予ての約束通り百両の金の抵当《かた》に一時女房お村を預けて置きました、それから漸《ようや》く百両の金を算段して持参いたし、女房と証文を返してくれと申入れました処、その証文|面《めん》の百という字の上に三の字を加筆いたし、いや百両ではない、三百両だ、もう二百両持って来なければ女房を返す訳には行《ゆ》かぬと云って、只百両の金を捲上《まきあ》げてしまいました、余りの事に友之助が騙《かた》りめ泥坊めと大声を放って罵《のゝし》りますと、門弟どもが一同取ってかゝり、友之助を捕縛《ほばく》して表へ引出し、さん/″\打擲《ちょうちゃく》した揚句《あげく》の果《はて》、割下水の大溝《おおどぶ》へ打込《うちこ》み、木刀を以《も》って打つやら突くやら無慙至極《むざんしごく》な扱い、その折柄《おりから》何十人という多くの人立でございましたが、只気の毒だ、可愛相だというばかりで、もとより蟠龍軒の悪人なことは界隈《かいわい》で誰《たれ》知らぬ者もございませぬ故、係り合って後難《こうなん》を招いてはと皆|逡巡《しりごみ》して誰《たれ》一人《いちにん》止める者もございませぬ、ところへ丁度|私《わたくし》が通りかゝりましたから、直ぐさま飛懸って止めようかとは存じましたが。予て左様な処へ口出しは一切いたしませぬと誓いました母と同道のこと故、急立《せきた》つ胸を押鎮《おししず》め、急ぎ宅へ帰って宅の者を見届に遣《つか》わしましたる所、以前に弥《いや》増す友之助の大難、最早|棄置《すてお》き難しと心得、早速蟠龍軒の屋敷へ駈付け、只管《ひたすら》詫入り、せめて金だけ返してやってくれと申入れましたる所、私に対して聞くに忍びぬ悪口雑言《あっこうぞうごん》、其の上門弟ども一同寄って群《たか》って手当り次第に打擲いたし、今でも此の通り痕《あと》がございますが、眉間《みけん》に打疵《うちきず》を受けました、其の時私は蟠龍軒を始め一同の者を打果《うちはた》そうかとは思いましたが、予て母の意見もあります事ゆえ、無念を忍んで其の儘帰宅いたしました、然《しか》る処母が私の眉間の疵を見まして、日頃|其方《そち》の身体は母の身体同様に思えと、二の腕に母という字を入墨《いれずみ》して、あれ程戒めたのに、何故《なぜ》眉間に疵を負うて来たかと問詰められて一言《いちごん》の申訳もございませぬ、母の身体同様の此の身に疵を付けては第一母に対して申訳なく、二つには彼《あ》のような悪漢を生け置く時は、此の後《のち》どのようなる悪事を仕出来《しでか》すかも知れぬ、さぞ町人方が難渋するであろうと思いますと、矢も楯《たて》も堪《たま》らず、彼等の命を絶って世間の難儀を救うに若《し》かずと決心いたし、去《さん》ぬる十五日の夜《よ》、御法度《ごはっと》をも顧《かえりみ》ず、蟠龍軒の屋敷へ踏込《ふんご》み、数人の者を殺害《せつがい》いたし候段重々恐入り奉ります」
 奉「蟠龍軒が悪人ならば上《かみ》に於て成敗いたす、悪人だから切殺したと申すは言訳にはならぬぞ」
 文「恐入ります、言訳にならぬは承知の上、如何様《いかよう》とも御処分を願います」
 奉「其の夜《よ》如何《いかゞ》致して忍び込み、如何《いか》にして殺害いたしたか、詳しゅう申立てえ」
 文「其の夜の丑刻《こゝのつ》頃庭口の塀《へい》に飛上《とびあが》り、内庭の様子を窺《うかゞ》いますると、夏の夜とてまだ寝もやらず、庭の縁台には村と婆《ばゞ》の両人、縁側には舎弟の蟠作と安兵衞の両人、蚊遣《かやり》の下《もと》に碁を打って居りました、よって私は突然《いきなり》女ども両人を切らば、二人の奴らが逃げるであろうと斯《こ》う思いまして、心中《しんちゅう》手順を定《さだ》め、塀より下り立ち、先ず庭に涼んで居りました村と婆を後《うしろ》へ引倒し、逃げられぬように手早く二人の足に一刀を切付け、それから縁側の両人を目がけて其の場に切伏せ、当の敵たる蟠龍軒は何処《いずく》にありやと間毎《まごと》々々を尋ねますと、目指す敵《かたき》の蟠龍軒は生憎《あいにく》不在と承知いたし、無念|遣《や》る方《かた》なく手向う門人二三を打懲《うちこ》らし、庭に残して置きました村と婆を切殺して其の儘帰宅致しました、このお村という奴は顔に似合わぬ毒婦にて、二世《にせ》を契った夫友之助を振捨てゝ、蟠龍軒と情《じょう》を通じて、友之助を亡《な》き者にせんと企《たく》みたる女でございます、いつぞや私を取って押え、痰《たん》まで吐きかけた恩知らず、私の遺恨とは申しながら、今に残念に思うて居ります」
 と、一点の澱《よど》みもなく滔々《とう/\》と申立てました。

  十

 時に石川土佐守殿、
 「其の方の心底《しんてい》はよう相分ったが、左様の義侠心を持ちながら何故其の場を逃退《にげの》きしぞ」
 文「恐れながら申上げます、逃げたとはお情ないお言葉でござります、たとい敵《かたき》の片割《かたわれ》数人を切殺すとも、目指す敵の蟠龍軒を討洩らし、其の儘相果て申すも残念至極でござります故、瓦をめくり草の根を分けても彼を尋ね出《いだ》し、遺恨を霽《はら》した其の上にて潔《いさぎよ》く切腹いたそうか、斯《か》くては卑怯《ひきょう》と云われようか、寧《いっ》そ此の場で切腹いたそうかと思案にくれて居りますところへ、何処《どこ》で聞付けましたか下男森松が駈付けまして、母の大病直ぐ帰るようにと急立《せきた》てられて、思わず帰宅|仕《つかまつ》りました、ところが案外の大病、母の看護に心を奪われ、思わず今日《こんにち》まで日を送りましたる次第、心から女々しき仕打を致しました訳ではございませぬ、文治の心底、御推量下さらば有難き次第に存じ奉ります」
 奉「ふうむ、確《しか》と左様か」
 文「恐れながら一言半句《いちごんはんく》たりとも上《かみ》を偽るような文治ではございませぬ、御推察を願います」
 奉「うむ、同心、源太郎を引け」
 同心「はゝっ、業平橋|三右衞門店《さんうえもんたな》源太郎、這入りませえ」
 奉「源太郎、其の方儀、去る十四日御老中松平右京殿御下城の折、手続きも履《ふ》まずお駕籠訴申上げ候段不届であるぞ」
 源「恐入ります、併《しか》し手前は町人の事にて何《なん》の弁《わきま》えもございませぬが、何の罪もない者に重罪を申付くるという御法《ごほう》がございましょうか」
 奉「黙れ今日《こんにち》其の方に尋ぬるは余の儀ではない、友之助が北割下水にて重傷を負い、其の方宅へ持込まれたと云うは何月何日じゃ」
 源「御意にございます、それは六月十四日の夕刻とおぼえて居ります」
 奉「確《しか》と左様か」
 源「はい」
 奉「其の時浪島文治郎は其の方宅へまいったか」
 源「はい、もう其の日の暮方《くれがた》でございましたが、急いで手前の宅へまいりまして、友之助は何処《どこ》に居《お》るかと申しますから、奥に寝たきり正体もございませんと申上げますと、誠に気の毒な事をしたと申しながら奥へまいって、何《ど》ういう訳で今日《こんにち》あのような目に遇《あ》ったか、事の概略《あらまし》は聞いて来たが、一通りお前の口から聞かしてくれと申しまして、あの悪党の蟠龍軒が無慈悲な為され方を聞いて居りました、そう云う訳では聞棄《きゝずて》にならぬ、これから蟠龍軒の処へ往って掛合《かけお》うて来ると申しますから、手前は彼《あ》のような悪人にお構いなさるなと強《た》って止めましたが、日頃の御気象、お肯入《きゝい》れもなく其の儘おいでになりました、其の時は何ういうお掛合をなすったか知りませんが、遇ったら聞こうと思って居りますと、其の翌晩、蟠龍軒の屋敷に四人の人殺しがあったという評判、只今承われば文治様の仕業だと申す事ですが、全く蟠龍軒の屋敷の者を斬殺《ざんさつ》しましたのは、諸人《しょにん》の為でございます、何卒《なにとぞ》お命だけはお助け下さいますよう願い奉ります」
 と文治のあさましき姿を見ては水洟《みずっぱな》を啜《すゝ》って居ります。
 奉「それに相違ないな」
 源「御意にございます」
 奉「文治郎、源太郎、追って呼出すゆえ神妙に控え居《お》ろうぞ」
 同心「立ちませえ」
 是にて吟味落着致しまして、諸役人評定の上、文治儀は死罪一等を減じて、改めて遠島を申付けるという事に決定いたしました。総じて罪人に仕置を申し渡しますのは朝に限ったものですが、尤《もっと》も牢名主へは其の前夜、明日《あす》は誰々が御年貢《ごねんぐ》ということを知らしたものでございます、そうすると牢名主の指図で、甲の者がお召《めし》になります時は、外《ほか》の罪人|二人《ににん》と共に髪を結わせ湯を使わせますから、事実|誰《たれ》がお召出しになるのか分りませぬ。銘々慾がありますから自分ではあるまいと思って居ります。さア其の日の朝になりますと、当人へ今日お年貢という事を申し聞けるや否や、すぐ切縄《きりなわ》と申しまして荒縄で縛って連れて行《ゆ》かれるのでございます。此の時は何様《どん》な悪人でも、是が此の世の見納めかと萎《しお》れ返らぬ者はありませぬ。其の昔罪人は日本橋を中央として、東国《とうごく》の者ならば小塚原《こづかっぱら》へ、西国《さいこく》の者ならば鈴ヶ森でお仕置になりますのが例でございます。で、鈴ヶ森へ往《ゆ》く罪人ならば南無妙法蓮華経《なむみょうほうれんげきょう》、また小塚原へ往く罪人ならば牢内の者が異口同音《いくどうおん》に南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》を唱《とな》えて見送ったそうでございます。さて文治遠島の次第は重役は勿論、右京殿家来藤原喜代之助も其の前日聞知りましたが、当番の都合にて直ぐ様文治の留守宅へ知らせる事が出来ませぬ。漸《ようや》く其の日の夕方文治の宅へまいりまして、
 喜「えゝ頼みます」
 町「はい……おや藤原様でございますか、さア何《ど》うぞお上《あが》り下さいまし、まア暫《しばら》くでございました、何うぞ此方《こちら》へ」
 喜「存外御無沙汰いたしました」
 町「手前の方でも御存じの通り種々《いろ/\》心配がございますので、思いながら御無沙汰いたしました」
 という声も涙声、母には死なれ、頼みに思う夫は揚屋入《あがりやい》り、後《あと》に残るのは其の身一人ですから、思えばお町の身の上は気の毒なものでございます。

  十一

 喜代之助は云い出しにくそうに、
 喜「さて、今日《きょう》参りましたのは、えゝ……いや、どうも誠に御無沙汰いたした、就《つ》きましては……」
 町「もし藤原様、あなたは文治の事でお出《い》で下すったのではございませんか」
 喜「さゝ左様」
 町「さア何《ど》うなりました藤原様え……藤原様、文治が命に別状でもありはしませぬか、ねえ藤原様」
 喜「いえ、お命に別条はござらぬが、只《たゞ》……」
 町「藤原様、何《ど》うぞお早く仰しゃって下さいまし、もし文治が遠島にでも……」
 喜「左様、これが愈々《いよ/\》明日《みょうにち》になりました」
 町「えッ、いよ/\……」
 喜「はい」
 と暫く二人は俯向《うつむ》いたまゝ思案に暮れて居りましたが、やがてお町は心を取直しまして、
 町「藤原様え、明日《みょうにち》は何時頃《いつごろ》出帆《しゅっぱん》いたすのでございましょう、たしか万年橋《まんねんばし》から船が出るとか承わりましたが左様でございますか」
 喜「左様、あなたも嘸《さぞ》御心配なすったでしょうが、明日こそはお目に懸れます、併《しか》し私《わたくし》はお役柄の御近習《ごきんじゅ》ゆえ、役目に対して残念ながらお目に懸ることが出来ませぬ、あなたはお名残《なごり》のためお出でなさいまし、御近所まで私が御案内いたしましょう」
 町「はい、何《ど》うも致し方がございません、一目《ひとめ》……えゝ、もう止しましょうよ」
 喜「そりゃまた何故《なぜ》ですか」
 町「何故って貴方《あなた》、叱られますもの」
 喜「あゝ成程日頃の御気性をよく御存じでございますな、併《しか》し是が一生の……」
 町「左様でございますね、会って話は出来
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