友之助は斯《か》くと聞いて大いに怒り、大伴に向って悪口《あっこう》いたしましたので、蟠龍軒は友之助を取って押え、高手小手《たかてこて》に縛り上げて割下水《わりげすい》の溝《どぶ》へ打込んだという話を聞き、義憤むら/\と発して抑え難く、ついに蟠龍軒の道場へ踏込《ふみこ》み、一味加担の奴ばらを打殺し、大伴だけ打漏《うちもら》して、窃《ひそ》かに自宅へ帰ったという処までが、故圓朝師の話でございます。これより私《わたくし》が予《かね》て聞きおぼえたる記憶を喚起《よびおこ》して、後の文治の伝記を伺います。さて其の翌日は安永五年の六月三十日でございます、蟠龍軒の道場にて何者にか数多《あまた》の者が殺されたという届出《とゞけいで》がありますから早速北割下水蟠龍軒の道場へ御検視が御出張になりまして吟味いたしましたが、誰が殺したのか一向分りませぬ。其の頃八丁堀の町与力|小林藤十郎《こばやしとうじゅうろう》という人は、「これは多分蟠龍軒のためさん/″\恥辱を受けた友之助の仕事であろう」と疑いましたが、誰《たれ》あって文治の仕事と心付く者はございませぬ。まして百日あまり外出いたしませず、また近所の者は日頃文
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