ナございます。只《と》見ると、文治は痩衰《やせおとろ》えて鬚《ひげ》ぼう/\、葬式《とむらい》の打扮《いでたち》にて、裃《かみしも》こそ着ませぬが、昔に変らぬ黒の紋付、これは流罪中|上《かみ》へお取上げになっていた衣類でございます。お町は嬉しさ余って途方に暮れ、手持無沙汰に狼狽《うろた》えて居りましたが、文治の姿を見るより玄関まで出迎えまして、両手を突き、
町「旦那様、御無事で……」
と云ったきり、後《あと》は口がきけません。文治は落着き払って、
文「これは皆さん、ようこそお出で下さいました、流罪中は万事お心に懸け、よくお世話下さいました、千万|辱《かたじ》けのう存じます、おゝ町か、留守中さぞ苦労しなすったろう、よう達者でいてくれた、文治も皆さんの助力《おちから》と天の助けで、再びお前に逢うとは此の上の喜びはない、さア皆さん奥へお出で下さいまし、ゆるりとお礼を申しましょう、いや皆の衆、予《かね》て覚悟とは申しながら、何《なん》とも彼《か》とも申しようのなき心配をいたしました、いっそあの時死んだら此のような苦労は致すまじきに、皆々様に余計な心配を掛けまして、飛んだことを仕出来《しでか》しましたなア、併《しか》しこれも男の役《やく》か知らんて」
亥「私《わっし》やア嬉しくって/\」
森松も國藏も胸一杯になって嬉し涙を流しては、文治の顔ばかり見詰めて居ります。
喜「頼みます、藤原喜代之助でござる」
森「あッ、藤原様が来た……いや今日《こんにち》は裃で」
喜「お喜びにまいりました、宜しくお取次ぎ下さい」
森「えゝ旦那様、藤原様がお喜びにまいりました」
文「さア何《ど》うぞ是れへお通り下さりませ、宜《よ》うこそおいで下さいました、定めし其許様《そこもとさま》のお執成《とりな》しとは存じますが、何から何まで御配慮下さいまして、千万辱のう存じます」
喜「どう致しまして、此の上の喜びはございません、お町様、こんなお目出度《めでた》い事はござりませんな、お喜び申上げます」
町「はい、有難うございます、あなた様が万事にお執成し、何《なん》ともお礼の申そうようもございませぬ」
とお町は気も軽く、取っときの茶を仕立てゝ親切に扱うて居ります。
二十二
この時亥太郎は、
亥「えゝ旦那、まことに面目《めんぼく》次第もごぜえません、旦那が万年橋から島流しになりやす時、國藏と二三の奴らを頼み合い、飛んだ事をやろうと為《し》やしたところを、お前《めえ》さんに叱り付けられて思い直したお蔭で、旦那を始め私《わっち》らまで今日《きょう》の喜び、実に面目次第もござんせぬ、有難う存じます」
喜「併《しか》しあの時は宜《よ》くお止《とま》り下すった、そのお蔭には此の通り文治殿にも表向きで、お目に懸れるような仕合せになりました」
文治はそれと悟りまして、
文「ハヽア、それじゃア流罪になります時、あの万年橋で、多分そんな事だろうと思って、それとなく叱りましたが、藤原氏何かに付けて穏便《おんびん》なおあつかい、有難う存じます」
亥「えゝ旦那、もっと目出度《めでて》えことが有りやすぜ、おい友さん、此方《こっち》へ来《き》ねえ、あの桜の馬場の人殺し一件よ、あの時取った煙草入を旦那に預けて置きましたが、ありゃア友さんが蟠龍軒に売った品だという、して見りゃア御新造様のお父《とっ》さんを殺した奴は、あの蟠龍軒に相違ござんせぬ」
文「フーウム、友之助、ちょっと此処《こゝ》へ、今棟梁が申した通り、あの煙草入は確かにお前が蟠龍軒に売った品か」
友「えゝ、こりゃア私が仕立てました、高麗青皮の胴乱《どうらん》、金具は趙雲の円形《まるがた》、後藤宗乘の作、確かにも/\外《ほか》に二つとない品でござります、口惜《くや》しい事をしましたな、それと知ったら早くお上《かみ》へ訴えて、敵《かたき》を取ってやるのに、神ならぬ身の知るよすがもなく、皆さんに苦労を掛けたのは口惜しいなア」
森松と國藏は膝を叩いて
「こいつア話が面白くなって来た」
喜「いや文治殿、その蟠龍軒なら少し聞込んだことがござる、拙者|主家《しゅうか》の御領分|越後《えちご》高田《たかた》よりの便《たより》によれば、大伴蟠龍軒|似寄《により》の人物が、御城下に来《きた》りし由、多分越後新潟辺に居《お》るであろうと思われます」
文「さて/\悪運というものは永く続かぬものじゃなア、然《しか》らばお国表の様子を聞合せ、直ぐさま出立いたすでありましょう」
喜「それなら此方《こちら》に伝手《つて》がありますから、早速屋敷へ帰り、お国表を調べた上、お知らせ申す事に致しましょう」
文「それは辱《かたじけ》ない、何分《なにぶん》宜しく」
一同「さア、いよ/\面白くなって来たぞ」
と皆々腕を撫《さす》って居りまする。さて中山道《なかせんどう》高崎より渋川、金井、横堀、塚原、相俣《あいまた》より猿が原の関所を越えて永井の宿《しゅく》、これを俗に三宿《さんしゅく》と申しまして、そろ/\難所《なんじょ》へかゝります。三国峠《みくにとうげ》へ差しかゝりました文治と妻お町の二人連れ、
文「漸《ようよ》うのことで國藏、森松、亥太郎の三人を言い伏せて出立いたしたが、いや藤原は身内のこと、まして侍だが、町人三人の志、実に武士も及ばんなア、さぞ/\後《あと》で怨んでいようが、苟《かりそ》めにも親の仇討《あだうち》に出立する者が、他人の助力を受けたとあっては、後日世間の物笑いになるからな」
町「はい、実にお留守中も貴方《あなた》がおいでの時と少しも変りなく、朝夕まいりまして一方《ひとかた》ならぬお世話をして下さいました」
文「左様かな、併《しか》し今日《こんにち》は霜月《しもつき》の中日《ちゅうにち》、短日《たんじつ》とは云いながらもう薄暗くなったなア」
町「はい、少し雪催《ゆきもよ》おしで曇りました」
文「山中《さんちゅう》は寧《いっ》そ人に逢わぬ方が心安い、眼前に大事を控えた身でなくば、さぞ此の景色も佳《よ》いであろうがな」
町「左様でございます、併し今夜はお寒うございますから、早く泊りへまいり度《た》いものでございます」
文「そう/\三国峠を越えれば浅貝宿《あさがいじゅく》、三里で泊るのは少し早いが、浅貝宿へ泊るとしよう」
と話しながらまいりますと、二人の舁夫《かごや》が、
舁「えゝ、もし/\旦那え、私《わっち》どもは三俣《みつまた》まで帰るものですが、尤《もっと》も駕籠は一挺《いっちょう》しか有りませんが、お寒うござんすから、奥様ばかりお召《めし》になったら如何《いかゞ》でござんす、二居《ふたい》まで二里八丁、いくらでも宜しゅうございます、空荷《からに》で歩くと却《かえ》って寒くて堪《たま》りません、女中衆一人ぐらい何《なん》の空籠《からかご》より楽でござんす、ねえ旦那、乗って下せえな」
文「いや、もう私《わし》は浅貝で泊る積りだ、折角だがいらんよ」
舁「えゝ、旦那え、今日は雪空のようでございますが、此の峠は冬向《ふゆむき》は何時《いつ》でも斯様《こん》な天気でござりやす、三里でお泊りも余りお早うござんす、二居までお供を致しやしょう、えゝ旦那、失礼ですが二百|文《もん》下さいまし、後《あと》の宿《しゅく》で一口やって最早《もう》一文なしでござりやす、えゝ、もう向うへ浅貝が見えます、それから只《たっ》た二里八丁、今までのような山阪《やまさか》ではござりません、えゝ奥様え、お足から血が出ましたね」
と二人の舁夫は煩《うる》さく附纒《つきまと》うて勧めて居ります。
二十三
文治はお町の足から血が出ると聞きまして、
文「町、何《ど》うした、足が冷《ひえ》るから一寸《ちょっと》躓《つまず》いても怪我をする、大分《だいぶ》血が出るな、足袋《たび》を脱いで御覧」
町「いゝえ、少しも痛みはしません、何《なん》の貴方、長い旅に是しきの事で然《そ》う御厄介《ごやっかい》になりましては、思ったことが遂げられませぬ」
文「これ/\舁夫《かごや》、駄賃《だちん》は幾許《いくら》でもやるから浅貝の宿《しゅく》までやって呉れ」
舁「へえ/\、なアに駄賃なんざア一合で宜しゅうござりやす、さア奥様お召しなせえ、駕籠の中でお足を御覧なせえまし、大した疵《きず》じゃアございやせん」
と急いでまいりますと、程なく浅貝宿。
文「御苦労々々もう宿《しゅく》へ来たの、此処《こゝ》で下《おろ》してくれ」
舁「旦那え、余りお早いじゃアありませんか、此の通りの道で只《たっ》た二里八丁、二居宿《ふたいじゅく》まで遣《や》りましょう、それとも日のある中《うち》にお泊りなせえますか、ねえ奥様、如何《いかゞ》で」
町「旦那様、貴方さえ宜しくば私《わたくし》は一宿も先へまいる方が宜しゅうございます」
舁「えゝ旦那え、二三|日《ち》中《うち》に大雪かも知れませんぜ、雪の無《ね》え中に峠を越した方が宜しゅうござんしょう」
文「左様か、二里三里思案したところで足しにもなるまい、舁夫、急いでやるかな」
舁「へえ、有難う存じます、さア此の肩で棒組、確《しっ》かりしろよ」
棒組「よし、どっこいさ、旦那少し急ぎましょう」
文治は二居までに峠はあるまいと思いますと、此の二里八丁の路《みち》は山ばかりで中々登るに骨が折れます。さりとて途中で引返《ひっかえ》すことも出来ず、駕籠に附いてまいります中《うち》に、吹雪が風にまじって顔へ当ります。舁夫は慣れて居りますから、登るに従って却《かえ》って足が早うございます。やがて火打坂《ひうちざか》と申す処へ来かゝりますと、向うから一人《いちにん》の旅人、物をも云わず摺《す》れ違いました。文治は心にも懸けず遣《や》り過しましたが、二三丁まいりますと、一人《いちにん》の旅人が素《す》ッ裸体《ぱだか》で杉の樹《き》に縛《くゝ》り付けられ、身体は凍えて口もきけず、がた/″\震え上って居《お》る体《てい》を見るより、舁夫は、
「やア大変だ、旦那/\」
文治もこれを認めまして、
文「これ/\舁夫、その駕籠は二三|間《げん》先へ置けよ」
舁「成程、女中衆にこんな物を見せては」
と云いながら五六|間《けん》先へ駕籠を下《おろ》しまして、一人《いちにん》が附添い、一人《いちにん》が帰って来まして手を合せ、
舁「旦那様、何《ど》うぞ助けてやって下さいまし」
文「山賊の仕業《しわざ》と見えるな、何しろ恐ろしい奴もあるもんだな、これ舁夫、駕籠は何《ど》うした」
舁[#「舁」は底本では「文」と誤記]「へえ、直《じ》き其処《そこ》へ下しまして棒組|一人《ひとり》を附けて置きました、御安心なせえまし」
文「そうか」
と文治は手早く差添《さしぞえ》を抜き、その縄を切解《きりほど》きまして、
文[#「文」は底本では「舁」と誤記]「おい舁夫、水はないか、そこらに水溜りがあるなら手拭を霑《しめ》して来い」
舁「御覧の通り此処《こゝ》は山の上で、水は少しもありませんが、一体|何《ど》うしたんでしょう」
文「知れた事、追剥《おいはぎ》よ、何《なん》とかして水を見付けてくれんか」
舁「地蔵様の前に水がありますが、凍《こお》り切って居りやす」
文「その氷を持って来い」
文治は懐中より薬を取出し、旅人の口へ入れて氷を含ませ、
文「旅人々々」
と呼ばれて漸《ようや》く気が付きました。
旅「ウ、ウ、ウーム」
文「旅人、気が付いたか、確《しっ》かりしろ」
旅「有難う存じます」
文「定めし山賊の仕業であろうな」
旅「ウヽヽヽウ、おゝ苦しい」
文「金子も衣類も取られたか」
旅「皆取られてしまいました、今しがた二三の山賊が其処《そこ》らに居りました」
文「山中とは申しながら、日中《にっちゅう》旅人の衣類金銭を剥《は》ぐとは恐ろしい奴だなア」
旅「私《わっち》もこんな目に遇《あ》おうとは夢にも思いませんでした」
舁「これ旅人、その追剥は何方《どっち》へ逃げたか知らねえか」
文「い
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