が掛けてありますが、葡萄《ぶどう》に木鼠《きねずみ》の画《え》で何も面白い物がありません、何か有ったら褒めよう/\と思って床の間の前を見た処が古銅《こどう》の置物というわけでもなし、浅草の中見世《なかみせ》で買って来たお多福の人形が飾って有り、唐戸《からど》を開けると、印度物《いんどもの》の観世音《かんのん》の像に青磁の香炉があるというのでなし、摩利支天様の御影《みえい》が掛けて有り、此方《こっち》には金比羅様のお礼お狸さま、招き猫なぞが飾って有るので、何も褒めようが有りませんから、二枚|折《おり》の屏風の張交《はりまぜ》を褒めようと思って見ると、團十郎《だんじゅうろう》の摺物《すりもの》や会の散《ちら》しが張付けて有る中に、たった一枚肉筆の短冊《たんざく》が有りましたから、その歌を見ると「背くとも何か怨みん親として教えざりけんことぞ口惜《くや》しき」という歌が書いて有ったのを見て、奧州屋新助は恟《びっく》り致しましたと云うのは、自分が二十四歳の時に放蕩無頼《ほうとうぶらい》で父も呆れ、勘当をすると云った時に、此の短冊を書いて僕に渡し、汝《おのれ》の様な親に背いた放蕩無頼の奴は無いが決
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