Bまたお町も例《いつ》になく磨き立て、立派に髪を結上げまして、当日は別して美しく化粧を致しました。只さえ人並勝れた美人、髪の出来たて、化粧のしたて、衣類も極々《ごく/\》上品な物を選みましたので、いや綺麗の何《なん》の眼が覚《さめ》るような美人であります。殊《こと》に貞女で、女の業《わざ》は何《なん》でも出来るというのでありますから、文治とは好一対《こういっつい》の美夫婦であります。頃は向島の花見時、一方口《いっぽうぐち》の枕橋近辺に其れとなく見張って居りますので、往来《ゆきゝ》の人は立止りますくらい、文治は遥か離れて向島より知らせの来るのを待受けて居ります。そこら辺《あたり》に八丁堀の同心がちら/\見えるは、余所《よそ》ながら文治夫婦を警固して居《お》るのでござります。それから又權三郎の入汐《いりしお》から三囲渡《みめぐりわた》し、竹屋の渡しは森松、國藏が持切りで見張って居ります。其の頃は今と違いまして花見の風俗は随分|下卑《げび》たもので、鼻先の円《まる》くなった百眼《ひゃくまなこ》を掛け、一升樽を提《さ》げて双肌《もろはだ》脱ぎの若い衆《しゅ》も多く、長屋中総出の花見連、就中《なかんずく》裏店《うらだな》の内儀《かみ》さん達は、これでも昔は内芸者《うちげいしゃ》ぐらいやったと云うを鼻に掛けて、臆面《おくめん》もなく三味線を腰に結び付け、片肌脱ぎで大きな口を開《あ》いて唄う其の後《あと》から、茶碗を叩く薬缶頭《やかんあたま》は、赤手拭の捩《ねじ》り鉢巻、一群《ひとむれ》大込《おおごみ》の後《うしろ》から、脊割羽織《せわりばおり》に無反《むぞり》の大小を差し、水口《みなくち》或は八丈の深い饅頭笠《まんじゅうがさ》を被《かぶ》って顔を隠したる四五人の侍がまいりました。確かにそれと思いましたが、顔は少しも見えませぬ。文治は扨《さて》はと身固めをして、件《くだん》の侍の近寄るを待って居ります後《うしろ》から、立花屋の忰《せがれ》が予《かね》ての約束に従い、渋団扇《しぶうちわ》をもって合図を致しました。ところが、ずぶろく酔うた亥太郎が横合からひょろ/\出かけまして、突然《いきなり》侍の笠に手を掛け、力まかせに引きますと、二人の侍は笠を取られて輪ばかり被り、真ッ赤になって、
 侍「やい待て、無礼だ」
 亥「やア人違《ひとちげ》えだ、そんなら此奴《こいつ》か」
 とまた側に居《お》る侍の笠を取ろうと手を掛けますと、一人は其の場を外《はず》して逃げようとする後《うしろ》から、立花屋の忰が怖々《こわ/″\》ながら渋団扇で合図をいたしました。
 亥「それッ」
 と亥太郎は飛び掛って笠へ手をかける、其の手を取って捩上《ねじあ》げようと致しましたが、仮にも十人力と噂のある左官の亥太郎、只今でも浅草代地の左官某が保存して居《お》るそうですが、亥太郎が常に用いました鏝板《こていた》は、ざっと一尺五六寸、軽子《かるこ》が片荷《かたに》程の土を其の板の上に載せますと、それを左に持ちまして、右の手で仕事をすると申します。斯程《かほど》の大力《だいりき》ある亥太郎、なか/\一人や二人の力で腕を捩上げるなどという事の出来るものではござりません。
 亥「この三一《さんぴん》め、生意気なことをするな」
 と忽《たちま》ち其の手を捩返しました。ところへ文治が駈《は》せ寄って亥太郎の腕を押え、
 文「亥太郎殿、こんな事があろうと思えばこそ、あれ程頼んだではないか、お控えなさい」
 亥「へえ/\」
 文「御免」
 と其の侍の笠に手をかけ、ぽんと※[#「※」は「てへん+毟」、414−9]《むし》り取りました。
 文「いや大伴蟠龍軒、久々で逢いましたな」
 はたと睨《にら》み付けますると、後《うしろ》に笠の輪ばかり被って居りました四人の侍、「汝《おのれ》、無礼者」と刀に手をかける其の横合より、八丁堀の同心|体《てい》の人、
 「これ/\お控えなさい、舅の敵討でござるぞ、それとも尊公《そんこう》達はお助太刀なさる思召《おぼしめし》か」
 侍「いや、助太刀ではござらぬ」
 同心「左様ならお控えなさい」
 亥「やい三一、ぐず/\しやがると豊島町の亥太郎が打殺《ぶちころ》すぞ」
 同「其の方の出るところではない、お控えなさい」
 亥「何《なん》だと」
 文「おい亥太郎殿、お役人様だぞ、控えろ、さア大伴、もう斯《こ》うなったら致し方はござらぬ、侍らしく名告《なの》って尋常に勝負なさい」
 侍「何事かは知らぬが、人違いではござらぬか、よし又拙者が大伴にもせよ、敵といわれる訳はござらぬ」
 文「卑怯なことを云うな、過ぐる年|三十日《みそか》の夜《よ》、お茶の水にて小野庄左衞門を切殺し、定宗の小刀《しょうとう》を奪い取りし覚えがあろう、論より証拠、その差添《さしぞえ》は正《まさ》しく庄左衞門の差添、然《しか》らずと云うならば出して見せえ、小野の娘お町は今は斯《か》く申す文治の妻なり、お町/\、これへ参れ」
 と云われて大伴蟠龍軒は顔色《がんしょく》土の如く、ぶる/\震えて居りまする。

  四十五

 お町は敵討の支度かい/″\しく現われ出で、
 町「おのれ蟠龍軒、眼さえも見えぬ父上様を、よくも欺《だま》して引出し、無慚《むざん》にも切殺したなア、さア汝《おのれ》も武士の端くれ、名告《なの》って尋常に勝負せい、さア/\悪党、いかに/\」
 時に友之助、
 友「やい蟠龍め、この煙草入は覚えが有ろう、この友之助が其方《そち》へ売った煙草入、お茶の水の人殺しの時、亥太郎さんに取られたであろう、さア何《ど》うじゃ、えゝ、この意気地無《いくじな》しめが」
 いかに卑怯な蟠龍軒でも、もう斯《こ》うなっては逃げる訳に参りませぬ。
 蟠「ウーム、かく申す大伴の道場へ夜中《やちゅう》切込んで、泥坊同様なことをしたのは其の方どもだな、よし、片ッ端から切伏せくれん、さア支度いたせ」
 と言いながら四辺《あたり》を見ますると人一ぱい。國藏、森松、亥太郎始め、皆々手に/\獲物を携《たずさ》え、中にも亥太郎は躍起《やっき》となって、
 亥「さア人面獣心《にんめんじゅうしん》、逃げるなら逃げて見ろ、五体を微塵《みじん》に打砕《うちくだ》くぞ」
 文「大伴氏、最早逃げようとて逃すものでない、積る罪業《ざいごう》の報いと諦めて尋常に勝負せい、お町、其方《そち》少し下《さが》って居れよ」
 相手は大勢《おおぜい》、蟠龍軒は隙《すき》あらば逃げたいのは山々でござりますが、四辺《あたり》は一面土手を築《つ》いたる如く立錐《りっすい》の余地もなく、石川土佐守殿は忍び姿で御出馬に相成り、与力は其の近辺を警戒して居ります。尚お右京殿の使者も忍び姿にて人込みの中に紛《まぎ》れ込み、藤原其の他二三の侍も固唾《かたず》を呑んで見張って居りまする。文治は静かに太刀を抜放ち、
 文「さア大伴氏、其許《そこもと》は舅の敵の其の上に、よくも此の文治が面部に疵《きず》を負わし、痰唾《たんつば》まで吐き掛けたな、今日こそ晴れて一騎討の勝負、疾《と》く/\打って来い」
 蟠龍軒はぶる/\総身《そうみ》に震いを生じ、すらりと大刀抜くより早くお町の方を目がけて一太刀打込みました。
 文「何をするッ」
 と文治は横合より打込む太刀を受け止め、
 文「女を相手にしようとは卑怯な奴じゃな、さア此の文治が相手だ」
 時に見物一同声を挙げて、
 「馬鹿野郎、卑怯な奴だ、叩《たゝ》ッ切ってしまえ」
 乙「どうだえ、女が切られなくって宜《よ》かったなア」
 丙「どうも美《い》い女だなア、あの後姿の好《い》いこと、桜の花より美くしいや、ちょっと姉《ねえ》さん、此方《こちら》を向いて顔を見せておくれ」
 丁「気楽なことを云うな」
 同心「これ黙れッ、やかましい」
 甲「見ろ/\八丁堀が見張っているぞ、併《しか》し今日の花見は宜《い》い日だったなア、雨が降出さねえと好《い》いがな」
 乙「馬鹿野郎、こんなに日が当って居《い》るじゃねえか」
 甲「でも己《おれ》の頭へ露が垂れたぞ、やア今日の雨は腐っていると見えて馬鹿に臭いなア」
 と後《うしろ》を振向いて見ますと、糞柄杓《くそびしゃく》を担《かつ》いだ男が居ります。
 甲「この野郎め、途方もねえ野郎だ」
 同心「これ百姓、静かにしろ」
 見物「何《なん》だ箆棒《べらぼう》め、糞の掛けられ損か、それ打込むぞ、やア御新造|危《あぶね》え/\、此方《こっち》へお出でなせえ、やアれ危えッてば」
 こゝぞと文治は打込もうと隙を窺《うかゞ》って居りますと、蟠龍軒は其の切っ先に怖れてか、じり/\後《あと》へ退《さが》ります。
 見物「やア親爺《おやじ》、後《うしろ》は川だぞ、もう一足《ひとあし》で川だ、馬鹿野郎」
 と口々に呶鳴《どな》り立てられて、元来卑怯未練な蟠龍軒、眼が眩《くら》んだと見えまして、五分《ごぶ》の隙もないのに滅茶苦茶に打込みました。文治はチャリンと受流し、返す刀で蟠龍軒の二の腕を打落しました。やれ敵《かな》わぬと逸足《いちあし》出して逃出す後《うしろ》から、然《そ》うはさせじと文治は髻《たぶさ》を引ッ掴《つか》み、ずる/\と引摺り出して、
 文「さアお町、親の敵存分に怨《うら》め」
 町「はい……おのれ蟠龍軒、よくも我が父を殺せしよな、汝《おのれ》如き畜生のために永い月日の艱難苦労、旦那様は入牢《じゅろう》まで致したぞよ」
 と胸元目がけて一太刀打込みますると、
 文「お町待て、これ蟠龍軒、よくも今まで達者で居てくれたの、斯《こ》うなるからは最早怨みはないぞ、静かに往生しろよ、死後には必らず香華《こうげ》を手向《たむ》けて遣《つか》わすぞ」
 と申し聞けまして、お町に向い、
 文「さアお町、十分に止《とゞ》めを刺せ」
 町「はい、大伴、親の敵思い知れッ」
 とずぶりと突き通されて息は絶えました。見物一同、山の崩れる如くわッ/\という人声《ひとごえ》、文治は取急ぎ血刀《ちがたな》を拭い、お町に支度を改めさせて与力に向い、
 文「いずれお役人様が御出役《ごしゅつやく》になりましょうが、市中を騒がし御法を犯せし我ら夫婦、お縄を頂戴いたします」
 と大小を投出しました。
 与力「いや御浪士、縄には及ばぬ、併《しか》し大小はお預かり申す、ゆる/\お支度なさい」
 文「有難う存じます、お町支度は宜《よ》いか」
 同心「大分お疲れの様子、こゝに薬が有りますが、同役、水を」
 文「何から何までお手数《てすう》をかけまして恐入ります、私《わたくし》は気付には及びませぬ」
 法は法、抂《ま》げる訳になりませぬから、文治お町の両人を駕籠に乗せて奉行所へ引立《ひった》てました。花時の向島、敵討があると云うので土手の上は浪を打ちますよう、どや/\押掛けてまいりまして、蟠龍軒の死骸を見ては唾《つば》を吐くやら蹴飛《けと》ばすやら弥次馬連が大騒ぎをして居ります。此方《こなた》は奉行所、一応吟味の上、
 奉行「悪漢無頼の曲者《くせもの》、殊に舅の仇《あだ》を討つは武士の嗜《たしな》み、天晴《あっぱれ》な手柄」
 というお誉《ほ》め言葉がありまして、早速帰宅を許されました。此の事がパッと世間に広まりまして、さア諸家から召抱《めしかゝ》えにまいること何人という数知れず、なれど文治は、
 文「手前は主取《しゅうと》りの望みはござらぬ、折を見て出家いたす心底《しんてい》でござる」
 と一々断りましたが、旧主堀丹波守殿よりの仰せは拒むに拒まれず、余儀なく隠居同様として親の元高《もとだか》三百八十石にてお抱えになりました。近頃まで御藩中に浪島という名跡《みょうせき》が残って居りました。又女房のお町は長命でありまして、文政年間の人でお町と知合《しりあい》の者も大分あったそうでござります。後の業平文治の敵討、これにて終局といたします。
  (拠時事新報社員速記)


底本:「圓朝全集 巻の四」近代文芸・資料複刻叢書、世界文庫
   1963(昭和38)年9月10日発行
底本の親本:「圓朝全集 巻の四」春陽堂
   1927(昭和2)年6月28日発行

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