下さり、大金を出して引かして下さるので、貴方のような何《なん》じゃ有りませんが、随分中には風《ふう》の悪いお客が、玉《ぎょく》の五つ六つも附けて祝儀の少しも出すとね、上手《うわて》へでも連出して色男振って、ほんとにあなた然うじゃア有りませんか、私も心配した事も有りますよ、明後日からおいでなすった[#「なすった」は底本では「なすた」]処が婆アばかりで面白くも何とも有りませんよ」
と云い放たれ、庄三郎顔の色を変え、
庄「むゝ左様《そう》か…」
と云ったぎり、ぐいと癇癖《かんぺき》に障りました、これが奧州屋新助の大難と相成ります。
三
藤川庄三郎は、あれ程深く云い交して置きながら、身請をされるというに今まで一言の言葉もなく、手紙一本送らんで、無沙汰に身請をされるというは不実な女だと思いますと、そこは旗下の若様だけ腹に据兼《すえか》ね、ぐいと込上げて来ると額《ひたえ》に青筋が二本|許《ばか》り出まして、唇がぶる/\震え出し、顔の色を少し変え、息遣いも荒く、
庄「お母《っか》ア、何も然《そ》んなに云わないでも宜《い》い、余《あん》まり久しく無沙汰になったから訪ねたのだが、お客様が入らっしってお邪魔になったら帰りますよ、何も然んなに薄情な事を云わないでも宜い……美代吉お前《めえ》が身請になる事は少しも知らなかったが恐悦だねえ」
美「あれさ身請たって、まだ今話があったばかりで決りもしないのに、あんな事を云って」
庄「なに宜しい、まことに恐悦だ、洋物屋《とうぶつや》だか乾物屋だか知らねえが、誠に結構だ……何方《どなた》も甚だ失敬」
新「まア宜しいじゃアございませんか、お母《っかあ》の云いようが悪いから誰でも怒《おこ》らア、美代吉|種々《いろ/\》是には話の有る事だから、後で私《わし》から話をするから、お前往ってあの方の機嫌を直して帰すが宜《い》い」
美「はい/\」
とおど/\しながら庄三郎の出かゝる上り口まで参りまして、
美「ちょいと藤川さん」
庄「なぜ出て来た」
美「出て来たって今身請の話が始まったばかりで、何だか訳も解らないのに、あんな事を云って、色でも恋でも有りゃアしませんよ、私《わちき》のお父さんを歌俳諧の交際《つきあい》で知って居るから、身請をして妹分にして、松山の姓を立てさせて遣り度いって今話があったばかりなんですのに、気前《きぜん》を悪くして腹を立ってはいけませんよ」
庄「なに僕は悪い処《とこ》へ来ましたよ、他の芸妓と違ってお前は会津藩でも大禄《たいろく》を取った人の娘だから、よもや己を騙《だま》すような事は有るまいと思ったから、一昨日《おとゝい》母にも親族にも打明《ぶちあ》けたのは僕が過《あや》まりました、お前はよく今まで己を騙したね」
美「騙す訳も何も無いんです、今急に身請の話が出たのですもの」
庄「身請に成るなら本当に手紙の一本位よこしてもいゝんだ、もう親族にまで打明《うちあ》け、此方《こっち》で身請をしようという話がつけば何《ど》の位金を出すか知れんが、手前《てまい》だって親族も有るからそれだけに為《し》ねえことはない」
婆「何だえ、その音は、何うしたんだえ、そんなに機嫌を取るから悪いんだ、機嫌を取りゃア宜《い》い気になって、色男振りやアがって、人の家《うち》の娘を打《ぶ》ったり叩いたりしやアがる、全体おかしな奴だ、他人《ひと》の家へつか/\這入《へい》って、お茶ア飲んで菓子を喰倒しやアがって、ほんとに風の悪い奴だ」
新「師匠美代ちゃんが泣いて居るから見て遣んなよ、お母の云いようも悪い」
三「旦那御心配なさいますな、彼《あれ》じゃアちょいとグーッとちん/\が込上《こみあ》げて来ます、ぽかりとステッキで打《ぶ》ったんでげすが、本当に素敵《すてっき》もないことで」
新「ムン何んだ洒落どこじゃアねえ……美代ちゃん泣いたって仕様がない、こゝへお出で、泣かないでも宜《い》い/\、藤川さんだろう、聴いて知って居るから後で兄《にい》さんが挨拶を……今から兄さんと云うのは可笑しいが、会って話をすれば、屹度藤川さんの心持も解けようから」
婆「なに宜《い》い、あんな者に上手《じょうず》を遣《つか》うからいけねえ……あなた本当に此の娘《こ》はお客の前へ出るとはら/\する性質《たち》でいけません、あんな小悪《こにく》らしいぎす/\した奴は有りません」
新「お母さんの云いようも悪かったよ……お前《めえ》泣いたりしちゃアいけない、ムウ大層降出して来たな、雨の音が聞えるが、こいつア困ったな。浜まで明日《あした》往《い》くにしても、帰らなければ都合が悪いから、人力を一挺|云附《いいつ》けておくれな」
婆「はい……併《しか》しまア宜《よ》いじゃア有りませんか」
新「いや少し頼まれた事も有るので、是非浜へ往って買物を為《し》なければならんから」
婆「然《そ》うでございますか、それじゃアはるや、大急ぎで車を誂《あつら》えなよ、仕立は高いから四つ角へ往って綺麗そうな車を見つけて来な、幌《ほろ》の漏らないようなのを、大急ぎで早く往って来な」
下女「はい/\」
と下女が有松屋と云うぶら提灯を提《さ》げて人力を雇いに往《い》きますと、向うからがた/\帰り車と見えて引いて参るを見付け、
下「ちょいと車屋さん/\」
車夫「へい」
下女「あの神田の美土代町まで幾許《いくら》だえ」
車夫「へい一朱と二百で」
下女「高いよ、そんな事を云ったッて余《あん》まり高いよ」
車夫「高いたって降って来ましたから」
下女「降って来たって、お負けよ、一朱ぐらいに」
車夫「ヘエ何うでも宜うございます」
とフランケットを身体に巻附け、ずぶ濡になっている車夫が、下女の後からびしょ/\附いてまいる所を、藤川庄三郎は丁字風呂《ちょうじぶろ》の蔭に隠れていたは、愚痴な女に男の未練で、腹立紛れに美代吉を打《ぶ》ん殴って出たが、まだ腹が癒えず、何うも身請をされては男の一|分《ぶん》が立たんと、旧《もと》の士族さんの心が出ましたから、小蔭に隠れて様子を立聞くと、奧州屋新助が美土代町へ帰るようだから。
庄「ムウ彼奴《あいつ》が美土代町へ帰るならば宜しいたゞア置くものか」
と煙管筒《きせるづゝ》に合口《あいくち》を仕込んだのを持って居ます。今新助が車に乗る様子を見ていると、表までどろ/\送り出し、
皆々「左様ならば、左様ならば」
婆「何うぞ明後日《あさって》はお待ち申して居りますが、何時頃《なんどきごろ》おいでになりますか」
新「二時頃には来る積りだよ」
婆「是非おいでを……ちゃんと掃除をして置きまして、皆《みんな》子供たちにも話を致して置きます、左様ならば御機嫌宜しゅう……車夫《くるまや》さん気を附けて成りったけ早くお頼み申しますよ」
車夫「早くたって歩くだけにしか歩けません」
婆「人の悪い車夫だよ、ぶら/\歩かれちゃア仕様がない」
車夫「そんなに急がなくっても車が廻るから自然《ひとりで》に往《い》かれるんで」
婆「それじゃア車を引くのじゃアない、車に引かれて往《ゆ》くのだ」
新「そんな野暮なことを云うな……ムーン破けてるひどい前掛だなア、愛敬の無《ね》え車夫だね……車夫さん幌は漏りゃアしないか」
車夫「大丈夫で」
と是から梶棒の先を掴まえて慣れない奴が持上げて、ごろ/\引出したが、何うも思うように走りません。
車夫「はい/\」
幾らか頂戴したら早く引きますと云わぬばかりに故意《わざ》と鈍《のろ》く引出し、天神の中坂下《なかざかした》を突当って、妻恋坂《つまごいざか》を曲って万世橋《よろずばし》から美土代町へ掛る道へ先廻りをして、藤川庄三郎は、妻恋坂下に一万石の建部内匠頭《たてべたくみのかみ》というお大名が有ります、その長家《ながや》の下に待って居ましたが、只今と違ってお巡りさんという御役が有りません、邏卒《らそつ》とか云って時々廻る方《かた》が有った時分で、雨はどっと降出して来ましたから、往来はぱったり止って淋しい秋の雨で、どん/\降る中をのた/\やってまいる所を、待伏《まちぶせ》をして居りました庄三郎が、いきなり飛出して提灯を斬って落す。
車夫「あッ」
と梶棒を放して車夫《くるまや》が前へのめったから、急に車の中から出られません、車夫は逃げようとして足を梶棒に引掛《ひっか》け、建部の溝《みぞ》の中へ転がり落ちる。庄三郎は短刀を振翳《ふりかざ》し、
庄「覚えたか」
と突掛けて来ますると、覗《ねら》い違《たが》わず奧州屋新助の脇腹へ合口を突き通すという一時《いちじ》に手違いになりますお話でございます、一寸《ちょっと》一息継ぎまして後《あと》を申上げましょう。
四
えいさて私《わたくし》は夏休みの中《うち》、相州《そうしゅう》箱根から京阪の方へ廻って、久しゅう筆記を休んで居りましたが、申続きの美代吉庄三郎の身の上、奧州屋新助の事が大分に後《あと》が残って居りますこれは明治四年のお話でございます。明治四五年頃は御案内の通り頓と未だ開けない世の中では有りますが、漸《ようや》くに明治五年に此の散髪《さんぱつ》が流行《はや》りまして、頭を刈る時にも厭がって年を老《と》った人などが「何うか切りたく無い、切るくらいなら、寧《いっ》そぐり/\と剃《そり》こぽって坊主になった方が善《よ》かろう」それを取ッ攫《つか》まえて無理に切るなぞという、実に厭がりましたものであります。ところが只今では切らんければ恥のような訳で、実に昔切り立てには何故いやな彼《あ》んな頭をするか、厭らしい延喜《えんぎ》のわりい、とよく笑いましたものであったが、散髪《ざんぎり》が縁起が悪い頭だか、野郎頭の方が縁起が悪いのかとんと分りませんが、先達《せんだっ》て博識《ものしり》の方に聞いたら、前を剃りましたのは首実検の為に剃ったので、大将へ首実検いたさするに指を髻《もとゞり》に三本入れた時に(右の手にて攫む)斯《こ》う髻を取って大将の前に備える時に死顔《しにがお》が柔かに見える、前が剃って有ると又|髻《たぶさ》を掴《つか》むにも掴み易いと云うので、前髪《まえ》を剃上げて見せたということだから、以前《せん》の頭は余《あんま》り縁起の好《よ》い頭じゃアございません、首実検のための[#「ための」は底本では「ため」]頭だと云います、それから追々剃りまして糸鬢奴《いとびんやっこ》が出来ましたが、清元本多《きよもとほんだ》と申して幇間《たいこもち》やなんかは石垣に蜻蛉《とんぼ》の止ったような頭に結いましたもの、只今では散髪《ざんぎり》に成ったから、風《ふう》の変え様が有りませんが、此方《こちら》(右)に曲《まげ》るとか、或《あるい》は左の方に撫付けたが宜かろう、中央《まんなか》から取って矮鶏《ちゃぼ》の尾《おしり》の様な形《なり》に致して粋《すい》だという、團十郎刈《だんじゅうろうがり》が宜《よ》いとか五分刈《ごぶがり》が彼《あれ》が宜しいと、粋《いき》な様だが團十郎が致したから團十郎刈と云うと、大層名が善《よ》いが、よく/\見れば毬栗《いがぐり》坊主だから悪く云ったら仕方の無いもんだが、あれが流行《はやり》と成ると粋に見えます。今では前の方にばらりッと下《さが》ったのが流行ります、あれはまア乱れて下ったのかと思うと結髪床《かみいどこ》での誂《あつら》えです、西洋床の親方なんぞは最《も》う心得て居りますから、先方《むこう》から、
床「どの位に………」
客「前の方に五十六本」
なんて申したって分りません、仮令《たとえ》長く下げまして、末には目の上にまで被《かぶ》さって、向うが見えないように成って、向うから人が来て、
甲「今日《こんち》は」
乙「へい(髪を両手にて掻上げ右左と顧《かえりみ》る)え、何方《どなた》です」
なんてえ訳で、両方の手で分けて見たり何《なん》かするのは可笑《おか》しゅうございますが、其の頃は散髪《ざんぎり》に成っても洋服を召しても、未だ懐中《ふところ》には煙管筒《きせるづゝ》の様にして、合口の短刀を一本ずつ呑んで居《お》ったもの、されば徳川の禄を食《は》んだ藤川庄三郎、
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