の馬の前に寄付《よりつ》き、罪人の顔を見ますと、今度は俯向《うつむ》いていまして少しも顔が見えませんけれども、友之助に相違ありませんから、文治は麻※※[#前の「※」は「ころもへん+上」、後の「※」は「ころもへん+下」、273−5]《あさがみしも》長大小《なが[#「なが」は底本では「なだ」と誤記]だいしょう》のまゝ馬の轡《くつわ》に飛付く体《てい》を見るより附添《つきそい》の非人《ひにん》ども、
「やい/\何を為《し》やがる、御用だ/\」
亥「やい乞食《こじき》めら、静かにしろえ」
非「やア豊島町のがむしゃら[#「がむしゃら」に傍点]だぜ」
と怯《ひる》んで居りますところへ、与力が馬上にて乗付けまして、
与「これ/\其の方《ほう》は何をするのか、御用だ、控えろ」
と制する言葉に勢《いきおい》を得て、非人どもが文治を突退《つきの》けようと致しますると、國藏、森松の両人が向う鉢巻、片肌脱《かたはだぬ》ぎ、
両人「この乞食め、何を小癪《こしゃく》なことを為《し》やがる、ふざけた事をすると片ッ端《ぱし》から打殺《ぶちころ》すぞ」
さア江戸橋|魚市《うおいち》の込合《こみあい》の真最中《まっさいちゅう》、まして物見高いのは江戸の習い、引廻しの見物山の如き中に裃《かみしも》着けたる立派な侍が、馬の轡に左手《ゆんで》を掛け、刀の柄《つか》へ右手《めて》を掛けて、
文「さア一歩も動かすことは成らぬ、無法かは知らぬが、此の友之助は決して罪人ではない、その罪人は此の文治だア」
与「これ/\何《なん》であろうと此の通り当人が白状の上、罪の次第が極《きま》ったのじゃ、今となっては致し方がないわ、其処《そこ》退《の》けッ」
文「いかさま無法ではござるが、狂人ではござらぬ、一寸《ちょっと》も放すことは出来ませぬ」
と七人力の文治が引留めたのでございますから、如何《いかん》とも致し方がございませぬ。馬上なる友之助は何事か夢中で居りましたが、暫くして漸《ようや》く我に返りまして、
友「えゝ旦那様でござりますか、お久しくござります」
文「友之助、よく生きていてくれたなア、貴様が此の様な目に逢うとは夢にも知らなんだ、さぞ難儀したろうな、此の文治は自分の罪を人に塗付け、のめ/\生きて居《お》るような者ではないぞよ、目指す相手の蟠龍軒を討洩らし、心当りを捜す内、母の大病に心を引かれ、今日《きょう》まで惜《おし》からぬ命を存《なが》らえていたが、もうお母様《っかさま》を見送ったからにゃア後《あと》に少しも思い残すことはない、此の上は罪に罪を重ねても貴様を助けにゃア己《おれ》の義理が立たない、さアお役人衆《やくにんしゅ》、お手数《てかず》ながら此の文治に縄を打って、友之助と共に奉行所へお引立て下せえ、それとも乱暴者と見做《みな》し此の場に切捨てるというお覚悟なら、遺憾ながら腕の続く限り根《こん》限りお相手致します、如何《いか》に御処分下さるか」
と詰寄せまする。橋の上から四辺《あたり》は一面の人立《ひとだち》で、往来が止ってしまいました。
甲「こゝは往来だ、何を立っていやがるのだえ、さア/\歩け歩け」
時に亥太郎國藏の両人口を揃えて、
「静かにしろ、ぐず/\すると打殺《ぶちころ》すぞ」
野次馬「やア豊島町の乱暴棟梁だ、久しく見掛けなかったが、また始めたぞ」
流石《さすが》の与力も文治と聞いて怖気付《おじけつ》き、一先《ひとま》ず文治と友之助の両人を江戸橋の番屋へ締込みましたが、弥次馬連は黒山のようでございます。表に居りました亥太郎、森松、國藏は躍起《やっき》となって、
「此奴《こいつ》ら何が面白くって見に来やがった、片ッ端から将棋倒しにしてしまうぞ」
と有合《ありあわ》せたる六尺棒をぐん/\と押振廻《おっぷりまわ》して居ります。飯の上の蠅《はい》同然、蜘蛛《くも》の子を散らしたように逃げたかと思うと、また集ってまいります。其の中《うち》に与力の家来は斯《か》くと八丁堀へ知らせ、また一方は奉行所へ訴えますと、諸役人も驚いて早速駈付けました。時に表に居りました亥太郎、國藏、森松の三人は自身番へ這入りまして、
亥「えゝお役人様、蟠龍軒の屋敷へ踏込《ふんご》んで四五人の者を殺したのは私《わっち》です、何《ど》うぞ私を縛っておくんなせえ」
森「亥太郎|兄《あにい》か、そんな事を云っちゃア困るじゃねえか、お役人様、そりゃア私《わっち》の仕業で」
國「馬鹿をいうな、お前《めえ》たちは此の騒ぎで血迷うたか、己がやッつけたんだ」
文「一同静かにしろ、兎も角も御用の馬を引留めました乱暴者は私《わたくし》でござります、お手数《てかず》ながらお引立《ひきたて》の上、その次第を御吟味下さいまし」
出張の役人は文治を駕籠に乗せ、外《ほか》一同は腰縄にて、町奉行|石川土佐守《いしかわとさのかみ》役宅へ引立て、其の夜《よ》は一同|仮牢《かりろう》に止《とゞ》め、翌日一人々々に呼出して吟味いたしますると、何《いず》れも私《わたくし》が下手人でござる、いや私《わたくし》が殺したのでござると強情を云いますので、誰が殺したのかさっぱり分らぬように成りました。取敢《とりあ》えず文治には乱暴者として揚屋入《あがりやいり》を仰付《おおせつ》け、其の他《た》の者は当分仮牢|留置《とめおき》を申付けられました。
六
さて明治のお方様は、昔の裁判所の模様は御存じありますまいが、今の呉服橋|内《うち》にありまして、表から見ますと只の屋敷と少しも変った処はありませぬ。只だ窓々に鉄網《かなあみ》が張ってあるだけの事、また屋敷の向う側の土手に添うて折曲《おりまが》った腰掛がありまして、丁度|白洲《しらす》の模様は今の芝居のよう、奉行の後《うしろ》には襖《ふすま》でなく障子が箝《はま》っていまして、今の揚弓場《ようきゅうば》のように、横に細く透いている所があります。これは後《うしろ》から奥の女中方が覗《のぞ》く処だと申しますが、如何《いかゞ》でございましょうか。白洲には砂利が敷いてあって、其の上は廂《ひさし》を以《もっ》て蔽《おお》い、真中《まんなか》は屋根無しでございます。正面に蓆《むしろ》の敷いてある処は家主《いえぬし》、組合、名主其の外《ほか》引合《ひきあい》の者が坐《すわ》る処でございます。文治は今日お呼出しになりまして、奉行石川土佐守御自身の御吟味、やがてシッ/\という警蹕《けいひつ》の声が聞えますと、正面に石川土佐守|肩衣《かたぎぬ》を着けて御出座、その後《うしろ》にお刀を捧《さゝ》げて居りますのはお小姓でございます。少しく下《さが》って公用人が麻裃で控えて居ります。奉行の前なる畳の上に控えて居りますのは目安方《めやすかた》の役人でありまして、武士は其の下の敷台の上に麻裃大小なしで坐るのが其の頃の扱いでございます。一座定まって目安方が名前を読上げますと、奉行もまた其の通り、
奉「本所業平橋当時浪人浪島文治郎、神田豊島町|惣兵衞店《そうべえたな》亥太郎、本所松倉町|源六店《げんろくたな》國藏、浪人浪島方同居森松、並《ならび》に町役人、組合名主ども」
と、一々呼立てゝ後《のち》、
奉「浪島文治郎、其の方儀|去《さん》ぬる十二月二十一日、江戸橋に於て罪人友之助引廻しの際、一行を差止め、我こそ罪人なりと名告《なの》り出《い》で候う由なるが、全く其の方は数人の人殺しを致しながら、今日《きょう》まで隠れいるとは卑怯《ひきょう》な奴じゃぞ、併《しか》し上《かみ》に於ては吟味の末、友之助が自身白状致したに依って、仕置を申付けた次第であるぞ、上の裁判に一点の曇りは無いわ、何故《なぜ》今日となって左様な事を申出《もうしい》でたか、徒《いたず》らに上を弄《もてあそ》ぶに於ては其の分《ぶん》には捨置かんぞ」
文「恐れながら文治申上げます、不肖なれども理非の弁《わきま》えはございます、お上様《かみさま》を弄ぶなどとは以《もっ》ての外《ほか》の仰せでございます、かく申す文治、捨置きがたい仔細あって蟠龍軒を殺害《せつがい》いたすの覚悟にて、同人屋敷へ踏込《ふみこ》み候ところ、折悪《おりあ》しく同人を討洩らし、如何《いか》にも心外に存じ候ゆえ、一時其の場を遁《のが》れ、たとい何処《いずく》の果《はて》に潜むとも、汝《おのれ》生かして置くべきや、無念を霽《は》らして後《のち》訴え出でようと思い居ります内、母の大病、めゝしくも一日々々と看病に其の日を送り、命数尽きて母は歿《みまか》りましたゆえ、今日《こんにち》母の葬式を済まし、一七日《ひとなのか》経ちたる上は卑怯未練なる彼《か》の蟠龍軒を捜し出して、只|一打《ひとうち》と思い詰めたる時こそあれ、どういう了簡で濡衣《ぬれぎぬ》を着たかは存じませぬが、江戸橋にて友之助の引廻し捨札を見れば、斯《こ》う/\云々《うんぬん》、よしや目指す敵は討ち得ずとも、我に代って死罪の言渡しを受けたる友之助を助けずば、武士の一分《いちぶん》相立ち申さず、お上へ対し恐多《おそれおお》い事とは存じながら、かく狼藉《ろうぜき》いたし候段、重々恐入り奉《たてまつ》ります、此の上は無実の罪に伏《ふく》したる友之助をお助け下され、文治に重罪を仰付《おおせつ》け下さいますよう願い奉ります」
奉「フウム、然《しか》らば其の方が……」
時に横合《よこあい》より亥太郎「恐れながら申上げます」
役人「控えろ」
亥「えゝ、こりゃア私《わっち》の……」
役「黙れ」
亥「控えろたって残らず私の仕業で」
役「控えろと申すに何を寝言を申す」
亥「だって皆《みん》な己が為《し》たんでえ、お奉行様、この亥太郎を御処分下せえ」
國「恐れながら國藏申上げます、その六月十五日夜は私《わし》が切込みまして殺したのでござんす、何《ど》うぞお仕置き下さいますよう」
森「兄イ、何を云うんだ、蟠龍軒の家《うち》へ切込んだのは誰でもねえ、この森松がやッつけたんで」
亥「やい、森松、國藏、何を云やがる、お奉行様、此奴《こいつ》らア気が違ったんです、私に相違ございません」
役「其の方ども控えろ控えろ」
つくばいの同心は赤房《あかぶさ》の十手《じゅって》を持って皆々の肩を突きましたが一向に聞入れませぬ。お取上げがないので三人とも立上って頻《しき》りに罪を背負《しょ》おうと焦《あせ》って居ります。時に文治が、「これ一同静かにしろ」と睨《にら》み付けられてピタリと止って、平蜘蛛《ひらぐも》のようになって居ります。
文「恐れながら文治申上げます、此の者どもが御場所柄をも弁《わきま》えず大声《おおごえ》に罪を争います為態《ていたらく》、見るに忍びず、かく申す文治までがお奉行職の御面前にて高声《こうせい》を発したる段重々恐れ入ります、尚《な》お此の上|一言《いちごん》申し聞けとう存じます故、御免を願い奉ります」
奉「ウム」
文「これ一同よく承まわれ一人《いちにん》ならず三四人を一時《いちじ》に殺すというは剣法の極意《ごくい》を心得て居らんければ出来ぬことじゃぞ、技倆《わざ》ばかりではなく、工夫もせねばならぬ、まして夏の夜《よ》の開放《あけはな》し、寝たというでもなし、さア貴様たちは何《ど》うして切込んだか、その申し口によっては御検視に御吟味をお願い申そうが、何うじゃ」
森「何うでも斯《こ》うでも其の時ア夢中でやッつけた」
と臆面《おくめん》もなく自分の身に罪を引受けようと云う志は殊勝《しゅしょう》なものでございます。
七
文治は少しく声を荒《あら》らげ、
文「これ森松、夢中で人が殺せるか、貴様の親切は辱《かたじ》けないが、人に罪を背負《しょ》うて貰《もろ》うては此の文治の義理が立たない、控えてくれ、お役人様、恐れながら申上げます、全く此の文治の仕業に相違ございませぬ、お疑いが有りますなら誰《たれ》と誰を切りましたのか、一々御吟味の程を願い奉ります」
奉「亥太郎、森松、國藏、其の方どもが上《かみ》を偽る段不届であるぞ、五十日間手錠組合|預《あずけ》を申付ける、文
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