sとむら》い申すことも適《かな》いませず、人も通わぬ山奥でむざ/\相果《あいはて》るとは、何《なん》たる不孝でございましょう、くれ/″\もお許し下さいまし、たま/\御両親のお鑑識《めがね》にて、末頼もしき夫を持ちましても、運|拙《つたな》くして重なる不幸、今頃|何処《どこ》に何《ど》うしておいでなさるやら、但しは山賊のためにお果てなされしか、私《わたくし》は不幸にも斯《か》かる深山《みやま》に流浪の身、一粒の米もなければ居所もなし、此の儘|餓死《うえじに》いたすでございましょう、不孝な娘とお叱りなきよう、くれ/″\も願いまする、先程無法な振舞をした剣客者《けんかくしゃ》というは、面《おもて》は素《もと》より知りませぬが、江戸の者といい、又大伴……万一|敵《かたき》ではないか知らん……たとえ敵であればとて、先程の手並では迚《とて》も及ばぬ女の悲しさ、寧《いっ》そ辱《はずか》しめられぬ其の内に、おゝ左様《そう》じゃ左様じゃ、此の身を汚《けが》しては其れこそ自害にまさる不孝不義、旦那様お免《ゆる》し下さいまし」
 と覚悟の折柄、がさ/\音がしまするので、瞳を定めて見ますると、例の大熊でございます。
 町「おゝ、そちは何時《いつ》ぞやの熊であったか、先程は宜《よ》う加勢をしてくれやった、其方《そち》と私と何《ど》ういう因縁か知らぬが、去年《こぞ》の冬から我身を助け、今又|此処《こゝ》に来合わして、既《すんで》のこと辱《はずか》しめを受けようとする危急を救うてくれるとは辱《かたじ》けない、有難い、よう聞分けてくれよ、かく申す私は親の代から浪人の身とは云いながら、武士の娘で武士へ縁付き、夫の出世大事と身を粉《こ》に砕きて辛労《しんろう》の甲斐もなく、又我が夫とても数多《あまた》の人を助けた事こそあれ、塵《ちり》ほども我が心に愧《は》ずるような行いをした事はない、それに如何《いか》なる因果の廻《めぐ》り合せか、重ね/″\の不幸続き、いよ/\今日という今日は死なねばならぬ事に成り果てました、今までの恩誼《おんぎ》はたとえ彼《あ》の世へ往《ゆ》こうとも決して/\忘れはせぬ、此の上は其方《そち》も山奥へ帰り、くれ/″\も用心して猟人《かりゅうど》や無法者に出会わぬよう、無事で達者で長生《ながいき》してくれよ、思えば/\、人間を助けるほどの情深きお前をば、何故《なぜ》天は人にしなんだか、世はさま/″\とは申しながら、甲斐なく思うぞよ」
 と熊の頭《つむり》を撫でて暫く有難涙《ありがたなみだ》にくれて居りますると、熊も聞分けてか、悄然《しょうぜん》と萎《しお》れ返って居りまする。お町は涙を払いながら、
 町「さア/\、もう覚悟の我が身、何《なん》の怖いこともない、早く帰ってくれ、さゝ帰ってくれ、まだ私《わし》を慕《した》っていますか」
 と思わず熊の首のあたりに飛付きまして、よゝとばかりに泣き沈んで居りましたが、暫くして我に返り、
 町「さゝ、夜《よ》でも明けて猟人に見付けられては其方《そち》が危《あぶな》い、早う帰ってくれ」
 と両手を合せて伏し拝み、懐中より取出したる夫文治より譲りの懐剣を抜放ち、
 町「旦那様、御免遊ばせ」
 とあわや喉笛《のどぶえ》へ突き立てようと身構えました。さて文治が再度の難船に舟人|諸共《もろとも》気絶いたしました次第は前回に申上げました。天義士を棄てず、あたりの船頭がこれを見付けまして、
 「やア/\彼処《あすこ》に旅人が倒れてらア、それ難船人《なんせんにん》々々々、確《しっか》りしろよ、おゝ気が付いたか」
 文「これは/\何処《どこ》のお方か存じませぬが、お助け下さりまして有難う存じます」
 船頭「とても駄目だと思ったが、よく気が付いたなア」
 文「有難う存じます、今|一人《いちにん》の舟人は如何《いかゞ》致したか、御存じありませぬか」
 船「此処《こゝ》にいるじゃねえか、見なせえ、此の通りの打傷、いろ/\介抱もしたが、とても駄目だ、諦めなせえ」
 と聞いて文治は舟人の亡骸《なきがら》に縋《すが》り。
 文「これ島人、これ島人」
 もう冷え切って居りますから、いくら呼んでも甦《よみがえ》りは致しませぬ。
 文「さて/\不憫《ふびん》なことを致したわい」
 船「どうも仕方がねえだ、諦めなさるが宜《い》い」
 文治は夢を見たような心地、
 文「一体こゝは何処《どこ》でござりましょう」
 船「何処ッて大変な処だ、己《おら》ア新潟通いの船頭だが、昨日《きのう》の難風《なんぷう》で、さしもの大船《たいせん》も南の方《ほう》へ吹付けられ、漸《ようよ》う此処《こゝ》まで帰る途中、毀《こわ》れた小舟に二人の死骸、やれ不憫なことをした、定めし昨日の風で難船したのだろうと、幸いに風も静かになったから、手数を掛けてお前がたを助けてやったのだ」
 文「何《なん》ともお礼の申そうようもございませぬ、こゝは越後の新潟近所でございましょうな」
 船「どうして/\、これから新潟までは何百里という海路、三日や五日で往《い》かれるもんじゃアねえ」
 と聞いて文治は今更|呆気《あっけ》に取られて居りまする。

  三十九

 文治は暫《しば》し呆気に取られて居りましたが、
 文「新潟通いの船とあれば、定めし此の船は新潟へまいるのでございましょうな」
 船「へえ、新潟へ往《い》く船でがす、見受けるところお前様《めえさん》はお武家様のようだが、一体|何処《どこ》のお方かね」
 文「私は江戸の者でござります、故《ゆえ》あって越後新潟へまいります途中、信州二居ヶ峰、中の峠にて山賊に出会い追い往《ゆ》く中《うち》、女房を見失い、彼方《あちら》此方《こちら》と尋ねますと、新潟沖に大船《たいせん》があって、其の船に海賊が……」
 と云いかけて四辺《あたり》を見廻し、
 文「多分その大船に居《お》るであろうと人々のいうにまかせ、取急ぎ新潟へまいりまして、旅宿《りょしゅく》にて船の様子を尋ねて居《お》ると、こう/\いう奴の勧めに従い、二人《ににん》の舟人を雇うて沖へ乗出したところが、図らずも難風に出会い、その二人の舟人は途中に於《おい》て相果てました、一人《いちにん》の舟人が死際《しにぎわ》の懴悔話《ざんげばなし》を聞きますると、旅宿で船の世話をしてくれた商人《あきんど》も其の二人の舟人も同じ穴の貂《むじな》、やはり海賊の手下であったそうでございます、察するところ私《わたくし》の女房も同じ仲間の奴に勾引《かどわか》され、海賊船《かいぞくぶね》に取押えられて居りはせぬかと案じて居《お》る折柄、こゝに死んで居る島人が、私の漂うて居った無人島へ来《きた》りしゆえ、辛《かろ》うじて其の舟に乗込み、一度新潟沖に着《ちゃく》いたし、女房の在所《ありか》を尋ねようと思って小舟を乗出したところが、又も難船して此の始末、お救い下さいまして有難う存じます、只今|貴所方《あなたがた》より此の船は新潟|行《ゆき》と承わって、恟《びっく》りするほど喜びました、此の上の御親切に何《ど》うか私を新潟までお連れ下さいまし、此の御恩は死すとも忘れませぬ」
 船「まア/\お前《めえ》さん、安心して目でも眩《まわ》すといかねえ、薬でも飲まっせえ」
 文「何から何まで辱《かたじけ》のう存じます」
 船「お前《めえ》らが連《つれ》の死んだ人ア何《ど》うすべえ」
 文「ほんに心付かなかった、只今まで船の中で死んだ者は何ういう扱いを致すものでしょう」
 船「陸《おか》が近けりゃア伝馬《てんま》へ積んで陸へ埋《うめ》るだが、何処《どこ》だか知んねえ海中じゃア石ウ付けて海へ打投《ぶっぽ》り込むだ」
 文「左様ですか、永く置いては船の汚《けが》れ、此の儘|何《ど》うぞ」
 船「おゝ合点《がってん》だ、客人|成仏《じょうぶつ》さっせえ、それ/\江戸の客人危ねえぞ」
 文「はい、有難う存じます、南無阿弥陀仏/\」
 さて文治は船頭の介抱にて身体も以前に復し、それ/″\金を出して礼をいたし、日を経て無事に新潟沖へ着船いたしまして、伝馬で陸《おか》へ上《あが》り、一同無事を祝して別れを告げました。これより文治は彼方《あなた》此方《こなた》と尋ね廻りまして、漸《ようや》く此の前泊りました旅籠屋《はたごや》へまいりました。
 文「はい、御免下さい」
 女「入っしゃいまし」
 文「一昨年中はいろ/\お世話になりました」
 と云われて主人は暫く文治の顔を見詰めて居りましたが、漸く思い付いたと見えまして、
 主「やア旦那様、よくまア……ほんにマア宜《よ》く御無事でお帰りなさいましたなア、何《ど》うして助かりやしたえ、あの時|私《わし》があれ程お前様《めえさま》に、ありゃア海賊の手下だと申しやしたのに、何《なん》でもお前様ア見物に往《い》くだってお出でなさりやしたが、それきりお帰りが無《ね》えから、いくらお侍でも殺されたんべえと思っていやしたが、宜くまア帰ってござらしった、お目出度《めでと》う存じます」
 文「いや、あの二人の舟人と親船までまいらぬ内に難船してな」
 主「へえー難船しなすったかえ」
 文「どうせ魚の餌食《えじき》と覚悟して船の漂うまゝに任したのが、却《かえ》って幸いとなって無人島《むにんとう》へ着きましてな」
 主「へえ、無人島、それから何《ど》うしなすった」
 文「いやはや無人島でさん/″\難儀いたしました」
 主「まア、そりゃア飛んだ事でござりやした、お同伴の船頭二人は何《ど》う為《な》せえましたね」
 文「お前のいう通りあの二人も海賊の手下であった」
 主「それ御覧なせえ、それだから私《わし》があんなに止めたのに到頭《とうとう》強情をお張りなさって」
 文「今更そんな事を云っても追付《おっつ》かない」
 主「その二人は何《ど》うしやした」
 文「天罰は恐ろしいもので到頭船の中で死にました」
 主「旦那様がお殺しなすったのでやすかえ」
 文「いや左様ではない、彼ら二人は毒を喰って死にました」
 主「へゝえ成程、因果ちゅうものは恐ろしいもんでやすなア」
 文「御主人、話は変るが、この貼付《はりつけ》の中《うち》にある短冊《たんざく》は何者の筆蹟でござるな」
 主「へえ、こりゃ熊女が書きやした」
 文「その熊女と申すのは誰でござるな」
 主「何《なん》だか知りましねえが、信州の山の中で熊に助けられたとかいう女でござりやす」
 文「はてな、この歌といい筆蹟といい好《よ》く似た者もあるものだな」
 と暫く首を拈《ひね》って居りましたが、
 文「こりゃア正《まさ》しくお町の筆蹟に相違ない……この女はまだ生きて居りますか」
 主「生きて居《お》るにも何も此の通り字を書きます」
 文「何処《どこ》に此の女は居りますか」
 主「此の間まで二居峠、中の峰の寺に居りやしたそうで、これを其の先頃《せんころ》当所で海賊を退治しやした江戸の剣術の先生が聞付けやしてな、美人だてえので態々《わざ/\》逢いに往《い》きやしたところが、その熊女が逃出したそうで、けれども先生だから免《ゆる》さねえ、山の中へ追ッ掛けてまいりやすと、何処《どこ》を何《ど》う嗅付けたか、大きな熊がむく/\と出て来やして、先生様の腕を押えておっぽり出しやした、それきりさア、誰もその熊が怖《おっ》かねえッて其の山へ往《ゆ》く者《もな》アありやせんよ」
 と伝聞の儘を物語りました。

  四十

 文「御亭主、それは何時頃《いつごろ》の事ですか」
 主「なアに直《じき》先月のことでありやす」
 文「左様か、どうも有難い、就《つい》ては御亭主|中食《ちゅうじき》の用意をして下さい、今から夜へ掛け、その二居峠中の峰まで往《ゆ》かにゃアならぬ」
 主「へえ、あなたも熊女に逢いたいのでがすかえ、兎角剣術の先生は熊女が好きと見えますな」
 文「そんな事は何《ど》うでも宜《よ》い、早く中食を」
 主「今から何うでも往《い》かっしゃるか、十里べえありやすぜ」
 文「次第に依《よ》っては一晩ぐらい途中へ泊っても苦しゅうない」
 主「さア駄目でがす、雨え降ってまいりやした」
 文「ウー
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