装《なり》に拵え、旧九月四日の事でございましたが、南部《なんぶ》の藍《あい》の万筋《まんすじ》の下へ、琉球《りゅうきゅう》の変り飛白《がすり》の下著《したぎ》、まだ其の頃は余り兵児帯《へこおび》は締めません時分だから、茶献上《ちゃけんじょう》の帯を締め、象牙《ぞうげ》へ四君子の彫《ほ》ってある烟管筒《きせるづつ》が流行《はや》ったもので、烟草入《たばこい》れは黒桟《くろざん》に金の時代の宜《い》い金物を打ち、少し色は赤過ぎるが、珊瑚の六分半もある緒締《おじめ》で、表付ののめりの駒下駄、海虎《らっこ》の耳付の帽子《しゃっぽ》が其の頃流行ったものゆえ、これを冠《かぶ》り上野の広小路を通り掛ると、大茂《だいも》の家《うち》から出て来ましたのは、其の頃|数寄屋町《すきやちょう》にいた清元三八《きよもとさんぱち》という幇間《たいこもち》でございますが、幇間にも種々《いろ/\》有りまして、野幇間《のだいこ》もあれば吉原の大幇間《おおだいこ》もあります、町の幇間《たいこ》でも一寸《ちょっと》品の宜《よ》いのもあれば、がら/\致して、突然《いきなり》人の処《とこ》へ飛込《とびこ》[#ルビの「とびこ」は
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