新吉に/\と居催促《いざいそく》でもされちゃア、此の野郎も行った当坐《とうざ》極りが悪く、居たたまらねえで駈出す風な奴だから、行かねえ前に綺麗|薩張《さっぱり》借金を片付ければ私《わっち》も宜《よ》し、宜うがすか、私が請人《うけにん》になって居るからね、其の借金だけは向《むこう》で払ってくれましょうか」
作「でかく有れば困るが何《ど》のくれえ」
甚「何《ど》のくれえたって、なア新吉、彼方《あっち》へ縁付《かたづ》いてから借金取が方々から来られちゃア極りが悪《わり》いやア、其の極りを付けて貰うのだから借金の高を云いねえよ、さ、借金をよう」
新「ヘエ借金は有りません」
甚「何を云うのだ」
新「ヘエ」
甚「隠すな、え借金をよう」
新「借金はありません」
甚「分らねえ事を云うな、此の間もゴタ/\来るじゃアねえか」
三十二
甚「手前《てめえ》此処《こゝ》に居るのたア違わア、三藏さんの親類になるのだ、それに可愛いお嬢さんが塩梅が悪くって可哀想だから貰うと云うのだ、手前を貰わなければ命に障る大事《でえじ》な娘の貰うのだから、借金が有るなれば有ると云って、借金を片付けて貰えるからよ、然《そ》うして仕度《したく》して行かなければならねえ、借金が有ると云え、エヽおい」
新「ヘエ、成程、ヘエ/\成程、それは気が付きませんでした、成程是は、随分借金は有るので、是で中々有るので」
甚「有るなれば有ると云え、よう幾らある」
新「左様五両ばかり」
甚「カラ何《ど》うも云う事は子供でげすねえ、幾らア五拾両、けれども、エヽと、二拾両ばかり私《わっち》が目の出た時|返《けえ》して、三拾両あります」
作「ほう、三拾両、巨《でけ》えなア、まア相談ぶって見ましょう」
とこれから帰って話をすると、
三「相手が甚藏だから其の位の事は云うに違いない、宜《よろ》しい、其の代り、土手の甚藏が親類のような気になって出這入《ではいり》されては困るから、甚藏とは縁切《えんきり》で貰おう」
と云い、甚藏は縁切でも何《なん》でも金さえ取ればいゝ、と話が付き、先《ま》ず作右衞門が媒妁人《なこうど》で、十一月三日に婚礼致しました。田舎では妙なもので、婚礼の時は餅を搗《つ》く、村方の者は皆来て手伝をいたします。媒妁人が三々九度の盃をさして、それから、村で年重《としかさ》な婆《ば》アさんが二人来て麦搗唄《むぎつきうた》を唄います。「目出度《めでた》いものは芋《いも》の種」と申す文句でございます。「目出度いものは芋の種葉広く茎長く子供|夥多《あまた》にエヽ」と詰らん唄で、それを婆アさんが二人並んで大きな声で唄い、目出度《めでたく》祝《しゅく》して帰る。これから新吉が花婿の床入《とこいり》になる。ところが何時《いつ》までたっても嫁お累が出て来ませんので、極りが悪いから嫌われたかと思いまして、
新「もう来そうなもの」
と見ると屏風《びょうぶ》の外に行燈《あんどう》が有ります。その行燈の側に、欝《ふさ》いで向《むこう》を向いて居るから、
新「何《なん》だね、其処《そこ》に居るのかえ、冗談じゃアない、極りが悪いねえ、何《ど》うしたのだえ、間が悪いね、其処に引込《ひっこ》んで居ては極りが悪い、此方《こっち》へ来て、よう、私は来たばかりで極りが悪い、お前ばかり便《たよ》りに思うのに、初めてじゃアなし、法蔵寺で逢って知って居るから、先刻《さっき》お前さんが白い綿帽子を冠《かぶ》って居たが、田舎は堅いと思って、顔を見度《みた》いと思っても、綿を冠って居るから顔も見られず、間違じゃアねえかと思い、心配して居た、早く来て顔を見せて、よう、此方へ来ておくれな」
累「こんな処《とこ》へ来て下すって、誠に私はお気の毒様で先刻《さっき》から種々《いろ/\》考えて居りました」
新「気の毒も何もない、土手の甚藏の云うのだから、訳も分らねえ借金まで払って、お兄《あに》いさんが私の様な者を貰って下すって有難いと思って、私はこれから辛抱して身を堅める了簡で居るからね、よう、傍《そば》へ来てお寝な」
累「作右衞門さんを頼んで、お嫌《いや》ながらいらしって下すっても、私の様な者だから、もう三日もいらっしゃると、愛想《あいそ》が尽きて直《じ》きお見捨なさろうと思って、そればっかり私は心に掛って、悲しくって先刻《さっき》から泣いてばかり居りました」
新「見捨てるにも見捨てないにも、今来たばかりで、其様《そん》な詰らんことを云って、私は身寄|便《たより》もないから、お前の方で可愛がってくれゝば何処《どこ》へも行《ゆ》きません、見捨てるなどと此方《こっち》が云う事で」
累「だって私はね、貴方、斯《こ》んな顔になりましたもの」
新「エ、あの私はね、此様《こん》な顔と云う口上は大嫌いなので、ド、何《ど》んな顔に」
累「はい此の間火傷を致しましてね」
と恥かしそうに行燈《あんどう》の処へ顔を出すのを、新吉が熟々《つく/″\》見ると、此の間法蔵寺で見たとは大違い、半面火傷の傷、額《ひたえ》から頬へ片鬢《かたびん》抜上《ぬけあが》りまして相が変ったのだから、あっと新吉は身の毛立ちました。
新「何《ど》うして、お前まア恐ろしい怪我をして、エヽ、なに何《なん》だか判然《はっきり》と云わなければ、もっと傍へ来て、え、囲炉裡《いろり》へ落ちて、何うも火傷するたって、何うも恐ろしい怪我じゃアないか、まアえゝ」
と云いながら新吉は熟々と考えて見れば、累が淵で殺したお久の為には、伯母に当るお累の処へ私が、養子に来る事になり、此の間まで美くしい娘が、急に私と縁組をする時になり、此様《こん》な顔形《かおかたち》になると云うのも、やっぱり豐志賀が祟《たゝ》り性《しょう》を引いて、飽くまでも己《おれ》を怨《うら》む事か、アヽ飛んだ処へ縁付いて来た、と新吉が思いますると、途端に、ざら/\と云う、屋根裏で厭《いや》な音が致しますから、ヒョイと見ると、縁側の障子が明いて居ります、と其の外は縁側で、茅葺《かやぶき》屋根の裏に弁慶と云うものが釣ってある。それへずぶりと斜《はす》に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《さ》して有るは草苅鎌、甚藏が二十両に売付けた鎌を與助と云う下男が磨澄《とぎすま》して、弁慶へ※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]して置いたので、其の鎌の処へ、屋根裏を伝わって来た蛇が纏《まと》い付き、二三度|搦《から》まりました、すると不思議なのは蛇がポツリと二つに切れて、縁側へ落ると、蛇の頭は胴から切れたなりに、床《とこ》の処へ這入って来た時は、お累は驚きまして、
累「アレ蛇が」
と云う。新吉もぞっとする程身の毛立ったから、煙管《きせる》を持って蛇の頭《かしら》を無暗《むやみ》に撲《う》つと、蛇の形は見えずなりました。怖い紛《まぎ》れにお累は新吉に縋《すが》り付く、その手を取って新枕《にいまくら》、悪縁とは云いながら、たった一晩でお累が身重になります。これが怪談の始《はじめ》でございます。
三十三
新吉とお累は悪縁でございますが、夫婦になりましてからは、新吉が改心致しました、と申すのは、熟々《つく/″\》考えれば唯《たゞ》不思議な事で、十月からは蛇が穴に入《い》ると云うに、十一月に成って大きな蛇が出たり、又先頃墓場で見た時、身の毛立つ程驚いたのも、是は皆心の迷《まよい》で有ったか、あゝ見えたのは怖い/\と思う私が気から引出したのか、お累も見たと云い殊《こと》に此の家《うち》は累が淵で手に掛けたお久の縁合《えんあい》、其の家へ養子に来ると云うは、如何《いか》なる深き因縁の、今まで数々罪を作った此の新吉、是からは改心して、此家《こゝ》を出れば外《ほか》に身寄|便《たより》も無い身の上、お累が彼様《あん》な怪我をすると云うのも皆《みんな》私故、これは女房お累を可愛がり、三藏親子に孝行を尽したならば、是までの罪も消えるであろうと云うので、新吉は薩張《さっぱり》と改心致しました。それからは誠に親切に致すから、三藏も、
三「新吉は感心な男だ、年のいかんに似合わぬ、何《なん》にしろ夫婦中さえ宜《よ》ければ何より安心、殊に片輪のお累を能《よ》く目を掛けて愛してくれる」
と、家内は睦《むつま》しく、翌年になりますと、八月が産月《うみづき》と云うのでございますから、先《まず》高い処へ手を上げてはいかぬ、井戸端へ出てはならぬとか、食物《しょくもつ》を大事に為《し》なければならんと、初子《ういご》だから母も心配致しまする。と江戸から早飛脚《はやびきゃく》で、下谷大門町の伯父勘藏が九死一生で是非新吉に逢いたいと云うのでございますが、只今の郵便の様には早く参りませんから、新吉も心配して、兄三藏と相談致しますと、たった一人の伯父さん、年が年だから死水《しにみず》を取るが宜《い》いと、三藏は気の付く人だから、多分の手当をくれましたから、暇《いとま》を告げ出立《しゅったつ》を致しまして、江戸へ着いたのは丁度八月の十六日の事でございます。長屋の人が皆寄り集って看病致します。身寄便もない、女房はなし、歳は六十六になります爺《おやじ》で、一人で寝て居りますが、長屋に久しく居る者で有りますから、近所の者の丹精で、漸々《よう/\》に生延びて居ります処、
男「オヤ新吉さんか、さア/\何卒《どうぞ》お上《あが》りなすって、おかね、盥《たらい》へ水を汲んで、足をお洗わし申して、荷や何かは此方《こっち》へ置いて、能《よ》くお出《いで》なすった、お待申しておりました、さア此方《こちら》へ」
新「ヘエ何《ど》うも誠に久しく御無沙汰致しました、御機嫌宜しゅう、田舎へ引込《ひきこ》みましてからは手紙ばかりが頼りで、頓《とん》と出る事も出来ません、養子の身の上でございますからな、此の度《たび》は伯父が大病でございまして、さぞお長屋の衆の御厄介だろうと思い実は彼方《あちら》の兄とも申し暮しておりました、急いで参る積《つもり》でございますが何分にも道路《みち》が悪うございまして、捗取《はかど》りませんで遅う成りました」
男「何《ど》う致しまして、大層お見違え申す様に立派にお成りなすって、お噂ばかりでね、伯父さんも悦んでね、彼《あれ》も身が定まり、田舎だけれども良い処へ縁付《かたづ》き、子供も出来たってお噂ばかりして、実に何うも一番古くお長屋にお住いなさるから、看病だって届かぬながら、お長屋の者が替り/\来て見ても、あゝ云う気性だから、お前さんばかり案じて、能《よ》くマア早くお出《いで》なすった、さア此方《こっち》へ」
新「ヘエ、是はお婆さん、其の後《ご》は御無沙汰致しました」
婆「おやまア誠に暫《しばら》く、まア、めっきり尤《もっとも》らしくおなりなすったね、勘藏さんも然《そ》う云って居なすった、彼《あれ》も女房を持ちまして、児《こ》が出来て、何月が産月だって、指を折って楽《たのし》みにして、病気中もお前さんの事ばかり云って、外《ほか》に身寄親類はなし、手許《てもと》へ置いて育てたから、新吉はたった一人の甥《おい》だし、子も同じだと云って、今もお前さんの噂をして、楽みにしておいでなさるからね、此度《こんど》ばかりはもう年が年だから、大した事はない様だが、長屋の者も相談してね、だけども養子では有るし、お呼び申して出て来て、何《なん》だ是っぱかりの病気に、遠い処から呼んでくれなくも宜《よ》さそうなもんだなどと云って、長屋の者も余《あんま》りだと、新吉さんに思われても、何《なん》だと云って、長屋の者、行事の衆と種々《いろ/\》相談してね、私の夫《うち》の云うには、然《そ》うでない、年が年だからもしもの事が有った日にゃア、長屋の者も付いて居ながら知らして呉れそうなものと、又新吉さんに思われても成らんとか何《なん》とか云って、長屋の者も心配して居て、能《よ》くねえ、何《ど》うも、然うだって、大層だってね、勘藏さんがねえ、彼《あれ》もマア田舎へ
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