竄ウ舁夫、知れたところが己《おれ》が追掛けて往って捕まえるという訳にも往《ゆ》かぬ、併《しか》し其方《そち》も素ッ裸で、嘸《さぞ》寒かろう、あの舁夫、其方も裸体《はだか》同様だが、今の駕籠の中に少しの包《つゝみ》があるから持って来てくれんか」
舁「私《わっち》も寒さが身に泌《し》みて、動けそうもござりやせん」
文「そうか、それじゃア気の毒だ、そんなら一寸《ちょっと》己が往って来よう」
半丁ばかりまいりましたが、駕籠は何処《どこ》に在《あ》るのか影も形も見えませぬ。
文「お町や、お町」
と呼べども一向|応《こた》えはありませぬ。
文「何処《どこ》へ駕籠を下《おろ》したのか知らん、あの舁夫に聞いたら分るだろう」
と気遣いながら元の処へ引返《ひっかえ》してまいりますと、何《いず》れへ行ったか旅人も舁夫も居りませぬ。
文「さては奴らは山賊の同類か、して遣《や》られるとは浅はかな、汝《おのれ》、この分には棄置かぬぞ」
と又取って返してお町の乗りました駕籠の跡を追掛けてまいりましたが、いくら往《ゆ》きましても姿が見えませぬ。それも其の筈道が違いますので、駕籠は五六間先へ下《おろ》すや否や、待伏《まちぶせ》して居りました一人《いちにん》の盗賊が後棒《あとぼう》を担《かつ》ぎまして、
舁「えゝ御新造さま、旦那様は泥坊を捕《おさ》えると云って後《あと》に残っておいでなさいます、駕籠は二居の宿《しゅく》まで遣《や》って置けと仰しゃいましたぜ、さア棒組、急げ/\、少し雪がやって来たようだぜ」
と頻《しき》りに急いでまいりまする。
二十四
お町は舁夫のいうことが能《よ》く分りませぬから、
町「舁夫さん、旦那様は何《ど》う為されたと云うのです」
舁「あの、樹《き》に縛られて居た旅人の着物や金を取返してやると云って、盗人《ぬすびと》の跡を追掛《おっか》けて行かしった、もう今頃は浅貝あたりへお帰りになりましたろう、旦那の云うにゃア、奥様に斯《こ》んな物を見せちゃア悪いから、一足先へ二居までやってくれろと、こう仰しゃいました」
町「いえ/\、旦那より先へ往《ゆ》くことはなりません、どうぞ後《あと》へ返して下さい」
舁「まア折角旦那が先へやれと仰しゃってたものを、後へ帰ると泥坊が居りますよ」
町「いえ/\何が居ても構いません、後へ/\、何故そう急ぐのです、私はもう飛降りますよ」
舁「やい女郎《めろう》、静かにしろ、もう後へ往《い》くも先へ往くもねえ、此処《こゝ》は道が違わい、二居《ふたい》ヶ嶺《みね》の裏手[#「裏手」は底本では「裹手」と誤記]の方だ、猪《いのしゝ》狼《おおかみ》の外《ほか》人の来る処じゃア無《ね》えや、これから貴様を新潟あたりへばらす[#「ばらす」に傍点]のだぞ」
町「さては汝《なんじ》らは山賊か、無礼いたすな、たとい女であろうとも武士の女房、彼是いたすと棄置かんぞ」
と懐剣の柄《つか》に手を掛けるより早く、「どッこい、然《そ》うは」と後《うしろ》から抱締めました。
町「あいたゝ」
舁「虎藏《とらぞう》、其の手を確《しっか》り押えて居ろ」
と二人掛りでとうとうお町を押え付けました。最前からの山冷《やまびえ》にて手足も凍え、其の儘に打倒《うちたお》れましたが、女の一心、がばと起上り、一喝《いっかつ》叫んでドンと入れました手練《しゅれん》の柔術《やわら》、一人の舁夫はウームと一声《ひとこえ》、倒れる機《はずみ》に其の場を逃出しました。ところが一人の舁夫が追掛《おっか》けて参りますので、お町は女の繊細《かぼそ》き足にて山へ登るは適《かな》いませぬから、転げるように谷へ下《お》りました。続いて後《あと》から追掛けて来ました盗人は、よう/\追付《おっつ》いて、ドンとお町の脊中《せなか》を突きましたから、お町はのめる機《はずみ》に熊の棲《す》んでいる穴の中へ落ちました。穴は雪の為に入口を塞《ふさ》がれて居りますから、表からは見えませぬが、手を突くはずみに、土の盛ってある処を突破《つきやぶ》り、其の儘穴の中へころ/\/\。熊の棲む穴にはいろ/\種類がありまして、また国々によって違いますが、多くは横穴でございます。縦に深く掘ろうと思いましても土を出すことが出来ませぬから、横へ/\と深くなりますので、或《あるい》は天然の穴を利用するのもありますが、これは大きな井戸の如き穴を利用したのでございますから、深さは十四五|間《けん》あります、底にはいろ/\な柔かな物が敷いてありまして、其の上に熊の児《こ》が三四匹居りました。親熊は其の物音に驚き、落ちた女に構わず、一散《いっさん》に飛上って件《くだん》の盗人を噛倒《かみたお》し、尚お驚いて逃出そうとする一賊の後《うしろ》から両手を伸《のば》して噛《かじ》り付き、あわや喰殺し兼まじき見幕《けんまく》、山賊も九死一生《きゅうしいっしょう》の場合ですから、持合しましたお町の短刀、熊を目がけて打付けましたが、短刀は外《そ》れて熊の穴へ落ちました。熊は二人《ににん》の旅人を谷底まで打落しまして、子が気に懸ると見えて、すぐと穴の中へ飛んで帰りました。此方《こなた》のお町は隅《すみ》の方に蹲《うずく》まり、両手を合せて一心に神仏《かみほとけ》を念じて居りますと、何か落ちて手の甲に当りました。何かしらんと取上げて見ますと、自分が所持の懐剣、幸いに柄《つか》の方が手に当りましたので怪我も致しませぬ。お町は胸中に
「こりゃ私が所持の短刀、これを持って熊か猪《しゝ》かは知らぬが殺して出よという、神様のお告《つげ》か知らん、あゝ有難し有難し、いや併《しか》し此の穴の深さは何《ど》のくらいあるか知れぬ、殊《こと》に獣《けもの》も沢山いる様子ではあり、迂濶《うかつ》な真似をして此の身を害《そこな》ってはならぬ、いよ/\一命が危《あやう》いという時にこそ、この短刀を持って突殺してくれよう、それまでは獣の様子を見ましょう」
と短刀を懐中に隠して、隅の方へ小さくなって居りますところへ、熊が飛返ってまいりまして、正面からお町の顔を見て居《お》る其の物凄《ものすご》さ、両眼|烱々《けい/\》として身を射らるゝの思い、普通《なみ》の婦人なら飛掛って突くのでございましょうが、流石《さすが》文治の女房、胆力も据《すわ》って居りますから、じっと堪《こら》えて此方《こなた》も熊を見詰めて居りまする。熊はだん/\近づいて、今度はお町の顔となく手となく嗅ぎ始めました。お町はいよ/\気味が悪くなって突こうかと思いましたが、この時は日の暮方《くれがた》で、穴の様子も確《しか》と分りませんから、じっと辛抱して、いよ/\となったら突いてくれようと身構えて居りまする其の恐ろしさは何《なん》に喩《たと》えようもございませぬ。暫くして熊は後《あと》へ退《さが》り、しず/\と児《こ》の側へ往《ゆ》きましたから、お町も少し心を落着けまして、人に物をいうような静かな声で、
町「これ、そちは私を何《なん》と思うぞ、くれ/″\も猟人《かりゅうど》ではない、また悪人でもないぞよ、山賊のために追掛けられ、過《あやま》って此の穴へ落ちたのじゃ、決して其方《そち》に手出しはせぬ、どうぞ私を助けてくれ、これ熊よ、私は此の通りの扮装《なり》で居《お》るぞよ、夜《よ》が明けたら穴の様子を見て、どうぞして此の穴を出るゆえ、心あらば助けてくれよ」
と両手を合せて頼みました。
二十五
無心の熊もお町の言葉を聞分けしか、児《こ》を抱いたまゝころりと寝た様子でござります。お町は漸《ようや》く安堵《あんど》して、其の夜は神仏《しんぶつ》へ願《がん》掛けて、「八百万《やおよろず》の神々よ、何卒《なにとぞ》夫文治郎に逢《お》うて敵《かたき》を討つまで、此の命を全《まっと》うせしめ給わるように」と瞬《またゝ》きもせず夜《よ》の明くるまで祈って居りました。其の中《うち》に冬の夜《よ》の明方《あけがた》と見え、穴の口より少し日が映《さ》して居りますが、四辺《あたり》はまだ暗がりで未《ま》だ能く見えませぬ、まるで井戸の中へ這入ったようでござります。恐る/\四方を捜《さぐ》って見ましたが、少しも足掛りはなし、如何《いかゞ》せばやと胸騒ぎいたしましたが、余り騒いで熊が目を覚《さま》し、噛付かれてはならぬと思案に暮れて居ります中《うち》に、もう夜《よ》は明けたに相違ござりませんが、何処《どこ》から上ろうという足掛りもございませぬ。
町「あゝ、世に私ほど不幸なものはあらじ、図らずも夫文治が赦免という有難き日に親の敵《かたき》を知り、多年の欝憤《うっぷん》を霽《は》らさばやと夫と共に旅立ちして、敵討《かたきうち》の旅路《たびじ》を渡る山中にて、何《なん》の因果か神罰か、かゝる憂目《うきめ》の身となりしぞ、たとい此の身は何《ど》うなるとも夫に逢わで死すべきか」
と思わず独語《ひとりごと》した其の物音に熊は起上り、暫く四辺《あたり》を見廻して居りましたが、何思いけん、また穴の入口を目がけ、ひらりと飛上りました。
町「いや、熊が私に噛付かぬは神仏のお蔭か、但《たゞ》しは友を呼びに往《ゆ》き、帰って私を殺す気か、いよ/\噛付く様子なら、私が命のあらん限り突いて/\突殺してくれる、それまでは何事も」
と少しも体《たい》を崩さぬよう身構えて居りました。文治は其の夜二居ヶ峰《みね》の谷々まで根《こん》限り尋ねましたが、少しも足が付きませぬ。その筈でございます、雪は益々|降頻《ふりしき》り、いやが上に積りまして、足跡とても見えぬくらい、谷々は只真っ白になって少しも様子が分りませぬ。其の中《うち》に長き夜の白々《しろ/″\》と明渡りまして、身体はがっかり腹は減る、如何《いかゞ》せばやとぼんやり立縮《たちすく》んで居りましたが、思い直して麓《ふもと》の方へ下《くだ》りました。二居ヶ峰の中の峰より二里半、三俣《みつまた》という処まで来ますると、宿《しゅく》はずれに少しばかり家はござりますが、いずれも門《かど》の戸を閉切《たてき》って焚火《たきび》をして居ります様子、文治はその家の前に立ちまして、
文「もし/\、少々お願い申します、私は旅人でござるが、大雪に難儀を致します故、お助けを願います」
と戸を叩きますと、内より一人の老人、
「あゝ旅の衆か、この雪で御難渋なさるとは、そりゃ気の毒だ、さア明きますからお明けなせえ」
文「はい、有難う存じます」
老「やれ/\此のお寒いのに宜《よ》くお一人で峠をお越しなさいましたな、さア/\火の側へ其の儘お出でなせえまし、やア貴方はお武家様でござんすな、これは御無礼、御免下せえましよ」
文「何《ど》うぞお構い下さるな」
と炉端に両手を出したまゝ、暫く口もきけませぬ様子。
文「当家には鉄砲が掛けてあるが、猟人《かりゅうど》ではござらぬか」
老「はい、左様で、忰《せがれ》が只今出掛けましたがな、此の辺では猟人でなくても鉄砲が無くちゃア一夜でも寝られやアしません」
文「何方《どちら》を向いても山ばかり、恐ろしい獣《けもの》でも来ますかな」
老「左様さ、獣も折節《おりふし》来ますが、第一泥坊が多いので困るでがす」
文「はゝア、そんなに盗人《ぬすびと》が来ますかな」
老「併《しか》し私《わたくし》どもには金も衣物《きもの》もないと知って居ますから、金を取りに来やアしませんが、火打坂や二居ヶ峰あたりで、旅人を殺したり追剥をしたりしちゃア此処《こゝ》まで来て、真夜中に泊めてくれと云って時々戸を叩くでがす、さア明けねえと打毀《ぶちこわ》すぞなんて威《おど》しますからな、其の時にゃア此の鉄砲を一発やるだね」
文「はゝア、して見ると此の辺は盗人の往来と見えますな」
老「時々女が担《かつ》がれたり、旅人が裸体《はだか》で逃げて来るでがす」
思わず文治は、
文「さては其奴《そいつ》らにやられたか、えゝ残念」
と聞いて老人、
老「旦那様、お連れの方でもやられましたか」
文「はい婦人を一人」
老「道理で昨夜《ゆうべ》、曲
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