》わず奧州屋新助の脇腹へ合口を突き通すという一時《いちじ》に手違いになりますお話でございます、一寸《ちょっと》一息継ぎまして後《あと》を申上げましょう。

        四

 えいさて私《わたくし》は夏休みの中《うち》、相州《そうしゅう》箱根から京阪の方へ廻って、久しゅう筆記を休んで居りましたが、申続きの美代吉庄三郎の身の上、奧州屋新助の事が大分に後《あと》が残って居りますこれは明治四年のお話でございます。明治四五年頃は御案内の通り頓と未だ開けない世の中では有りますが、漸《ようや》くに明治五年に此の散髪《さんぱつ》が流行《はや》りまして、頭を刈る時にも厭がって年を老《と》った人などが「何うか切りたく無い、切るくらいなら、寧《いっ》そぐり/\と剃《そり》こぽって坊主になった方が善《よ》かろう」それを取ッ攫《つか》まえて無理に切るなぞという、実に厭がりましたものであります。ところが只今では切らんければ恥のような訳で、実に昔切り立てには何故いやな彼《あ》んな頭をするか、厭らしい延喜《えんぎ》のわりい、とよく笑いましたものであったが、散髪《ざんぎり》が縁起が悪い頭だか、野郎頭の方が縁起が悪
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