Eって打付けましたけれども、文治は少しも動かぬものですから、死んだと思うてか、いよ/\側に寄りまして、文治の胸元に刺さりました矢に手を掛け、引起そうと致しまする其の手をむんずと掴《つか》んで起き上りますと、島人は恟《びっく》りして、
島人「あゝ、あゝ」
文治は手を取った儘、胸元に刺したと見せた矢を片手に持ち、
文「これ島人、最前から怪しい者ではない、助けてくれと申した言葉は其許《そこもと》の耳に通じないか、我は難船した者でござる、頼りなき漂流人でござるぞ、お聞入れなすったか、宜しいか」
と手を放しますると、又々腰に差したる木刀|様《よう》の物を持って文治に打ってかゝる。その小手下《こてした》を掻潜《かいくゞ》って又も其の手を確《しか》と押え、
文「はて、此奴《こいつ》は言葉が通ぜぬと見えるわい、何時《いつ》まで問答しても無益なり」
と考え直して、手真似口真似して「己《おれ》は決してお前に仇《あだ》をなす者ではない、漂流人で難儀して居《お》る者である」ということを知らせますると、少しは分ったものと見えまして、強《し》いて手向いする様子もございませぬ。
文「あなたは何処《どこ》からお出《い》でになりました、何《なん》と申すお国のお方でございます」
島人「これ、己《おれ》え島だ」
文「成程、何《なん》と申す処からお出でかな」
島人「これ、己え島だ、彼方《あっち》からカノーで来ただ」
文「左様でござるか、どうぞ貴方の島へ御同道して下さいまし」
と手真似かた/″\申しますると、
島人「己え此の島で鳥を捕《と》るだ」
文「左様ならば私《わたくし》も同道して鳥を捕るお手伝いをいたしましょう」
文治はもう此の島人を逃がしては此の島を出る機会《おり》がないと思いまして、いろ/\上手を使って、話も確《しか》と分りませぬが、片言《かたこと》まじりで交際《つきあ》いながら、彼方《かなた》此方《こなた》を経廻《へめぐ》って、さま/″\の鳥を撃取りました。最早日暮になりましたが、島人は夜《よ》に入《い》っても帰る気色《けしき》がございませぬ。勿論無人島は虫や獣が沢山居りまして、慣れぬ身には安心して泊ることが出来ませぬから、島人は夜に入って一夜を明かす所存と見えます。併《しか》しこう何か思案して居りますから、文治は、
文「さア/\」
と急《せ》き立てゝ海岸へ出て見ますと、舟がございます。只今申上げましたカノウ[#「カノウ」に傍点]と申しまするは舟のことであります。これは丸木で彫上《ほりあ》げました物で、長さは凡《およ》そ三間《さんげん》、幅は二尺五寸ぐらいあります。只今考えて見ますと、大阪の博物館にあります、古風の独木舟《まるきぶね》のようなもので、何《なん》の木か一向分りませぬ。舟といえば舟、人の二人も乗りますると、外《ほか》に何も置く処はございませぬ。さア何《ど》うか此の舟へ乗せて連れて往ってくれと申しますと、島人は何《なん》だか未《ま》だ文治を疑《うたぐ》って居ります様子、飛乗る途端に文治を陸《おか》へ突き放し、自分一人が飛乗りまして漕ぎ出そうと致します。併《しか》し海岸は遠浅で、岩角が沢山有りますから思うように舟が出ませぬ。是幸いに文治は突然《いきなり》海へ飛込み、カノー[#「カノー」に傍点]の小縁《こべり》に取付きました。その手を件《くだん》の島人が木刀を振上げて打とうと致しますから、文治は手早く其の手を取って押え、其の儘舟へ飛上りまして、
文「やい最前から是ほど申しても分らぬか、いかに言葉が碌々《ろく/\》通ぜずとも、あれ程手を合わして頼んだじゃないか、いよ/\肯《き》かずば打殺《うちころ》すぞ、さア何《ど》うだ、これでもか」
と手を捩上《ねじあ》げますると、
島「ウーム、負けろ/\」
文「分ったか」
島「大隅明《おおすみあきら》へ……」
文「その大隅明と申すのは其許《そのもと》の名か」
と指さし致しますると、
島「えッ/\」
と親指を出しましたので、
文「さては此の島人の居《お》る島に大隅明という島司《しまつかさ》が居《お》ると見えるわい、其の人ならば必ず分るであろう、召使同様な此奴《こいつ》が分らぬのも無理はない我《われ》が舟に乗るのを拒んで手向いしたというのも、我が同類を殺しはせぬかと疑《うたぐ》っての事であろう、尤《もっと》も千万、併《しか》し我《われ》が強力《ごうりき》に恐れてか、温順《おとな》しくなったとは云うものゝ、油断はならぬわい」
と文治は不図《ふと》思い付きまして、提物《さげもの》を取出して島人に遣《つか》わしますると、島人は嬉しそうに繰返し/\見て居りまする。又文治が胴巻の中《うち》より金を取出し、一分銀一枚を与えますると、島人は然《さ》も嬉しそうに之を押戴《おしいたゞ》きました。掌《て》の上に乗せて、ためつすがめつ見る様は、始めて手にしたものとは思われませぬ。
文「こう喜ぶところを見ると、金《かね》ということを知って居《お》るものと見え。併し島司が有って見れば、この金を遣《や》ったところで、自分の物にするという訳には行《ゆ》くまい」
と感付きましたから、又々銭を出してやりますと、島人は両手を支《つ》き、頭を下げて喜んで居《お》りまする。
三十五
さて文治は島人の喜ぶ様子を見まして、
文「漸《ようや》く心が解けたと見えるわい、さア舟を漕ぐように」
と手真似で知らせますると、島人は頷《うなず》き、箆《へら》のような物を出しまして、ギュウ/\と漕ぎ始めました。只今の短艇《たんてい》のようなものと見えます。始めの内は風もなく、誠に穏《おだや》かな海上でありましたが、夜《よ》の更《ふけ》るに従って浪はます/\烈《はげ》しく、ざぶり/\と舟の中に汐水が入りますのみか、最早|小縁《こべり》と摩《す》れ/\になりまして、今にも覆《くつがえ》りそうな有様でございます。文治は心の中《うち》に、
「又も難船か、何《なん》たる不幸の身ぞ、八百万《やおよろず》の神々よ、どうぞ一命を助けたまいて、一度蟠龍軒に邂《めぐ》り逅《あ》いますよう、又二つには女房お町に逢いまして、共々に敵討の出来まするよう、助けたまえ護らせたまえ」
と思わず声を放ちて祈りますると、島人は不思議そうに文治の顔を見ては、何《ど》うかされるのかと怪《あやし》んで居りまする。文治はそれと心付きて、島人を励まし、自分も力を添えて舟を操《あやつ》りましたが、
文「いや待てよ、何処《どこ》の島へ往《ゆ》くのか知らぬが、磁石も無ければ的《まと》もない、何方《どっち》の方へ往く所存か知らん、困ったものだ」
と思いまして、
文「これ/\島人、何処まで往っても見当が知れぬではないか」
と真似をして見せますと、
島「風暑い」
と申します。さては南の方へ往《ゆ》くのかと少しは安心いたしましたが、兎角する内に東の方《ほう》が糸を引いたように明るくなりました。
文「はゝア、東は彼方《あっち》の方だな、途方もない見当違いをして居《い》るものだ、大分浪も静かになったようだが、こうして居《お》る内には何《いず》れかの島へ着くであろう」
と夜《よ》の明けるに従っていよ/\安心いたしました。よう/\其の日の巳刻《よつ》頃になりますと、嬉しや遥か彼方《あなた》に当り微《かす》かに一つの島が見えまする。これぞ当時は八九分通り開けて居りますが、小笠原島《おがさわらじま》でございます。文治は盲亀《もうき》の浮木《うきぎ》に有附きたる心地して、
「正直の頭《こうべ》に神宿るとは宜《よ》く申した、我は生れて此の方、不正不義の振舞をした例《ためし》はない、天我を憐みたまいてお救い下さるか、あゝ有難し辱《かたじ》けなし」
と喜んで居りますると、俄然《がぜん》一陣の猛風吹き起って、忽《たちま》ち荒浪《あらなみ》と変じました。見る/\中《うち》に逆捲《さかま》く浪に舟は笹の葉を流したる如く、波上《はじょう》に弄《もてあそ》ばれて居《お》る様は真に危機一発でございます。取付く島の見えぬ内は案外|胆《きも》も据《すわ》っておるものでございますが、微《かす》かなりとも島が見えますると、頼りに想う心が出ますので、何《ど》うしても気が焦《あせ》るものでございます。文治も島人も一生懸命になって居りますが、何分|櫓《ろ》一挺《いっちょう》しかござりませぬから、何《ど》うすることも出来ませぬ。浪のまに/\揺られて居ります折しもあれ、大きな岩と岩との間に打込まれました。其の儘にして風の止むのを待って居れば宜しいのでございますが、其処《そこ》が気が焦って居《お》るものですから、
文「やッ、こりゃ大変、もし此処《こゝ》に斯《こ》うして居て、今に波が被《かぶ》って来ると、岩間《いわま》の鬼と消えなければ成らぬ、それッ」
と島人を励まして、岩と岩との間に櫓を挟《はさ》んで舟をこじり出そうと致しましたのが運の尽《つき》、すわと云う間《ま》に櫓は中程よりポッキと折れてしまう。その機《はず》みに舟は再び海上に飛出しました。もう如何《いかん》ともする事が出来ませぬ。どう/″\と寄せ来る波上に車輪の如く廻りながら、彼是二三十丁も押流されましたが、又も大きな岩角へ打付けられて、無慙《むざん》や両人とも打ち処が悪かったと見えて、其の儘絶息いたしました。不思議にも文治が命の助かります次第は後《のち》のお話といたしまして、扨《さて》此方《こなた》は二居ヶ峰の麓《ふもと》、こんもり樹茅《きかや》の茂れる山間《やまあい》には珍らしき立派な離家《はなれや》があります。多分|猟人《かりゅうど》の中《うち》の親方でございましょう。
猟人「やア喜右衞門《きえもん》どん、今なア二居ヶ峰にえれえ事がありやしたア、己《おら》アとな彌右衞門《やえもん》と二人での、帰《けえ》るべえと思ったら、えれえ熊ア出やした、撃《ぶ》つべえと思うと、側に女さア附いているだて撃つことが出来ねえだ、己ア大《でけ》え声で、女郎《めろう》退《ど》けやアと喚《がな》っても退かねえでな、手を合せて助けてくれちッて泣くでえ、女郎退かねえば撃《ぶ》っ殺すぞと云っても逃げねえだ、彌右衞門め腹ア立って、彼奴《あいつ》は化物だんべえから熊と一緒に撃つべえと云うだ、そんだから己ア後《あと》でまたお前《めえ》におっ叱《ちか》られると詰《つま》んねえだから、一走《ひとッぱし》り往って喜右衞門どんに聞いて来《く》べえと云って、此処《こゝ》へ来る途中で鉄砲が鳴りやした、多分彌右衞門め、己《おら》の帰《けえ》りを待たねえで撃ったんだんべえ、何《なん》ぼ何《なん》でも喜右衞門どん、人間を撃っちゃア悪かんべえな」
喜「悪いとも/\、たとい間違いでも人を撃《ぶ》っ殺すと、自分の首さアおっ飛ぶぞ」
猟「やア、そりゃ困った事が出来たな」
と両人《ふたり》は顔をしかめて居ります。
三十六
猟人《かりゅうど》二人が案じて居りますところへ、見馴れぬ女が尋ねてまいりまして、
女「はい、御免下さいまし」
一人の猟人は消魂《けたゝま》しく、
猟「やアあの化物がやって来た」
喜「馬鹿野郎、そんなに騒ぐもんじゃア無《ね》え」
流石《さすが》に猟師の親方だけあって落着いたもの。言葉静かに、
喜「一体お前様《めえさん》は何《なん》でがすえ」
女「はい、私は仔細あって昨年|夫婦連《ふうふづれ》にて旅行の途中、二三里あとの山中にて山賊に逢いまして、連合《つれあい》の者は行方知れず、私は二人の山賊に追われます途端、幸か不幸か、思いがけなく熊の穴へ落ちまして、其の熊に囓み殺されることかと思いの外《ほか》、却《かえ》って熊のために助けられまして、今まで命を存《ながら》えて居りました、不憫《ふびん》と思召して何《ど》うぞお助け下さいまし」
喜「何しろ怖《おっ》かねえ姿《なり》だなア、化物じゃアあるめえなア」
女「決して怪しい者ではござりません」
喜「はア、そんじゃアお前《めえ》は何処《どこ》の国の者で、名ア何《なん》ちゅうのか其処
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