ざいますから、兄妹《きょうだい》でもお前さんに私がお金を送る訳は有りませんが、今までに二十四|度《たび》お貸し申したよ」
徳「心得て居ります、再度拝借致しました、併《しか》し現在の兄が倒れんとするを救わんというのは何うも道に違って居る、そりゃア縁は切れて居ろうが、血筋は切れん、その何うも兄弟の間柄でもって、他に兄弟の有る訳じゃア無《ね》え……重々悪い此の通り(平伏)此の通り恐れ入って居る」
ふみ「何うぞ、お前さんも峯壽院《ほうじゅいん》様の御用達《ごようたし》では無いか………お前さんは立派な天下の御家人では無いか、お父《とっ》さんが亡くなると蔵宿《くらやど》は借《かり》つくし、拝領物まで残らず売ってしまって、お母《っか》さんもそれを御心配なすって、あの通りお逝去《かくれ》になりました、私より他に兄妹《きょうだい》は無いと仰しゃいましたけれど、大切《だいじ》な兄妹と思って下さるかは知らないが、其の同胞《きょうだい》をお前さんは騙《だま》して横浜に連れてって外国人のらしゃめん[#「らしゃめん」に傍点]に仕ようとした事をお忘れなすったか、私が二十一の時だよ」
徳「まことに何うも重々相済まん」
ふみ「貴方は外国人は汚《けが》らわしい、日本は日の本《もと》だ、神の国だ、外国の人などを入れるなという日光様の教えもあるものを、背いてこんな事をしたからと、自分の惰者《なまけもの》を余所《よそ》にして、毎《いつ》もあんな事ばかり云いながら、その汚れた外国人のところに一人の妹《いもと》をらしゃめん[#「らしゃめん」に傍点]にするとって、私を横浜に置去りにして、五十両の手金を持ってお逃げなすった事をお忘れなすったかよ」
徳「いさゝか覚えて居りますな………重々相済まん、何うも仕方が無《ね》い、借財で仕方が無《ね》えよ、借財でなア」
ふみ「私はお前に置去りにされて、知らない横浜の富田屋《とんだや》さんの家《うち》に泣暮して居ましたよ、処へ富貴楼《ふっきろう》のお内儀さんが一寸《ちょっと》富田屋さんへ用が有ってお出でなすって、何ういう訳だと申しますから、是々だって話をすると、あゝいう気性のおくらさんだから、それはお気の毒だと今の旦那に話をして、私の身体を五十円で買われたようなもの、此所《こゝ》に来て居るといって、縁切りで来たのだよ、お前さん其の他にも家の旦那はあゝいう気性だから、お前さんに別に又三十両お上げなすった、もう是切り参りませんと云っても度々《たび/\》来る、それは内証で私も二両や三両の事なら何うにかして上げたが、何度来ても旦那は会いはしない、お前さんも旦那の顔は知るまいけれども、兄《あに》さんが借りに来た様子だ、沢山《たんと》の事でも有るまいから、時々は些《ちっ》と宛《ずつ》小遣を持たして遣るが宜《よ》いとお前さんが這入って来ると表から外《はず》して出る、貸して遣れと云わんばかりに親切にしておくんなさる旦那の前に対しても、私はお貸し申す訳には往《ゆ》きません、此の盆前に来てお前さん幾許《いくら》持って往ったえ、二十円持って往ったろう………其の時もう来ないと云ったでは無いか、その口の下から直《すぐ》借りに来るとは実に私は呆れてしまった………貸されませんよ」
徳「まことに済まん、貸されなきゃア致し方がない、無いけれども何うも其の日に逐《お》われて飯が食えんという事に成ったから、まことに何うも困る……何うあっても貸されんか」
ふみ「借りに来られた義理じゃア有りませんよ」
徳「義理も道も心得ては居《い》るけれども、何うも一向仕方が無い」
ふみ「貸せたってお前さんには返す方角はなし、お金を遣れば遣る程お酒を飲んで、只怠けてしまうだけの事で、お前さんにお金を上げると態《わざ》と酒を飲ましてよいよいにする様なものだから上げませんよ」
徳「よい/\……最う是切り来ねええゝッぷ、何うぞ、恐入った妹《いもうと》、妹と云っては縁が切れてるから奧州屋新助|殿《どん》のお内儀さんに対して大西徳藏|斯《かく》の如くだ(両手を突き頭を下《さげ》る)矢張是も親の罰《ばち》だ、親の罰だから誠に何うも困る、うむ最う己は縁が切れたから己にすると思ってもいけない、親、親にすると思って……」
ふみ「なにお前さんは親の家《うち》を潰してしまった人だわ」
徳「後生だから」
福「大変大変お内儀さん大変でございます」
ふみ「何だね、仰山な」
福「旦那が腹ア切ったッてえ知らせが………妻恋坂下で旦那が腹ア切って居るって、気が狂《ちが》ったんでしょうか」
ふみ「旦那が妻恋坂下で腹、まア誰か往って見たのか」
これを聞くと徳藏は、
徳「はてな妻恋坂下と云えば昨夜《ゆうべ》乗せた客だが、あれが奧州屋新助では無いか」
と気が附いたから少し酒の酔《えい》が醒《さ》めた。
徳「直ぐに帰るから、些《ちっ》と無くてはいけないから、五両でも三両でも……係り合《あい》の事が有って車を置いて来た」
ふみ「何だよ私の家は取込んでいるよ困るね、是でも持って往っておくれ」
と有合わした小遣を遣り、子供を抱いたり負《おぶ》ったり致して、番頭立合で往って見ると、なさけなき死様《しによう》だ、常に落著《おちつ》きまして中々切腹する様な人では無いが、何う云う訳か頓と分らない。拠《よんどころ》なく此の事を訴えますと、検屍|事済《ことずみ》になって死骸を引取りまして、下谷《したや》の広徳寺《こうとくじ》に野辺送りをする事に成りましたが、誰が殺したか頓と知れませんで居りましたが、是が自然に知れて来ると云うは、悪い事は出来んものです。一寸《ちょっと》一息致しまして。
五
えゝお話二つに分れまして、数寄屋町の有松屋のお話でございます。芸者屋の商売などと云うものは、外見《おもて》はずうッと派手に飾って、交際《つきあい》も十分に致し、何処に会が有っても芝居の見物でも、斯ういう店開きが有れば其の様にびらを貼るという様な事でございまして、中々物入の続く商売。殊に暮などは抱子《かゝえッこ》を致して居れば、新しく出《で》の紋附を染めるとか、長襦袢を拵《こしら》えてやるの、小間物から下駄|穿物《はきもの》に至るまで支度を致すというので、大した金の入《い》るものでございます。婆《ばゞあ》は少し借財の有る処で身請というから、先ず是で宜《よ》いと喜んだ甲斐もなく、打って違って奧州屋新助は腹を切って死んだと云うので、ぱったり目的が外れました。是から歳暮《くれ》に成りますると少し不都合で愚痴《ぐず》ばかり云っている処へ、幇間《たいこもち》の三八、
三「お母《っか》さん今日《こんち》は」
婆「おやお這入んなさいまし」
三「押詰りまして」
婆「何うも月迫《げっぱく》に成りました、誠に何うも寒い事ねえ、暮の二十五日だからねえ、時々|忘年《としわすれ》のお座敷なぞが有るかえ」
三「有るにア有るけれども、昔と違って突然《だしぬけ》に目的《あて》が外れたりして極りが無いから困りますのさ」
婆「けれどもお前なぞは気楽で宜《い》いじゃアないか」
三「気楽でも何でも無いのサ、何うも只《たっ》た一人者でも雇婆《やといば》アさんの給金も払うなにが無《ね》えんで、勘定というものは何処にも有るもんでげすが、暮はいけませんねえ、押掛《おしかけ》のお座敷に往っても御祝儀は下さいませんから誠に困りますよ、お歳暮《せいぼ》の時なんぞは御祝儀処か、おやお出でかえ誠に取込んで居るからと云うんで、無しさ、幇間《たいこもち》なんどは暮はいけませんなア、来春《くるはる》を待つのですが、お母さんなんぞは土用が来ても歳暮が来ても福々しいね」
婆「何うして大違《おおちがい》さ、それに彼《あ》の奧州屋の旦那がね、ソレあの時お前も落合って身請ってえから少し苦しい処だから丁度|好《い》い塩梅だと極りがついて、明後日《あさって》は身請というから当《あて》にして、私もその支度もし、別に抱えも仕たいと思うからそれに当箝《あては》め、借金も返す約束に成っている処が、ぽかりと外れてしまった実に困ったのサ、だがね何うしてあの方があんな死様《しによう》を為すったろう」
三「解らないよ、泥濘《ぬかるみ》へ踏込んでも、どっこい悪い処へ来たと後《あと》へ身体を引いて、一方《かた/\》の足は汚さねえと云う方だが」
婆「それが何うも腹を切るなんてえのは」
三「なに矢張《やっぱ》り洋物屋《とうぶつや》の旦那様でも、元が士族|様《さん》の果《はて》で、何かで行詰った事が有って、義理堅い方だから義が立《たゝ》ないとか何《なん》とか云う所からプイと遣ったか、それとも人にねえお前さん好《い》い年をして芸者の身請を致して、女房子の有る身分《からだ》で了簡方《りょうけんがた》が違おうとか何とか野暮な小言を云った奴が有って、色に溺れるのじゃアない、美代吉の身請を致して、好《よ》い亭主を持たせるのだと言っても聞かないで、悪い喧嘩でもしてそう思われたが口惜しいとか何《なん》かでプイと腹ア切る気になったのかも知れない、それとも腹ア切るのは容易の事じゃア無《ね》え、善々《よく/\》思切《おもいき》ったのであろう、それとも無理な才覚をなすって美土代町のお宅でも悪借金《わるじゃっきん》………でもありゃアしないかと思われますねえ」
婆「是が為に外れて私《わちき》は誠に困って居るが、美代吉は身請が外れて嬉しいと云うような顔をしているのが腹が立ちますわね、此の頃美代吉は外れてから元気が出たよ、あゝいう分らない阿魔っちょだから実に私は途方にくれるんだよ、この暮は本当に困りますよ」
と噂をして居るところへ藤川庄三郎門口へ立ちました。装《なり》は南部の藍万《あいまん》の小袖に、黄八丈の下着に茶献上の帯に黒羽二重の羽織で、至極まじめのこしらえでございまして、障子戸の外から、
庄「御免……美代ちゃん宅《うち》かえ」
婆「はいお兼《かね》や、誰か来たから鳥渡《ちょっと》往って見な…表へ誰方《どなた》かお出でなすったよ」
兼「はい」
女中が駈け出して障子をがらりと開けると庄三郎。
兼「おや入っしゃい」
庄「まことに御無沙汰(挨拶をしながら)美代ちゃんは」
兼「今|何《なん》でございます、一寸《ちょっと》お約束で出ました」
庄「お母さんは」
兼「お母さんは居りますからまアお上り遊ばせ」
庄「はい御免なさい」
婆「おい一寸兼や、何だよ、気の利かない女《こ》だよ、藤川さんだよ、無闇に上げちゃアいけねえなア………この節は何うもいけない、余程《よっぽど》いけねえ、様子の悪い、それを無闇に上げてさ、居ないと云えば宜《い》いに何だね………最う上ってお出でなすったアね……さア(急に笑い顔)此方《こっち》へお出でなさい」
庄「お母《っかあ》まことに御無沙汰、一寸来なくちゃアならんのだけれども、駿府の方から親戚の者が出て来て居るもんだに依《よ》ってな何や彼《か》やと取紛《とりまぎ》れて、何うか僕も親族の者が、遊んで居てもいけないからと云うので、今度商法をね……当節は兎角商法|流行《ばやり》で、遠州の方から葉茶《はぢゃ》を送ってくれると云うので、蠣殻町《かきがらちょう》に空家《あきや》が有ったもんだから、それを借りて漸《ようや》く葉茶屋を開店することに極りがやっとついたんで、お馴染には成ってるしするから、悪い耳と違って善《よ》い事をお聞《きか》せ申したいと思ってね………参ったが、何時もお変りございませんで、次第に月迫《げっぱく》に」
婆「まことに押詰りましてさぞお忙がしゅう……おゝそれは結構でございますねえ、大分《だいぶ》皆さんが御商法をなさいますが、仰しゃるお茶屋だの料理屋しるこ屋色々な事をしても、素人で真似をしたのは何うも長持のないもんですね、慣れない事てえものはいけませんよ、士族さん方の御商法は何うも外れ易いものでございますから、貴方も一生懸命にねえ……まア御勉強なすってお遣んなさりア宜しゅうございましょう、生憎《あいにく》美代吉は居りませんで」
三八「これは何うも暫く………先達《せんだっ》ては失敬をいたしました、今という只今貴方のお噂たら/\ヘヽヽ」
庄「い
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