sごしゅ》の馳走は恐入りますな、これは/\千万|辱《かたじ》けのう存じます、さア/\御近習衆、お側で御酒はお碁のお邪魔だ、ちょっとお次で戴くとしましょう、何《いず》れもさア/\」
近「さらばお次で」
蟠「えゝ御前|一寸《ちょっと》御免を蒙《こうむ》ります」
と其の場を外《はず》して次の間へ退《さが》り、胸に企《たく》みある蟠龍軒は、近習の者に連《しき》りと酒を侑《すゝ》めますので、何《いず》れも酩酊《めいてい》して居眠りをして居ります。蟠龍軒も少しくいびきを掻きながら、様子を窺《うかゞ》って居りますと、
瀧「おゝ昼の中《うち》に帰ろうと思いましたら、図《はか》らず夜《よ》に入《い》りまして恐入りました、御前様それはいけませんよ、いゝえ私《わたくし》は其処《そこ》へ打ちましたのではございません、此方《こちら》へ伸びたのでございます、お寄せなすッちゃア御無理ではございませんか、御前様お止《よ》し遊ばせ、手前は碁のお相手に……」
頃合を計って蟠龍軒、
「ウーイ、余り御酒を過したので御前をも憚《はゞか》らず、とろ/\と睡《ねむ》って大きに失礼いたした、おや、お燈火《あかり》が消えましたな、御近習お燈火を」
と御前の座敷へ踏込《ふみこ》み、何やら難題を吹掛《ふっか》けましたので、松平の殿様も弱り果て、
殿「何事も内済《ないさい》に致せ、これ誰《た》そある、金子を遣《つか》わせ」
近「はゝッ」
とまご/\して居ります処へ、後《うしろ》の襖《ふすま》を押開けて、当家の老臣|妻木數馬《つまぎかずま》という者が入《い》り来《きた》りまして、
數「その金子は手前どもが遣わします、御前様にはお奥へ/\、これ御近習衆、御前をお奥へお連れなさい」
近「はゝア」
と殿様のお手を取って奥へ連れ込んでしまいました。老臣數馬は容《かたち》を正し、
數「これ大伴|氏《うじ》、いや先生もう少しお進みなされ、さて先生、この婦人は何《いず》れからお連れなすった、御殿女中なら御宰《ごさい》(下供《したども》)を連れべき筈なるに、男|一人《いちにん》同道するとは如何《いか》にも不審と承わりましたゆえ、御殿へまいり、篤《とく》と様子を取調べました処、左様な女はござらぬという、さア何処《いずこ》の奥からお連れになりました、大伴氏|如何《いかゞ》でござるな」
と問詰められて、流石《さすが》の悪漢《あっかん》も返す言葉なく、
蟠「えゝ/\これはその何《なん》でござる、実は先日|朋友《ほうゆう》がまいりまして、八丁堀辺の侍の娘で、御殿奉公を致して居《お》る者であるが、至って碁|好《ずき》な娘、折があったら御前へととと取持《とりもち》を頼まれまして」
と苦しまぎれの出鱈目《でたらめ》を云って居りまする。
二十
時に妻木數馬は、
數「いやさ、御殿女中とは真赤《まっか》な偽りでござろう、尤《もっと》も衣類|簪《かんざし》の類《るい》は好《よ》う似て居《お》るが、髪の風《ふう》が違いますぞ、これはお旗下か諸役人|衆《しゅ》の女中の結い方、御城中並びに御三家とも少しずつ区別があると申す事|故《ゆえ》、其の道の者に鑑定致させたる処、よく出来ては居《お》るものゝ御殿風ではないという、察するところ、囲碁の心得ある何者かの娘を御殿女中風に仕立て、御前を欺いて金銭を貪《むさぼ》る手段でござろう、さればこそ衣類と髪の不似合な装いをしたのでござらぬか、さりとは不届至極な為され方、さア此の上は両人とも当家を引立《ひった》て、大目附衆《おおめつけしゅう》へ差出さねば成らぬ、其の上当家に越度《おちど》あらば寺社奉行の裁判を受けるでござろう、とは申すものゝ罪人《ざいにん》を作るも本意《ほんい》でない、何も言わずに此の儘お帰りなさるか」
とすっかり図星を指されて何《なん》と言い紛らす術《すべ》もなく、
蟠「ウウッ、ウーム、これは全く、へえ/\何も言わずに此の儘……」
數「然《しか》らば免《ゆる》し遣《つか》わす、併《しか》し大伴氏、今日《きょう》限り当家へお出入は御無用でござるぞ」
と追立《おった》てられまして、蟠龍軒、お瀧の両人は目算がらりと外れ、這々《ほう/\》の体《てい》で其の儘逃帰りました。悪事千里とは好《よ》う申したもの、何時《いつ》しか此の事がお上《かみ》の耳に伝わりまして、お瀧は忽《たちま》ち召捕《めしとり》となり、続いて遠島を申付けられました次第でございますが、如何《いか》にも島人《しまびと》に珍らしき美人でありますから、平林が勝手に引出して、妾にいたして置きました処、前回に申上げた騒動が起って、夫平林は殺されてしまったのでございます。お話変って町奉行石川土佐守は、ある日御用があって御老中松平右京殿のお役宅へまいりました。さて御用済の上右京殿は土佐守に向いまして、
右「いかに御奉行、唐土《もろこし》から種々《いろ/\》の薬種《やくしゅ》が渡来いたして居《お》るが、その薬種を医者が病気の模様に依《よ》って或《あるい》は緩《ゆる》め、或は煮詰めて呑ませるというのも、畢竟《ひっきょう》多くの病人を助ける為で、結句《けっく》御国《みくに》の為じゃの」
土「御意にござります」
右「日本の島々に居《お》る者でも随分用いように依ると、国の為になる者もあろうの」
土佐守は御老中が突然《だしぬけ》の問《とい》に、はて奇妙なお尋ねも有るものかなと暫く考えて居りましたが、もとより奉行でも勤めるくらいのお方でありますから、それと心付きまして、
土「御尤《ごもっと》もにござります、思召《おぼしめ》し通り取計らいましょう」
とお受を致しました。別段申上げませずとも、文治を赦免いたせと云う思召であると云うことは皆様もお察しでございましょう。奉行は役宅へ帰りまして、「三宅島罪人|小頭《こがしら》浪人浪島文治郎儀、流罪人扱い方宜しく且《かつ》又当人島則を厳重に相守り候段、神妙の至りに付、思召を以て流罪赦免致すもの也」という赦免状を認《したゝ》めまして、その赦免状の三宅島に着きましたのは、天明《てんめい》の前年|即《すなわ》ち安永《あんえい》九年初夏の頃でございます。さてまた本所業平橋の文治留守宅におきましては、主人《あるじ》が流罪の身となりましたので、お町は家計を縮め、森松を相手に賃仕事などして、其の日/\を煙を立てゝ居ります。松屋新兵衞を始めとして亥太郎、國藏も文治の恩誼《おんぎ》を思い、日々夜々《にち/\よゝ》稼ぎましては幾許《いくら》かの手助けをして居ります故、お町は存外困りませぬ、或日《あるひ》友之助が尋ねてまいりまして、
友「へえ、お頼み申します、友之助でござります」
森「やア友さん、よく来たなア、大分《だいぶ》暑くなったじゃアねえか、さア上らっしゃい」
友「時に御新造様は御機嫌宜しゅうござりますか」
森「あゝ別に変った事もねえね」
友「それは何より結構、へえ御新造様、おや今日《こんにち》はお土用干《どようぼし》でござりますか、これは皆旦那様のお品々、思い出すも涙の種、御新造様世の中には神も仏もないのでございましょうか…これも旦那様のお品でございますな」
町「それに就《つい》ていろ/\お話があるのでございます、丁度|私《わたくし》が当家へまいって二日目でございますが、亥太郎さんのお父《とっ》さんが歿《なくな》りました、其の時に亥太郎さんが葬式金《とむらいきん》にお困りなすって、これを抵当《かた》に金を貸してくれと申してまいりました、旦那は彼《あ》アいう気象ですから、金は貸すが品物は預からぬと云って、暫く押問答して居りますと、亥太郎さんが何《なん》と云っても肯《き》きませんので、そんなら私《わし》も少し考える事があるから、兎も角も預かって置くと申しまして、その儘預かりました、ところが彼《あ》アいう訳で良人《やど》が島流しになりましたから、何《ど》ういう仔細があって預かったかは知りませぬが、何時《いつ》までも人の物を預かって置くのも不実と思いまして、今日にもお出《い》でがあったらお返し申そうかと思って居《お》るのでございますよ」
友之助は不審の眉《まゆ》を顰《ひそ》めまして、
友「はてな、亥太郎さんが此品《これ》を持っていると云うのは不思議でございますな、この煙草入《たばこいれ》は皮は高麗《こうらい》の青皮《せいひ》、趙雲《ちょううん》の円金物《まるがなもの》、後藤宗乘《ごとうそうじょう》の作、緒締《おじめ》根附《ねつけ》はちぎれて有りませんが、これは不思議な品で、私《わたくし》が銀座の店に居りました時、手掛けた事のある品物でございますぜ」
と噂をすれば影とやら、表の方《かた》から亥太郎がやってまいりました。
二十一
亥太郎は門口に立ちて、
亥「えゝお頼み申します、亥太郎で、滅相《めっそう》お暑くなりました」
と云う声を聞付けまして、
友「これは/\豊島町の棟梁、さアお上《あが》りなさいまし」
森「さア/\棟梁お上んなせえな」
亥「御免よ」
友「いや棟梁、一寸《ちょっと》お聞き申しますが、此の煙草入は貴方《あなた》がお持ちなすっていたのですか」
亥「持ってたと云う訳じゃアありませんが、実はこりゃア桜の馬場の人殺しが持っていた品です、左様さ、御新造が此方《こちら》へ縁付《かたづ》いてから二日目のこと、丁度三年以前の五月三十日の晩ですが、水道町の仕事の帰りに勘定を取って、相変らず一口やった揚句《あげく》の果《はて》、桜の馬場の葭簀張《よしずばり》、明茶屋《あきぢゃや》でうと/\寝入ると、打《ぶ》ちまけるような大夕立にふと気が付いて其処《そこ》らを見ると、枕元でキャッという叫び声、さては人殺しと寝ぼけ眼《まなこ》で曲者の腰の辺《あたり》へ噛《かじ》り付いたが、その曲者も中々|堪《こた》えた奴で、私《わっち》へ一太刀《ひとたち》浴《あび》せやがった、やられたなと思ったが、幸いに仕事の帰りで、左官道具をどっさり麻布《さいみ》の袋に入れて背負《しょ》っていたので、宜《い》い塩梅《あんばい》に切られなかった、振放す機《はずみ》に引断《ひっちぎ》った煙草入、其の儘土手下へ転がり落ちた、こりゃ堪《たま》らぬと草へ掴《つか》まって上《あが》って見たら、何時《いつ》の間にか曲者は跡を晦《くら》ましてしまう。翌日《あくるひ》聞けば殺された奴は盲目《めくら》の侍だそうで、其の時図らず取った煙草入だが、持っていちゃア悪かろうとぐず/\している中《うち》に親父の大病、医者に掛けるにも銭はなし、脊《せ》に腹は代えられねえから、一時の融通に旦那へお預け申しましたが、其の儘になっているのでさア」
町「亥太郎さん、それは確かに五月三十日のことですね」
亥「えゝ、勘定取った帰りがけで」
町「その殺された侍は盲目でございますか」
亥「いかにも」
友「もし棟梁、その煙草入は私《わっち》が銀座の店で蟠龍軒に売った品、御新造の敵《かたき》は確かに蟠龍軒でございますぞ」
お町は恟《びっく》りして、
町「え、父の敵はあの蟠龍軒ッ」
亥「御新造、あなたのお父《とっ》さんの敵が蟠龍軒と知れて見れば、この敵討《かたきうち》をせざアなりませんよ」
友「そうとも/\、此品《これ》こそ何よりの証拠、私《わし》が確かに証人でござります」
と一同歯がみをなして居ります処へ、家守《いえもり》の吉右衞門《きちえもん》が悦ばしそうに駈けてまいりまして、
吉「皆《みん》な悦んで下せえ、今日お奉行所よりのお達しで、旦那様が御赦免になりました、もう直ぐにお帰りでございます」
亥「えッ、旦那が赦免だ、そりゃア有難《ありがて》え」
國藏と森松は気も顛倒《てんどう》して、物をも云わず躍《おど》り上って飛出し、文治の顔を見るより、あッと腰を抜かしてしまいました。
亥「そんな処で腰を抜かしてくれちゃア困るじゃねえか」
と大騒ぎ。近所では火事と間違えて手桶《ておけ》を持って飛出すもあれば鳶口《とびぐち》を担《かつ》いで躍り出すもあると云う一方《ひとかた》ならぬ騒動
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