ト偏《ひとえ》に御勘弁の程を願い上げ奉ります」
平「して只今其の方《ほう》が申したお上よりのお手当とは何事じゃ」
文「はゝア、手前は只今島に着きましたばかり、一向島内の御法は弁《わきま》えませぬが、何か一箇年《いっかねん》に両三度罪人どもへ娑婆飯とか申して米の御飯《ごはん》を下され候由、僅《わず》かの事を楽しみに歳月《としつき》を送ります無気力の囚人ども、お助け下され候わば一同悦ばしく存じます、此の儀|偏《ひと》えにお汲取り下さいますよう」
平「黙れ、それはな、上のお慈悲を以て下さる事ではあるが、本年は囚人どもが平生《へいぜい》の不届少からぬに依って、白飯《しろめし》のお手当がないのじゃ、虫けら同然の其の方どもとは云いながら、人間の皮を被《かぶ》って居《お》るからにゃア少しは考えて見るが宜《よ》い、然《しか》るに上のお慈悲なきは身に罪ある故と知らず、徒党を組んで乱暴いたすとは容赦ならぬ曲者ども、一人《いちにん》も免《ゆる》すことは相成らぬ、皆殺しに致すから左様心得ろ」
文「お言葉に背《そむ》くは恐入りますが、平生不届の事がございますれば、それ/″\御処分|方《かた》もございましょう、お手当を減ずるというは如何《いかゞ》かと存じます、お慈悲を以てお改め下さいますようくれ/″\も願い奉ります」
平「うるさい、いや、貴様も同類だな、者ども縛り上げえ」
文「かくの通りお役人様方|抜刀《ぬきみ》の下《もと》に居りますこと故、縛られて居《お》るも同様、此の上お縄を頂戴いたしますとも決して厭《いと》いは致しませぬが、何卒《なにとぞ》右の願いお聞済《きゝずみ》の上にて……」
平「成らぬ、それ打て」
下役「はっ」
と抜刀《ぬきみ》を鞘《さや》に納め、樫棒《かしぼう》を持ちまして文治の脊中《せなか》を二つ三《み》つ打ちましたが、文治は少しも動く気色《けしき》もなく、両手を支《つ》いたまゝ暫く考えて居りました。何思いけん不図《ふと》起き上りまして、又打ち来《きた》る利腕《きゝうで》をピタリと押え付け、
文「無法なことを為《な》さいますな」
役「あいたゝゝ、あいたゝ」
見るより平林は烈火の如く憤《いきどお》り、
「それ、その悪党を切ってしまえ」
役「畏《かしこ》まって候」
と抜刀《ぬきみ》の両人、文治の後《うしろ》より鋭く切掛けました。其の時早く文治は前に押えた腕を捩上《ねじあ》げ、同役|二人《ににん》が振下《ふりおろ》す刀の下へ突付けました。はっと思って二人《ににん》が退《さが》る途端に身を交《かわ》して空《くう》を打たせ、素早く掻潜《かいくゞ》って一人《いちにん》の利腕を捩上げ、尚《な》お一人《ひとり》が、「小癪なことを為《し》やがる」と横合《よこあい》より打込み来る其の間《ま》に、以前に捩上げたる下役の腕を反《かえ》して前へ突放したから耐《たま》りませぬ、同役同志|鉢合《はちあわ》せをして二人《ににん》ともに打倒れました。残りし一人《ひとり》が又々|抜刀《ぬきみ》を取直し、「無礼なやつ」と打掛る下を潜って一当《ひとあ》て当てますと、脂《やに》を甞《な》めた蛇のように身体を反らせてしまいました。此奴《こいつ》容易ならぬ曲者なりと、平林は手早くも玄関の長押《なげし》に懸けてありました鉄砲へ火縄《ひなわ》を挟《はさ》み、文治へ筒口を向けましたから、文治は取って押えた両人を玉除《たまよけ》に翳《かざ》し、
文「さア打つなら打って見ろ」
と袖下に忍んで様子を窺《うかゞ》って居りまする。流石《さすが》の平林も如何《いかん》とも詮方《せんかた》なく、踵《きびす》を反《かえ》して奥の方へ逃込みました。何をするか知らぬと思う間もなく、三日半も干乾《ひぼし》にして庭樹《にわき》の枝に縛り付けてあった囚人《しゅうじん》目がけてズドンと一発放つや否や、キャッという叫び声。最早これまでなりと文治は飛鳥の如く飛上り、平林が振上げて居ります鉄砲の手元へ潜り付き、一当て急所へ当てゝ倒れるを見向きもせず、吊し上げたる三人の縄を解き、疵《きず》を検《あらた》めて見ますると、弾丸《たま》は外《そ》れたものと見えて身体に疵はありませぬ、尤《もっと》も鉄砲の音に胆《きも》を消したものと見えて、三人とも気絶して居りまする。
十六
樹《き》の枝に縛り付けられて居ります三人の囚人《めしゅうど》は気絶して居《お》るので、文治は冷水《れいすい》を吹掛けて介抱して居りますると、後《うしろ》の方に当ってわア/\という騒がしい声、振向きますと、表に待たして置いた罪人の内七八人の逸雄《はやりお》が踏込《ふんご》んでまいりまして、最早《もはや》平林を刺殺《さしころ》してしまいました。文治は恟《びっく》りして、
文「えゝこれ何事じゃ、役人を殺すくらいなら今まで苦労は致さぬぞ、最早これまでなり」
と身支度して切腹の様子でございます。
一同「旦那、何を為《な》せえます、あなたは何も知らねえ事、素々《もと/\》こちとらが始めた仕事です、仮令《たとえ》何《ど》の様な事が有ろうとも決して旦那に御迷惑は掛けません、さア斯《こ》うなるからは仕方がねえや、遣《や》る所まで遣付《やっつ》けろ」
文「此の上尚お徒党を組んで乱暴な振舞をしては上《かみ》の御法に対して済むまいぞ、先《ま》ず一同控えろ」
一同「何《なん》の、何《ど》うせ晩《おそ》かれ早かれ命の無《ね》え身体だ、それ遣付けろ」
文「まア/\暫く」
と制して居ります処へ、江戸より送りの役人を始め地役人《じやくにん》一同表の方へ駈付けてまいりました。切腹と覚悟したる文治は、諸役人の姿を見るより門外に飛出し、後《あと》に続く罪人一同を制しながら、ピタリと両手を支《つか》えて、
文「え、恐れながら文治申上げ奉ります、只今不法の振舞、皆|私《わたくし》が仕業《しわざ》でござります、御吟味の上お仕置を願います」
時に江戸役人は、
「其の方共一同静かにいたせ、文治とやら、只今不法の振舞は其方《そち》一人《いちにん》であると申すか」
文「御意にござります」
役「然《しか》らば其の方を召連れ吟味致さねばならぬ、一同の者、文治の吟味中、謹んで居《お》ろうぞ、立ちませえ」
と文治|一人《いちにん》を連れて役所へまいりますと、続いて地役人一同も引上げました。これは江戸役人の頓智《とんち》で、死物狂いの囚人を残らず召捕《めしと》ろうと致しますと、どんな騒動を仕出来《しでか》すかも知れませぬ故、一時其の場を治めるために態《わざ》と文治|一人《いちにん》を引立てたのでございます。さて江戸役人島役人立会いにて、文治を白洲へ引出し、吟味いたしますと、全く平林が非道の扱いに堪《た》え兼て、囚人一同徒党を組んで暴れ出したという事が分りました。そればかりではございませぬ、平林という奴は誠に横着《おうちゃく》な奴で、平生罪人の内女の眉目《みめ》好《よ》き者がありますと、役柄をも憚《はゞか》らず妾《しょう》にするという、現に只今でも一人《ひとり》囲い者にして男児を設けたということでございます。それに引換えて文治の罪状|送書《おくりがき》を見ますと、下《しも》のような裏書《うらがき》があります。
「右の者|思召有之候《おぼしめしこれありそうろう》に付、遠島中軽々しく取扱い申すまじく候事、町奉行公用人某印」
としてあります。さア其の頃の事でございますから、町奉行公用人の裏書は中々幅の利いたものでございます。一同顔を見合せましたまゝ別に評議もいたしませぬが、以心伝心で文治に十分の利を持たせ、結句平林は自業自得、殺され損ということに落着《らくちゃく》いたしました。尚《な》お別席に於て諸役人一同評議の上、文治を呼び出して、「今日《こんにち》より右平林の後役《あとやく》は其の方に申付けるによって役宅に住《すま》い、不都合なきよう島内|囚人《しゅうじん》の取締を致せ、下役人一同左様心得ませえ」との有難き言渡しでございます。文治は恐入って両三度辞退いたしましたが、お聞済《きゝずみ》がございませぬから、余儀なくお請け致しました。文治は上々の首尾にて白洲を引取り、何《ど》うなる事かと心配して居りました徒党の囚人《めしゅうど》一同に向いまして、
文「各々方《おの/\がた》お悦び下さい、拙者は軽くって切腹、重くって縛り首と覚悟してお白洲へまいりしところ、上《かみ》のお慈悲を以て罪をお免《ゆる》し下されたのみか、勿体なくも平林殿の後役を不肖《ふしょう》文治に仰付《おおせつ》けられました、一同左様心得ませえ」
一同夢かとばかり暫《しば》し呆気《あっけ》に取られて居りましたが、
一同「え旦那、貴方《あなた》へお取締役を申付けたのでござんすかえ」
文「如何《いか》にも」
一同「それじゃア嬉しいなア、流石《さすが》にお役人様にゃア眼が有らア、時に私《わっち》どもが徒党の罪は何《ど》うなったのでござんすか」
文「そち達は好んで徒党いたした訳でない、平林の非道に堪《た》え兼て起った事ゆえ、今度に限り其の罪を宥《ゆる》すとの事じゃ」
と聞くより一同|雀躍《こおどり》して、
「えっ無罪、え、も勿体《もってえ》ねえ、旦那様お有難う存じます、天道様《てんとうさま》は正直だなア」
と一同手を合せ大声を上げて泣出しました。文治も共に涙に暮れて居りましたが、稍《やゝ》あって声を和《やわ》らげ、
文「えゝ各々少し文治がお前達にお頼みがあるが、快く聞済《きゝす》んでくれるか」
一同「そりゃア旦那様、何事かは存じませんが、私《わっち》どもの命を助けて下すった恩人の仰しゃること、何事によらず承わりましょう」
と一同静まり返って居ります。
十七
文「うむ、聞済んでくれるか、頼みと云うは外《ほか》ではない、只今御吟味中に一寸《ちょっと》小耳に挟《はさ》んだ事だが、先役人《せんやくにん》の妾《めかけ》に子供が有るそうじゃな」
と云いかけますと、三四人の荒くれ男が思い出したように立上り、面相変えて駈出しました。
文「これ/\待てっ」
三人「何《なん》ですか」
文「何《なん》だじゃない、仮令《たとい》夫は非道な扱いをしたにもしろ、女子供に罪はない、その婦人と子供に少しでも手を出す者は棄置かぬぞ、夫が殺されて見れば嘸《さぞ》その女子供が難儀するであろう、義として助けなければ成らんから、拙者を其の妾の宅へ案内してくれぬか」
一同「えっ、旦那、あんな奴を助けるのですか、私《わっち》やア面《つら》を見るのも小憎らしい」
文「いや、坊主が憎けりゃ袈裟《けさ》までというのは人情だが、そこが文治が一同への頼みじゃ、何《ど》うか気を鎮めて聞済んでくれ」
×「然《しか》し旦那、彼女《あいつ》め以前江戸にいる時分にゃア、同じ悪党仲間で随分助け合ったものですが、此の島へ来て平林の妾になってからは、一緒になって非道なことを為《し》やがって、義理も人情も知らねえ悪婆《あくば》でござんすぜ、何《ど》うで生かして置いたからって為になる奴じゃアありやせん、寧《いっ》そ今から往って是までの意趣返《いしげえ》しに……」
一同「そうとも/\遣付《やっつ》けろ」
文「それをする位なら、こうして一同へ手を下げて頼みはせぬ、まア己に任してくれえ」
×「旦那の仰しゃる事だから一言《いちごん》でも背《そむ》きたかア無《ね》えが、本当に彼奴《あいつ》ア憎らしいからなア」
文「それだから頼むのじゃ、何《ど》うぞ其の宅へ案内してくれ」
×「別段案内にゃア及びますめえ、先刻《さっき》二三人廻して縛《くゝ》って……」
文「何《なん》だ、縛《くゝ》り上げて置いた、無法なことをするなア、そんなら仕方がない、兎も角|此処《こゝ》へ連れて来てくれぬか」
暫く経ちますると、「助けて/\、何《ど》うかお慈悲を/\」と叫び狂う婦人を連れてまいりました。数多《あまた》の罪人が揃《そろ》って居りますのを見て、その婦人は色を失って居ります。文治は遠くより声をかけまして、
文「これ/\手荒いことをするな、
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