や私こそ御無沙汰致しました、お母さん、少し御相談が有って来たんだがねえ、些《ちっ》と申し難《にく》い訳だから、一寸どんな小部屋でも有りア」
婆「御存じの通《とおり》の私《わちき》のとこは小部屋も何も有りませんが、何の御用でございますか、何うか此処で仰っしゃってねヘヽヽ何うも下さいませんと困りますねえ」
庄「実はお前も知ってる通り、知って知らんふりでお出でだろうけれども、実は僕ア道楽てえものは今迄仕た事はねえが、下谷へ来てから誘われて一度遊んだのが病付《やみつき》で、其の後《ご》はお前さん処《とこ》の美代吉さんと私は隠れて遊んだ事もある、お前がそれが為に腹を立って私を寄せ付けんという事も知っています」
婆「そう改まって仰しゃっちゃア困りますねえ、何も寄付けねえ訳は有りませんけれども、お前さんも亦、私は遊びましたよ、はい御存じでござりましょうが、お前さん所《とこ》の美代吉と隠れて遊んだと仰しゃられちゃ困ります、実はお前さんと美代吉が遊びたいばかりで、それまでは堅い妓《こ》でございましたけれども、お前さんに誘い出されて向島《うわて》くんだりへ往ってさ、二晩や三晩|家《うち》を明けた事も有ります、それも宜《よ》いけど、あんな人の好《よ》い奴《こ》だからお前さんと遊ぶにも、お前さんだって有り余る身代じゃアなし、身上《みあが》りをしたり、聞けば他で以て高利を借りて、それも是れもまア稼人《かせぎにん》のこったから私は何にも云いませんけれども、考えて御覧なさい、私は玉《ぎょく》をいくら取り損《そこな》ったか知れやしない、それもまア私は何とも云いはしないが、お前さんにそう改まって御存じだろうと仰しゃられちゃア、私も困りますよ、はい随分困ります、……知らない振で居ましたが、何うぞ是からは遊んで下さらないように願いたいねえ」
庄「だからお前に苦労させて済みませんから、何うか多分の事じゃア出来ないけれども、母にも打明けて話し、親戚の者にも話したが、美代吉はお前の娘という訳でもなし、云わば抱えで流れ込んで居るという事を知って居るが、此の藤川に身請をさせて貰いたいんだ多分の金円《きんえん》を出せと云っては出来ませんが、何うか身請の処《とこ》を御承諾を願いたい」
婆「へえゝ、大層お立派な事を仰しゃいますね、それは藤川さんお前さんも惚れている女ですもの、身請をしてお前さんの家《うち》へ女房にして置きたかろうさ、お前さんも矢張《やっぱり》旗下《はたもと》の若様、私も母でございますから、成ろうものなら美代吉も惚れているお前さんの処《とこ》へ上げたいがね、昔は安かったもの、五十両も有れば出来ました、立派な花魁《おいらん》の身請をしても三百両で出来たがね、それが今は法外の話、五十や六十の目腐れ金《がね》では出来ません、相場がねえ何うも誠に申すもお気の毒だが、大した事でございまして、何うしても三四百両のお金がなければお前さん達の何うでも出来る話ではなし、身請をしておくんなさいとも云われません、お前さんも美代吉も惚合ってる中だから出来る方《かた》なら私の方《ほう》から願おうが、それがそれ何うもはいと云う事も出来ないような訳、何しろ事柄が大きいから」
庄「じゃア四百円お金を出せば身請が出来るの」
婆「左様さ四百円有れば出来ますねえ」
庄「屹度《きっと》それならば身請をさせて下さるか」
婆「そう出ればまア……夢見ていな……恵比寿講《えびすこう》の売買《うりかい》の様なお話でございますからね」
庄「実はね、母に打明けて話したら、芸妓《げいしゃ》の身請は何《ど》のくらいのものだろうというから、先ず三百両ぐらい掛ろうと云ったら実は母も驚いて、昔は五十両もあれば出来たものを大分高いと云ったが、実は斯々《これ/\》だと云ったら、まア三百円の金も無いけれども、そうなりゃ身請をしたら宜かろうと、親族から漸くに少し金策が出来て、実は此処に四百円才覚をして来たんだが、此の金で身請をさせて下されば、今日直ぐに書附《かきつけ》を取替《とりか》わして美代吉だけを連れて往《ゆ》きたいが御得心《ごとくしん》かえ」
婆「あれ、あなた本当のお金……」
庄「本当のお金だって(苦笑《にがわらい》)」
婆「まア何うも恐れ入りますねえ、まア何うも藤川さん、本当にあなたまア何うも誠に私ゃアホヽヽヽヽ(笑)一寸お音信《たより》をしたいと思って居りましたけれども、斯ういう忙がしい中で、まア美代吉にも私ゃアいつでもそう云うの、御贔屓になった方へはお前書けない手でも文《ふみ》の一本も上げなってねえ、それが芸者の当然《あたりまえ》だと云って、まア子供見た様な者ですから、遂《つい》まア存じながら御無沙汰になって本当にね、三八はんそう身請に成ればホヽヽヽヽヽ、旧《もと》が旧でおいでなさるからねえ、一寸お話しにさえなりゃア御親類からお金が四百でも五百でも出来て………そうなればねえ」
三「旦那さんの前で急に機嫌が直ったりしちゃア私まで一寸|面顔赤《かおあか》になるが、まアお芽出度《めでと》うごす、美代ちゃんがお喜びは何のくらいでげしょうか、実は何うも思う男とは添わせたいので」
婆「本当に私《わたし》も嬉しいから美代吉もさぞ喜ぶでございましょう……、私《わちき》は斯うなるとね吾が子のような心持がして……お兼やお茶を入れな、ホヽヽヽヽそうして宜《い》いお菓子を取って来な」
と婆《ばゝあ》は直《すぐ》に機嫌が変りました。是から庄三郎は忽《たちま》ち四百円で身請をして連れて帰る。強飯《こわめし》を云附けて遣り、箱屋や何かにも目立たんように仕着《しきせ》は出しませんけれども、相応の祝儀を遣りまして、美代吉を引取ってまいる。これから母も得心だから蠣殻町へ店を借受けまして、駿府から葉茶を引いて、慣れん事だが又慣れた者が附きまして、活計も何うやら斯うやら容易に立ちまするようの事に成った。親族も善《よ》い縁類も有るから少し足りないからと云えば是れへ往って才覚も出来る、女房も持ってるから融通も附きますと云うので、仲好《なかよ》く其の年も経ちまして、翌年九月までと云うものは極《ごく》愉快にして暮していたが、唯《たゞ》心に絶えぬのは新助の事です。兄新助のお金で私《わし》は斯うやって身請をして、思う女と夫婦に成ったが、美代吉は知らずに居る事の気の毒さよ。ちょうど四日が命日だというので、毎月四日の日には自分で香花《こうはな》を手向《たむ》け、仏壇に向って位牌は無いけれども、心の中《うち》で回向《えこう》して居る。九月四日は最《も》う一周忌の命日でございますゆえ、
庄「おいお美代」
美「はい」
庄「今日はお茶の御飯《ごぜん》を炊かないか」
美「お茶の御飯は私ゃ嫌《きらい》、赤のお飯《まんま》をお炊きなさいな」
庄「まア今日はお前《めえ》を贔屓にしてくれた美土代町の奧州屋さんの丁度一周忌の命日で、此の間美土代町を通ったら彼処《あすこ》の家《うち》は変ってしまって今は乾物屋になった、此処に洋物屋《とうぶつや》が有ったのだと思うと、余《あんま》り善《い》い心持のものでも無い、おいらも一度でも遇《あ》ったのだから、志だから水菓子でも取って仏壇へお茶でも」
美「きまりだよ、お前さんは奧州屋さんのことをおかアしく云うけれども、私《わちき》が何も奧州屋さんと交情《わけ》でも有りはしまいし、あの旦那だって私を色恋で何う斯うという訳ではなし、何かお父《とっ》さんと歌のことで仲好くして、世話にも成った事があるから、身請をして遣ろうと云った時に、お婆さんが彼《あ》んな事を云ったもんだから、お前さんも訝《おか》しく思いなさるんだが、私《わたし》ゃ本当に奧州屋さんばかりは何にもいやらしいことは無いの」
庄「いやさ、いやらしい事が有る無しじゃアない、たとえ何もなくても一度でも呼ばれたお客が死んだと云えば、その命日には線香の一本ぐらい上げるのは、たとえ芸者でも其処《そこ》が人情じゃアないか、今日は両人《ふたり》で彼《あ》の人のお寺詣りをして遣ろうじゃアないか、広徳寺《こうとくじ》へ往って」
美「広徳寺というのは彼の人のお寺、あんた能《よ》く御存じで、何うして知って居るの」
庄「なゝなに此の間|他《わき》で聞いたのだ、一寸志だから」
美「厭《いや》だアね、人…たった五六|度《たび》呼ばれたお客の死んだ度《たんび》にお寺詣りするくらいなら、毎日お墓詣りをして居なければなりやアしない詰らないじゃアないか、お止しなさいな」
庄「お前《めえ》のお母さんのお墓参りをして、帰りに上野の彰義隊《しょうぎたい》のお墓参りをして、それから奧州屋さんのお墓参りに、遊びながら彼方《あっち》の方へぶら/\と一緒に往《い》きな、菊時分だから人が出るよ」
美「まだ大変菊には早いじゃアないか」
庄「今日は紋付だよ」
美「いやだよウ一寸何だねえ」
庄「そうでないて事よ、往《い》きなよ、お前《めえ》もお母様《っかさん》のお墓参りに往くのなら、紋付の着物であらたまって、香花を手向るのが当前《あたりまえ》じゃねえか」
と無理に紋付にさせるのも庄三郎心有っての事です。此方《こちら》のお美代はそんな事は知りませんが、亭主の云う事|故《ゆえ》仕方なく紋付を着て。此の節は滅多に着ることが有りません、久しぶりで紋付を着て上等帯を締め、大きな丸髷になでつけまして、華美《はで》な若粧《わかづくり》、何うしても葉茶屋のお内儀《かみ》さんにいたしては少し華美な拵《こしら》え、それに垢抜けて居るから一寸表へ出ても目立ちます。これよりぶら/\遊歩を致して母の墓参りをして、上野を抜けて広小路《ひろこうじ》へ参り、万円山《まんえんざん》広徳寺に来て奧州屋新助のお墓へ香花を手向けて、お寺には縁類の者であると云って附届《つけとゞけ》を致し、出て来ますると、ぽつうり/\と秋の空の変り易く降り出して来ました。
庄「困ったな降って来たよ、何処かへ往ってお飯《まんま》でも食べて雨を止《や》めようじゃア無いか」
美「出る時は降るだろうと思ったから、蝙蝠傘《こうもりがさ》だけは持って来たが、沢山《たんと》の降りも有りますまいか」
と夫婦で車坂の四ツ辻まで来ますと、後《あと》から汚ない車夫《くるまや》が、
車夫「えゝ若《も》し旦那え、帰り車でございますから、お安くお幾許《いくら》でも宜《い》いんですが……へい何方《どちら》で、日本橋の方へお帰りですか、日本橋なれば、私《わたし》も彼方《あっち》の方へ帰るんですが何方なんですか、四ツ谷の方に、へえ私《わたくし》も牛込の方へ帰りでげすが」
何処へ帰り車だか分らない。
庄「まア宜《い》い、車が汚いから、あゝ大変に降って来た」
美「私《わちき》は久振《ひさしぶり》ですから長者町《ちょうじゃまち》の福寿庵《ふくじゅあん》へ往っておらいさんに逢って、義理をして往《ゆ》きたいんですが、帰りに他家《ほか》へ寄ってお飯《まんま》を食べるなら、福寿庵へ往《い》って遣っておくんなさいよ」
庄「あゝお前の世話になった以前《もと》の御用達の福田か」
美「あの旦那は大層立派に暮しをなさったそうだが、今では御亭主が料理屋を」
庄「おい/\若衆《わけいし》さん、あの長者町の福寿庵という汁粉屋な、彼処《あすこ》でお飯を食べて、それから蠣殻町へ帰るんだが、少しの間待ってるようなら御飯《おまんま》ぐらい食わしてやるが」
車夫「えゝ何うも有難うございます、まるっきり今日は溢《あぶ》れちまって、空《から》ア挽《ひ》いて帰るかと思っていた処で、何うか幾許《いくら》待っても宜しゅうございます、閑でげすから、お合乗《あいのり》でへい、少し(空をながめる)なんでげすが大した降《ふり》も有りますまいから、幌は掛けますまい」
フラン毛布《けっと》を前に押附けて、これから福寿庵の前に車を下《おろ》します。車から出て板橋を渡って這入りますと、奥に庭が有りまして、あの庭は余程|手広《てびろ》で有りまして、泉水《せんすい》がございます。その向うに離れ座敷が所々に有りまして、客をしますので、馴染のことでございますから。
妻「まア/\美代ちゃん誠にまア久しく、い
前へ
次へ
全12ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング