しょう、刀は差せと云わば仕方がねえから差しますが、私だけはお駕籠の先へぶら/\往《い》きます」
と我儘を云うてなりませんが、左様な我儘なお供はござりませんから、權六も袴を付け、大小を差し、紺足袋《こんたび》福草履《ふくぞうり》でお前駆《さきとも》で見廻って歩きます、お中屋敷は小梅で、此処《これ》へお出でのおりも、未だお部屋住ゆえ大したお供ではございませんが、權六がお供をして上野の袴腰《はかまごし》を通りかゝりました時に、明和三年正月も過ぎて二月になり、追々梅も咲きました頃ですから、人もちら/\出掛けます。只今權六が殿様のお供をして山下の浜田と申す料理屋(今の山城屋)の前を通りかゝり、山の方《かた》の観物小屋《みせものごや》に引張る者が出て居りますが、其方《そちら》へ顔も向けず四辺《あたり》に気を附けてまいると、向うから来ました男は、年頃二十七八にて、かっきりと色の白い、眼のきょろ/\大きい、鼻梁《はなすじ》の通った口元の締った、眉毛の濃い好《い》い男で、無地の羽織を着《ちゃく》し、一本短い刀を差し、紺足袋|雪駄穿《せったばき》でチャラ/\やって参りました。不図《ふと》出会うと中国もので、矢張|素《も》と松平越後様の好《よ》い役柄を勤めました松蔭大之進《まつかげだいのしん》の忰、同苗《どうみょう》大藏《だいぞう》というもので、浪々中互いに知って居りますから、
權「大藏さん/\」
と呼びますから大藏は振向いて、
大「いや是れは誠に暫らく、一別|已来《いらい》[#「已来」は底本では「己来」]……」
權「うっかり会ったって知んねえ、むお変りがなくって……此処《こゝ》で逢おうとは思いませんだったが、何うして出て来たえ」
と立止って話をして居りますから、他の若侍が、
若「これ/\權六殿/\」
權「えゝ」
若「お供先だから、余り知る人に会ったって無闇に声などを掛けてはなりませんよ」
權「はい、だがね国者《くにもの》に逢って懐かしいからね、少し先へ往っておくんなせえ、直ぐに往くと殿様に然う申しておくんなせえ、まお前《めえ》達者で宜《い》い、何処《どこ》にいるだ」
大「お前も達者で何処に居《お》らるゝか、実に立派な事で、お抱えになったことは聞いたが、立派な姿《なり》で、此の上もない事で、拙者に於ても悦ばしい[#「悦ばしい」は底本では「悦しばい」]」
權「ま悦んでくんろ、今じゃア奉公大切に勤めているだが、お前《めえ》さんは何処にいるだ」
大「拙者は根岸の日暮《ひぐれ》ヶ岡《おか》に居《お》る、あの芋坂《いもざか》を下りた処に」
權「私《わし》の処へは近《ちけ》えから些《ちっ》と遊びに来なよ、其の内私も往くから」
若「これ/\其様《そん》なことを云っては成りません」
權「今日は大将がいるから此処で別れるとしよう、泣く子と地頭にゃア勝《かた》れねえ」
と他の家来衆も心配して彼是云いますので、其の日は別れ、翌日大藏は權六の家《うち》へまいりましたから、權六悦びました。此の大藏はもと越後守様の御家来で、遠山龜右衞門とは同じ屋敷にいた者ゆえ、母もお千代も見知りの事なれば、
「お互いに是は思い掛けない、縁と云うものは妙だ、国を出たのは昨年の秋で、貴方も国にお在《いで》のないという事は人の噂で聞きました」
大「お前も御無事で、殊《こと》に御夫婦仲も宜し、結構で」
權「まアね、お母《ふくろ》も誠に安心したし、殿様も贔屓にしてくれるだが、扶持も沢山《たんと》は要《い》らない、親子三人喰うだけ有れば宜《い》いてえに、其様な事を云わずに取って置くが宜いって、種々《いろ/\》な物をくれるだ、貰わねえと悪いと云うから、仕方なしに貰うけれども、何でも山盛り呉れるだ、喰物《くいもの》などは切溜《きりだめ》を持ってって脊負《しょ》って来《こ》ねえばなんねえだ、誠にはア有難《ありがて》え事になって、勿体ねえが、他に恩返《おんげえ》しの仕様がねえから、旦那様を大切《でえじ》に思って、不寝《ねず》に奉公する心得だが、貴方《あんた》は今の若さで遊んでいずに、何処かへ奉公でもしたら宜かろう」
大「拙者も然《そ》う思ってる、迚《とて》も国へ往ったっていけんから、何処ぞへ取付こうと思うが、御当家でお羽振の宜《い》いお方は何というお方だね」
權「私《わし》ア其様な事は知んねえ、お国家老の福原數馬《ふくはらかずま》様、寺島兵庫《てらじまひょうご》様、お側御用|神原五郎治《かんばらごろうじ》様とかいう奴があるよ」
大「奴とは酷《ひど》いね」
權「それに此間《こねえだ》ちょっくら聞いたが、御当家には智仁勇の三人の家来があるとよ、渡邊織江《わたなべおりえ》さんという方は慈悲深い人だから是が仁で、秋月喜一郎《あきづききいちろう》かな是はえら剛《きつ》い人で勇よ、えゝ何とか云いッけ……戸村主水《とむらもんど》とかいう人は智慧があると云いやした、此者《これ》が羽振の宜《い》い処だ、其の人らの云う事は殿様も聴くだ、御家来に失策《しくじり》が有っても、渡邊さんや秋月さんが取做《とりな》すと殿様も赦《ゆる》すだ、秋月さんは槍奉行を勤めているが、成程|剛《つよ》そうだ、身丈《せい》が高くってよ」
と手真似をして物語る内、大藏は掌《てのひら》の底に目を附けました。
十一
大「足下《そっか》掌《て》を何うした、穴が開いているようだが」
權「これか、是は殿様が槍を突掛《つッか》けて掌《て》で受けるか何うだと云うから、受けなくってというので、掌で受けたゞ」
大「むゝ、そうか、そして御家来の中《うち》仁は渡邊織江、勇は秋月、智は戸村、成程斯ういう事は珍らしいから書付けて往《ゆ》きましょう」
と細かに書いて暇乞《いとまごい》を致し、帰る時に權六が門まで送り出してまいりますと、お役所から帰る渡邊に出会いましたから、權六も挨拶する事ぐらいのことは心得て居りますから、丁寧に挨拶する。渡邊も答礼して行過《ゆきす》ぎるを見済《みすま》して、
大「彼《あれ》は」
權「彼《あれ》が渡邊織江様よ、慈悲深い方で、家来に難儀いする者が有ると命懸で殿様に詫言をしてくれるだ、困るなら銭い持って行けと助けてくれると云うだ、どうも彼《あ》の人には敵《かな》わねえ」
大「成程|寛仁大度《かんじんたいど》、見上げれば立派な人だね」
權「なにい、韓信《かんしん》が股ア潜《くゞ》りだと」
大「いえ中々お立派なお方だ、最《も》う五十五六にもなろうか……拙者も近い所にいるから、また度々《たび/\》お尋ね下さい、拙者も亦《また》お尋ね申します」
權「お前辛抱しなよ、お女郎買におっ溺《ぱま》ってはいかねえよ、国と違ってお女郎が方々に在《あ》るから、随分身体を大事《でえじ》にしねば成んねえ」
大「誠に辱《かたじ》けない、左様なら」
と松蔭大藏は帰りました。其の後《ご》渡邊織江が同年の三月五日に一人の娘を連れて、喜六《きろく》という老僕《じゞい》に供をさせて、飛鳥山《あすかやま》へまいりました。尤《もっと》も花見ではない、初桜《はつざくら》故余り人は出ません、其の頃には海老屋《えびや》、扇屋《おうぎや》の他に宜《よ》い料理茶屋がありまして、柏屋《かしわや》というは可なり小綺麗にして居りました。織江殿は娘を連れて此の茶屋の二階へ上《あが》り、御酒《ごしゅ》は飲みませんから御飯《ごぜん》を上っていました。此の娘は年頃十八九になりましょうか、色のくっきり白い、鼻筋の通った、口元の可愛らしい、眼のきょろりとした……と云うと大きな眼付で、少し眼に怖味《こわみ》はありますが、是《もっと》も巾着切《きんちゃくきり》のような眼付では有りません、堅いお屋敷でございますから好《よ》い服装《なり》は出来ません、小紋の変り裏ぐらいのことで、厚板の帯などを締めたもので、お父《とっ》さまは小紋の野掛装束《のがけしょうぞく》で、お供は看板を着て、真鍮巻《しんちゅうまき》の木刀を差して上端《あがりばな》に腰をかけ、お膳に酒が一合附いたのを有難く頂戴して居ります。二階の梯子段の下に三人車座になって御酒を飲んでいる侍は、其の頃|流行《はや》った玉紬《たまつむぎ》の藍《あい》の小弁慶《こべんけい》の袖口がぼつ/\いったのを着て、砂糖のすけない切山椒《きりざんしょ》で、焦茶色の一本独鈷《いっぽんどっこ》の帯を締め、木刀を差して居るものが有ります。火の燃え付きそうな髪《あたま》をして居るものも有り、大小を差した者も有り、大髷《おおたぶさ》の連中《れんじゅう》がそろ/\花見に出る者もあるが、金がないので往《ゆ》かれないのを残念に思いまして、少しばかり散財《ざんざい》を仕ようと、味噌吸物《みそずいもの》に菜のひたし物|香物《こう/\》沢山《だくさん》という酷い誂《あつら》えもので、グビーリ/\と大盃《おおもの》で酒を飲んで居ります。二階では渡邊織江が娘お竹と御飯《ごぜん》が済んで、
織「これ/\女中」
下婢「はい」
織「下に従者《とも》が居《お》るから小包を持って来いと云えば分るから、然《そ》う云ってくれ」
下婢「はい畏《かしこ》まりました」
とん/\/\と階下《した》へ下りまして、
下婢「あの、お供さん、旦那があの小さい風呂敷包を持って二階へ昇《あが》れと仰しゃいましたよ」
喜「はい畏まりました」
と喜六と云う六十四才になる爺さんが、よぼ/\して片手に小包を提げ、正直な人ゆえ下足番が有るのに、傍《わき》に置いた主人の雪踏《せった》とお嬢様の雪踏と自分の福草履三足一緒に懐中《ふところ》へ入れたから、飴細工の狸見たようになって、梯子を上《あが》ろうとする時、微酔機嫌《ほろよいきげん》で少し身体が斜《よこ》になる途端に、懐の雪踏が辷《すべ》って落《おち》ると、間の悪い時には悪いもので、彼《か》の喧嘩でも吹掛《ふっか》けて、此の勘定を持たせようと思っている悪浪人《わるろうにん》の一人が、手に持っていた吸物椀の中へ雪踏がぼちゃりと入ったから驚いて顔を上げ、
甲「これ怪《け》しからん奴だ、やい下《おり》ろ、二階へ上《あが》る奴下ろ」
と云いながら喜六の裾を取ってぐいと引いたから、ドヽトンと落ち、
喜「あ痛いやい……」
甲「不礼至極《ぶれいしごく》な奴だ、人が酒を飲んでいる所へ、屎草履《くそぞうり》を投込むとは何の事だ」
と云いながら二つ三《み》つ喜六の頭を打つ喜六は頭を押えながら、
喜「あ痛い……誠に済みませんが、懐から落ちたゞから御勘弁を願《ねげ》えます」
甲「これ彼処《あすこ》に下足を預《あずか》る番人があって、銘々下足を預けて上《あが》るのに、懐へ入れて上る奴があるものか、是には何か此の方に意趣遺恨があるに相違ない」
喜「いえ意趣も遺恨もある訳じゃねえ、お前様《めえさま》には始めてお目に懸って意趣遺恨のある理由《わけ》がござえません、私《わし》は何《なん》にも知んねえ田舎漢《いなかもの》で、年も取ってるし、御馳走の酒を戴き、酔払いになったもんだから、身体が横になる機《はず》みに懐から雪踏が落ちただから、どうか御勘弁を」
と詫びましたが、浪人は肩を怒らせまして、
甲「勘弁|罷《まか》りならん、能く考えて見ろ、人の吸物の中へ斯様に屎草履を投込んで、泥だらけにして、これを何うして喰うのだ」
喜「誠に御道理《ごもっとも》……併《しか》し屎草履と仰しゃるが、米でも麦でも大概《たいげえ》土から出来ねえものはねえ、それには肥料《こやし》いしねえものは有りますめえ、あ痛い、又打ったね」
甲「なに肥料《こやし》をしないものはないが、直接《じか》に肥料を喰物《くいもの》に打《ぶっ》かけて喰う奴があるか、怪《け》しからん理由《わけ》の分らん奴じゃアないか」
乙「これ/\其様《そん》な者に何を云ったって、痛いも痒《かゆ》いも分るものじゃアない、家来の不調法は主人の粗相だから、主人が此処《こゝ》へ来て詫るならば勘弁して遣《や》ろう、それまで其の小包を此方《こちら》へ取上げて置け、なに娘を連れて年を老《と》っている奴だと、それ/\今も云う通り家来の不調法は主人の不調法だから、主人が此処へ来
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