近付にもなりませんで、兄貴が連れてお近付に参ると云って居りますが、何《なん》だか気が詰ると思ってツイ御無沙汰をして参りませんので」
 賤「なに気が詰る所《どころ》じゃア無い、さっくり能《よ》く解《わか》った人だよ、私を娘の様に可愛がって呉れるから一寸《ちょいと》お寄りな、ねえ作さん」
 作「それが好《い》い、新吉さんお出でよ、何《なん》でもお出で」
 と勧められるから新吉は、幸い名主に逢おうと行《ゆ》きましたが、少し田甫《たんぼ》を離れて庭があって、囲《かこい》は生垣になって、一寸《ちょいと》した門の形が有る中に花壇などがある。
 賤「さア新吉さん此方《こっち》へ」
 惣「大層遅かったな」
 賤「遅いったって見る処がないから累《かさね》の墓を見て来ましたが、気味が悪くて面白くないから帰って来たの」
 作「只今」
 惣「大きに作藏御苦労、誰か一緒か」
 賤「彼《あ》の人は新吉さんと云って私が櫓下に居る時分、貸本屋の小僧さんで居て、その時分に本を脊負って来て馴染なので、思い掛けなく逢いましたら、まだ旦那様にお目に掛らないから、何卒《どうか》お目通りがしたいと云うから、それは丁度|好《よ》い、旦那様は家《うち》に来て居らっしゃるからと云って、無理に連れて来たので」
 惣「おや/\そうか、さア此方《こちら》へ」
 新「ヘエ初めまして、私《わたくし》はえゝ三藏の家《うち》へ養子に参りました新吉と申す不調法者で、何卒《どうぞ》一遍は旦那様にお目通りしたいと思いましたが、掛違いましてお目通りを致しません、今日《こんにち》は好《よ》い折柄《おりがら》お賤さんにお目に掛って出ましたが、ついお土産も持参致しませんで」
 惣「いゝえ、話には聞いたが、大層心掛の善い人だって、お前さん墓参りに能《よ》く行くってね」
 新「ヘエ身体が悪いので法蔵寺の和尚様が、無縁の墓へ香花を上げると、身体が丈夫になると云うから、初めは貶《けな》しましたが、それでも親切な勧めだと思って参りますが、妙なもので此の頃は其の功徳かして大きに丈夫に成りました」
 惣「うん成程|然《そ》うかえ、能く墓参《はかめえ》りをする、中々|温順《おとなし》やかな実銘《じつめい》な男だと云って、村でも評判が好《い》い」
 賤「本当に極くおとなしい人で、貸本屋に居て本を脊負ってくる時分にも、一寸《ちょっと》来ても、新吉さん手伝っておくれなんて云うと、冬などは障子を張替えたり、水を汲んだり、外を掃除したり、誠に一寸人柄は好《よ》しねえ、若い芸者衆は大騒ぎやったので、新吉さん遠慮しないで、窮屈になると却《かえ》って旦那は困るから、ねえ旦那、初めてゞすからお土産などと云ったんだけれども止《と》めましたが、初めてですからお金を一寸少しばかり遣《や》って下さいな」
 惣「お金を、幾ら」
 賤「幾らだって少しばかりは見っともないし、貴方は名主だからヘエ/\あやまってるし、初めてですから三両もお遣んなさいよ」
 惣「三両、余《あんま》り多いや一両で宜《よ》かろう」
 賤「お遣りなさいよ、向《むこう》は目下だから、それに、旦那あの博多の帯はお前さんに似合いませんから彼《あ》の帯もお遣りなさいよう」
 惣「帯を、種々《いろ/\》な物を取られるなア」
 と是が始《はじま》りで新吉は近しく来ます。

        三十九

 お賤は調子が宜し、酒が出ると一寸小声で一中節《いっちゅうぶし》でもやるから、新吉は面白いから猶《なお》近しく来る。其の中《うち》に悪縁とは申しながら、新吉とお賤と深い中に成りましたのは、誰《た》れ有って知る者はございませんけれども、自然と様子がおかしいので村の者も勘付いて来ました。新吉は家《うち》へ帰ると女房が、火傷の痕《あと》で片鬢《かたびん》兀《はげ》ちょろになって居り、真黒な痣《あざ》の中からピカリと眼が光るお化《ばけ》の様な顔に、赤ん坊は獄門の首に似て居るから、新吉は家へ帰り度《た》い事はない。又それに打って代って、お賤の処へ来ると弁天様か乙姫の様な別嬪《べっぴん》がチヤホヤ云うから、新吉はこそ/\抜けては旦那の来ない晩には近くしけ込んで、作藏に少し銭を遣れば自由に媾曳《あいびき》が出来まするが、偖《さて》悪い事は出来ぬもので、兄貴は心配しても、新吉に意見を云う事は出来ませんから、お累に内々《ない/\》意見を云わせます、意見を云わないと為にならぬ向《むこう》が名主様だから知れてはならぬという、それを思うから、女房お累が少し意見がましい事をいうと、新吉は腹を立てゝ打ち打擲《ちょうちゃく》致しまするので、今迄と違って実に荒々しい事を致しては家を出て行《ゆ》きまするような事なれども、人が善《よ》いから、お累は心配する所から段々病気に成りまして、遂には頭《かしら》が破《わ》られる様に痛いとか、胸が裂ける様だとか、癪《しゃく》という事を覚えて、只おろ/\泣いてばかりおります。兄貴は改って枕元へ来て、
 三「段々村方の者の耳に這入り、今日は老母《としより》の耳にも這入って、捨てゝは置かれず、私《わし》が附いて居て名主様に済まない、殊《こと》に家《うち》の物を洗いざらい持出して質に置き、水街道の方で遊んで、家《うち》へ帰らずに、夜になればお賤の処へしけ込んでおり、お前が塩梅が悪くっても、子供が虫が発《おこ》っても薬一服呑ませる了簡《りょうけん》もない不人情な新吉、金を遣《や》れば手が切れるから手を切ってしまえ」
 と兄が申しまする。所がお累は
「何《ど》うも相済みませんが、仮令《たとえ》親や兄弟に見捨てられても夫に附くが女の道、殊には子供も有りますから、お母様《っかさん》やお兄様《あにいさま》には不孝で有りますが、私は何うも新吉さんの事は思い断《き》られません」
 と、ぴったり云い切ったから、
 三「然《そ》うなれば兄妹《あにいもと》の縁を切るぞ」
 と云渡して、纏《まと》めて三十両の金を出すと、新吉は幸い金が欲《ほし》いから、兄と縁を切って仕舞って、行通《ゆきかよ》いなし。新吉は此の金を持って遊び歩いて家《うち》へ帰らぬから、自分は却《かえ》って面白いが、只|憫然《かわいそう》なのは女房お累、次第/\に胸の焔《ほむら》は沸《に》え返る様になります。殊に子供は虫が出て、ピイ/\泣立てられ、糸の様に痩せても薬一服呑ませません。なれども三藏の手が切れたから村方の者も見舞に来る人もござりません。新吉は能《い》い気になりまして、種々《いろ/\》な物を持出しては売払い、布団どころではない、遂《つい》には根太板《ねだいた》まで剥《はが》して持出すような事でございますから、お累は泣入っておりますが、三藏は兄妹の情《じょう》で、縁を切っても片時も忘れる暇《ひま》は有りません故、或日|用達《ようたし》に参って帰りがけ、旧来居ります與助《よすけ》と云う奉公人を連れて、窃《そう》っと忍んで参り、お累の家《うち》の軒下に立って、
 三「與助や」
 與「ヘエ」
 三「新吉が居る様なれば寄らねえが、新吉が居なければ一寸《ちょっと》逢って行《ゆ》きたいから窃《そっ》と覗《のぞ》いて様子を見て、新吉が居ては迚《とて》も顔出しは出来ぬ」
 與「マア大概《てえげえ》留守勝だと云うから、寄って上げておくんなさえ、ねえ、憫然《かわいそう》で、貴方《あんた》の手が切れてから誰《たれ》も見舞《みめえ》にも行《い》かぬ、仮令《たとえ》貴方《あなた》の手が切れても、塩梅《あんべえ》が悪《わり》いから村の者は見舞《みめえ》に行ったっても宜《え》えが、それを行かぬてえから大概《てえげえ》人の不人情も分っていまさア、何《ど》うか寄って顔を見て遣《や》っておくんなさえ、私《わし》もお累さんが小せえうちから居りやすから、訪ねてえと思うが、訪ねる事が出来ねえが、表で逢っても、新吉さんお累さんの塩梅《あんべえ》は何うで、と云うと、何《なん》だ汝《われ》は縁の切れた所《とこ》の奉公人だ、くたばろうと何うしようと世話にはならねえ、と斯《こ》う云うので、彼《あ》の野郎|彼様《あん》な奴ではなかったが、魔がさしたのか、始終はハア碌《ろく》な事はねえ、お累さんに咎《とが》はねえけれどもそれえ聞くと遂《つい》足遠くなる訳で」
 三「何《なん》たる因果でお累は彼様な悪党の不人情な奴を思い断《き》れないというのは何かの業《ごう》だ、よ、覗いて見なよ」
 與「覗けませんよ」
 三「なぜ」
 與「何《ど》うも檐先《のきさき》へ顔を出すと蚊が舞って来て、鼻孔《はなめど》から這入《へえ》って口から飛出しそうな蚊で、アヽ何うもえれえ蚊だ、誰も居ねえようで」
 三「然《そ》うか、じゃア這入って見よう」
 と日暮方で薄暗いから土間の所から探り/\上って参ると、煎餅《せんべい》の様な薄っぺらの布団を一枚敷いて、其の上へ赤ん坊を抱いてゴロリと寝ております。蚊の多いに蚊帳《かや》もなし、蚊燻《かいぶ》しもなし、暗くって薩張《さっぱ》り分りません。
 三「ハイ御免よ、おッ、此処《こゝ》に寝て居る、えゝお累/\私だよ兄だよ…三藏だよ」
 累「は……はい」

        四十

 三「アヽ危ない、起きなくってもいゝよ、そうしていなよ、然《そ》うしてね、お前とは縁切《えんきり》に成って仕舞ったから、私が出這入りをする訳じゃアないが、縁は断《き》れても血筋は断れぬと云う譬《たと》えで何《なん》となく、お前の迷《まよい》から此様《こん》な難儀をする、何《ど》うかしてお前の迷が晴れて新吉と手が切れて家《うち》へ帰る様にしたいと思って居るから、もう一応お前の胸を聞きに来たので、新吉も居ない様子だから話に来た、エヽちょうど與助が供でね、あれもお前が小さい時分からの馴染だから、何《ど》うぞ一目逢って来度《きた》いと云って、與助|此方《こっち》へ這入りな」
 與「ヘエ有難う、お累さん與助でござえますよ、お訪ね申してえけれども、旦那にも云う通り、新吉さんが憎まれ口《ぐち》イきくので、つい足イ遠くなって訪ねませんで、長《なげ》え間|塩梅《あんべえ》が悪くってお困りだろう、何様《どん》な塩梅《あんべえ》で、エヽ暗くって薩張分りませんが、些《ちっ》とお擦《さす》り申しましょう、おゝおゝ其様《そん》なに痩《やせ》もしねえ」
 三「それは己だよ」
 與「然《そ》うかえお前《めえ》さんか、暗くって分らねえから」
 三「何しろ暗くって仕様がない、灯《あかり》を点《つ》けなければならん、新吉は何処《どこ》へ行ったえ」
 累「はい有難う、兄《あに》さん能《よ》く入らしって下さいました、お目に掛られた義理ではありませんが、何卒《どうか》もう私も長い事はございますまいから、一眼《ひとめ》お目に掛って死にたいと存じましても、心がらでお招《よ》び申す事も出来ない身の上に成りましたも、皆お兄様《あにいさま》やお母様《っかさま》の罰《ばち》でございますが、心に掛けておりました願いが届きまして、能く入らしって下さいました、與助能く来てお呉れだね」
 與「ヘエ、来てえけれどもねえ、何《ど》うも来られねえだ、新吉が憎まれ口きくでなア、実にはア仕様がねえだ、蚊が多いなア、まア」
 三「新吉は何処へ行った、なに友達に誘われて遊びに行ったと、作藏と云う馬方と一緒に遊んで居やアがる、忌々《いめえま》しい奴だ、蚊帳は何処にある、蚊帳を釣りましょう、なに無いのかえ」
 累「はい蚊帳どころではございません、着ております物を引剥《ひんむ》いて持出しまして、売りますか質に入れますか、もう蚊帳も持出して売りました様子で」
 三「呆《あき》れますな何《ど》うも、蚊帳を持出して売って仕舞ったと、この蚊の多いのによ」
 與「だから鬼だって、自分は勝手三眛《かってざんまい》して居るから痒《かい》くもねえが、それはお累様ア憎いたって、現在赤ん坊が蚊に喰殺されても構わねえて云うなア心が鬼だねえ」
 三「與助や家《うち》へ行って蚊帳を取って来て呉んな、家の六畳で釣る蚊帳が丁度|宜《い》い、あれは六七《ろくしち》の蚊帳だから、あれで丁度よかろう、若《も》しあれでなけれ
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