して貴様を怨みん、己《おれ》の教えが悪いによって左様な道楽の者に成ったのだ、此の短冊は己《わ》が形見で有るから、是を持って何処《どこ》へでも往《い》けと云って、流石《さすが》の父も涙を含んで私《わし》の手に渡した時に、若気《わかげ》の至りとは云いながら手にだに受けず、机の上に置去りにし、家《うち》を出た此の短冊が何うして茲《こゝ》に有ったかと、余り思い掛ない事だから驚いたが、素知らぬ体《てい》で、
旦「美代ちゃん、屏風に張って有るあの短冊は何処から貰ったのかえ」
美「なに、あれはいけないのですよ、張交《はりまぜ》が足りないから何でも安どんが出せと云いましたから、反古《ほご》の中に皺くちゃになって居たのですが、あれは私《わちき》のお父《とっ》さんが書きましたので」
旦「え…お前《めえ》のお父さんが……何かえお前《まえ》のお父さんは会津様の御家来で、松山久馬《まつやまきゅうま》様と云って七百石取ったお方だろうね」
美「あれまア旦那何うして私《わちき》の親父《おやじ》を御存じなの」
旦「いえなに……わしは若い時分から歌俳諧が好きであったが、風流の道というものは長崎の果《はて》の先生でも、奥州
前へ
次へ
全113ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング