同道してまいったか、一つ白状して後《あと》を隠しては何《なん》にもならんぞ」
友「どの様な御吟味を受けましても、外《ほか》に頼んだ者はございませぬ」

  三

 林藏は少しく気を焦立《いらだ》ちて、
 林「これ汝《われ》がな、私《わたくし》一人の仕事でございますなどとしら[#「しら」に傍点]を切っても、うむそうかと云って済ますような盲目《めくら》じゃア無《ね》え、よく考えて見ろよ、手前《てめえ》のような痩男《やせおとこ》に、剣術|遣《つか》いの屋敷へ踏込《ふんご》み三四人の人殺しが出来る仕事かえ、さアいよ/\申上げねえか、旦那に申上げて少し叩いて見ようか」
 友「何《なん》と云われても私《わたくし》一人の仕業に相違ございません」
 立「もし/\友さん、お前|何《ど》うしたんだ、気が違やアしねえか、旦那様え、なか/\此の人一人でそんな事の出来る訳はございません、全く大疵のために気が違ったに相違ございません…おい友さん、確《しっ》かりしなよ」
 林「えゝ黙れ、旦那様、此奴《こいつ》はなか/\一筋縄じゃア白状しませんぜ、一つ叩きましょうか」
 小「まア林藏待て、下手人《げしゅにん》は友之助と決って居《お》るから追って又取調べるであろう、何しろ三四《さんし》の番屋へ送って置け」
 この三四の番屋と申しますのは本材木町《ほんざいもくちょう》三四丁目の町番屋にて、この番屋には二階があって常の自身番とは違い、余程厳しく出来て居ります。町番屋とは申しながら重《おも》に公用に使ったものでございます。尚《な》お小林藤十郎殿は林藏に向いまして、
 小「これ林藏、立花屋源太郎の縄を解いて家主《いえぬし》へ引渡せ」
 林「はゝア、おい差配人《さはいにん》、不都合のないように預かり置け、友之助立てえ」
 其の儘《まゝ》駕籠に乗せて本材木町の番屋を指《さ》して出て往《ゆ》きました。お話別れて、此方《こちら》は文治の宅、母は九死一生で、家内の心配|一方《ひとかた》ならず、折《おり》から訪れ来《きた》る者があります。
 「えゝ頼む」
 森松「やアこれは/\何方《どなた》かと思ったら藤原様、どうも大層お立派で……お萓《かや》様も御一緒ですか宜《よ》うおいでゝございます」
 藤「お母様《ふくろさま》は」
 森「いやもう、お悪いの何《なん》のじゃアございません、何《ど》うも今の様子じゃおむずかしゅうございますな」
 藤「なに、むずかしい、そんなら少しも早く奥へ」
 森「どうか此方《こちら》へ……旦那え、藤原様と御新造《ごしんぞ》様がおいでになりました」
 文「おゝそうか、さア此方へ、やア何《ど》うも暫く、お萓か、よくおいでだ」
 両人「お母様が大層お悪いそうで、さぞ御心配でございましょう」
 文「はい/\有難う、今度は些《ち》とむずかしかろうよ」
 藤「それは何《ど》うも、併《しか》し私《わたくし》どもの顔が分りましょうか」
 文「いや少しは分りそうだ、兎も角も此方へ……お母様《っかさま》、藤原|氏《うじ》がまいりました、お母様、分りましたか、お萓も一緒に……」
 藤「伯母様、藤原喜代之助でござる、お萓も一緒に、分りましたか、大層お瘁《やつ》れ……」
 と申しますと、病人に通じたものと見えて、「おゝ」と少し起上ろうと致しますから、
 藤「どうか其の儘にして」
 母「永いことお世話になりました、此の度《たび》はもうこれがお訣《わか》れで、お萓は御存じの通り外《ほか》に身寄もなき不束者《ふつゝかもの》、何《ど》うぞ幾久しゅう、お萓や見棄てられぬように気を付けなよ、それでも文治の嫁が思ったより優しいので、何《ど》の位安心したか知れません、もう是で思い残すことはありません」
 此の時台所の方に当って頻《しき》りに水を汲んでは浴《あび》せる音が聞えまする何事か知らぬと一同耳をそばだてますると、
 「南無大聖不動明《なむだいしょうふどうみょう》……のうまく……む……だあ……」
 文治はそれと心付きまして、手燭《てしょく》を持って台所の戸を明けますと、表は霙《みぞれ》まじりに降《ふり》しきる寒風に手燭は消えて真黒闇《まっくらやみ》。
 文「誰だえ」
 一向答えがありませぬ。一生懸命ざあ/\と寒水を浴びては「南無大聖不……」
 文「おい、誰か提灯《ちょうちん》を持って来てくれ」
 藤原が提灯を持ちまして袖《そで》に隠し、燈火の隙間《すきま》から井戸端《いどばた》を見ますると、お浪《なみ》が単物《ひとえもの》一枚に襷《たすき》を掛け、どんどん水を汲《くん》では夫|國藏《くにぞう》に浴せて居ります。國藏は一心不乱に眼《まなこ》を閉じ合掌して、
 「南無大聖不動尊、今一度お母上様《はゝうえさま》の御病気をお助け下さりませ」
 文「これ其処《そこ》に居《お》るのはお浪じゃないか、國藏待て、その親切は千万《せんばん》辱《かたじ》けないが、まア/\此処《こゝ》へ来い、お浪や早く國藏に着物を着せてやれ、森松、國藏夫婦は何時《いつ》の間《ま》に来たのだ」
 森「へえ、藤原様のおいでの少し前、いつもは蔵前の不動様へまいるんですが、今夜は御門が締りましたそうで」
 文「うむ、毎夜此の通りか、寒中といい況《ま》して今夜は此の大雨に……國藏、お前の親切は千万辱けないがな、命数は人の持って生れたものじゃ、寿命ばかりは神にも仏にも自由になるものじゃアない、神様や仏様は人の苦しむのを見て悦びなさる筈《はず》はないが、人が物を頼むにも無理力《むりぢから》を入れて頼んだからって肯《き》くものではない、お前も同じ人に生れていながら、この寒空《さむぞら》に垢離《こり》など取って、万一身体に障《さわ》ったら、それこそ此の上もない不孝じゃないか、お前の親切は届いて居《お》る、もう/\止してくれよ」

  四

 文治は國藏夫婦の水垢離《みずごり》を諫《いさ》めて居りますると、妻のお町が泣声にて、
 町「旦那様ア、お早く/\」
 文「なに、お母様《っかさま》が息を…」
 と病間に駈戻り、
 文「お母様、お母様、ほい、もういかんか」
 町「お母様ア、お母様ア」
 文「これ/\お町、そう泣悲《なきかなし》んでも仕方がない、もう諦めろ」
 萓「伯母様《おばさま》え、伯母様え、もう是がお別れか、伯母様え」
 藤「お萓、そう呼ぶものではない、文治殿、さぞ/\御愁傷《ごしゅうしょう》でござりましょう」
 文「いや永い御苦労を掛けました、あゝ何《ど》うも、思えば私《わたくし》も不孝を尽しましたなア」
 お町を始め一同顔を揃《そろ》えて言葉もなく、鼻詰らして俯向《うつむ》く折から、表の方《かた》で慌《あわた》だしく、
 「森松々々」
 森「おうい、豊島町《としまちょう》の棟梁《とうりょう》か」
 これは亥太郎《いたろう》という豊島町の棟梁でございます。
 亥「おゝ亥太郎だ」
 森松が立って戸を明けますると亥太郎は息急《いきせ》きながら、
 亥「森松、お母様《ふくろさま》は」
 森「たった今……」
 亥「えッ、亡《なくな》りなすったか、道理で新しい草鞋《わらじ》が切れて変だと思った、えゝ間に合わなかったな」
 森「昨日《きのう》からむずかしいから、お前さんの所へ知らせに往《い》くとな、今朝早く成田へ立ったと云うことだから、こいつア必定《てっきり》お百度だろうと後《あと》から往こうか知らんと思ったが、家《うち》が無人《ぶにん》で困っているのに何《なん》ぼ信心だからと云って、出先から成田へ往ったら又旦那に叱られるだろうと、こう思って止したのが結句幸いであった、今も國藏|兄《あにい》が成田様の一件で小言まじりに一本やられたところだ」
 亥「己《おら》アな、昨夜《ゆうべ》の内にお百度を済まして、何《ど》うやら気が急《せ》かれるから、今朝|早立《はやだち》にして、十八里の道を急ぎ急いでもう些《ちっ》と早くと思ったが、生憎《あいにく》の大雨で道も捗取《はかど》らず、到頭《とうとう》夜半《よなか》になっちまった、あゝ何うも胸がドキ/\して気が落着かねえ、水を一杯《いっぺえ》くれねえか」
 森「おゝ気の付かねえ事をした」
 文「やア亥太郎殿か、成田へお出で下すったそうで、母のために毎《いつ》も変らぬ御親切、千万辱けのう存じます、母も只《たっ》た今往生いたしました、さア何《ど》うか直《す》ぐに奥へ往って見てやって下さい」
 亥「えゝ皆様御免なせえ、えゝお母様《ふくろさま》、なぜ私《わっち》が……旦那御免なせえよ、こんな時にゃア何《なん》と挨拶《あいさつ》して宜《い》いのか私にゃア分んねえ」
 藤「これは亥太郎殿、藤原喜代之助でござる、あなたの御親切で伯母も誠に宜《よ》い往生を致しました、人の寿命ばかりは何《なん》とも致し方がありません」
 亥「旦那御免なせえ、私《わっち》やア物心をおぼえて此の方《かた》、涙というものア流したことが無《ね》えんですが、いつぞや親子てえものは斯《こ》う/\いうもんだと、此方《こちら》の旦那に意見されてから、此の間親父の死んだ時にゃア思わず泣きました、今日で二度目でござんす、御免ねえ」
 とわッ/\と泣出しました。時に文治は、
 文「いつも変らぬ御親切、有難う存じます、さぞお腹《なか》が減りましたろう」
 亥「なアに、さしたる事もありません」
 文「お昼食《ちゅうじき》は何方《どちら》でやって来なすったね」
 亥「なアに昼食なんざア、実は十八里おっ通しで」
 文「やッ、それは/\昼食も喰《た》べずに十八里|日着《ひづき》とは、何《ど》うも恐入りましたなア」
 亥「云われて始めて腹が減った、そんなら森松、握飯《むすび》でも呉れや」
 森「さア大変だ、昼間からの騒ぎで飯を炊くのを忘れたア」
 町「いゝえ、私が炊いて置きましたよ、さア亥太郎さん召上れ」
 亥「こりゃア勿体《もったい》ねえな、やい森公、貴様は相変らず馬鹿だな」
 森「こりゃア己の十七番だ」
 亥「それも違ってらア、馬鹿野郎」
 それから手を分けて仏の取片付《とりかたづけ》をいたしまして、葬式はいよ/\明後日と取極めました。藤原喜代之助は明日御登城のお供がありますから、夜《よ》の中《うち》に屋敷へ帰りまして、翌朝重役へ、
 藤「明日お供を致します筈でござりますが、親戚《しんせき》に忌中これあり、如何《いかゞ》致しましょうや」
 と伺い出でますると、何《ど》ういう都合でござりますか、藤原は明後日葬式を菩提寺《ぼだいじ》まで見送ることが出来ませんので、その翌晩|通夜《つや》をいたし、翌早朝葬式を途中まで見送って、自分は西丸下へ帰り、お葬式《とむらい》は愛宕下《あたごした》青松寺《せいしょうじ》で営みまして、やがて式も済みましたから、文治は※※[#前の「※」は「ころもへん+上」、後の「※」は「ころもへん+下」、272−4]《かみしも》のまゝ愛宕下を出まして、亥太郎、國藏、森松の三人を伴い、其の他の見送り人は散り/″\に立帰りました。丁度江戸橋へ掛ってまいりますと、朝の巳刻《よつ》頃でございますが、向うから友之助が余程の重罪を犯したものと見えて、引廻しになってまいります様子、これは友之助の罪状が定《きま》って、小伝馬町《こでんまちょう》の牢屋の裏門を立出《たちい》で、大門通《おおもんどおり》から江戸橋へ掛ってまいりましたので、角の町番屋にて小休みの後《のち》、仕置場へ送られるのでございます。

  五

 文治が先に立って江戸橋へ向って参りますと、真先《まっさき》に紙幟《かみのぼり》を立て、続いて捨札《すてふだ》を持ってまいりますのは、云わずと知れた大罪人をお仕置場へ送るのでございます。文治は何気なく正面から罪人を見ますと、紛《まご》う方《かた》なき友之助ですから、はて不思議と捨札を見ると、「京橋銀座三丁目当時無宿友之助二十三歳」と記してありまして、「右の者|去《さ》んぬる六月十五日本所北割下水大伴蟠龍軒方へ忍び込み、同人舎弟を始め外《ほか》四人の者を殺害《せつがい》致し候者也《そうろうものなり》」と読むより、左《さ》なきだに義気に富みたる文治、血相を変えて引廻し
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