ことには若様育ち、あれ程にまで云いかわし、惚れた美代吉を身請をされては何うも友達へ外聞が悪い、親や親戚に打明けて身請までにと思った処を他《た》へ買取られては一分《いちぶん》立たん………と云う血気にはやって分別も無く、妻恋坂下の建部内匠頭の窓下に待って居るとも知らぬ奧州屋新助が、十九ケ年振りで真実の妹《いもと》に遇《あ》い何うか身請をして松山の家を立てさせて、思う男の藤川庄三郎に添わしてやりたいと腹で種々《いろ/\》に考えて、明後日《あさって》は身請をする心持で車夫《しゃふ》を急がしても、車夫《くるまや》は成りたけのろ/\挽《ひ》いて、困ると酒手が出たらそれから早く挽こうという、辻車は始末にいかない。幌が少し破れて、雨がぽたり/\と漏ります。梶棒の尖端《とっさき》を持ってがた/\揺《ゆる》がせて、建部の屋敷裏手までまいると、藤川庄三郎曲り角の所から突然《だしぬけ》に車夫《しゃふ》の提灯を切って落した。車夫は驚いて、どーんと筋斗《もんどり》を打って溝の中へごろ/\と転がり落ちましたが、よい塩梅《あんばい》に車が反《かえ》りません、機《はず》みで梶棒が前に下りたから、前桐油《まえどうゆ》を突き破って片足踏み出すと、
庄「思い知ったか」
 と組附くように合口を持って突ッ掛りまして、ちょうど奧州屋新助の左の脇腹のところをぷつうりと貫いた。
新「うゝん」
 と云いさま、此方《こちら》も元は会津の藩中|松山久次郎《まつやまきゅうじろう》…聊《いさゝ》か腕に覚《おぼえ》が有りまするから、庄三郎の片手を抑《おさ》えたなり、ずうンと前にのめり出し。
新「暫く/\逸《はや》まっちゃア成りませんぞ」
庄「なに宜く先程は失敬を致したな、一分《いちぶん》立たんから汝《てまい》を殺し、美代吉をも殺害《せつがい》して切腹いたす心得だ」
奧「暫く/\何うぞ………逸まった事をして下されたなア藤川氏……手前は美代吉の色恋に溺れて身請を致すのではござらん、美代吉の真実の兄で松山久次郎と申す者でござるぞ」
庄「へい、なに松山…――美代吉の兄とはそれは又何ういう訳」
奧「フムそれは………まだ/\/\………あッあ斯《か》く成り行《ゆ》くは皆《みん》な不孝の罰《ばち》である……手前《てまい》二十四歳の折に放蕩無頼で、元の会津の屋敷を出る折に、父が呆れて勘当を致す時に一首の歌を書いて、その短冊を此の久次郎に渡された………それより青森へ参って、北海道へ渡って、暫く函館地方に居ったが、時治まって横浜に出て参って只今では聊か活計の道を立て……これから僕も世に出ようという心得であった……先達《さきだっ》て五六|度《たび》呼んだ美代吉が、何となく温順《おとな》しやかな身柄の宜しい者である、武士の娘と云う事を聞いたが、時世《ときよ》とて芸者の勤め、皆な斯様に成り果てた者も多かろうと存じて………手前《てまえ》妹と知らず、贔屓にして五六度呼びました………すると美代吉はあなた様と深く云い交してある事を他《た》の芸者から聞きましたゆえ、何うぞして配《あ》わして遣りたいと、今日美代吉の宅《たく》へ参ってふと見たる屏風の貼交《はりま》ぜ、その短冊を見れば、父が勘当の折に書いてくれました自筆の……歌でございます……その短冊から段々問い合せますると、松山久馬の娘である、父も兄も相果て、母が病中斯様な処に這入って芸者を致すとの物語を聞き、あゝ己は不孝で、二十四歳の折家出をして、両親《ふたおや》に聊かも報恩《おんがえし》を致さんで、年はもいかぬ女の身で斯様の処へ這入って芸者を致して居《い》るか、如何にも不便《ふびん》な事であると存じました故に、何うぞ美代吉を身請致して別家を為し、松山の名跡《みょうせき》を立てさせたい、殊《こと》には貴方様と何うか御相談の上で、不束《ふつゝか》な妹では有るが、女房《にょうぼ》に持って貰いたいと存じて、今日《こんにち》身請を致し、明後日《みょうごにち》は貴方様をお招き申して、何うぞ妹の身の上をも善《よ》きに願おうと心得て居ったところが、貴方様がお出でになっても、有松屋の婆《ばゝあ》が居《お》るから何一つ御相談も出来無い、貴方が思い違いを致して御腹立《ごふくりゅう》でお帰りの時も、私《わし》は心配して居ったが、まさか手前に、はアッはア………斯様な荒々しい事をなさろうとは思わなかった………併《しか》しそれ程までに妹を思召《おぼしめ》して下さる御心底《ごしんてい》はアッはア……誠に忝《かたじ》けない、手前《てまい》此処《こゝ》に金円《きんえん》を所持して居《お》る……此の五百円の金を差上げるから、わが亡《な》い後《あと》に妹をお身請なされて、他《ほか》に親戚《みより》兄弟も無い奴と何うかお見捨て無くはアッはア……末々まで女房に持って遣って下さるように願いたい、こゝに金《きん》が有るからお渡し申す……エお分りに成りましたか」
 聞く事ごとに庄三郎、
庄「はあア左様な事で有ったか」
 と。只茫然といたして、どっどと降る中にべた/\/\と坐った。
庄「左様とは心得ませんで……どうも誠に失敬(失敬たって殺しちまっては間に合いませんねえ)何うかお助かりは……」
奧「えいや助からん」
 と苦しい中で懐から金《かね》を取り出し、
新「……五百円、それに此の金側《きんがわ》の時計も別して記《しるし》のある訳でない、お持料《もちりょう》になされて下さい、他《ほか》の物は記が有りますから………此処にあなた様が居ると、もし夜廻りの者が参っては相成りませんから、お早く往って、何うぞ早く往って下さい……急にお身請になると感付かれると成りません、一二ケ月経ってからでございますぜ、お早く/\」
 早く/\という声も最う息も急《せわ》しゅうなりまする様子。此の頃は巡査という役もございませんけれども折々は邏卒という者が廻りました時分で、雨は降りますけれども妻恋坂下、何う成るか此方《こちら》も怖いのに心急《こゝろせ》くから、其の儘に藤川庄三郎は、五百円と時計と持って御成街道《おなりかいどう》の方《かた》に参りますと、見送った新助は血《のり》に染ったなりひょろ/\出て、向うの中坂下《なかざかした》について、あの細い横町《よこちょう》の方《ほう》に参り、庄三郎に突かれたなり右の手を持ち添えて、左から一文字にぐうッと掛けて切った、此方《こっち》(左)の疵口《きずぐち》から逆に右の方へ一つ掻切《かっき》って置いて、気丈な新助、咽喉《のど》を一つぷつうりと突いて倒れました。左様なことは些《ちっ》とも知りませんのは奧州屋新助の女房、昨夜《ゆうべ》は新助が帰らんと云うので、
女「旦那さまがお帰りが無いから、早くお前店を開けて、万事気を附けておくれ」
 福松《ふくまつ》という店を預かっている若者が指図をして、店の飾り附をして居ると、門口へ来ました男は穢《きた》ないとも穢なく無いとも、ぼろ/\とした汚れ切った毛布《けっとう》を巻き附けて、紋羽《もんぱ》の綿頭巾を被って、千草《ちくさ》の汚れた半股引を穿《は》き、泥足|草鞋穿《わらじばき》の儘|洋物屋《とうぶつや》の上《あが》り端《はな》に来て、
男「御免を蒙《こう》むる」
福「今|其処《そこ》へ来ちゃアいけない…来ちゃアいけない……今店を出す処だに、何だい」
男「何だって人間だい」
福「冗談云うねえ、今店を明けたばかりの処で其処へ突立《つッた》って邪魔して居ちゃアいかん、何だア銭貰い」
男「失敬極まる事をいうな……これ銭貰いとは何だ……さ当家の家内に逢いたいんだから是れへ呼んでくんな……おふみを是れへ呼べ」
福「何うもこれは何だろう……お前は一体|何処《どこ》のものだい」
男「何処も何もあるものか、人力車夫の徳藏《とくぞう》という者だと云やア解るから呼んでくれ」
福「呆れて物が云われない、何だって車夫《くるまや》が此処に来てお内儀《かみ》さんに逢いたいてえのは何ういうわけだ……何ういう縁故をもって云うのだ」
徳「縁故の無い処に云うものか、当家のふみと血を分けたお兄《あにい》さまで大西徳藏[#「徳藏」は底本では「徳造」]という者だと云やア分る」
福「はゝあ是れが兄貴のわんちゃん[#「わんちゃん」に傍点]者だ」
 と番頭も分りましたから、
福「今お内儀さんはお加減が悪くて寝《やす》んで居ります………誠にお生憎様《あいにくさま》で」
徳「なにお生憎様てえ事が有るものか、塩梅が悪きゃア奥へ通って逢おう、盥《たらい》へ水を汲んでくれ、足を洗うから」
福「困りますナ何うも、今何うも店の処じゃア困りますからよ、暫くお待ちなすって」
徳「待たなくてよ、逢いに来たんでい」
 というに仕方が無いから、番頭は奥に往《ゆ》きますると、乳児《ちのみご》に乳を含ませて、片手で其処此処片付けて居りました。
福「申しお内儀さんえ」
ふみ「はい」
福「あなたのお兄《あに》いさんで徳藏様が」
ふみ「あゝ又来たかい」
福「へいぼろ/\したお装《なり》で………あなたの前で申上げては済みませんが、実にひどいお服装《みなり》、御酒《ごしゅ》の上の悪いてえことを聞いて居りますが、私《わたくし》は存じませんから、何だかと思って、銭貰いならアノ店を明けたばかりだから、其処へ立っちゃアいけないと云ったら、あべこべに剣突《けんつく》を食《く》って、兄上が妹《いもと》に逢うのだと申しますが、御様子が悪いから……」
富「あの店に置いちゃア困るから、台所で逢うから此方《こっち》へ呼んでおくれ」
福「へい……貴方さまお内儀さんがお目にかゝりますが、足を洗うのも始末が悪うございますから、裏からお這入りなすって……直《すぐ》に其の蝋燭屋の裏をお這入りなさると井戸の前の処が入口でげすから」
徳「いや店から上って悪いという次第もないけれども、併しながら何処から上っても五分だ………大層|代物《しろもの》が店に殖えたな」
福「何うもまことに仕入が間に合いませんで」
徳「なんだア、汝《てまえ》なんどは生利《なまぎき》に西洋物を売買《うりかい》いたすからてえんで、鼻の下に髯《ひげ》なんぞを生《はや》して、大層高慢な顔をして居ても、碌になんにも外国人と応接が出来るという訳じゃアあるめえ」
福「そんな事は兎も角も、お内儀さんがお目に懸るってますからお早く」
徳「あゝうい此家《こちら》ア裏ア何処だ……裏ア」
 ぱたり/\と此方《こちら》の羽目に打突《ぶつ》かり、彼方《あちら》の壁に打突かって蝋燭屋の裏に這入り、井戸端で。
徳「此処か、奧州屋の新助の宅《たく》は此処かな」
ふみ「お芳《よし》や、そこ開けて遣っておくれ……此方《こっち》だよ、此方へお這入りなさい……あらまア穢い服装《なり》でマア、またお出でなすったね」
徳「又だア……其の後《のち》は打絶《うちた》えて……御無音《ごぶいん》に……何時も御壮健おかわりも無く……大西徳藏|大悦《たいえつ》奉る」
ふみ「何だね困りますね、朝からお酒を飲んで、お前さんは始終は身体を仕舞いますよ」
徳「何うせ果は中風《よい/\》だ、はゝゝだが酒が一滴も通らなけりア口の利けねえ徳藏だ、予《かね》てお前も知ってる通りのことだ、前々《まえ/\》勤務《つとめ》をしている時分にも宜しく無いから飲むなてえが、飲まんけりア耐《たま》らん、殊更寒い昨夜《ゆうべ》は雨が降り、斯《か》くの如く尾羽打枯《おはうちから》して梶棒に掴《つか》まって歩るいたって、雨で乗手が少ない、寒くって耐らんから酒を飲むと、自然と車の輪代《はだい》がたまって、身代もまわりかねるような事に成って、はゝゝ如何んとも何うも進退|谷《きわ》まってね、誠に済まんけれど金え拾両ばかり貸してくれ」
ふみ「何を……判然《はっきり》仰しゃい」
徳「金を十両拝借致し度《た》いという訳だ」
ふみ「私の処にお金を借りに来られる訳じゃア有りますまい」
徳「訳が有りア謝って来やしねえ、訳が少し無いように成って来たから止むを得ず只誠に重々恐れ入って、拝借を願うというようなマア訳だね」
ふみ「はアお前さんは私とは縁が切れて居ますよ、最う此方《こっち》へ私の籍を送ってしまえば、奧州屋の者でご
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