sそこ》え書《つ》けて見なせえ」
 猟「成程、喜右衞門どんが云わっしゃる通り、字イ書くが一番|宜《い》いだ、さア化物、字イ書けやア」
 喜「紙イ無《ね》えが、六郎どんが置いて往った筆えあるから、これで書かっせえ」
 女「私は江戸の者で」
 喜「まアそんな事は後《あと》で宜《い》いから早く字を書かっせえ」
 女「はい」
 と筆を執《と》りまして古今集の中の
    我が恋は行方も知らず果《はて》もなし
        逢ふを限りと思ふばかりぞ
 本所業平橋|際《ぎわ》某《ぼう》と書きました。
 猟「それが汝《われ》が名けえ、馬鹿に長《なげ》え名だなア」
 女「いゝえ、これは私が子供の時習いおぼえました古い歌でございます」
 猟「やア歌きゃア、そんなら汝《われ》え唄え、己《おら》ア踊るべえ」
 喜「馬鹿野郎、汝《われ》が踊るような歌とは違わア、汝《われ》イえれえ字イ書くだなア、これじゃアはア人間だんべえ、こんな字イ書くもなア己《おら》が村に無《ね》えだ、名主どんに見せべえ」
 喜右衞門が其の書いた物を持参しまして、其の村の名主に見せますと、
 名主「やアこりゃア能《い》い書《て》じゃア、喜右衞門、なぜ其の女を連れて来ねえか」
 喜「己《おれ》はア連れて来《く》べえと思っただが、出し抜けに連れて来てほざかれると詰らねえだから、連れて来《き》ねえだ」
 これからお町を同道致しまして名主の宅へ連れてまいりますると、
 名「さア此方《こちら》へお上りなせえ、さぞ難儀しなすったんべえ」
 町「これは御丁寧な御挨拶で恐入ります」
 喜「ひやアこれ女子《おなご》、こりゃ此の村の名主の紋左衞門《もんざえもん》様で、よく頼まっしゃい」
 町「有難うございます」
 紋「お前《めえ》らが熊女《くまおんな》先生でがすかねえ、何処《どこ》の者にしろ、金がねえば仕様がねえで、村でも何《ど》うかしべえから心配《しんぺえ》しねえで居《お》るが宜《い》いだ、此の村の奥へ十丁べえ参《めえ》りやすと寺があるだ、此の頃尼が死《しに》やして子供らア字イ書くことがなんねえで、手におえねえが、淋しかんべえが旅金《たびがね》の出来るまで子供らに字イ書くことを教《おせ》えてくんろ」
 町「御親切に有難うございますが、人さまに字を教えるなどという手前ではございません」
 紋「そうでねえ、この界隈《かいわい》にお前《めえ》ぐれえ書くものはねえだ、まアその形《なり》じゃア仕様がねえだ、これ婆《ばゞ》アどん、女の着るもんが有るなら出してくんろ、さア熊女、この着物を着るが宜《い》いだ」
 町「はい、有難う存じます、そのお寺と申すは余程山奥でございましょうか」
 紋「なアに、山ア一つ越すべえで、そうさ、これから十丁もあるかな」
 町「そうでございますか、私は其の山奥が大好《だいすき》でございます」
 喜「ひやア山奥が好きだてえぞ、それい/\化物だんべえ」
 町「なるたけ人の目に掛らんのが宜しいのでございます」
 田舎|殊《こと》に山間の僻村《へきそん》では別に手習師匠もござりませんので、寺の住持が片手間に教えて居ります。その住持も近頃居りませんので、お町は日々《にち/\》子供を相手にして、せい/″\仮名尽《かなづくし》や名頭《ながしら》ぐらいを指南して居ります。偶《たま》には歌などを書くことも有ります。何しろ熊女が書いたというので土地では大《おお》評判、新潟あたりへ聞えることもござります。一日《いちじつ》名主紋左衞門が寺へやってまいりまして、
 紋「ひやア御免下せえまし」
 町「これは/\名主様、ようお出でなさいました、さア何《ど》うか此方《こちら》へお通り下さいまし」
 名「夕方《ゆうかた》、人の家《うち》へ来るでもねえが、急用あってめえりました」
 町「急用とは何事でございましょう」
 紋「先ず話をしねえば分らねえだ、此の間中新潟の沖に親船が居りやしたが、それが海賊だという事でな、その船の側に来る船は矢鱈に鉄砲を撃掛けたり、新潟あたりの旅人を欺《だま》しちゃア親船に連れだって、素《す》ッ裸体《ぱだか》に剥ぎ取って、海に投《ほう》り込むてえ話だ、さア御領主様も容易ならねえ海賊だてえんで、御人数《ごにんず》を出しても、海の中から飛道具で手向いするもんだに依《よ》って、何《ど》うにも手に負えねえてんだ、そこで御領主様から誰か船の中へ忍び込んで討取る者へは褒美を出すてえ触《ふれ》が出ただ、すると此の頃江戸から武者修行だと云って来ていた二人の侍が、その親船へ乗込んで海賊の親方を叩ッ切って、船へ火イ掛けやして、泥坊を根絶《ねだや》しにしただ、何と強《つえ》え侍じゃねえか、大層お役所から御褒美を貰ったそうだが、その剣術の先生が今日わざ/\己《おら》ア処へやって来ただ」
 町「へえ、江戸表の剣術の先生でございますか」
 と首を傾けました。

  三十七

 紋左衞門は一服吸って煙草盆を叩きながら、
 紋「その剣術の先生様がな、お前様《めえさま》の字イ書くのを見て、此の女ア只者《たゞもの》じゃア無《ね》えちゅうて、わざ/″\越後からお前様に会いにござらしって、私《わし》が家《うち》にいるだ、悪い事アあんめえから、ちょッくら私が家へござらっしゃい」
 お町は暫く考えて居りましたが、
 町「えゝ其の先生と申すのは、まったく江戸のお方でございますか」
 紋「言葉の様子では全く江戸のお方に相違ねえだ」
 時にお町は、
 「その剣術の先生というのは若《も》しや蟠龍軒ではないか知らん、まこと蟠龍軒にしたところが、夫の誡《いまし》めもあるゆえ我身一人で手出しはならぬ、また蟠龍軒にあらずとも、江戸のお侍に此の今の姿を見られるのも心苦しい」
 と思いまして、
 町「はい、あなたの御親切はまことに辱《かたじけ》のうございますが、零落《おちぶ》れ果てたる此の姿、誰方《どなた》かは存じませぬが、江戸のお侍に会いますのは心苦しゅうございます、何卒《どうぞ》お断り下さいまし」
 紋「いや、それは宜《よ》くあんめえ、たとえ昔は何様《どん》な身分だっても今は今じゃねえか、海賊を退治して御領主様から莫大《ばくだい》の御褒美を頂きなすった位の大先生だ、会って悪いこともあんめえから、会うが宜《よ》いじゃねえか、事に依《よ》って金でも呉れさしったら、その金で路用も出来るてえもんだ、二つにはまた我《わ》が亭主の居所も知れるかも知れねえだ、そんな因業《いんごう》なことを云わねえで、私《わし》と一緒に往《い》かっせえ」
 町「いゝえ、思召《おぼしめし》は有難う存じますが、お断り申します」
 紋「まア然《そ》う云わねえでござらっしゃい」
 町「此の儀ばかりは何《ど》うぞお免《ゆる》し下さいまし」
 と押問答して居りますると、表の方《ほう》にて大伴蟠龍軒|外《ほか》二人《ににん》が、
 「えゝ、そんな事であろうと思って、表に立って聞いていた、御免よ」
 と押取刀《おっとりがたな》で入ってまいりました。お町は素《もと》より顔を知らぬものですから、蟠龍軒とは心付かず、
 町「いゝえ、お恥かしゅうござんす」
 と裏口から逃出しました。
 大「それッ」
 と云うより早く、遠見《とおみ》に張って居りました門弟|一人《いちにん》、一筋道に立塞《たちふさ》がり、
 門人「どッこい、そう肯《うま》くはいかんぞ」
 と取押える後《うしろ》から追い来《きた》りし蟠龍軒、お町を取って引据《ひきす》え、と見ると心の迷いか、小野庄左衞門の娘の顔だちと少しも違いませぬ、心の中《うち》に、
 大「はて、よく似た女子《おなご》もあるものだ、併《しか》し彼がこんな山奥に来よう訳もない、寧《いっ》そ打明けて蟠龍軒と云おうか、いや/\桜の馬場でお町の親父《おやじ》庄左衞門を殺し、脛《すね》に疵《きず》持つ此の身、迂濶《うかつ》なことは云えぬわい、他人の空似《そらに》ということはあるが、真実庄左衞門の娘かも知れぬ」
 と思いました故、さあらぬ体《てい》にて、
 蟠「これ/\女中、お前は何処《どこ》の者だか知らんがな、拙者の眼には都の者としか見えぬ、拙者も元は江戸の者だ、難儀なことがあるならば何処までもお貢《みつ》ぎ申そう、これ/\女中、そんなに力を出しても……これ門弟、えゝ気の利かぬ奴らだな、手伝《てづた》えというのではない、何をまご/\して居《お》るのだ、予《かね》て貴様たちに言付けて置いたではないか」
 門弟二人は頷《うなず》きまして、
 「左様々々、まア名主、そなたも我らと一緒にまいれ」
 と無理に連立って此方《こなた》へまいりました後《あと》で、
 蟠「これ女中、もう其許《そこもと》が何程|※[#「※」は「あしへん+宛」、388−6]《もが》いても逃すもんじゃアない」
 町「あなた、何《ど》うぞ御免下さいまし」
 蟠「分らん奴だな、えゝ面倒な、じたばたすると斯様《かよう》いたすぞ」
 とお町を其の場に押倒し、其の上に乗し掛って、
 蟠「さア何《ど》うだ、今更何うも斯《こ》うもねえ」
 今はお町も一生懸命、用意の懐剣を取出そうと致しますると、
 蟠「やア此奴《こいつ》め、刃物を持って居やがるな」
 ぎゅッと其の手を押え付けました。
 町「あいたゝ/\」
 蟠「さアこれでもか、何《ど》うだ/\」
 と無理|強談《ごうだん》、折柄《おりから》暮方《くれかた》の木蔭よりむっくり黒山の如き大熊が現われ出でゝ、蟠龍軒が振上げた手首をむんずと引ッ掴《つか》み、どうと傍《かたえ》に引倒しました。思いがけなき熊の助勢にお町は九死《きゅうし》の境《さかい》を遁《のが》れ、熊の脊に負われて山奥深く逃げ延びました。何時《いつ》まで経っても先生が帰って来る様子がございませんから、二人の門人は気遣いながら、名主同道にて引返してまいりますると、こは如何《いか》に、先生が樹《き》の根方《ねがた》に倒れて居ります。恟《びっく》り驚いて、
 門「やア先生が倒れて居《お》る、先生々々、何《ど》うなすった、やッこりゃ大変、先生が気絶して居る、これ名主、水を、早く/\」
 二人の介抱で蟠龍軒は漸《ようや》く心付きました。
 門「先生、お気が付きましたか」
 蟠「いや何《ど》うも飛んだ目に逢《お》うた」
 門「何うなさいました彼《あ》の女は」
 蟠「とうとう逃げられてしまった」
 門「馬鹿々々しいなア、併《しか》し先生、あの婦人は全く船中でお話のあった庄左衞門の娘お町と申す者でございましょう」
 蟠「まったくお町に相違ない、相違ないが、何《ど》うして斯様《こん》な山奥へ来て居《お》るか、それが分らぬ、併し筆蹟と云い顔形《かおかたち》といい、確かにお町に相違ない」
 門「そりゃア惜《おし》いことをしましたなア、やア先生、大層お手から血が出ているじゃア有りませんか」
 蟠「実はこれがために気絶したのじゃ」
 門「あのお町が喰付いたのですか」
 蟠「いや/\何か其処《そこ》らに居りはせぬ[#「ぬ」は底本では「ね」と誤記]か」
 と云われて門人二人は、「何が/\」と云いつゝ五六|間《けん》先へまいりますと、山のような真ッ黒な物がむず/\/\。
 門「やゝッ/\……やゝッ……熊だ」
 と叫びながら一同其の場を逃去りました。

  三十八

 お町は熊に助けられて山深く逃げ延びましたが、身を寄せる処は勿論、食物《くいもの》もございませんから、進退いよ/\谷《きわ》まりました。その辺《あたり》を打見ますと、樵夫《きこり》の小屋か但しは僧侶が坐禅でもいたしたのか、家の形をなして、漸《ようや》く雨露《うろ》を凌《しの》ぐぐらいの小屋があります。
 町「たとえ此の山奥で餓死《うえじに》するとも野天《のでん》で自殺は後日の物笑い、何者の住《すま》いかは知らぬが、少々お椽《えん》を拝借いたします、南無阿弥陀仏/\」
 と静かに坐を占めまして、何方《どっち》が江戸か分りませぬが、
 町「亡《な》き御両親様、此の身が此の世に出でし幼き時より、朝夕の艱難苦労《かんなんくろう》あそばしてお育て下さりました甲斐もなく、無事で亡き魂《たま》をお弔
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