メらしい奴が二三人、往ったり来たりして居やした様子」
文「その人体《にんてい》はどんな者でありました」
老「なアに戸を締めて置きやしたから分りやせんが、また何か仕事をしやがったと思いました」
文「その曲者は何方《どっち》へ往った様子ですか」
老「いやそれは確《しか》と分りやせんが、多分|下手《しもて》の方へ往ったかと思いやした」
文「然《しか》らば長岡か新潟辺かな」
老「先《ま》ず六日町《むいかまち》から十六里、船に乗って長岡か新潟あたりへ持って往《ゆ》きましてな、それから着物は故買屋《けいずや》へ売り、女は女郎町へ売るそうだが、早くお殿様から手を廻して捕まえて下されば宜《よ》いが、時々取逃すので困るでがす」
文「此の辺は矢張《やはり》榊原式部《さかきばらしきぶ》殿の領分でござろうな」
老「いや此の辺はお代官|持《もち》で、公方様《くぼうさま》から沙汰が無《ね》えば手え入れられねえでがす」
文「何《なん》と御無心だが飯はありますまいか、昨夜はまんじりともせず、食事も致さぬ故、如何《いか》にも空腹で堪《たま》らぬが、一飯《いっぱん》助けてくれまいか」
老「へえ、お安いことで有りやすが、飯を炊きかけて居ります、少し有った飯はな、忰が皆猟に持って往ったでな、少しも無《ね》えだ」
二十六
この時文治は、
文「御子息が猟師ならば、此の辺の山道《やまみち》は委《くわ》しく存じて居りましょうな、今から御子息を尋ねて往って、今一度此の辺を捜して見たいが、御子息は何方《どちら》の方へお出でか、分って居りましょうな」
老「さアとても分りやせん、分ったにしたところで、この雪じゃアとても尋ねて往《ゆ》くことは出来ねえだ、雪解《ゆきと》けまで待たざアなりますめえ、幸いお女中が無事で居なさりゃア、此の辺に居る気遣《きづけえ》は無《ね》えね、越後か上州へ連れて往《い》かれたに違《ちげ》えねえだ」
文「成程、それも尤《もっと》も、何《なん》しても腹が減って堪《たま》らない、飯が出来たら一飯《いっぱん》売ってはくれまいか」
老「えゝ旦那様、麦飯ですが宜《よ》うござりやすかね、とても不味《まず》くって喰えるもんじゃア無《ね》えだ、それよりか此の先へ半里《はんみち》ほど往《ゆ》きやすと、三俣という町があって、宿屋もあるし飯もあるべえから、我慢して其処《そこ》まで往《い》きなせえまし」
文「いや大事ない、ひもじい時に不味《まず》い物なし、是非一飯売って貰いたい、大分《だいぶ》身体も暖まって来た」
と御飯の出来るのを待って居りますと、
老「旦那様、お飯《めし》が出来やしたが、菜《さい》は何もありませんぜ、只|玉味噌《たまみそ》の汁と大根のどぶ漬があるばかりだ」
文「何《なん》でも苦しゅうない、そんなら一飯頂かして下さい」
と文治は漸《ようよ》う飢《うえ》を凌《しの》ぎまして、
文「これ/\親父殿《おやじどの》、これは些《いさゝ》かであるが、ほんのお礼の印だ」
老「やア旦那様、こんなに頂いちゃア済まねえな」
文「どうか受納して貰いたい」
老「はい/\恐入ります、有難う存じます」
文治は支度そこ/\猟師の家を立去りまして、三俣へ二里半、八木沢《やぎさわ》の関所、荒戸峠《あらどとうげ》の上下《じょうげ》二十五丁、湯沢《ゆさわ》、関宿《せきじゅく》、塩沢《しおざわ》より二十八丁を経て、六日町へ着《ちゃく》しました。其の間《あいだ》凡《およ》そ九里何丁、道々も手掛りの様子を聞きつゝまいりますこと故、なか/\捗取《はかど》りませぬ。夕景|漸《ようや》く六日町に着しますと、松屋仙次郎《まつやせんじろう》という商人宿がございます、尋ね物をするには斯《こ》ういう宿に若《し》くはないと考えて、宿の表に立ちかゝりますと、
下女「お早うござりやす、お寒うござりやす、只今お湯を上げやす、えゝ内の旦那どん、お客あはアお侍様だが、此間《こねえだ》見たように座敷が無《ね》えとって、グザラ[#「グザラ」に傍点]しっても困りやすのう」
文「いや/\、皆々と同席でも大事ない」
女「はアそうけえ、お湯へ這入《へえ》りますけえ」
文「都合で何《ど》うでも宜《よ》い」
女「さア此処《こけ》えお上んなせえまし、お荷物を持ってめえりやしょう」
文「もう宜い/\……これは皆さん御免下さい、御一同お早いお着きですな」
旅人「これは/\旦那様、さア上座《かみざ》へお坐りなせえ」
文「何《ど》う致して、後《あと》からまいって上座《じょうざ》は恐入る、私は何分《なにぶん》にも此の寒さに耐《こた》えられないから、なるたけ囲炉裏の側へ坐らして貰いたい、今日の寒気《かんき》は又別段ですなア」
旅「旦那様、お一人でごぜえますか」
文「はい、連れがありましたが、途中ではぐれて誠に心配して居ります、もしや貴方《あなた》がたは女を一人お見掛けなさいませんか」
旅「へえ旦那様もお女中|連《づれ》かね、やっぱり女ア連れて逃げてござらしったのけえ」
文「これは怪《け》しからぬ、連れと申すは私の女房でござります」
旅「あゝ左様かね、その女あ泥坊に勾引《かどわか》されて新潟へ売られてしまいましたよ」
文「さては貴方は其の女を御覧になりましたか」
旅「知ってますとも、年の頃二十五六で……」
文「左様々々」
旅「江戸っ子で色の白い、好《い》い女でありやした、だん/\話を聞いたところが、今こそ斯様[#「斯様」は底本では「斯斯」と誤記]《こん》な零落《おちぶ》れているが、昔は侍の娘だと云って大変|溢《こぼ》していやした、余《あんま》り気の毒だから、私《わっちや》ア別に百文気張って来ました」
文「それは何時《いつ》のことですか」
旅「先月十日頃、新潟で遊んだ女です」
文「いや、それは違います、私の申すのは昨日《きのう》のことです」
旅「はゝあ昨日、また其様《そん》な事がありましたかね、何方《どっち》の方へ連れて行って何処《どこ》へ売ったのでしょうか」
文「これはしたり、それが知れぬからお前さんに尋ねるので……」
旅「はア左様けえ」
文「外《ほか》のお客様にお尋ねしますが、此の辺では左様なことが度々《たび/\》あるのでござりましょうか」
乙「どうも此の辺は物騒な処で、冬向《ふゆむき》女連《おんなづれ》や一人旅では歩けませぬ、折々|勾引《かどわか》しや追剥が出ます」
文「成程、その品物や女は何処へ売捌《うりさば》くのですか、御存じありますまいか」
旅「まア重《おも》に新潟へ捌くそうで、何しろ新潟は広いから、一寸《ちょっと》気が付きませんからな」
丙「此の間新潟の者の話に、海賊の大将が沖にいて、その子分達が女や金を奪って持ち運ぶとかいうことで、それで此の頃御領主様から船頭の達者なものと剣術の先生を欲しいと云って、江戸屋敷へ御沙汰になったそうでございます」
文「成程、これから新潟へ往《ゆ》くには船で往く方が便利でしょうな」
旅「はい、これから船で十六里、長岡へ着きまして、それから又船で十五里、信濃川《しなのがわ》を下《くだ》って新潟へ着くのでございます」
文「左様か、それは千万|辱《かたじ》けない」
と翌日《あくるひ》は意を決して新潟へ往《ゆ》く支度をして居ります。御案内でもございましょうが、十六里、十五里とも川舟《かわふね》で、夜に掛って往くのでございます。
二十七
さて文治は漸《ようや》く新潟に着きまして、古手町《ふるてまち》秋田屋清六《あきたやせいろく》方へ泊り、早速主人を呼びまして、
文「御主人|外《ほか》の事ではないが、自分は仔細あって当地の海辺を見物したいと思うが、船の都合は何《ど》ういうものであろうな、それに就《つい》て途中で様子を聞くと、海賊が船中に忍んで居って此の辺を荒すということだが、そんな事もあるものかな」
主「左様さまでしけえ、そんな噂をしやすもんな有りやすが、誰も是だアと云うものを見たもんが無《ね》えすけに、まア分りやしねえ」
文「併《しか》し、そんな噂をいたす者もあるかなア」
主「いえはアえらく有りやす、お上様《かみさま》でもえれい船頭と剣術|遣《つか》いが有らば宜《よ》いと、尋ね居《お》るだてえ話がありやした」
文「噂があれば尚更のこと、海辺見物の船を出して貰いたいが、何《ど》うじゃな」
主「いえ、それが往《い》けやしねえ、二三日沖は荒れ通していやす、まア一降り降りやすか風が変らねえば、とても沖へ出ることはなりやせん」
文「はゝア、然《しか》らば舟子《ふなこ》が出ぬのかな」
主「いくら銭を出しても命にゃア替えられねえと云って、往《い》く者がありやせん、まア二三日|逗留《とうりゅう》なさるが宜《よ》いね、また海でなくともへえ見物場《けんぶつば》アえらく有りやすでえ」
文「そういう訳では何《ど》うも致し方がない、事によると二三日厄介になるかも知れぬ、兎も角も御飯の支度をしてくれんか」
主人はにこ/\笑いながら、
主「へえ御機嫌宜しゅう、こりゃアお客様に飯を上げろえ」
後《うしろ》の襖《ふすま》を開けまして、年の頃四十前後の飛脚体《ひきゃくてい》の者、旅慣れた拵《こしら》えにて、
旅「えゝ御免下せえまし、只今隣で聞いて居りますと、海辺を御見物なさりてえと亭主へお頼みなさりましたが、宿屋てえもなアいやはや狡《ずる》いもんでしてね、三四|日《か》御逗留を願《ねげ》えてえもんだから、あんな事を申しやす、私は此の辺を歩きます旅商人《たびあきんど》で、こゝらの船頭に幾干《いくら》も知った者がありやすから、直《す》ぐに頼んで上げましょう、併《しか》し旦那ア、こりゃア亭主に云わねえ方が宜《よ》うござりやすよ」
文「それは御親切な事で、併し今も亭主から聞きましたが、大分|此辺《こゝら》に盗人《ぬすびと》が居って、婦人などを勾引《かどわか》すとか申しますが、全く左様な事があるのでございましょうか」
旅「専《もっぱ》ら然《そ》ういう評判を致す者があります、併し私は年来|此処《こゝ》らを歩いて居りやして、大抵の事は知って居りやすが、まア新潟には無《ね》えようでございますね、尤《もっと》も海岸は広うござんすから、確《しか》とお請合《うけあい》は出来ませぬが、まア此辺《こゝら》は天領でござんしてな、存外御政治も行届《ゆきとゞ》いて居りやすから、そんな事アありそうもござんせぬ、何《なん》なら舟人《ふなびと》を頼んで上げましょうかね」
文「併し見ず知らずのお前様に、御苦労を掛けるも気の毒でござるな」
旅「なアに直《じ》き其処《そこ》でございます、ちょっくら序《つい》でもありますから、じゃア往ってまいりましょう」
文「それはお気の毒な、宜しくお頼み申します」
出て往《ゆ》く後姿《うしろすがた》を見送って、文治は手を鳴らし、
文「これ/\亭主」
亭「へえ、何御用で」
文「今出て行った客は当家へ折々泊る客か」
亭「よく見掛ける人でござりやす」
文「ふうむ、聞けば旅商人《たびあきんど》ということじゃが、渡世《とせい》は何《なん》だか知っておるか」
亭「左様、どうも能《よ》う分りませんね、旦那何かお頼みなら、まア止すが宜《よ》うござりやす」
文「ふうむ、分らぬか」
亭「へえ、どうも世間じゃア余《あんま》り好《よ》く申しやせんが、お客様ゆえ断る訳にも往《ゆ》きやせんで、お泊め申して置くとは云うものゝ、実は持余《もてあま》して居《お》るんでやす、後《あと》が恐《こお》うござりやすからなア」
文「なに、後が恐い、ふうむ何《なん》だ、恐いというのは」
亭「意趣返しが……はア今に帰るべえに、私《わし》が此処《こゝ》にいたら、又|酷《ひで》え目に逢わねえとも云われやせん、まアお気をお付けなせえまし」
文「はゝア、彼奴《あいつ》は譬《たと》えにいう護摩《ごま》の灰《はい》か、よし/\承知した」
と心の中《うち》に頷《うなず》いて思案して居ります処へ、例の旅商人が帰りまして、何か主人と話を
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