甚藏、お前もう能《い》い加減に馬鹿も廃《や》めてナ、大分《だいぶ》評判が悪いぜ、何《なん》とかにも釣方《つりかた》で、お前の事も案じるよ、大勢に悪《にく》まれちゃア仕方がねえ、名主様も睨《にら》んで居るよ」
甚「怖《おっ》かねえ、からもう憎まれ口《ぐち》を利くから村の者は誰《たれ》も私《わっし》をかまって呉れません、ヘエ、御免なすって、えゝ此の間|一寸《ちょっと》嬢《ねえ》さんを見ましたが、えゝ彼《あれ》はあのお妹御様《いもうとごさま》で、いゝ器量で大柄で人柄の好《い》いお嬢《こ》でげすね、お前さんが時々|異見《いけん》を云って下さるから、何《ど》うか止してえと思うが、資本《もとで》は無し借金は有るし何うする事も出来ねえ、此の二三日《にさんち》は何うにも斯《こ》うにも仕様がねえから、些《ちっ》と許《ばか》り質を取って貰いてえと思って、此方様《こちらさま》は質屋さんで、価値《ねうち》だけの物を借りるのは当然《あたりまえ》だが、些とくどいから上手を遣わなければならねえが、質を取ってお貰《もれ》え申してえので」
三「取っても宜《よ》い何《なん》だイ」
甚「詰らねえ此様《こん》な物で」
と三尺《さんじゃく》の間へ※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《はさ》んで来た物に巻いて有る手拭をくる/\と取り、前へ突付けたのは百姓の持つ利鎌《とがま》の錆《さび》の付いたのでございます。
三「是か、是か」
甚「へえ是で」
三「此様《こん》な物を持って来たって仕様がねえ、買ったって百か二百で買える物を持って来て、是で幾許《いくら》ばかり欲しいのだ」
甚「二十両なくっては追附《おっつ》かねえので、何《ど》うか二十両にね」
三「極《きま》りを云って居るぜ、戯《ふざ》けるナ、お前《めえ》はそれだからいけねえ、評判が悪い、五十か百で買える物を持って来て二十両貸せなんてエ強迫《ゆすり》騙《かた》りみた様な事を云っては困る、此様《こん》な鎌は幾許《いくら》もある、冗談じゃアねえ、だから村にも居られなくなるのだよ」
甚「旦那、只の鎌と思ってはいけねえ、只の鎌ではねえ、百姓の使うただの鎌とお前《めえ》さん見てはいけねえ」
三「誰が見たって百姓の使う鎌だ、錆だらけだア」
甚「錆びた処が価値《ねうち》で、能《よ》っく見て、錆びたところに価値が有るので」
三「何《ど》う」
と手に把《と》って見ると、鎌の柄に丸の中に三の字の焼印《やきいん》が捺《お》してあるのを見て、
三「甚藏、是は己《おれ》の家《うち》の鎌だ、此の間|與吉《よきち》に持たして遣《や》った、是は與吉の鎌だ」
甚「だから與吉が持ってればお前《まえ》さんの処《とこ》の鎌でしょう」
三「左様」
甚「それだから」
三「何が」
甚「何がって、旦那此の鎌はね、奥に誰《たれ》も居やアしませんか」
三「誰《たれ》も居やアせん」
甚「此の鎌に就《つ》いて何《ど》うしてもお前さんが二十両|私《わっち》にくれて宜《い》い、私の親切をネ、鎌は詰らねえが私の親切を買って」
二十両何うしてもくれても宜い訳を話を致しますが、一寸一息吐きまして。
二十九
引続きまして申上げました羽生村で三藏と申すは、質屋をして居りまして、田地《でんじ》の七八十石も持って居ります可《か》なりの暮しで、斯様《かよう》に良い暮しを致しますのは、三右衞門と云う親父《おやじ》が屋敷奉公致して居るうち、深見新左衞門に二拾両の金を貰って、死骸の這入りました葛籠《つゞら》を捨てまして国へ帰り、是が資本《もとで》で只今は可なりに暮して居る。一体三藏と云う人は信実《しんじつ》な人で、江戸の谷中七面前の下總屋と云う質屋の番頭奉公致して、事柄の解《わか》った男でございますから、
三「コウお前《まえ》そう極《きま》りで其様《そん》な分らねえ事を云うが、己だから云うが、いゝか、何が親切で何《ど》う云う訳が有ったって草苅鎌を持って来て二十両金を貸せなどと云って、村の者もお前《めえ》を置いては為にならねえと云う、此の間|何《なん》と云った、私は此の村を離れましては何処《どこ》でも鼻撮《はなッつま》みで居処《いどころ》もございませんから、元の如く此の村に居られる様にして呉れと云うから、名主へ行って話をして、彼《あ》れは外面《うわべ》は瓦落《がら》/\して、鼻先ばかり悪徒《あくとう》じみて居りますが、腹の中はそれほど巧《たくみ》のある奴では無いと、斯《こ》う己が執成《とりな》して置いたから居《い》られる、云はゞ恩人だ、それを背くかお前《めえ》、何《なん》で鎌を、何《ど》う云う訳で親切などと下らぬ事を云うんだえ」
甚「それなら打明けてお話申しますが此の間松村で一寸《ちょっと》小博奕《こばくち》へ手を出して居るとだしぬけに御用と云うのでバラ/\逃げて入江の用水の中へ這入って、水の中を潜《くゞ》り込んで土手下のボサッカの中へ隠れて居ると、其処《そこ》で人殺しがあり、キアッと云う女の声で、私《わっち》も薄気味《うすきび》が悪いから首を上げて見たが暗くって訳が分らず、土砂降だが、稲光がピカ/\する度《たび》時々|斯《こ》う様子が見えると、女を殺して金を盗んだ奴がある、宜《よ》うがすか、判然《はっきり》分りませんが、其の跡へ私が来て見ると、此の鎌が落ちて居る、此の鎌で殺したか、柄《え》にベッタリ黒いものが付いて有るのは血《のり》じみサ、取上げて見ると丸に三の字の焼印が捺して有る、宜うがすか、旦那の家《うち》の鎌、ひょっとして他《ほか》の奴が、此の鎌が女を殺した処《とこ》に落ちて有るからにゃア此の鎌で殺したと、もしやお前《まえ》さんが何様《どん》な係り合になるめえ物でもねえと思い、幸い旦那の御恩返《ごおんげえ》しと思って、私が拾って家《うち》へ帰《けえ》って今迄隠して居た、宜うがすか、お前《めえ》さんの処《ところ》で死骸《しげえ》を引取って己の家《うち》の姪《めえ》と云うので法事も有ったのだから、お前《めえ》さんの処で女を殺して物を取った訳はねえが、悪《わり》い奴が拾いでもすると、お前《めえ》さんは善《い》い人と思っては居るが、そう村中みんなお前《めえ》さんを誉《ほめ》る者ばかりじゃアねえ、其の中《うち》には五人や八人は彼様《あんな》になれる訳はねえと、工面が良《い》いと憎まれる事も有りましょう、それから中には悪く云う奴もある私と斯《こ》う中好《なかよ》く、お前《まえ》さんは江戸に奉公して江戸子《えどっこ》同様と云うので、甚藏や悪《わり》い事はするナ、と番毎《ばんごと》に斯《こ》う云ってお呉《く》んなさるは有難《ありがて》えと思って居るが、私がお前《めえ》さんに平生《ふだん》お世話に成って居りますから、娘を殺して金を取るような人でねえ事は知って居りますが、宜うがすか、お前《めえ》さんと若《も》し私が中が悪くって、忌々《いめえま》しい奴だ、何《ど》うかしてと思って居《い》れば、私が鎌を持って、斯《こ》うだ此の鎌が落ちて有った是は三藏の処《とこ》の鎌だと振廻して役所へでも持出せば、お前《めえ》さんの腰へ否《いや》でも縄が付く、然《そ》うでないまでも、十日でも二十日でも身動きが出来ねえ、然うすりゃア年をとったお母様《ふくろさま》はじめ妹御《いもうとご》も心配だ、其の心配を掛けさせ度《た》くねえからねえ、然う云う馬鹿があるめえものでもねえのサ、私などは随分|遣《や》り兼《かね》ねえ性質《たち》だ、忌々《いめえま》しいと思えば遣る性質だけれども、御恩になって居るから、旦那が殺したと思う気遣《きづけえ》もねえけれども、理屈を付ければまア何《ど》うでもなるのサ、彼様《あんな》に身代《くめん》のよくなるのも、些《ちっ》とは悪い事をして居るだろうぐらいの話をして居る奴もあるから、殺した跡で世間体が悪《わり》いから、死骸でも引取って、姪《めえ》とか何《なん》とか名を付けて、とい弔いをしなければ成るめえと、さ、訝《おか》しく勘繰《かんぐ》るといかねえから、他人に拾われねえ様に持って来たのだから、十日でも二十日でも留められて、引出されゝば入費《にゅうひ》が掛ると思って、只私の親切を二十両に買っておくんなさりゃア、是で博奕は止《やめ》るから、ねえモシ旦那え」
三「コレ/\甚藏、然《そ》う汝《きさま》が云うと己が殺して死骸を引取って、葬りでもした様に疑《うたぐ》って、訝《おか》しくそんな事を云うのか」
甚「お前《めえ》さん私《わっち》が然う思うくれえなら、鎌は振廻して仕舞わア、大きな声じゃア云えねえが、是は旦那世間の人に知れねえように、私が黙って持って居るその親切を買って二十両、ね、もし、鎌は詰らねえが宜うがすか、お前《めえ》さんと中が悪ければ、酷《ひど》い畜生《ちきしょう》だなんて遣《や》り兼ねえ性質《たち》だが、旦那にゃア時々|小遣《こづけえ》を貰ってる私だから、何《なん》とも思やアしねえがネ、厭《いや》に世間の人が思うから鎌を拾って持って来た、其の親切を買って、えゝ旦那、お前《めえ》さん否《いや》と云えば無理にゃア頼まねえが、私は草苅鎌を二十両に売ろうと云う訳ではねえのサ、親切ずくだからネ、達《たっ》てとは云わねえ、そうじゃアねえか、此の村に居てお前《めえ》の呼吸《いき》が掛らなけりゃア村にも居られねえ、其の時はいやに悪《わり》い仕事をして逃げる、そうなりゃア何《ど》うでも宜《い》いやア、ねえ、否《いや》でげすか、え、もし」
と厭に絡《から》んで云いがゝりますも、蝮《まむし》と綽名《あだな》をされる甚藏でございますから、うっかりすれば喰付かれますゆえ、仕方なく、
三「詰らぬ口を利かぬが宜《い》いぜ、金は遣《や》るから辛抱をしねえよ」
とただ取られると知りながら、二十両の金を遣りまして甚藏を帰しますと、其の夜《よ》三藏の妹お累《るい》が寝て居ります座敷へ、二尺余りもある蛇が出ました。九月|中旬《なかば》になりましては田舎でも余り蛇は出ぬものでございますが、二度程出ましたので、墓場で驚きましたから何が出ても蛇と思い只今申す神経病、
累「アレー」
と駈出して逃《にげ》る途端|母親《おふくろ》が止め様とした機《はずみ》、田舎では大きな囲炉裏が切ってあります、上からは自在が掛って薬鑵《やかん》の湯が沸《たぎ》って居た処へ双《もろ》に反《かえ》りまして、片面《これ》から肩《これ》へ熱湯を浴びました。
三十
お累が熱湯を浴びましたので、家中《うちじゅう》大騒ぎで、医者を呼びまして種々《いろ/\》と手当を致しましたが何《ど》うしてもいかんもので、火傷《やけど》の痕《あと》が出来ました。追々全快も致しましょうが、二十一二になる色盛《いろざかり》の娘、顔にポツリと腫物《できもの》が出来ましても、何うしたら宜《よ》かろうなどと大騒ぎを致すものでございますのに、お累は半面紫色に黒み掛りました上、片鬢《かたびん》兀《はげ》るようになりましたから、当人は素《もと》より母親《おふくろ》も心配して居ります。
累「あゝ情《なさけ》ない、この顔では此の間法蔵寺で逢った新吉さんにもう再び逢う事も出来ぬ」
と思いますと是が気病《きやみ》になり、食も進まず、奥へ引籠《ひきこも》ったきり出ません、母親《おふくろ》は心配するが、兄三藏は中々分った人でございますから、
三「お母様《っかさん》、えーお累は何様《どん》な塩梅でございますねえ」
母「はアただ胸が支《つか》えて飯が喰えねえって幾ら勧めても喰えねえ/\と云う、疲れるといかねえから些《ちっ》と食ったら宜《よ》かんべえと勧めるが、涙ア翻《こぼ》して己《おら》ア此様《こん》な顔に成ったから駄目だ、何《ど》うせ此様な顔になった位《くれ》えなら、おッ死《ち》んだ方が宜《え》え。と其様《そん》な事べえ云ってハア手におえねえのサ、もっと大《でけ》え負傷《けが》アして片輪になる者さえあるだに、左様《そう》心配《しんぺえ》しねえが宜《え》えと云うが、彼《あれ》は幼《
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