行って結構な暮しをして、然うだって、前の川へ往《い》けば顔も洗え鍋釜も洗えるってねえ、噂を聞いて何うか見度《みた》いと思って、あの畑へ何か蒔《ま》いて置けば出来るってねえ、然うだって、まアお前さんの気性で鍬《くわ》を把《と》って、と云ったら、なアに鍬は把らない、向《むこう》は質屋で其処《そこ》の旦那様に成ったってね、と云うからおやそう田舎にもそう云う処が有るのかねえなんてね、お噂をして居ましたよそれにね」
男「コレサお前一人で喋《しゃべ》って居ちゃアいけねえ、病人に逢わせねえな」
婆「さア此方《こちら》へ」
新「ヘエ有難う」
と寝て居る病間へ通って見ると、木綿の薄ッぺらな五布布団《いつのぶとん》が二つに折って敷いて有ります上に、勘藏は横になり、枕に坐布団をぐる/\巻いて、胴中《どうなか》から独楽《こま》の紐で縛って、括《くゝ》り枕の代りにして、寝衣《ねまき》の単物《ひとえもの》にぼろ袷《あわせ》を重ね、三尺帯を締めまして、少し頭痛がする事もあると見えて鉢巻もしては居るが、禿頭で時々|辷《すべ》っては輪の形《なり》で抜けますから手で嵌《は》めて置《おき》ますが、箝《たが》の様でございます。
新「伯父さん/\」
勘「あい」
新「私だよ」
男「勘藏さん、新吉さんが来たよ」
勘「有難《ありがて》え/\、あゝ待って居た、能《よ》く来た」
新「伯父さんもう大丈夫だよ、大きに遅くなったがお長屋の方が親切に手紙を遣《よこ》して下すったから取敢《とりあえ》ず来たがねえ、もう私が来たから案じずに、お前気丈夫にしなければならねえ、もう一遍丈夫に成ってお前に楽をさせなければ済まないよ」
勘「能く来た、病気はそう呼びに遣《や》る程悪いんじゃアねえが、年が年だから何卒《どうぞ》呼んでおくんなせえと云うと、呼んじゃア悪かろうの何《なん》だの彼《か》だのと云って、評議の方が長《なげ》えのよ、長屋の奴等ア気が利かねえ」
新「これサ、其様《そん》な事を云うもんじゃアねえ、お長屋の衆も親切にして下すって、遠くの親類より近くの他人だ、お長屋の衆で助かったに、其様な事を云うもんじゃアねえ」
三十四
勘「お前はそう云うが、ただ枕元で喋るばかりで些《ちっ》とも手が届かねえ、奥の肥《ふと》ったお金《きん》さんと云うかみさんは、己《おれ》を引立《ひった》って、虎子《おまる》へしなせえってコウ引立《ひきた》って居てズンと下《おろ》すから、虎子で臀《しり》を打《ぶ》つので痛《いて》えやな、あゝ人情がねえからな」
新「其様な事を云うもんじゃアねえ、何《なん》でもお前の好きな物を食べるが宜《い》い」
勘「有難《ありがて》え、もうねえ、新吉が来たから長屋の衆は帰《けえ》ってくれ」
新「其様な事を云うもんじゃアねえ」
長屋の者「じゃア、マア新吉さんが来たからお暇致します、左様なら」
新「左様ですか、何《ど》うも有難うございます、お金さん有難うお婆さん有難う、ヘエ大丈夫で、又何うか願います、ヘエ、なにお締めなさらんでも宜《よろ》しゅう、伯父さん長屋の人がねエ、親切にしてくれるのに、彼様《あん》な事を云うと心持を悪くするといかねえよ」
勘「ナアニ心持を悪くしたって構うものか、己《おら》の頑固《いっこく》は知って居るしなあ、能《よ》く来た、一昨日《おとゝい》から逢いたくって/\堪《たま》らねえ、何卒《どうぞ》して逢いてえと思って、もう逢えば死んでも宜《い》いやア、もう死んでも宜い」
新「其様な事を云わずに確《しっ》かりして、よう、もう一遍丈夫になって駕籠にでも乗せて田舎へ連れて行って、暢気《のんき》な処へ隠居さしてえと思うのだ、随分寿命も延々《のび/″\》するから彼方《あっち》へお引込《ひっこ》みよう」
勘「独身《ひとりみ》で煙草を刻《きざ》んで居るも、骨が折れてもう出来ねえ、アヽ、お前《めえ》嫁に子供《あかんぼう》が出来たてえが、男か女か」
新「何《なん》だか知れねえ是から生れるのだ」
勘「初めては女の児《こ》が宜い、お前《めえ》の顔を見たら形見《かたみ》を遣《や》ろうと思ってねえ、己《おれ》は枕元へ出したり引込《ひっこ》ましたりして、他人《ひと》に見られねえ様に布団の間へ※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]込《さしこ》んだり、種々《いろ/\》な事をして見付からねえように、懐で手拭で包《くる》んだりして居た」
新「まだ/\大丈夫だよ伯父さん、だけれども形見は生きているうち貰って置く方が宜い、形見だって何をお前がくれるのだか知れねえが、何《なん》だい、大事にして持つよ」
勘「是を見てくんねえ」
と布団の間から漸《ようや》く引摺出《ひきずりだ》したは汚れた風呂敷包。
勘「これだ」
新「何《なん》だい」
と新吉は僅少《わずか》の金でも溜めて置いて呉れるのかと思いまして、手に取上げて見ると迷子札《まいごふだ》。
新「何《なん》だ是は迷子札だ」
勘「迷子札を今迄肌身離さず持って居たよ、是が形見だ」
新「是はいゝやア、今度生れる子が男だと丁度いゝ、若《も》し女の子か知らないが、今度生れる坊のに仕よう」
勘「坊なぞと云わねえでお前《めえ》着けねえ」
新「少し※[#「箍」の「てへん」に代えて「木」、143−4]《たが》がゆるんだね、大きな形《なり》をしてお守を下げて歩けやアしねえ」
勘「まア読んで見ねえ」
新「エヽ読んで」
と手に取上げて熟々《よく/\》見ると、唐真鍮《とうしんちゅう》の金色《かねいろ》は錆《さ》びて見えまする。が、深彫《ふかぼり》で、小日向服部坂深見新左衞門二男新吉、と彫付けてある故、
新「伯父さん是は何《なん》だねえ私の名だね」
勘「アイ、そのねえ、汚れたね其の布団の上へ坐っておくれ」
新「いゝよう」
勘「イヽエ坐ってお呉れ、お願いだから」
新「はい/\さア私が坐りました」
勘「それから私は布団から下《おり》るよ」
新「アヽ、下りないでも宜いよ、冷《ひえ》るといけねえよ」
勘「何卒《どうか》お前に逢ってねえ、一言《ひとこと》此の事を云って死にてえと思って心に掛けて居たがねえ、お前様《まえさん》は、小日向服部坂上で三百五十石取った、深見新左衞門様と云う、天下のお旗下のお前は若様だよ」
新「ヘエ、私がかえ」
勘「ウムお前の兄様《あにさま》は新五郎様と云ってね、親父様《おとっさま》はもうお酒好でねえ、お前が生れると間もなく、奥様は深い訳が有ってお逝去《かくれ》になり、其の以前から、お熊と云う中働《なかばたらき》の下婢《おんな》にお手が付いて、此の女が悪い奴で、それで揉めて十八九の時兄様は行方知れず、するとねえ、本所北割下水に、座光寺源三郎と云う、矢張《やっぱり》旗下が有って、其の旗下が女太夫《おんなだゆう》を奥方にした事が露《あら》われて、お宅番が付き、そのお宅番が諏訪部三十郎様にお前の親父様《おとっさん》の深見新左衞門[#「新左衞門」は底本では「深左衞門」]様だ、すると梶井主膳と云う竜泉寺前の売卜者《うらないしゃ》がねえ、諏訪部様が病気で退《ひ》いて居て、親父様が一人で宅番して居るを附込んで、駕籠を釣らして来て源三郎とおこよと云う女太夫を引攫《ひっさら》って逃げようとする、遣《や》るめえとする、争って鎗で突かれて親父様はお逝去《かくれ》だから、お家は改易になり、座光寺の家も潰《つぶ》れたがね、其の時にお熊は何《なん》でもお胤《たね》を孕《はら》んで居たがね、屋敷は潰れたから、仕方がねえので深川へ引取《ひきとり》、跡は御家督《ごかとく》もねえお前さんばかり、ちょうどお前が三歳《みっつ》の時だが、私が下谷大門町へ連れて来て貰い乳して丹精して育てたのさ、手前《てめえ》の親父《おやじ》や母親《おふくろ》は小さいうち死んで、己《おれ》が育てたと云って、刻煙草《きざみたばこ》をする中で丹精して、本石町四丁目の松田と云う貸本屋へ奉公に遣りましたが実は、己はお前の処に居た門番の勘藏と申す、旧来御恩を頂いた者で、家来で居ながら、お前さんはお旗下の若様だと※[#「救/心」、144−12]《なまじ》い若い人に知らせると、己は世が世なら殿様だが、と自暴《やけ》になって道楽をされると困るから、新吉々々と使い廻して、馬鹿野郎、間抜野郎と、御主人様の若様に悪たい吐《つ》いて、実の伯父甥の様にしてお前さんを育てたから、心安立《こゝろやすだて》が過ぎてお前さんを打《ぶ》った事も有りましたが、誠に済まない事を致しました、私はもう死にますから此の事だけお知らせ申して死度《しにた》いと思い、殊《こと》にお前さんは親類《みより》縁者《たより》は無いけれども、たゞ新五郎様と云う御惣領《ごそうりょう》の若様が有ったが、今居れば三十八九になったろうけれども行方知れず覚えて居て下さい、鼻の高い色の白い好《い》い男子《おとこ》だ、目の下に大きな黒痣《ほくろ》が有ったよ、其の方に逢うにも、お前さんがこの迷子札を証拠に云えば知れます、アヽもう何も云う事は有りませんが、唯《たゞ》馬鹿野郎などと悪態を吐《つ》きました事は何卒《どうぞ》真平《まっぴら》御免なすって、仏壇《ほとけさま》にお前様《まえさん》の親父様《おとッつぁま》の位牌《いはい》を小さくして飾って有ります、新光院《しんこういん》様と云って其の戒名だけ覚えて居ります、其の位牌を持って往って下さい」
三十五
新「然《そ》うかい、私は初めて伯父さん聞いたがねえ、だがねえ、私が旗下の二男でも、家が潰れて三歳《みっつ》の時から育てゝくれゝば親よりは大事な伯父さんだから、もう一度《ひとたび》快《よ》くなって恩報《おんがえ》しに、お前を親の様に、尚更《なおさら》私が楽《たのし》みをさしてから見送り度《た》いから、もう一二年達者になってねえ、決して家来とは思わない、我儘《わがまゝ》をすれば殴打擲《ぶちたゝき》は当然《あたりまえ》で、貰い乳をして能《よ》く育てゝくれた、有難い、其の恩は忘れませんよ、決して家来とは思いません、真実の伯父さんよりは大事でございます」
勘「はい/\有難《ありがて》え/\、それを聞けば直《すぐ》に死んでも宜《い》い、ヤア、有難えねえ、サア死にましょうか、唯|死度《しにた》くもねえが、松魚《かつお》の刺身で暖《あった》けえ炊立《たきたて》の飯《まんま》を喫《た》べてえ」
新「さア/\何《なん》でも」
と云う。当人も安心したか間もなく眠る様にして臨終致しました。それからはまず小石川の菩提所へ野辺送りをして、長く居たいが養子の身の上|殊《こと》には女房は懐妊、早く帰ろうと、長屋の者に引留められましたが、初七日までも居りませんで、精進物で馳走をして初七日を取越して供養をいたし、伯父が住《すま》いました其の家は他人に譲りましたから、早々《そう/\》立ちまして、せめて今夜は遅くも亀有まで行きたいと出かけまする。折悪しく降出して来ました雨は、どう降《ぶり》で、車軸を流す様で、菊屋橋の際《きわ》まで来て蕎麦屋で雨止《あまやみ》をしておりましたが、更に止《や》む気色《けしき》がございませんから、仕方がなしに其の頃だから駕籠を一挺《いっちょう》雇い、四ツ手駕籠に桐油《とうゆ》をかけて、
新「何卒《どうか》亀有まで遣《や》って、亀有の渡《わたし》を越して新宿《にいじゅく》泊りとしますから、四ツ木通りへ出る方が近いから、吾妻橋を渡って小梅へ遣ってくんねえ」
駕籠屋「畏《かしこ》まりました」
と駕籠屋はビショ/\出かける。雨は横降りでどう/\と云う。往来が止りまするくらい。其の降る中をビショ/\担《かつ》がれて行《ゆ》くうち、新吉は看病疲れか、トロ/\眠気ざし、遂には大鼾《おおいびき》になり、駕籠の中でグウ/\と眠《ね》て居る。
駕籠屋「押ちゃアいけねえ、歩けやアしねえ」
新「アヽ、若衆《わかいしゅ》もう来たのか」
駕「ヘエ」
新吉「もう来たのか」
駕「ヘエ、まだ参りません」
新「あゝ、トロ/\と
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