》に手向いして、重々不届至極に付獄門に行うものなりとあり。新吉はこれぞ正夢なり、妙な事も有るものだと、兄新五郎の顔が眼に残りしは不思議なれど、勘藏の話で想ったから然《そ》う見えたか、何《なん》にしても稀有《けう》な事が有れば有るものだ、と身の毛だちて、気味悪く思いますから、是より千住へ参って一晩泊り、翌日早々下総へ帰る。新吉の顔を見ると女房お累が虫気付《むしけづ》きまして、オギャア/\と産落したは男の子でございます。此の子が不思議な事には、新吉が夢に見た兄新五郎の顔に生写《いきうつ》しで、鼻の高い眼の細い、気味の悪い小児《こども》が生れると云う怪談の始めでございます。

        三十七

 引続きまして真景累が淵と外題《げだい》を附しまして怪談話でございます。新吉は旅駕籠に揺《ゆら》れて帰りましたが、駕籠の中で怪しい夢を見まして、何彼《なにか》と心に掛る事のみ、取急いで宅《うち》へ帰りますると、新吉の顔を見ると女房お累は虫気付き、産落したは玉のような男の児《こ》とはいかない、小児《こども》の癖に鼻がいやにツンと高く、眼は細いくせにいやに斯《こ》う大きな眼で、頬肉が落ちまして瘠衰《やせおとろ》えた骨と皮ばかりの男の児が生れました。其の顔を新吉が熟々《つく/″\》見ると夢に見ました兄新五郎の顔に生写《いきうつ》しで、新吉はぞっとする程身の毛立って、
 新「然《そ》うなれば此の家《うち》は敵同士《かたきどうし》と、夢にも兄貴が怨みたら/\云ったが、兄貴がお仕置に成りながらも、三藏に怨みを懸けたと見えて、その仇《あだ》の家《いえ》へ私が養子に来たと夢で其の事を知らせ、早く縁を切らなければ三藏の家《うち》へ祟《たゝ》ると云ったが、扨《さて》は兄貴が生れ変って来たのか、但《たゞ》しは又祟りで斯《こ》う云う小児《こども》が生れた事か、何《ど》うも不思議な事だ」
 と其の頃は怨み祟りと云う事があるの或《あるい》は生れ変ると云う事も有るなどと、人が迷いを生じまして、種々《いろ/\》に心配を致したり、除《よけ》を致すような事が有りました時分の事で、所謂《いわゆる》只今申す神経病でございますから、新吉は唯《た》だ其の事がくよ/\心に掛りまして、
 新「あゝもう悪い事は出来ぬ、ふッつり今迄の念を断って、改心致して正道《しょうどう》に稼ぐより外《ほか》に致し方はない、始終女房の身の上|小児《こども》の上まで、斯《こ》う云う祟りのあるのは、皆是も己の因果が報う事で有るか」
 と様々の事を思うから猶更《なおさら》気分が悪うございまして、宅《うち》に居りましても食も進みません。女房お累は心配して、
 累「御酒《ごしゅ》でもお飲みなすったらお気晴しになりましょう」
 と云うが、何《ど》うも宅に居《い》れば居る程気分が悪いから、寺参りにでも行《ゆ》く方が宜《よ》かろうというので、寺参りに出掛けます。三藏も心配して、
 三「一緒に居ると気が晴れぬ、姑《しゅうと》などと云う者は誠に気詰りな者だと云うから、一軒|家《うち》を別にしたら宜かろう」
 と羽生村の北坂《きたざか》と云う処へ一軒新たに建てまして、三藏方で何も不足なく仕送ってくれまする。新吉は別に稼《かせぎ》もなく、殊《こと》には塩梅が悪いので、少しずつ酒でも飲んではぶら/\土手でも歩いたり、また大宝《たいほう》の八幡様へ参詣に行《ゆ》くとか、今日は水街道、或は大生郷《おおなごう》の天神様へ行くなどと、諸方を歩いて居りますが、まア寺まいりの方へ自然行く気になります。翌年寛政八年|恰《ちょう》ど二月三日の事でございましたが、法蔵寺へ参詣に来ると、和尚が熟々《つく/″\》新吉を見まして、
 和尚「お前は死霊の祟りのある人で、病気は癒《なお》らぬ」
 新「ヘエ何《ど》うしたら癒りましょう」
 和尚「無縁墓の掃除をして香花《こうはな》を手向《たむ》けるのは大功徳《だいくどく》なもので、これを行ったら宜かろう」
 新「癒りますれば何様《どん》な事でも致しますが、無縁の墓が有りましょうか」
 和尚「無縁の墓は幾らも有るから、能《よ》く掃除をして水を上げ、香花を手向けるのはよい功徳になると仏の教えにもある、昔から譬《たと》えにも、千本の石塔を磨くと忍術が行えるとも云うから、其様《そん》な事も有るまいが功徳になるから参詣なさい」
 と和尚さんが有難く説きつけるから、新吉は是から願《がん》に掛けて、法蔵寺へ行っては無縁の墓を掃除して水を上げ香花を手向けまする。と其処《そこ》が気の故《せい》か、神経病だから段々数を掃除するに従って気分も快くなって参ります。三月の二十七日に新吉が例の通り墓参りをして出に掛ると、這入って来ました婦人は年の頃二十一二にもなりましょうか、達摩返しと云う結髪《むすびがみ》で、一寸《ちょっと》いたした藍《あい》の万筋《まんすじ》の小袖に黒の唐繻子《とうじゅす》の帯で、上に葡萄鼠《ぶどうねずみ》に小さい一紋《ひとつもん》を付けました縮緬《ちりめん》の半纏羽織《はんてんばおり》を着まして、其の頃|流行《はや》った吾妻下駄を穿いて這入って来る。跡からついて参るのが馬方の作藏と申す男で、
 作「お賤《しず》さん是が累《かさね》の墓だ」
 賤「おやまア累の墓と云うと、名高いからもっと大きいと思ったら大層小さいね」
 作「小さいって、是が何《ど》うも何《なん》と二十六年祟ったからねえ、執念深《しゅうねんぶけ》え阿魔《あま》も有るもので、此の前《めえ》に助《すけ》と書いてあるが、是は何う云う訳か累の子だと云うが、子でねえてねえ、助と云うのは先代の與右衞門の子で、是が継母《まゝはゝ》に虐《いじ》められ川の中へ打流《ぶちなが》されたんだと云う、それが祟って累が出来たと云うが、何《なん》だか判然《はっきり》しねえが、村の者も墓参りに来れば、是が累の墓だと云って皆《みんな》線香の一本も上げるだ、それに願掛《がんがけ》が利くだねえ、亭主が道楽ぶって他の女に耽《はま》って家《うち》へ帰《けえ》らぬ時は、女房が心配《しんぺえ》して、何うか手の切れる様に願《ねげ》えますと願掛すると利くてえ、妙なもので」
 賤「そうかね、私はまア斯《こ》うやって羽生村へ来て、旦那の女房《おかみ》さんに、私の手が切れる様に願掛をされて、旦那に見捨てられては困るねえ」
 作「なに心配《しんぺえ》しねえが宜《い》いだ、大丈夫《でえじょうぶ》、内儀《おかみ》さんは分った者《もん》で、それに若旦那が彼《あ》ア遣《や》って堅くするし、それに小さいけれども惣吉様も居るから其様《そん》な事はねえ、旦那は年い取ってるから、たゞ気に入ったで連れて来て、別に夢中になるてえ訳でもねえから、それに己連れて来たゞと云って話して、本家でも知ってるから心配《しんぺえ》ねえ、家《うち》も旦那どんの何《なん》で、貴方《あんた》が斯《こ》うしてと云って、旦那の誂《あつら》えだから家も立派に出来たゞのう」
 賤「何《なん》だか茅葺《かやぶき》で、妙な尖《とが》った屋根なぞ、其様《そん》な広い事はいらないといったんだが、一寸《ちょっと》離れて寝る座敷がないといけないからってねえ、土手から川の見える処は景色が好《い》いよ」
 作「好《よ》うがすね。ヤア新吉さん」
 新「おや作さん久しくお目に掛りませんで」
 作「塩梅《あんべい》が悪《わり》いてえが何《ど》うかえ」
 新「何うも快《よ》くなくって困ります」
 作「はア然《そ》うかえ能《よ》くまア心に掛けて寺参りするてえ、お前《めえ》の様な若《わけ》え人に似合わねえて、然う云って居る、えゝなアに彼《あれ》は名主様の妾よ」
 新「ウン、アヽ江戸者か」

        三十八

 作「深川の櫓下《やぐらした》に居たって、名前《なめえ》はおしずさんと云って如才《じょさい》ねえ女子《あまっこ》よ、年は二十二だと云うが、口の利き様は旨《うめ》えもんだ、旦那様が連れて来たゞが、家《うち》にも置かれねえから若旦那や御新造様と話合で別に土手下へ小さく一軒|家《いえ》え造って江戸風に出来ただ、まア旦那が行かない晩は淋しくっていけねえから遊びに来《こ》うと云うから、己が詰らねえ馬子唄アやったり麦搗唄《むぎつきうた》は斯《こ》う云うもんだって唄って相手をすると、面白がって、それえ己がに教えてくれろなどと云ってなア、妙に馬士唄《まごうた》を覚えるだ、三味線《さみせん》弾いて踊りを踊るなア、食物《くいもの》ア江戸口で、お前《めえ》塩の甘たっけえのを、江戸では斯う云う旨《うめ》え物《もん》喰って居るからって、食物《くいもな》ア大変|八釜《やかま》しい、鰹節《かつぶし》などを山の様に掻いて、煮汁《にしる》を取って、後《あと》は勿体ないと云うのに打棄《うっちゃ》って仕まうだ、己淋しくねえように、行って三味線弾いては踊りを踊ったり何かするのだがね彼処《あすこ》は淋しい土手下で、余《あんま》り三味線弾いて騒ぐから、狸が浮れて腹太鼓を敲《たゝ》きやアがって夜が明けて戸を明けて見ると、三匹|位《ぐれ》え腹ア敲き破ってひっくり返《けえ》って居る」
 新「嘘ばっかり」
 作「本当だよ」
 賤「一寸《ちょいと》/\作さん、何《なん》にも見る処《とこ》が無いから、もう行こう」
 作「えゝ参《めえ》りましょう」
 賤「一寸《ちょいと》作さん今話をして居た人は何所《どこ》の人」
 作「彼《あ》れは村の新吉さんてえので」
 賤「私は見たような人だよ」
 作「見たかも知んねえ江戸者だよ」
 賤「おや然《そ》うかい、一寸《ちょっと》気の利いたおつな人だね」
 作「えゝ極《ごく》柔和《おとな》しい人で、墓参《はかめえ》りばかりして居てね、身体が悪《わり》いから墓参りして、何《なん》でも無縁様の墓ア磨けば幻術が使えるとか何とか云ってね、願掛《がんがけ》えして」
 賤「おや気味の悪い、幻術使いかえ」
 作「今是から幻術使いになるべえと云うのだろう」
 賤「然うかえ妙な事が田舎には有るものだねえ、何かえ江戸の者で此方《こっち》へ来たのかえ」
 作「ヘエ上《かみ》の三藏さんてえ人の妹娘《いもとむすめ》お累てえが、お前《めえ》さん、新吉が此方へ来たので娘心に惚れたゞ、何《ど》うか聟に貰えてえって恋煩いして塩梅が悪くなって、兄様も母親様《おっかさま》も見兼ねて金出した恋聟よ」
 賤「然うかえ、新吉|様《さん》と、おや新吉さんというので思い出したが、見た訳だよ私がね櫓下に下地子《したじっこ》に成って紅葉屋《もみじや》に居る時分、彼《あ》の人は本石町の松田とか桝田とか云う貸本屋の家《うち》に奉公して居て、貸本を脊負《しょ》って来たから、私は年のいかない頃だけども、度々《たび/″\》見て知って居るよ、大層芸者|衆《しゅ》もヤレコレ云って可愛がって、そう/\中々愛敬者で、知って居るよ」
 作「アヽマア新吉さん/\、おい此方《こっち》へ来なせえ、アノ御新造様がお前《めえ》を知って居るてねえ」
 新「何方様《どなたさま》でげすえ」
 賤「ちょいと新吉さんですか、私は誠にお見違《みそ》れ申しましたよ、慥《たし》か深川櫓下の紅葉屋へ貸本を脊負ってお出でなすった新吉さんでは有りませんか」
 新「ヘエ、私もねえ先刻《さっき》からお見掛け申したような方と思ったが、若《もし》も間違ってはいけねえと思って言葉を掛けませんでしたが、慥かお賤さんで」
 作「それだから知って居るだ何処《どこ》で何様《どん》な人に逢うか知んねえ、嘘は吐《つ》けねえもんだ」
 賤「私は此の頃|此方《こっち》へ来て、斯《こ》ういう処にいるけれども、馴染はなし、洒落を云ったって向《むこう》に通じもしないし、些《ちっ》とも面白くないから、作藏さんが毎晩来て遊んでくれるので、些とは気晴しになるんだが、新吉さん本当に好《い》い処で、些とお出でなさいな、ちょうど旦那が遊びに来て居るから、変な淋しい処だけれども、閑静《しずか》で好いから一寸《ちょいと》お寄りな」
 新「ヘエ有難うございます、私はね此方《こっち》へ参りまして未《ま》だ名主様へ染々《しみ/″\》お
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