つもお噂ばっかりして居たの、好《よ》く………おやそうお寺参り………私もね一寸お尋ね申したいと思っても、御存じの通り一人体《ひとりからだ》で、皆《みん》な私にばかり押附けてあるもんだから、私は何処《どっこ》にも出ることが出来ないの………じゃアね奥の六畳の方へ(下女の方をふり向きて)もうお帰りになったろう………汚れて居るか………あゝ、じゃ縁側附の方が宜かろう、あの八畳の方へ御案内申しな」
婢「じゃア此方《こちら》へ入らっしゃいまし」
と婢《おんな》の案内でもって八畳の間に通ります。
庄「何が有る」
と云うと相変らず、
婢「小田巻蒸《おだまきむし》に玉子焼、お刺身が出来て塩焼が有ります」
庄「たんとは飲めない口だが一本|燗《つ》けてくれ」
と云う中《うち》に懐かしいから女房が取巻きに出て来た。
妻「まことにまア御無沙汰………好《よ》くねえ」
美代「私も誠に御無沙汰いたしました」
妻「好《よ》いことね、此の間も稻《いね》ちゃんだの小しめさんも来てね、噂たら/″\さ、心掛けの善《い》い人というものは、まア誠に妙なものだ、美代ちゃんのくらい運のいゝ人は無い、世にはとんだ者に騙《だま》されて、いくらも苛《ひど》いめに遭《あ》うものが多いのに、自分の思う所に請出《うけだ》されて行って御新造《ごしんぞ》に成ると云う、そんな結構な事は何うも誠にねえ、おや是《こり》ゃア御免なさいましよ、始めておほゝゝゝ私《わたし》アまア浮《うっ》かりとして、只お懐かしいので美代ちゃんの事ばかり………藤川様とか……誠にね、予《かね》てお噂には伺って居りましたが……そうでございましたか、遂《つい》ね、心安立《こゝろやすだて》にもうね、まア美代ちゃん/\と言慣《いいつ》けて居るもんですから御新造様の事をホヽヽ、私《わたくし》はがら/\して居りまして、そうでございましたか………何うもお二人様ともお雛様を一対|列《なら》べたようで………御緩《ごゆっ》くりなすって、今旦那が帰って来ますと自分で手料理が出来ますが、生憎《あいにく》居ないから、まア緩くり遊んで居て下さいな、生憎降って来ましたが大した降りも有りますまいけれども、まア、それに此の間ね新藏《しんぞう》さんがお出でなすったが、その折あなたがお店に坐って居たって、元が元だから商人《あきんど》の店にでも官員でも何処へ出しても本当に上品のお内儀さんだってお噂致して居りました、大層お似合いなすったこと、この丸髷は矢張《やっぱり》彼方《あちら》の方にも芸者|衆《しゅ》や何かが居ますから、髪結《かみい》さんも上手だと見えて大層|宜《い》い恰好《かっこう》に出来ました事、いゝ事ね、何て………まだ島田が惜しいようですね、はゝゝ却《かえ》って凛々《りゝ》しくてね、丸髷の方が宜しゅうございますよ、私《わたし》はいえ最う(盃を受け)有難う、たんとは頂けません……これから私が参って茶椀蒸を拵えますから」
庄「誠に御馳走様で」
これから頻《しき》りにお酒を飲んで車夫《くるまや》の方にも酒が一本附きましたる事にて、車夫も好《い》い機嫌になって、
車夫「へい旦那様有難う」
庄「あゝお前《めえ》も草鞋《わらじ》で此処へかけるがいゝ、其方《そっち》へ踏込まんように」
車夫「えゝ御新造様有難う、何うも閑で仕様のねえ処《とこ》へ言値《いいね》で乗っておくんなすって、おまけにお酒やなんかア、まアおいしい物で御飯《ごぜん》を頂くなんてえ、こんな間の好い事はねえ、ゲーッ………有難うございます………御新造様アお何歳《いくつ》でごぜいすか、お綺麗でおいでなさるなア何うも……御紋付がすっかりお似合いなさいますな……御新造様の御紋はお珍らしい、こりゃア何だろう、へえ宜《よ》い御紋ですな、是は三蓋松《さんがいまつ》てえので、余《あんま》り付けません、俳優《やくしゃ》の尾張屋《おわりや》の紋でげすなア」
美代「フヽヽ(笑)野暮な紋だから屋敷や何かでなけりゃア附けない紋で」
車夫「旦那さんの御紋は………花菱だけれども、実《み》の花菱で是も余《あんま》り人が付けねえ御紋で………えゝえ妙な事があるもんだ、斯う紋がぴったり揃ってるのは不思議だなア………えゝ旦那え、これは(煙草入を懐より出し)実は洋服持の煙草入でげすが、黒桟《くろざん》で一寸《ちょいと》袂持《たもともち》の間に此の鉈豆《なたまめ》の煙管《きせる》が這入って、泥だらけになって居るのを拾ったんで、掃除をして私が大切に持って居りますが、実は私《わたくし》どもの持つ物ではございませんから、質屋の番頭だって蔑《けな》しやがッて、私《わたし》どもに有っちゃア仕方がねえ、煙管が何うも実に旦那不思議なんで、私にゃア分らねえが、銀だって云いやすが、この紋がねえ、三蓋松に実の花菱が、そっくり象嵌《ぞうがん》で出て居るってんだ、こいつア妙じゃアございませんか、これが突込《つっこ》んだ儘《なり》で有るんでがすが、悉《そっ》くりお両方《ふたかた》の紋が比翼に付いて居るてえのは何うも妙で、一寸《ちょっと》これは何うです旦那……」
手に取り上げて庄三郎が恟《びっく》りいたした。まだ是は美代吉には話をせずに自分の心の中《うち》の惚気《のろけ》に、美代吉の紋と吾が紋を比翼に附けて誂《あつら》えた鉈豆の煙管、去年の九月四日の夜《よ》、妻恋坂の下で、これは慌てゝ取り落したものだが、何うして此の車夫《くるまや》が持って居るかとぎっくり胸に応《こた》えましたが、側にお美代が居るから、
庄「お美代お前《まえ》と己の紋が有る、似た紋も有るが不思議じゃアねえか、不思議じゃアねえかよ、えゝ悉《そっ》くり二人の紋が付いてるとは是りゃア不思議じゃアねえか」
美「誰の」
庄「誰のだか分らねえ……車夫《くるまや》さんお前《めえ》がそれを持とうというのか」
車夫「わっちが持って居たって仕様がねえんでがすが、あなた紋が悉《そっ》くり附着《くッつ》いて居やすが、お廉《やす》く何うか廉くお買いなすって下さりア有難てえんですがな、わっちが質屋なんぞに持って往《ゆ》きますと手数が掛っていけませんや、そっくり貴方の御定紋《ごじょもん》だから持って入らっしゃりゃア私《わっち》が是を拾ったとも云いやせんが」
庄「買っても宜《い》いけれども幾許《いくら》で売ろうてえのだ」
車「こんな物で、幾許でも宜うがす、まア人に聞いた処の価値《ねうち》は五十両が物は有るってえので」
庄「なにが、冗談いっちゃアいけねえ、無垢《むく》の煙管の誂えで、何《ど》んなにしたって、何う目方が附いたって五十両なら出来るじゃアねえか、こればかりの鉈豆の煙管を五十円遣って買う奴が」
車「たゞの煙管とは違うんで、紋がちゃアんと御新造様の紋とあなたの紋と比翼に付いて居るとこがこいつの価値《ねうち》だ、はゝア誂れえりゃア出来るが、わっちが持って居るといけねえものだ、持って居れば拠《よんどこ》ろなく訴えなければならねえ、去年の九月四日の晩、妻恋坂下の建部…………サだからって」
庄「む……なに」
車「拾った処《とこ》を云わなければならないが、御迷惑が掛っちゃア済まねえから、売りてえのを我慢して、何うか御当人にお渡し申してえと思って、今まで腹掛の隠《かくし》に突込《つッこ》んでいた所が、何時までもねエ其の人が知れねえんだ、まア持ち腐れじゃア詰らねえから、旦那御紋所がちゃアんと合って……五十円」
庄「馬鹿ア云っちゃアいけねえ」
美代「お止《よ》しなさいな、お止しよ………車夫《くるまや》さん大概におしよ、五十円なんて誰《たれ》が人馬鹿々々しいじゃアないか、金鈍子《きんどんす》か何かの丸帯が買えるわ」
車「帯は買えるんでしょうが、これは煙管の紋が………そりア一寸《ちっと》宜《い》いので」
美「宜いのでたって、そんな高い煙管や何か買える訳のもんじゃアない、だから、あなたお止しなさいよ、(車屋に向い)まア宜いよ」
車「無理に私《わっち》アお上げ申すという訳じゃございませんので、私がこれまで持って居たのは悪いから、それだけ叱られて仕舞いさいすりア……斯ういう訳でがす、私ア酷《ひど》い目に逢いました、建部の側《わき》で私ア溝《どぶ》の中に転がり落ちて何うも物騒で、雨の降る中びしゃアりという訳で、何うも……なアに人てえ者は見掛けに依らねえもんで、まア私は訴えますから」
庄「まア/\宜い、若衆《わけいし》さん、買う買わねえは兎も角も一杯《いっぺえ》此処で飲みねえ、お前《めえ》も何だろう、腹からの車挽《くるまひき》じゃアあるまい家《うち》は何処だい」
車「家は無《ね》えんで、ふてっくされ猪武者《いぬしゝむしゃ》、取っただけは飲んでしまっても仲間の交際《つきあい》と云うものは妙なもんで、何うか斯うか腹ア空《へ》れば飯い食ってまア……無理にという訳じゃアないんでげすが、お互に時節柄斯ういう訳になって車ア挽くんで」
美「酔って居るからお止しなさいよ、御飯《ごぜん》を食べさせて帰しましょう、酔って車ア挽けやしない、お内儀さんを一寸《ちょっと》呼んで、別に車を誂えましょう」
庄「お前往って呼んで来な、手を叩くと旦那じみて極りが悪いから、一寸往ってお出で、(美代吉の跡を見送り)若衆《わけいし》」
車「えい」
庄「煙管を己が買おうが、今は持合せが無《ね》えんだ、己と一緒に………家内が居るから家内の前《めえ》で高い煙管を何で買うかと思われても困る、金を他に借りる処《とこ》が有るから、己が一人でお前《めえ》の車へ乗るから、往ってくれゝば金を借りて渡すから、此の煙管と引替に売って下せい」
車「宜しゅうございます……御新造さんは知らねえのか……いや承知いたしました、万事心得ました」
庄「そんならば」
とて福寿庵の女房を呼び、何やら密々《こそ/\》耳こすりを致し、お美代を蠣殻町まで一人で帰す事に相成り、一人乗の車を別に雇い、お美代を先へ帰して置いて、自分は大西徳藏の車に乗って金策に谷中の蛍沢《ほたるざわ》にまいるというお話でございますが、一息つきまして申し上げます。
六
へい藤川庄三郎、彼《か》の大西徳藏という車夫《くるまや》に供をさせて、人力でどっとと降る中を谷中の笠森稲荷《かさもりいなり》の手前の横町を曲って、上にも笠森稲荷というが有りますが、下の方が何か瘡毒《そうどく》の願《ねがい》が利くとか申して女郎|衆《しゅ》や何かゞ宜くお詣りにまいって、泥で拵《こしら》えたる団子を上げます。あの横町を真直《まっすぐ》に往《ゆ》き右へ登ると七面坂、左が蛍沢、宗林寺《そうりんじ》という法華寺《ほっけでら》が有ります。その狭い横町をずうッと抜けると田圃《たんぼ》に出て、向うがすうっと駒込の方の山手に続き微《かす》かに未《ま》だ藪蕎麦《やぶそば》の灯火《あかり》が残っている。田圃道で車の輪が箝《はま》って中々挽けません。
徳「旦那いけませんな、こんな道じゃア何うも方《ほう》が立たねえ、旦那何処へお出でなさるんで」
庄「まア最う少し遣ってくれ」
徳「もう少したって往《い》けませんな、何うもこの道じゃア」
庄「じゃア歩こう、まア此処に下《おろ》しておくれ、何うしたって金策に往くんだから、お願いだから提灯《ちょうちん》を持って、車は此処へ置いてお前一緒に往っておくれでないか」
徳「へい、それは何処へでも往きやすがな、私《わっち》にゃア………唯でさい歩き難《にく》い道だに、お前さん何処まで往くんだか知らねえが、困りますな何うも」
庄「だが好《い》い塩梅に少し小降《こぶり》になった」
徳「えい大きに小降に成ったが、何うも降りやすね何うも………旦那去年の九月四日の晩も此様《こんな》に降りましたな」
庄「うむ左様《そう》かなア、去年も降ったのだか覚えねえ」
徳「へん、降ったか覚えねえ、旨く云やアがる、妻恋坂下のね建部裏まで通りの客を挽いて往った時に、ぴしゃアりと提灯を切られた時に私《わっち》ア胆《きも》を潰して、あの建部裏の溝《どぶ》におっこッちまった、好《よ》い塩梅に少し摺剥《すりむ》いたばかりでたんと負傷《けが》はしないが、泥ぼっけえ、寒くて仕方がねえ
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