から、夜明《よあか》しに這入って酒え飲んで、転がっちゃった、処がその客は私ア縁が切れては居るが、かたづいている妹《いもと》の亭主《ていし》だ、それとは知らねえでおまはんから何うも………後《あと》は妹一人で仕様が無《ね》え、今では横浜《はま》へ往って居りやすが、何うも身上《しんしょう》を大きくするくらいの奴は無理な算段でもって店を明けるような事が有ろうが、何うもへゝゝゝゝ、借財がまア多く有ったもんだから店を明けている訳にも往かねえで、今では子供を連れて横浜《よこはま》へ往ってますが旦那、冗談じゃア無え、あの時私ア拾った煙草入だから五十円じゃア安いもんでしょう」
庄「ふむ、おまえは彼時《あんとき》に挽いてた若衆《わかいしゅ》か」
徳「へゝあの時に私《わっち》ア……、彼奴《あいつ》を殺しておまはん金え奪《と》ったんでげしょう、その金で彼《あ》の別嬪を身請をして、惚れた同志が夫婦になって葉茶屋を出してるなんてえ、へゝゝゝ羨しい話じゃア有りやせんか、此方《こっちゃ》ア未だぶらちゃらして居るんですから直《すぐ》にまア野暮な事を云わねえでさ、面倒だア買っといておくんなせい、五十円で是をおまはんが買って下さりゃア私ア其の金を資本《もとで》にして一商法《ひとしょうほう》、私が宜くなりゃ浜に居る妹《いもうと》も引取って、又お前《めえ》さんに恩返《おんげい》しの仕《し》られねえでもない、そうすりアおまはんの些《ちっ》たア罪も消えると云うもんだ」
庄「うゝ先刻《さっき》の煙草入はそれじゃア手許《てもと》に有るかえ」
徳「ふむ有る/\それでねえ」
庄「なアに私《わし》が落した煙草入と違っている、紋は実の花菱と云ったが、一寸《ちょいと》出して見な」
 車夫《くるまや》の出すのを取って、
庄「提灯を上げて見な」
徳「えゝ是でがす、よく御覧なせえ」
庄「はア此りゃアなんだ違うよ、大変違うよ(懐中に入れる)」
徳「どゝゝゝ懐に突込《つッこ》んじゃいけません、懐に突込んじゃア」
庄「宜《い》いよ、違っても違わんでも彼《あ》の時に挽いた若衆《わけいし》と云やア何にも云わず五十円で買おうが、決して他言をしてくんなさんな」
徳「そりゃア必ず云いません、今こそ車夫《しゃふ》だが大西徳藏、聊《いさゝ》か徳川の臭《くせ》い米を食って親を泣かした人間だから、云わんと云ったら口が腐っても云いはしない」
庄「それで安意《あんい》致した……人が来やしないか」
徳「いや田圃の中で此の大雨、来る人はございやせん」
庄「向うに見える灯火《あかり》は」
徳「ありゃおまはん藪蕎麦だよ」
庄「おゝあれが藪蕎麦か……向うに見えるは」
 と徳藏に向うへ眼を付けさせて、見ると懐から抜出した合口を把《と》って、力にまかせぶつうりと突いたからばたりと前にのめりました。この騒ぎを少しも知らないのはお美代です。婢《おんな》は元数寄屋町の有松屋に奉公していたのを、お美代が旦那を持ってから自分の手許《てもと》に呼んで、昔話をするのを楽《たのし》みに致して居ります。
美「今帰ったよ」
婢「おやお帰んなさい」
美「お前後生だから折《おり》が二つあるから、お皿を三つばかり持って来て……くッついていけないから……それは栗の金団《きんとん》だよ、お前は甘い物が嗜《す》きだから是を上げるよ」
婢「これは私は最う何より旨いと思って居りますよ、それとね姐《ねえ》さんお座敷の時のねえ、あれは何でしたっけね、あの斯うしてそら斯うして丸くって、それ付合《つけあわ》せのお肴でございますよ」
美「おゝそう/\、むつの子がお前は嗜きだったね、お前に持って来たんだからお食《あが》りよ」
婢「ほんとにねえ、あの有松屋の婆さんのように吝《しわ》い人は有りませんわ、何でも食《たべ》ろという事が有りません、だからねお芋や何か買っても、あなたも知って入らっしゃるけれども、ほんとに何ですのほゝゝゝあなたなんぞは稼人《かせぎにん》ですからだが、私なんかには焼芋を買っても、一番冷たくなったお尻の方で無くてはいけませんの、あれでお金を溜めたってね、本当にまア悪く云っちゃア済まないが、本当にいまだに覚えて居りますよ」
美「そう/\あの時分にお前お砂糖を盗んで甜《なめ》ていた処を見附かった事があったね」
婢「そう/\、あゝ知れませんよ、時々|匕《さじ》で出して甜めました事がありましてね、一遍知れたよ、私が口の端《はた》に附着《くッつ》いていて、少しの間板の間に坐らせられた事が有りましたよ………大層結構な、これは福寿庵の、大層お上手ですこと」
美「あの旦那が元御用達で、旨い物は食べつけて居て、それでお内儀さんが元芸者で苦労して、方々の料理茶屋の物を食べて居るから、何うしてもなんだね調理《こしらえ》は上手だよ」
婢「そうして旦那様は何処《どっか》へ………」
美「あゝお金を何うとかと云って往ったよ」
婢「大層遅いじゃ有りませんか」
美「なアに今に帰るだろう、旦那が帰ったら一口召上るかも知れないからね、少しお肴を支度して置いておくれ」
 いくら待っても帰りませんので案じていると、ちーん/\という二時の時計。
庄「大きに御苦労/\、若衆《わけいし》(車代を払う)………帰ったよ」
婢「はい旦那様がお帰りですよ」
美「あれさ起きなくっても宜《い》いわ、寝ておいでよ……只今明けますから…………おや車で、若衆《わかいしゅ》さん大きに御苦労」
車「へい」
美「お茶でも飲んでお出でなさいな、そう大きに御苦労様………あなた余《あん》まり遅いからお泊りに成ったのだろうから、私も今寝ようと思った処、あゝ宜《よ》い塩梅に一時《ひときり》降ってから小降りに成りましたねえ、それにね蝙蝠傘は漏りはしませんか」
庄「なに車に乗ったから傘は要らなかった。」
美「そう、甚《ひど》いのに何処まで往っておいでなすったの」
庄「王子の茶園に往って送り込《こみ》を頼んで来た、二三|日《ち》中《うち》に送り込むだろうが、来なければ又往って遣ろうが」
美「着物が大変泥だらけですね」
庄「えゝ着物か、着換えよう」
美「さアお着換えなさい、何うも是からまアほんとに泥が附いて、ま何うしたんだろう、あら血が附いてますよ」
庄「なゝゝなんだ、あアあのなんだ、こゝ駒込の富士|前《めえ》の方から帰って来たら、青物市場の処《とこ》を通ると、犬が五六匹来やがって足へ絡《から》まって投げられた、其の時|噛合《かみあ》った血だらけの犬が来やがって、己に摺附けたもんだから」
美「あらまア穢《きたな》いじゃアないか、些《ちっ》と乾《ほ》しましょう」
庄「あゝ其方《そっち》の二畳の部屋の方へ出して置いてくれ、穢らしいから……おい一杯《いっぺえ》酒を飲もう」
 と是から酒を飲んでぐうッと寝てしまった。翌日《あした》になって車夫《くるまや》が持って来た煙草入に煙管の事を聞いても、知らんと云い、彼《あ》れやそうじゃない、煙管も知らん、と云ってお美代にも隠し置いたから、誰《たれ》あって知る者は有りませんが、それから翌年に相成りますると、一|月《げつ》あたりは未だ寒気も強く、ちょうど雪がどっどと降り出して来ました。幇間《たいこもち》三八の腰障子の閉《た》って有る台所に立ちましたのは、奧州屋の女房おふみ、三歳《みッつ》に成る子を負《おぶ》いまして、七歳《なゝつ》に成るお豐《とよ》という子に手を引かれて居ります。駒込片町《こまごめかたまち》の安泊《やすどまり》に居りまして、切通《きりどお》しの坂を下りてよう/\此処まで来る中《うち》に二度転んだと云う俄盲《にわかめくら》でございます。柳川紬《やながわつむぎ》の袷《あわせ》一枚、これも何うも柳川紬と云うと体裁が宜《よ》いが、洗張《あらいは》りをしたり縫直《ぬいなお》したりした黒繻子《くろじゅす》の半襟が掛けてあるが、化物屋敷の簾《みす》のようにずた/\になって、王子の製紙場《せいしば》へ遣っても宜しいという結びだらけの細帯、焼穴《やけあな》だらけのあめとう[#「あめとう」に傍点][#「あめとう」に欄外に校注、「アメリカ唐桟の略」]の前掛が汚れ切って居ります、豆腐屋の物置から引出したと云うような横倒しに歯の減った下駄を穿《は》いて、ぶる/\慄《ふる》えながら、
豐「お母《っか》ちゃん、ちゃア此処《こゝ》だよ/\」
ふみ「はい………御免なさいまし」
女「はい………おや/\いけない………其処《そこ》を明けちゃアいけない、北向だから、此処の家《うち》は風が這入って寒くていけないから………もう出てしまって有りませんよ」
ふみ「いえ私は物貰いではございません、三八さんのお宅は此方《こちら》でございますか」
女「あゝあ………はい手前《てまい》でございます……お師匠さん貰人《もらいにん》が来ましたよ、一夜《ひとよ》明ければ直《すぐ》に来るんだから驚くね何うも」
三八「どなたで……何方《どなた》で……」
ふみ「はい誠にお久しゅうございます、私は奧州屋の家内で」
三八「へ、へいへいこりゃア何うも御新造《ごしんぞ》………何うもあなたお目が悪くおなんなすって、おゝこりゃアお目が………おい/\婆さん、あのね足を洗わなければならない、跣足《はだし》だ、雪の中を跣足で、なにを湯だよ、洗濯の盥《たらい》でなくても宜《よ》いてば、何を、えい強情張らなくても宜い、知ってるお客様だ、手拭《てぬぐい》の乾《ひ》たのを持ってお出で………さ此方《こっち》へ」
ふみ「はい/\恐れ入ります」
三八「まア/\そんなことは御遠慮なしに、えい這入って宜しゅうございますとも、なアにそんな事を、此方《こっち》へお上んなさい、嬢ちゃん大層おみおおきくお成んなすった、何ういうまア何ですか、お寒うございましたろう、何処から、駒込から、いやそれは大変でした、さゝ此方へお出でなすって火鉢の側へ、婆さん炭取《すみとり》を持って来て、其方《そっち》にも火鉢を出しな大勢だから一つの火鉢にかたまる訳にいかねえ、それからお茶を入れて菓子を出しねえ、何い、そう幾つも手が有りませんと、強情ッ張《ぱり》の婆《ばゝあ》だ……さ此方へ………お変りもございませんで……御難渋の事で、予《かね》て承わって居りますが」
ふみ「申し三八さん、私も此様《こん》なにおちぶれましてございます」
三「へい誠に御無沙汰致しました、横浜にお出でなさる事は聞きましたが、何うも浜だから一寸お尋ね申す事も出来ず、お目の悪い事も存じませんでしたが、何《いず》れ又病院にでもお入りなすってお療治でも致せば」
ふみ「はい有難うございますが、病院へ入りまして、入院中も種々《いろ/\》お医者様も御丹誠なすって下すったが、何うも治りません眼と見えまして、もう何も彼《か》も売尽《うりつく》しまして此様なにおちぶれ果てました、私《わたくし》はもう前世《まえのよ》の約束だと思って居りますが、親の因果が子に酬《むく》うとやら、何にも知りません子供たちにまで(涙をふき)饑《ひも》じいめをさせます、何方《どちら》と云って知っている人もございませんで、始めの程は御懇意様やお慈悲深き方から救われましたが、又二度とも参られませず、新助がお馴染でございますから、何うか三八さん(歔欷《すゝりなく》)あなたの処《とこ》へなんぞ申して参られた訳ではございませんが、能々《よく/\》と思召《おぼしめ》して、子供を可愛想と思って、少しばかりお恵みなすって下さい(泣伏《なきふす》)昨日《きのう》から子供達には未だ御飯《ごぜん》を食べさせません、今朝程少しばかりお芋を買って食べさせましただけで」
三「おゝゝおや御新造何うも何ともはや、人という者は何うも過ぎて見なけりア事の分らねえもんでげすが、あなたの処《とこ》は結構なお身代で、旦那さんは一寸お出での時も金側《きんがわ》の時計を頼まれ物だとおっしゃって、五つも六つも持っておいでなさる、あの御身代が今のお身の上、三八などは前から貧乏だから格別貧を苦にも致しませんが、良い人ががたりと斯うなるというと誠にお困りなさる、矢張《やっぱり》あなたなんぞは結構のお身の上だけに、貧乏に甚《ひど》く驚くと云うもんで……旦那
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