞ》御免なされて下さい」
 三「私が余《あんま》り小言を云ったのは悪うございました、ついお前の身の上を思うばっかりに愚痴が出て、病人に小言を云って、病に障る様な事をして、兄《あに》さんが思い切りが悪いのだから、皆定まる約束と思って、もう何《なん》にも云いますまい、小言を云ったのは悪かった、堪忍して」
 與「誰エ小言云った、能くねえ事《こっ》た、貴方《あんた》正直だから悪《わり》い、此の大病人《たいびょうにん》に小言を云うってえ、此の馬鹿野郎め」
 三「何《なん》だ馬鹿野郎とは」
 與「けれども小言を云ったって、旦那様もお前様《めえさま》の身を案じてねえ、新吉さんと手が切れて家《うち》へ帰《けえ》れるようにしたいと思うから意見を云うので、悪く思わねえ様に、よう/\」
 三「蚊帳を持って来たから釣りましょう、恐ろしく蚊に喰われた、釣手があるかえ」
 累「釣手は売られないから掛って居ります」
 三「そうか」
 と漸《ようや》く二人で蚊帳を釣って病人の枕元を広くして、
 三「あのね、今帰り掛けで持合せが少ないが、三両|許《ばか》りあるから是を小遣に置いて行《ゆ》きましょう、私も諦らめてもう何も云いません、若《も》し小遣が無くなったら誰《たれ》か頼んで取りによこしなよう、大事にしなよう、蚊帳を釣ったから、もういゝ、何も、もう其様《そん》な事を云うなえ、サ、行《ゆ》きましょう/\」
 與「ヘエ参《めえ》りましょう、じゃアねえ、お累さん行《い》きますよ、旦那様が帰《けえ》るというから私《わし》も帰《けえ》るが、大事にしてお呉んなさえよ、よう、くよ/\思わなえが宜《え》え、エヽ何《ど》うも仕様がねえ、帰《けえ》りますよ」
 三「ぐず/\云わずに先へ出なよ、出なったら出なよ、先へ出なてえに」
 と兄が立ちに掛ると、利かない手を突いて漸《ようや》くに這出して、蚊帳を斯《こ》う捲《まく》ってお累が出まして、行《ゆ》きに掛る兄の裾《すそ》を押えたなり、声を振わして泣倒れまする。
 三「其様《そんな》にお前泣いたり何かすると毒だよ、さア蚊帳の中へ這入りな、坊が泣くよ、さア泣いているから這入んな」
 累「お兄様《あにいさま》只今まで重々の不孝を致しました、先立って済みませんが、迚《とて》も私は助かりません、何卒《どうぞ》御立腹でもございましょうがお母様《っかさま》に只《たっ》た一目お目に掛って、お詫をして死にとう存じますが、お母様にお出《いで》下さる様に貴方からお詫をなす
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