シ平公の御家中藤原|氏《し》を頼み、手続きをもって尋ねましたなら、蟠龍軒の居所《いどこ》の知れぬことも無かろうと思います」
 主「それは/\、何《ど》うかまア此の老爺《おやじ》の生きて居ります中《うち》に、敵《かたき》が討てますれば、もう私《わたくし》は外《ほか》に思い残すことは有りませぬ、何うか一刻もお早く」
 町「他人の貴方様までそう思召して下さるのは誠に有難う存じます」
 ところへ亥太郎がぶらりと遣《や》ってまいりました。文治夫婦を認むるより狂気の如く飛上って、
 亥「やッ旦那、よくお帰りなせんした、御新造嬉しい、私《わっち》ア亥太郎でござんす」
 と互の挨拶も済んで、それから主客数人、久々の逢瀬《おうせ》に語り尽《つき》せぬ其の夜《よ》を明しまして、一日二日と過ぎます内にはや三月の花見時、向島の引ける頃、混雑の人を掻退《かきの》け/\一人の婦人が立花屋へ駈付けてまいりまして、
 女「はい御免下さいまし、此方《こちら》は立花屋の隠居でござりますか」
 主「何方《どなた》でございますえ」
 女「はい私《わたくし》は向島の權三郎方《ごんざぶろうかた》から」
 主「あゝ忰がまいって居りますから其の使《つかい》にでもおいで下さいましたか、それとも忰めが何か馬鹿な事でも致しましたか」
 女「いえ/\私《わたくし》はそんな忌《いや》らしいことで参ったのではありませぬ」
 主「へえ、これは失礼な事を申しました、貴方は年を取っておいでゞもお美くしいから、万一忰が夫婦約束でも致しはせぬかと邪推して失礼を申しました、へえ御免下さいまし、へえ/\何《なん》の御用でござりますか」
 女「ちょっと貴方の息子さんにお聞き申したい事がありまして」
 主「それいよ/\、いえ忰は一寸《ちょっと》」
 女「いゝえ、そんな事ではござりません、此方《こちら》に文治様がおいでなさいましょうか、ちょっとお伺い申します」
 主「一体あなたは何方《どちら》からおいでになりました」
 女「私《わたくし》は当時權三郎方に居ります下女でござりますが、何《なん》と申したら宜《よ》うござりましょうね、あの何《なん》でござんすよ、三宅島からと申して下さいまし」
 主「えッ、島から、さア大変、旦那様ア女嫌いだとばかり思っていたが、島においでなすったらお気が変ったと見えて、飛んだ事をやらかしなさいましたなア」
 女「御老人様、あなたは何を仰しゃるのでございます、私《わたくし》はそんな浮気なことで参ったのじゃア有りません、ちょっとお目に懸って大事な事を」
 主「大事な事とは何事で」
 女「まア取次いで下さいまし」
 主「えゝ旦那様、島から女が来ました」
 文[#「文」は底本では「女」と誤記]「はてな、無人島《むにんとう》から来る訳はないから定めし三宅島でありましょう、何方《どなた》か知らんがお通し下さい」
 女「これは/\旦那様、暫く」
 文「さア此方《こちら》へ、何《ど》うも見覚えはございませんが何方でございましたろう」
 女「はい、お忘れは御尤《ごもっとも》でございます、私《わたくし》は三宅島に居りまして、いろ/\お世話どころではございません、一命をお助け下さいました八丁堀阿部忠五郎の娘お瀧でございます」
 文「やアお瀧さんでしたか、まるで見違いました、赦免の後《のち》は此の辺へまいって居《お》るのですか」
 女「はい、向島の權三郎というお家《うち》に下女奉公を致して居ります、旦那様が島においでの時分、折々お話のございました大伴蟠龍軒」
 文「えッ」
 女「その大伴がまいりました」
 文「えッ、そゝそゝそれは何方《どちら》へ」
 女「花見がてら權三郎方へまいりました」
 文「それは何時《いつ》の事で」
 女「今日のことでございます、此の十四|日《か》に松平様とかのお役人様方をお連れ申すから、八九人前の膳部《ぜんぶ》を整えて置くようにというお頼みでございます」
 文「ウム」
 女「私《わたくし》は他事《ひとごと》とは云いながら、命の恩人の敵《かたき》、すぐに飛びかゝろうかと思いましたが、先は剣術|遣《つか》い、女の痩腕《やせうで》でなまじいな事を仕出来《しでか》して取逃すような事がありましては、御恩を仇《あだ》で返すようなものだと思い直しまして、何《ど》うしようかと案じて居ります矢先、御当家の御子息さんから、近頃私の家《うち》の隠居所に島から帰った侠客《おとこ》がいると聞いたことを思い出しまして、それとなくかま[#「かま」に傍点]を掛けて聞きますと、確かに旦那様のようでございますから、直《す》ぐとは存じましたが、ひょッと途中で蟠龍軒に気取《けど》られるといかぬと思いまして、日の暮々《くれ/″\》に出かけてまいったのでございます」
 という知らせ、情は人の為ならずとは宜《よ》う申したものでございます。

  四十三

 文治はお瀧の注進を聞きまして、飛立つばかり打悦び、
 文「フーム、この十四日に蟠龍軒が權三郎方へ来るとな、辱《かたじ》けない、その大伴は十四日の何時《なんどき》頃来ますか、定めし御存じでしょうな」
 女「多分昼前からまいるように申して居ったように聞きました、お帰りは確かに夕方《ゆうかた》と申しました」
 文「この御親切は決して忘《わすれ》ませんぞ、さゝ、お前さんは人に心付かれぬように早くお帰り下さい、お礼は後《あと》で致します」
 女「何《ど》う致しまして、そんなお心遣《こゝろづか》いには及びません、左様なら旦那様、追ってまた私《わたくし》からお礼をいたします」
 文「それこそ無用、これが何よりの礼だ、この文治は生れてより是れ程悦ばしいお礼を受けた事はござらぬ、千万辱けのう存じます」
 と両手を支《つ》いて居ります。
 女「旦那様、それでは恐入ります、何《ど》うぞお手をお上げ下さいまし」
 文「御主人……御主人」
 主「はい/\、すっかり聞きました、さアお使《つかい》なら何処《どこ》へでもまいります」
 文「御老人を使うは心ないようでござるが、大切の使、外《ほか》の者に頼むわけにまいらぬから、御苦労でも一寸《ちょっと》松平右京殿のお屋敷まで」
 主「はい、あの藤原喜代之助様のお屋敷」
 文「左様、この手紙を御持参下さい」
 主[#「主」は底本では「文」と誤記]「へえ/\畏《かしこま》りました」
 ところへまた亥太郎が参りまして、
 亥「へえ、亥太郎でございます」
 文「おゝ、亥太郎殿か、さア/\此方《こちら》へ」
 亥「まア御機嫌ようござんす」
 文「亥太郎殿、一寸《ちょっと》奥へ……さて亥太郎殿、文治が改めて申入れる」
 亥「へえ、何事でござんすか」
 文「これまで永らく兄弟同様の縁を結びまして何から何までお世話にあずかりましたが、此の後《ご》この文治の頼むことを屹度《きっと》お聞済み下さるか」
 亥「さりとは又改まった御口上《ごこうじょう》、へえ旦那のいう事なら何《なん》でも聞きましょう、命に懸けても」
 文「千万辱けのう存じます、さて亥太郎殿、かく申す文治は此の度《たび》一生に一度の悦ばしい事が出来ました」
 亥「そいつア有難《ありがて》え」
 文「その悦びと申すは外《ほか》ではない、敵《かたき》蟠龍軒が壮健で居りますぞ」
 亥「へえ、それは/\」
 文「一両日中に此の近辺で対面致します」
 亥「あの蟠龍軒に、そいつア有難え、野郎め、其の時こそなぶり殺《ころ》しに」
 文「それでござる、其の時お助太刀《すけだち》は誓って御無用でござりますぞ」
 亥「やッ、それ計《ばか》りは旦那聞かれません、今まで彼奴《あいつ》の為に何《ど》の位《くれえ》苦労をしたか知れやしねえ」
 文「いやさ、其処《そこ》がお頼みだ、武士の敵討に他人の力を借りたとあっては後世の物笑いになります、今まで文治が苦労をした甲斐がありません、さア此の道理を聞分けて、御心情はお察し申すが必らず助太刀して下さるな」
 亥「へえ/\分りやした、そんなら宜《よ》うござんす、併《しか》し唯《たゞ》見ているだけなら宜うござんしょう」
 文「それは御勝手、成るべく遠くへ離れて御覧下さい」
 亥「併し先方に助太刀があれば」
 文「いや、それも御無用」
 亥「それじゃア旦那|余《あんま》りじゃアねえか」
 文「はい、痩《やせ》ても枯れても文治は侍でござります」
 亥「そりゃア云わずと分って居ます、それじゃア皆《みんな》に断らずばなるまい」
 文「どうぞ宜しく頼む、なるたけ人に知れぬよう、万一逃がしたら百日の何《なん》とやら、そう事が分ったら一盃《いっぱい》やりましょう、これ町や」
 亥「いや、私《わっち》ア酒は絶って居りますから」
 文「はて、それは又|何故《なぜ》に」
 亥「それだから少しゃア手伝わして下さいと云うんです」
 文「いや、それ程に思ってくれる御親切は辱けないが、武士の面目《めんぼく》に関わるから」
 亥「えゝ宜《よ》うがす、御機嫌宜う、十四日にゃア一生に一度の楽《たのし》み、早朝から見物にまいりやしょう」
 文「左様なら」
 亥太郎は表へ出まして、
 亥「あゝ、いつに変らぬ武士の魂、当世に二人とねえ男だなア」
 入れ違いに藤原喜代之助が入って参りまして、
 喜「文治殿、藤原でござります、先程から亥太郎殿がおいでの様子ゆえ少々控えて居りました、数年御苦労の甲斐あって此度《こんど》の悦び、お察し申上げます」
 文「ようこそお出で下さいました、是に過ぎたる悦びはござりません、今日までの御助力有難うぞんじます」
 喜「時に文治殿、予《かね》てお話の小野|氏《うじ》の脇差、中身は確か彦四郎定宗と覚え居りますが、拵《こしら》えは何《なん》でござりますか」
 文「縁頭《ふちかしら》は赤銅魚子《しゃくどうなゝこ》、金にて三羽の千鳥、目貫《めぬき》は後藤宗乘の作、鍔《つば》は伏見の金家の作であります」
 喜「承知いたしました、様子に依《よ》ったら御主人へ申上げて置きましょう」
 文「いや、それは余り大業《おおぎょう》です、時の御老役のお耳に入れるまでの事はございません」
 喜「併《しか》し御前へ上《あが》りますと折々文治は何方《どちら》に居《お》るのであろうというお尋ねがござりますゆえ」
 文「いつに変らぬお情、切腹を御免になり、又流罪を御赦免下さいましたのも、皆|其許《そこもと》のお執成《とりなし》と右京殿の御仁心《ごじんしん》による事、文治は神仏より尊《とうと》く思うて居ります」
 喜「いや、それと申すも、其許の日頃の行状が宜《よ》ければこそ、我らは真に世の中の鑑《かゞみ》と信じて居ります、時に御家内様、敵《かたき》の行方が知れまして嘸々《さぞ/\》お悦びでござりましょう」
 と一通りの挨拶をして、大分|夜《よ》も更けましたゆえ藤原喜代之助は暇《いとま》を告げて、一先《ひとま》ず我家へ帰りました。

  四十四

 喜代之助は一旦我家へ帰りましたが、夜《よ》の明くるを待兼て、其の夜の中《うち》に奥の女中に、
 喜「夜更《よふけ》にて恐入りますが、文治夫婦のお物語を申上げとうござる」
 と取次を願いました。右京殿はお側の者を相手に一口召上っておいでの所へ、女中のお取次、早速御面会、喜代之助が
 喜「予《かね》てお話のござりました文治|事《こと》、来《きた》る十四日夕|申刻《なゝつ》頃、向島に於て舅《しゅうと》の敵《かたき》大伴蟠龍軒を討ちます」
 と申上げますと、
 右京「本来ならば早速町奉行を呼んで取鎮め方を申付くべき筈であるが、予て義侠の心に富みたる業平文治が、舅の敵を討つとあっては棄置く訳にも行《ゆ》くまい、承まわれば蟠龍軒とやらは宜《よ》からぬ奴じゃそうな、討たせるが宜い」
 と仰せられて、其の夜密書を藤原に持たせ、「文治の身の上に万一の事なきよう忍びやかに警固致し候うように」と御老中お月番松平右京殿より南町奉行石川土佐守殿へ御内達になりました。委細承知の趣《おもむき》を申上げて、それ/″\手配りを致しました。此方《こなた》文治は其の夜から湯を沸かさして身体を浄め、ゆる/\十四日を待って居ります
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