中で寝た様だ、何処《どこ》だか薩張《さっぱり》分らねえが何処だい」
駕「何処だか些《ちっ》とも分りませんが、鼻を撮《つま》まれるも知れません、たゞ妙な事には、なア棒組、妙だなア、此方《こっち》の左《ひだ》り手に見える燈火《あかり》は何《ど》うしてもあれは吉原土手の何《なん》だ、茶屋の燈火に違《ちげ》えねえ、そうして見れば此方にこの森が見えるのは橋場の総泉寺馬場《そうせんじばゞ》の森だろう、して見ると此処《こゝ》は小塚ッ原かしらん」
新「若衆/\妙な方へ担いで来たナ、吾妻橋を渡ってと話したじゃアねえか」
駕「それは然《そ》う云うつもりで参《めえ》りましたが、ひとりでに此処へ来たので」
新「吾妻橋を渡ったか何《なん》だか分りそうなものだ」
駕「渡ったつもりでございますがね、今夜は何だか変な晩で、何《ど》うも、変で、なア棒組、変だなア」
駕「些《ち》ッとも足が運べねえ様だな」
駕「妙ですねえ旦那」
新「妙だってお前達《めえたち》は訝《おか》しいぜ、何《ど》うかして居るぜ急いで遣《や》ってくんねえ、小塚ッ原などへ来て仕様がねえ、千住へでも泊るから本宿《ほんじゅく》まで遣っておくれ」
駕「ヘエ/\」
と又ビショ/\担ぎ出した。新吉はまた中でトロ/\と眠気ざします。
駕「アヽ恟《びっく》りすらア、棒組そう急いだって先が一寸《ちょっと》も見えねえ」
新「あゝ大きな声だナア、もう来たのか若衆」
駕「それが、些《ちっ》とも何処《どこ》だか分りませんので」
新「何処だ」
駕「何処だか少しも見当《みあて》が付きませんが、おい/\、先刻《さっき》左に見えた土手の燈火《あかり》が、此度《こんど》ア右手《こっち》に見える様になった、おや/\右の方の森が左になったが、そうすると突当りが山谷の燈火か」
新「若衆、何《ど》うも変だぜ、跡へ帰って来たな」
駕「帰《けえ》る気も何もねえが、何うも変でございます」
新「戯《ふざ》けちゃア困るぜ冗談じゃアねえ、お前達《めえたち》は訝《おか》しいぜ」
駕「旦那、お前さん何か腥《なまぐさ》い物を持っておいでなさりゃアしませんか、此処《こか》ア狐が出ますからねえ」
新「腥い物|処《どころ》か仏の精進日だよ、しっかりしねえな、もう雨は上ったな」
駕「ヘエ、上りました」
新「下《おろ》しておくれよ」
駕「何うもお気の毒で」
新「冗談じゃアねえ、お前達《めえたち》は変だぜ」
駕「ヘエ何うも、此様《こん》な事は、今迄長く渡世《しょうべえ》しますが、今夜のような変な駕籠を担いだ事がねえ、行くと思って歩いても後《あと》へ帰《けえ》る様な心持がするがねえ」
新「戯けなさんな、包を出して」
と駕籠から出て包を脊負《しょ》い、
新「好《い》い塩梅に星が出たな」
駕「ヘエ奴蛇の目の傘はこゝにございます」
新「いゝやア、まア路《みち》を拾いながら跣足《はだし》でも何《なん》でも構わねえ行こう」
駕「低い下駄なれば飛々《とび/\》行《ゆ》かれましょう」
新「まアいゝや、さっ/\と行《い》きねえ」
駕「ヘエ左様なら」
新「仕様がねえな、何処だか些とも分りゃアしねえ」
と云いながら出かけて見ると、更《ふ》けましたから人の往来はございません。路を拾い/\参りますと、此方《こっち》の藪垣《やぶがき》の側に一人人が立って居りまして、新吉が行《ゆ》き過《すぎ》ると、
男「おい若《わけ》えの、其処《そこ》へ行《い》く若《わけ》えの」
新「ソリャ、此処《こゝ》は何《なん》でも何か出るに違《ちげ》えねえと思った、畜生《ちきしょう》/\彼方《あっち》へ行《い》け畜生/\」
男「おい若《わけ》えの/\コレ若えの」
新「ヘエ、ヘエ」
と怖々《こわ/″\》其の人を透《すか》して見ると、藪の処に立って居るは年の頃三十八九の、色の白い鼻筋の通って眉毛の濃い、月代《さかやき》が斯《こ》う森のように生えて、左右へつや/\しく割り、今御牢内から出たろうと云うお仕着せの姿《なり》で、跛《びっこ》を引きながらヒョコ/\遣って来たから、新吉は驚きまして、
新「ヘエ/\御免なさい」
男「何を仰しゃる、これは貴公が駕籠から出る時落したのだ、是は貴公様のか」
新「ヘエ/\、恟《びっく》り致しました何《なん》だかと思いました、ヘエ」
と見ると迷子札。
新「おや是は迷子札、是は有難う存じます、駕籠の中でトロ/\と寝まして落しましたか、御親切に有難う存じます、是は私《わたくし》の大事な物で、伯父の形見で、伯父が丹精してくれたので、何《ど》うも有難うございます」
男「其の迷子札に深見新吉と有るが、貴公様のお名前は何《なん》と申します」
新「手前が新吉と申します」
男「貴公様が新吉か、深見新左衞門の二男新吉はお前だの」
新「ヘエ私《わたくし》で」
男「イヤ何《ど》うも図らざる処で懐かしい、何うも是は」
と新吉の手を取った時は驚きまして、
新「真平《まっぴら》何うか、私《わたくし》は金も何もございません」
男「コレ、私をお前は知らぬは尤《もっと》も、お前が生れると間もなく別れた、私はお前の兄の新五郎だ、何卒《どうか》して其方《そち》に逢い度《た》いと思い居りしが、これも逢われる時節兄弟縁の尽きぬので、斯様《かよう》な処で逢うのは実に不思議な事で有った、私は深見の惣領新五郎と申す者でな」
三十六
新「ヘエ、成程鼻の高い好《い》い男子《おとこ》だ、眼の下に黒痣《ほくろ》が有りますか、おゝ成程、だが新五郎様と云う証拠が何か有りますか」
新五郎「証拠と云って別にないが、此の迷子札はお前伯父に貰ったと云うが、それは伯父ではない勘藏と云う門番で、それが私《わし》の弟を抱いて散り散《ぢ》りになったと云う事を仄《ほの》かに聞きました、其の門番の勘藏を伯父と云うが、それを知って居るより外《ほか》に証拠はない、尤も外に証拠物もあったが、永らく牢屋の住居《すまい》にして、実に斯様《かよう》な身の上に成ったから」
新「それじゃアお兄様《あにいさま》、顔は知りませんが、勘藏が亡《なく》なります前、枕元へ呼んで遺言して、是を形見として貴方の物語り、此処《こゝ》でお目に掛れましたのは勘藏が草葉の影で守って居たのでしょう、それに付いても貴方のお身形《みなり》は何《ど》う云う訳で」
新五郎「イヤ面目ないが、若気の至り、実は一人の女を殺《あや》めて駈落したれど露顕して追手《おって》がかゝり、片足|斯《か》くのごとく怪我をした故逃げ遂《おお》せず、遂々《とう/\》お縄にかゝって、永い間牢に居て、いかなる責《せめ》に逢うと云えど飽くまでも白状せずに居たれど、迚《とて》も免《のが》るゝ道はないが、一度|娑婆《しゃば》を見度《みた》いと思って、牢を破って、隠れ遂せて丁度二年越し、実は手前に逢うとは図らざる事で有った、手前は只今|何処《いずこ》に居《お》るぞ」
新「私《わたくし》はねえ、只今は百姓の家《うち》へ養子に往《い》きました、先は下総の羽生村で、三藏と云う者の妹娘《いもとむすめ》を女房にして居ります、三藏と申すのは百姓もしますが質屋もし、中々の身代、殊《こと》に江戸に奉公をした者で気の利いた者ですが、貴方は牢を破ったなどゝとんだ悪事をなさいました、知れたら大事で、早く改心なすって頭を剃《す》って衣に着替え、姿を変えて私と一緒に国へお連れ申しましょう、貴方|何様《どん》なにもお世話を致しましょうから、悪い心を止《や》めてください、えゝ」
新五郎「下総の羽生村で三藏と云うは、何かえ、それは前に谷中七面前の下總屋へ番頭奉公した三藏ではないか」
新「えゝ能《よ》く貴方は御存知で」
新五郎「飛んだ処《とこ》へ手前|縁付《かたづ》いたな、其の三藏と言うは前々《まえ/\》朋輩《ほうばい》で、私《わし》が下總屋に居《い》るうち、お園という女を若気の至りで殺し、それを訴人したは三藏、それから斯様な身の上に成ったるも三藏故、白洲でも幾度《いくたび》も争った憎い奴で其の憎い念は今だに忘れん、始終憎い奴と眼を付けて居るが、そういう処へ其の方が縁付《かたづ》くとは如何《いか》にも残念、其の方もそういう処へは拙者が遣らぬ、決して行くな、是から一緒に逃去って、永《なげ》え浮世に短《みじ》けえ命、己と一緒に賊を働き、栄耀栄華《えようえいが》の仕放題《しほうだい》を致すがよい、心を広く持って盗賊になれ」
新「これは驚きました/\、兄上考えて御覧なさい、世が世なれば旗下の家督相続もする貴方が、盗賊をしろなぞと弟に勧めるという事が有りましょうか、マア其様《そん》な事を言ったって、貴方が悪いから訴人されたので、三藏は中々其様な者ではございませぬ」
新五郎「手前女房の縁に引かされて三藏の贔屓《ひいき》をするが、其の家を相続して己を仇《あだ》に思うか、サア然《そ》うなれば免《ゆる》さぬぞ」
新「免さぬってえ、お前さんそれは無理で、それだから一遍牢へ這入ると人間が猶々《なお/\》悪くなるというのはこれだな、手前の居る処は田舎ではありますが不自由はさせませんから一緒に来て下さい」
新五郎「手前は兄の言葉を背き居るな、よし/\有って甲斐なき弟故殺してしまう覚悟しろ」
新「其様《そん》な理不尽な事を云って」
新五郎「なに」
と懐に隠し持ったる短刀《どす》を引抜きましたから、新吉は「アレー」と逃げましたが、雨降《あめふり》揚句《あげく》で、ビショ/\頭まではねの上りますのに、後《うしろ》から新五郎は跛《びっこ》を引きながら、ピョコ/\追駈《おっか》けまするが、足が悪いだけに駈《かけ》るのも遅いから、新吉は逃げようとするが、何分《なにぶん》にも道路《みち》がぬかって歩けません。滑ってズーンと横に転がると、後《あと》から新五郎は跛で駈けて来て、新吉の前の処へポンと転がりましたはずみに新吉を取って押え付ける。
新五郎「不埓至極《ふらちしごく》の奴殺してしまう」
と云うに、新吉は一生懸命、無理に跳ね起きようとして足を抄《すく》うと、新五郎は仰向に倒れる、新吉は其の間《ま》に逃げようとする、新五郎は新吉の帯を取って引くと、仰向に倒れる、新吉も死物狂いで組付く、ベッタリ泥田の中へ転がり込む、なれども新五郎は柔術《やわら》も習った腕前、力に任して引倒し、
新五郎「不埓至極な、女房の縁に引かれて真実の兄が言葉を背く奴」
と押伏せて咽喉笛《のどぶえ》をズブリッと刺した。
新「情ない兄《あに》さん…」
駕籠屋「モシ/\旦那/\大そう魘《うな》されて居なさるが、雨はもう上りましたから桐油を上げましょう」
新「エ、アヽ危うい処だ、アヽ、ハアヽ、此処《こゝ》は何処《どこ》だえ」
駕「ちょうど小塚ッ原の土手でごぜえやす」
新「えい、じゃア夢ではねえか、吾妻橋を渡って四ツ木通りと頼んだじゃアねえか」
駕「ヘエ、然《そ》う仰しゃったが、乗出してちょうど門跡前へ来たら、雨が降るから千住へ行って泊るからと仰しゃるので、それから此方《こっち》へ参《めえ》りました」
新「なんだ、エヽ長《なげ》え夢を見るもんだ、迷子札は、お、有る/\、何《なん》だなア、え、おい若衆《わかいしゅ》/\、咽喉は何《なん》ともねえか」
駕「ヘエ、何《ど》うか夢でも御覧でごぜえましたか、魘されておいでなせえました」
新「小用《こよう》がたしてえが」
駕「ヘエ」
新「星が出たな」
駕「ヘエ、好《い》い塩梅《あんべえ》星が出ました」
新「じゃア下駄を出しねえ」
駕「是で天気は定《さだ》まりますねえ」
新「好い塩梅だねえ、おや此処《こゝ》はお仕置場だな」
と見ると二ツ足の捨札に獄門の次第が書いて有りますが、始めに当時無宿新五郎と書いて有るを見て、恟《びっく》りして、新吉が、段々|怖々《こわ/″\》ながら細かに読下すと、今夢に見た通り、谷中七面前、下總屋の中働お園に懸想《けそう》して、無理無体に殺害《せつがい》して、百両を盗んで逃げ、後《のち》お捕方《とりかた
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