一人の猟人《かりゅうど》は他《ほか》の猟人に向いまして、
 甲「おい、あの女め、熊に抱付いたぞ、ありゃア只者《たゞもの》じゃアあるめえ、魔法使か化物だろう、いっそ人ぐるみ撃殺してしまおうじゃアねえか」
 と鉄砲を向けますと、
 乙「これ/\人間を撃つと又名主殿へ呼付けられて酷《ひど》い目に遇《あ》うぞ、まア待て/\」
 甲「それもそうだな、やい女郎《めろう》め、其の熊ア汝《われ》え縛って引いて来いやア」
 乙「おい/\そんな無理な事を云うなってば……女郎に熊ア連れて来られるもんか、何か仔細があるに違《ちげ》えねえだ、汝《わりゃ》ア此処《こゝ》に只鉄砲を向けて見張っているが宜《よ》い、己《おら》ア名主殿へ往って話して来《く》べえ」
 甲「そんなら早く往って来いよ、これ女郎、その熊ア逃がすと汝《われ》え撃つぞ」
 と暫く山と山、谷を隔《へだ》てゝ睨《にら》み合って居りました。
 町「それ見なさい、お前は今更逃げる事も出来ない、あの猟人が万一お前を撃つならば、私も共に命を棄てましょう、必ず/\お前ばかり撃たせはせぬ、世にまします神々よ、たとい獣類なればとて、命を助けし大恩あるもの何《ど》うぞ助けて給われかし」
 と熊の傍《そば》に寄り添いまして、
 町「さア穴の方へ往《ゆ》けよ、さア/\」
 と追いやる如く引立つれば、熊は頷《うなず》く様子にてお町の顔を一度見て、一散走《いっさんばし》りに谷間の方へ駈け出します。
 町「それ撃たれなよ」
 と云う間《ま》もあらばこそ、一発ズドンと打放《うちはな》しました。お町は熊を見返りまして、
 町「やれ撃たれしか」
 と云う間にまた一発放ちました。さてお話変って、文治の漂い着きました無人島は、佐渡を離れること南へ何百里でございますか、島の大きさも確《しか》とは分りませぬが、白鳥、鸚鵡《おうむ》、阿呆鳥などいう種々《しゅ/″\》の鳥が沢山居ります。文治は尋ねあぐみて殆《ほとん》ど気絶の体《てい》でございましたが、暫くして我に返り、
 文「あゝ天|何故《なにゆえ》に我を斯《か》くまで懲らしめ給うか、身に悪事をなしたる覚えなきに、如何《いか》なれば斯く我を苦しめ給うぞ、世にある時は人を助け、人のために人を懲《こら》しもし、また彼《あ》の友之助を助けるために蟠龍軒の屋敷へ踏入り、悪事加担の奴ばらを切殺したりとは云いながら、これ私慾のためならず、世のため人のため、天に代って誅戮《ちゅうりく》を加えたるに過ぎざれど、其の職其の身にもあらぬため却《かえ》って罪となりつるか、かゝる無人島に彷徨《うろつ》いて徒《いたず》らに乾殺され、後世人の笑いを受けるより、寧《いっ》そ此の場に切腹して潔《いさぎよ》く相果て申さん」
 と覚悟いたしましたが、また思い直して、
 文「いや、見す/\蟠龍軒|似寄《により》の者が、新潟の沖なる親船に忍んで居《お》ると聞きながら、武士と生れて一太刀《ひとたち》怨《うら》みもせず、此の儘死ぬるも残念至極、また女房とても生死の程も分らぬ中《うち》に、空しく無人島の鬼と化したる其の後《のち》に、それと知ったなら嘸《さぞ》かし我身を恨むであろう、さぞや蟠龍軒が笑うであろう、こりゃ土を喰っても死なれぬわい、よし/\二人の舟子《ふなこ》の衣類を剥《は》いで、船の修覆《しゅふく》の材料となし、獣類魚類さては木の実を捜して命を繋《つな》ぐ工夫が肝腎《かんじん》、ウム、向うに見えるは鳥なるべし」
 とやおら身を起して腕に覚えの一礫《ひとつぶて》、見事に中《あた》って白鳥一羽|撃留《うちと》めました。やれ嬉しやと切石《きりいし》を拾うて脇差の柄《つか》に打付け、袂《たもと》にあり合う綿に火を移し、枯枝にその火を掛けて焚火《たきび》をなし、また樹《き》の枝を折って樹から樹を柱に、屋根をこしらえて雨露《あめつゆ》を凌《しの》ぐの棲家《すみか》となし、先ず其の日暮しの用意は出来ました。
 文「これで先ず露命を繋《つな》ぐ趣向が出来たというもの、此の上は一日《いちじつ》も早く此の島を脱《ぬ》け出《い》でて、再び蟠龍軒に廻《めぐ》り合い、武士の嗜《たしな》み思う存分に敵《かたき》を討たなければならぬ、あゝ/\我は斯《か》かる無人の島に漂うて辛うじて命を継《つな》ぎ居《お》るに、仇《あだ》は日々夜々《ひゞよゝ》に歓楽を極めて居《お》ることであろう、實《げ》に浮世とは申しながら、天はさま/″\に人を操《あやつ》るものかな、蟠龍軒よ、此の方《ほう》が再び廻り合うまでは達者で居れよ、我妻《わがつま》もまた此の世に居らば何《ど》うぞ無事で居てくれよ」
 と心の中《うち》に祈らぬ日とてはござりませぬ。別に話し相手というもなく、只《た》だ船を繕《つくろ》うことにのみ屈托《くったく》して居りまする。折々《おり/\》木を切り魚《うお》を捕《と》りますごとに、思わず、
 文「汝《おのれ》蟠龍軒、切って/\切殺しくれん」
 と大声《たいせい》に呼《よば》わりましては又我に返り、
 文「これで思いが届かねば、人と生れた甲斐もなし、蟠龍軒達者で居れよ」
 と云う折しも、木蔭《こかげ》に怪しき声ありて、「達者で居れ」という。文治は暫く四辺《あたり》を見廻しまして、
 文「さては何者か、我が哀れ果敢《はか》なき境涯を見て笑うものと見えるわい」
 と体《たい》を潜めて様子を窺《うかゞ》って居りましたが、別に怪しい様子もござりませぬ。
 文「はて、不思議なこともあるものだ、達者で居れと己《おれ》の口真似をしたのは何者か知らん、まさか夢ではあるまい」
 と段々山深く入込《いりこ》んで、彼方《あちら》此方《こちら》を尋ね廻りますると、高き樹の上に一筋の矢が刺さって居りまする。

  三十三

 文治は端《はし》なくも樹の上に征矢《そや》を認め、
 文「はて、彼処《あすこ》に矢の刺さっている処を見れば、今は人が居ないにしても、我のように漂うて来た者があるに違いない」
 と独語《ひとりごと》をいいながら其の樹に攀登《よじのぼ》り、矢を抜いて見ますと、最早竹の性《しょう》は脱《ぬ》けて枯枝同然、三四年も前から雨曝《あまざら》しになっていたものと見えて、ぽき/\と折れまする。文治は窃《そ》ッとこれを抜取りまして、
 文「チエ…有難や、これこそ確かに人の造りし征矢、案に違《たが》わず此の島は折々|四辺《あたり》の島人《しまびと》の訪い来る島に相違ない、たとい其の島人が鬼であろうが蛇《じゃ》であろうが、事を分けて話したら、よもや頼みにならぬ事もあるまじ、やれ嬉しや、やッ……それ/\、今達者でおれと口真似をしたのは其の島人にはあらざるか、但《たゞ》し心の迷いかは知らぬが、かゝる矢種《やだね》のあるからには、何時《いつ》しか人の来るに相違ない、あゝ有難い/\」
 また木蔭に声ありて、
 「あゝ有難い/\」
 文「いや、今のは確かに……」
 と四辺《あたり》を見ますと、一羽の鸚鵡《おうむ》がつくねんと樹の叉《また》に蹲《うずく》まって居りまする。文治は心中に、「さては鸚鵡でありしか」と我ながら可笑《おか》しさに耐えず、
 文「達者で居れ」
 鸚「達者で居れ」
 文「馬鹿野郎」
 鸚「馬鹿野郎」
 なか/\よく人の真似を致します。
 文「やッ、これは面白い」
 と其の鳥を押えますと、平生人の居りませぬ島でありますから、少しも人を恐がる様子もなく、馴々しく手の上へも止ります。
 文「これは好《よ》い鳥を見付けたわい」
 とそれから二三の鸚鵡を押えて、住居《すまい》へ持帰りまして、「旦那様か、お町でございます」などと口真似をさせるのが何よりの楽《たのし》み。日々鸚鵡を話相手同様にして其の日/\を送って居りましたが、何分にも島には虫が多く居りまして、少しも火を絶やすことが出来ませぬ、昼夜とも焚火をして其の側に寝起《ねおき》して居りまする。虫が多いくらいですから、夏は随分暑うございますが、冬は案外暖かく、寒中でも四月頃の陽気であります。月日の絶《た》つのは早いもので、早くも一箇年《いっかねん》を過ぎました。待てど暮せど人も来ず、身の上にも別に変りたる事もなく、食物《しょくもつ》を漁《あさ》るの外《ほか》は日々船繕いに余念なく、無事に大海《たいかい》へ乗出すことの出来るようにと工夫する外には何《なん》の考えもございませぬ。此の島へ上《あが》ってから最早《もう》一年余になりますから、着物は切れ、髯《ひげ》はぼう/\として、何《ど》う見ても人間とは思われませぬ。今日も船繕いに疲れて、夜《よ》に入《い》り木の実などを食べて、例の通り焚火の端に打倒れて一寝入りいたしますると、何者にや枕元に立って揺り起すものがあります。文治はがばと撥起《はねお》き、
 文「いや、其の方は何人《なにびと》じゃ、おゝ、お町ではないか」
 町「はい旦那様、ようお達者でおいで下さいました、お懐かしゅうございます」
 文「ウム、町や、そちも達者でいてくれたか、まア何《ど》うして斯様《かよう》な処へまいりしぞ、して能《よ》く私《わし》の居《お》る処が知れたの」
 町「はい、あの峠で端なくも貴方にお別れ申してから、さま/″\の艱難辛苦《かんなんしんく》をいたしましたが、それでも神様のお助けで、虎の顎《あぎと》を遁《のが》れまして、再び貴方にお目に懸ることが出来ました、これと云うのも矢張《やっぱり》神様のお助けでございます」
 文「まア何は扨置《さてお》き、明暮《あけくれ》其方《そち》のことを案じぬ日とてはなかった、宜《よ》く達者でいてくれた、人も通わぬ無人島、再び其方に逢うというのは斯《こ》んな嬉しいことはない」
 町「はい、貴方もお達者で」
 と後《あと》は涙に物云わせ、暫《しば》し文治の顔を見詰めて居りますと、文治も堪《こら》え兼て熱い涙を流しながら、お町の手を握って引寄せますると、足もとから長さ三尺にも余ります蛇《くちなわ》がのたりを打ってずる/\/\。お町は驚いて、「あれッ」と夫に凭《もた》れかゝりますと、
 文「町や、こんな事は毎日の事じゃ、何《ど》うも致しはせぬ、お町々々」
 と呼べども答えはございませぬ。文治は眼をこすりながら、
 文「えゝ、また夢か、馬鹿々々しい」
 総身の汗を拭いまして、
 文「もう夜《よ》が明けたのか、誠や聖人に夢なしとか、心の清らかなる人に夢のあるべき筈はない、我は夜《よる》となく昼となく夢現《ゆめうつゝ》に心を痛め、さながら五臓を掻きむしらるゝの思い、武士の家に生れながら腑甲斐《ふがい》なし」
 と我と我が心に愧《は》じて、焚火の辺《ほとり》にてほッと息を吐《つ》く折しもあれ、怪しや弦音《げんおん》高く一枝《いっし》の征矢は羽呻《はうな》りをなして、文治が顔のあたりを掠《かす》めて、向うの立木《たちき》に刺さりました。
 文「やア今の夢といい、また矢の飛び来《きた》りしは此の身の助かる前兆か知らん、此の身が彼《あ》のまゝ寝ていたら、或は此の矢のためにあたら命を失ったかも知れぬ、妻の夢のため眼を覚せしところを見れば、定めしお町が八百万《やおよろず》の神々に此の身の無難を祈っているのであろう、あゝ辱《かたじけ》ない」
 人情の常として、何《なん》に付けても思い出すのは女房子でございます。
 文「あゝ危《あぶな》かった」
 と思う間もなく、また二の矢がブウンと羽響きをなして飛んで来ました。文治はハッと身を拈《ひね》り、矢の来た辺《あたり》へ眼を付けて、
 文「やア/\拙者は決して怪しい者ではないぞ、漂流いたして難儀の者、助けたまえ」
 と声を限りに手を合せて助けを乞いましたが、弓取る人は、聾《つんぼ》か但《たゞ》しは言葉の通ぜぬためか、何程手を合わして頼み入っても肯入《きゝい》れず、又も飛び来る矢勢《やせい》鋭く、殊《こと》に矢頃近くなりましたから、憫《あわ》れむべし、文治は胸のあたりを射通されて其の儘打倒れました。

  三十四

 文治は図らずも二の矢を射られて倒れたまゝ、身動きもせず様子を窺《うかゞ》って居りますると、弓を提《さ》げたる島人《しまびと》が、小石を
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