・《こ》れへ/\」
お瀧という妾は恐る/\文治の傍《そば》へ坐りました。
文「お前は何《なん》という名じゃ」
瀧「瀧と申します」
文「今日のことは嘸《さぞ》お前も立腹したであろうが、何事も成行《なりゆき》じゃ、諦めなさい、さて今日の始末は定めてお聞及びであろうが、お前が夫の平林|氏《うじ》が非道の扱いに堪兼《たえかね》て、一同の囚人《めしゅうど》が徒党を組んで既《すで》に屋敷へ押懸けようと云うところを、此の文治が止めたが、つい過《あや》まってお前の夫を殺してしまったのは誠に気の毒の事であった」
一同「なアに、そりゃア己《おい》らが殺したんだ」
文「まア/\静かにしてくれ、さア私《わたし》ゃアお前のためには夫の仇《あだ》、その仇の此の方《ほう》がお前を呼付けて斯様《かよう》なことを申したら定めし心外に思うであろうがな、何事も是までの因縁と諦めて、一時《いちじ》此の場の治まりの付くよう勘忍してくれ、然《しか》し其の子供が成長して私を仇と狙《ねら》うなら、其の時は又快く打たれてやろう、それまでは何事も私《わたし》に任せてくれんか、その内子供が十五歳になって親の後役《あとやく》を継ぎたいという志があるならば、必ず譲るように計らってやろう、それ故お前も昔は音に聞えた悪党、残念では有ろうが善《よ》く/\謹しんで赦免の日を待つが宜《よ》かろう、何《ど》うだ」
瀧「えゝ、お有難う存じます、私《わたくし》は決して貴方《あなた》をお怨《うら》みは致しませぬ、何《ど》うぞお慈悲をお願い申します」
文「よし、そういう了簡なら、お前の身は此の文治が引受けて助けてやる、これ一同、此の後《ご》この婦人に対して少しにても無礼を致すと其の分にゃア棄置かんぞ、さアお瀧殿、平林の屋敷の有金《ありがね》は勿論、衣類其の外《ほか》入用《いりよう》の品は何《なん》なりと持って行きなさい」
もう是までの運命かと半ば諦めて居りますお瀧は、文治の情《なさけ》で一命を取留めた其の上に、只今の情厚き言葉に悪婆《あくば》ながらも感じたものと見えまして、
瀧「お有難うございます」
と泣伏して居ります。罪人どもは、
「旦那、金や衣類を遣《や》るなんて、そりゃア余《あんま》りお慈悲が過ぎらア、せめて其れだけは……」
文「あゝ、そう/\、気の毒ながら米は其の儘文治が受取ります、明日《みょうにち》は後役《あとやく》引受《ひきうけ》の祝いとして、一同の者へ赤飯《せきはん》を振舞ってやるぞ」
いや罪人どもは赤飯と聞いて悦んだの何《なん》の。
一同「へえ/\お有難う存じます、旦那様、寿命が延びます、辱《かたじけ》なく存じます」
文「一同今日は是にて引取りませえ」
とそれ/″\役人へ引渡しました。いやもう囚人《しゅうじん》どもは明日《あす》の赤飯を楽しみに喜び勇んで引取りました。思えば罪のないものでございます。此のお瀧と申します婦人はもと八丁堀の碁打《ごうち》阿部忠五郎という者の娘でございます。是にてお話が一寸《ちょっと》後《あと》へ戻ります。
十八
えゝ、大伴蟠龍軒は丁度秋のことでございますが、自分の屋敷に居りまして、手を拍《う》ち、
蟠「これ/\お瀧か、一寸《ちょっと》お出《い》で」
瀧「はい、何《なん》ぞまた旨い仕事でもありますか」
蟠「いやお瀧今日は御殿女中になって貰わにゃアならん」
瀧「おや、御殿女中とは俄《にわか》の出世だねえ、まア」
蟠「旨くやると今日こそ金になるぞ」
瀧「そりゃア有難いね」
蟠「緑町《みどりちょう》の口入屋の婆《ばゝ》アを頼んで置いたが、髪は奥女中の椎茸髱《しいたけたぼ》に結《ゆ》ってな、模様の着物も金襴《きんらん》の帯も或る屋敷から借りて置いた、これ/\安兵衞、緑町の婆アが来たら是れへ通せ」
安「へえ、婆アは先刻《さっき》から仲の口で独語《ひとりごと》を言ったり居眠りをしたり、欠伸《あくび》の十もした時分で」
蟠「そうか、此処《こちら》へ通せ、おゝ婆アか、久し振《ぶり》だな、何時《いつ》も達者で結構々々、何《ど》うだ近頃は金儲《かねもうけ》でも有るかな」
婆「いゝえ、此の頃じゃア金儲けどころじゃアございません、不景気なせいか田舎から奉公人が皆無《かいむ》出て来ませんし、また口も好《よ》い口がございませんで困り切って居ります、私《わたくし》どもで此の商売を始めてから斯《こ》んな商売の閑《ひま》なことはござんせんねえ」
蟠「時に婆ア、手前《てめえ》は始終屋敷|方《がた》へ奉公人を入れて居《お》るが、大名や旗下《はたもと》へ女を出すにゃア、髪はどんな風に結うかな、定めしそう云う女中の髪ばかり結う者もあろうな」
婆「そうね、只の髪と違って御殿女中の椎茸髱は六《むず》かしいんですよ、幸い此の婆アは年来結いつけて慣れていますから、旗下は斯《こ》う大名は斯うと、まア婆アぐらいに結分《ゆいわけ》るものは有りませんね」
蟠「お前は一体器用だからな、婆ア少しお前に頼みがある、今日はまア緩《ゆっく》り遊んで往《ゆ》くが宜《よ》い」
婆「有難う存じます」
蟠「こりゃア誠に少しばかりで気の毒だが、これで酒の一口も飲んでくれ」
婆「まア、何《ど》うも済みませんね、毎度有難う存じます」
蟠「礼にゃア及ばねえ、頼みというのは外《ほか》じゃねえがな、此女《これ》を今度或る大名へ奉公に出すのだが、余り下方風《しもがたふう》も安ッぽい、手数であろうが御殿風に髪を直してくれまいか」
婆「そんな事なら何《なん》の造作《ぞうさ》も有りませんが、少し道具が入りますから、一寸宅へ帰って持ってまいりましょう、奉公先はお大名ですか、お旗下ですかえ」
蟠「大名よ」
婆「それなら其の様に道具を持ってまいりましょう」
蟠「宅へ帰るのは宜《よ》いが、己の宅で斯《こ》う/\斯様《こう》なんて事を云っちゃア困るぞ」
婆「へゝゝ、そんな入らざる口をきくような婆アじゃアございません、何か外《ほか》に御趣向が……」
蟠「いや別に」
婆「そんなら一寸往って参じます」
蟠「なるたけ急いでな」
と出て往《ゆ》く婆を見送りまして、
蟠「お瀧ッ」
瀧「はい、今日は何《ど》んな狂言をするんですかね」
蟠「これは何処其処《どこそこ》の御殿女中でござると云って、それ彼《あ》の松平の屋敷へ往ってな、殿様の碁の相手をするのよ、己は御近習衆《ごきんじゅしゅ》と隣座敷へ退《さが》って、一杯飲みながら折を見て寝た振《ふり》をして居《お》る、やがて御近習が居眠りを始めたら、己がエヘンと咳払《せきばら》いをするから、それを合図に宜いか、旨くやってくれ」
瀧「だって、そんな事は私には……」
蟠「何《なん》の出来ぬ事があるものか、遣《や》りそこなったら斯《こ》う斯う」
とひそ/\囁《さゝや》いて居ります処へ、
婆「只今往ってまいりました、さアお髪《ぐし》を解きましょう、まア好《い》い恰好に出来ていますねえ、ほんに毀《こわ》すのは勿体ないよ」
瀧「まだお前、昨日《きのう》結うたばかりだもの」
婆「椎茸髱は、何《ど》うしても始めて結う時は、油を沢山《たんと》塗《つ》けないと旨い恰好に出来ませんからね、お心持《こゝろもち》は悪うございますが、我慢して下さいまし、少しお痛うございましょう……さア出来ました、まア/\好《よ》くお似合い申しますよ、全体お人柄でございますから、本当に好く似合いますねえ」
蟠「やア何時《いつ》の間《ま》にか出来上ってしまったな、ウム、旨い、併《しか》し婆ア近所へも極《ごく》内々《ない/\》にしてくれえ」
婆「大丈夫でございますよ、序《つい》でに召物《めしもの》もお着せ申しましょうか」
蟠「宜《よろ》しく頼む」
婆「まアすッぱり出来上りました、左様ならお暇《いとま》申します」
蟠「くれ/″\も内々にしてくれよ」
婆「はい、宜しゅうございますとも、左様なら」
蟠龍軒はお瀧を連れて松平|某《ぼう》の中の口へまいりまして、
蟠「頼む/\」
中小姓「どーれ……これは/\大伴先生」
蟠「お殿様は御在邸でござるかな」
小姓「はい/\丁度|御前様《ごぜんさま》もお屋敷でござります、暫くお控え下さいまし」
暫くして近習《きんじゅ》が出てまいりまして、
近習「これは/\先生、よくおいでになりました、さア何《ど》うぞ此方《こちら》へ、おうこれは/\予《かね》てお話しの御婦人様でござりますか」
蟠「はい、左様にござります」
近「御前様もお待兼《まちかね》でいらせられます、直《す》ぐお通り下さりませ」
蟠「然《しか》らば御免を蒙《こうむ》ります、さア何《ど》うぞお先へ」
近「どう致しまして、先《ま》ず/\先生、お通り下さいますよう」
蟠「これは恐入ります、仰せに従いまして失礼を致します」
と先立って御殿へ上《あが》る其の様子は、如何《いか》にも事慣れたものであります。
十九
このお瀧という女が、先に申上げました阿部忠五郎という碁打の娘で、碁は初段の位《くらい》でございます。諸家《しょけ》へ奉公致して居りました故、なか/\多芸な娘でございますが、阿部の悪心から終《つい》に島流しになるような不運な身になったのでございます。御殿女中というものは苦労のない割合に、身体を動かしますから、大概は栗虫《くりむし》のように太りかえって、其の上着物に八口《やつくち》がありませんから、帯が尻の先へ止ってヒョコ/\して、随分形の悪いものであります。お瀧は其れとは打って変って成程|眉目《みめ》形は美しゅうございますが、丈《せい》恰好から襟元《えりもと》までお尻の詰った細《ほっ》そり姿、一目見ても気味の悪くなるような婦人でございます。
殿「宜《よ》う先生おいでたな」
蟠「これは/\御前様、此方《こなた》は予《かね》て申上げました御殿女中瀧村様でござります」
殿「おゝ左様か」
とにこ/\御機嫌の態《てい》。
蟠「さア瀧村様|此方《こちら》へ、御当家の御前様であらせられます、お近附に」
瀧「はい左様でございますか、始めて拝顔を得まして辱《かたじ》けのう存じます、私《わたくし》は瀧村と申します不束者《ふつゝかもの》、何《ど》うか宜《よろ》しゅう」
という挨拶振《あいさつぶり》の芝居掛りなるに蟠龍軒は笑いを洩らして、
蟠「はゝゝ、奥女中の御挨拶は些《ち》と芝居めきますな、さて御前、お約束のお碁でございますが、私《わたくし》は瀧村殿に二目《にもく》置きますから、丁度御前様とはお相碁《あいご》でございましょう」
殿「いや、それは/\、なか/\強いの」
蟠「何《ど》うも御前、世の中には種々《いろ/\》の気性の方もあったもので、瀧村殿には僅《わずか》に三日や四日のお宿下《やどさが》りに芝居はお嫌い、花見|遊山《ゆさん》などと騒々しいことは大嫌いで、只|緩々《ゆる/\》と変ったお方と碁を打つのが何よりの楽《たのし》みとは、お年若《としわか》に似合わぬ御風流なことでござりますな」
殿「風流を好む女子《おなご》には、時として然《そ》ういう者もあるの」
蟠「時に御前、始めてのお手合せでござりますから、何か勝ちました者に御褒美を出すとしては如何《いかゞ》でございましょう」
殿「それも宜《よ》いの」
蟠「御前が万々《ばん/\》お負けなさる気遣《きづか》いはありますまいが、万一お負けなすったら、えゝ斯《こ》うと……金子《きんす》……金子は些《ち》と失礼なようではございますが、外《ほか》に是れという心付きもござりませんから、矢張金子がお宜しゅうござりましょう、また瀧村殿が負けました時は、金子という訳にもまいりませず、はてな其の外の品々を差上ぐるも失礼、こうと、困りましたな、何か御前また御所望《ごしょもう》もござりましょうから、何《なん》なりお好みにお任せ申すとして、其の辺は取極めぬ方がお宜しゅうござりましょう」
殿様は婦人の珍客ですから余程悦に入《い》って居ります様子。
蟠「何《ど》うも御前様、毎度まいります度《たび》に御酒
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