六其の方は国で衆人の為めに宝物《たからもの》を打砕いた事を予も聞いておるが、感服だのう、頭《かしら》を擡《あ》げよ、面《おもて》を上げよ、これ權六、權六、如何《いかゞ》致した、何も申さん、返答をせんの」
富「はっ、これ御挨拶を/\」
權「えゝ」
富「御挨拶だよ、お言葉を下《くだ》し置かれたから御挨拶を」
權「御挨拶だって……」
と只きょと/\して物が云えません。
殿「もっと前へ進め、遠くては話が分らん、ずっと前へ来て、大声で遠慮なく云え、頭《かしら》を上げよ」
權「上げろたって顔を見ちゃアなんねえと云うから誠に困りますなア、何うか此の儘で前の方へ押出して貰《もれ》いてえ」
小姓「此の儘押出せと、尋常《なみ》の人間より大きいから一人の手際《てぎわ》にはいかん、貴方《あなた》そら尻を押し給え」
權「さアもっと力を入れて押出すのだ」
殿「これ/\何を致す其様《そん》なことをせんでも宜しいよ、つか/\歩いてまいれ、成程立派じゃなア」
權「えゝ、まだ頭《かしら》を上げる事はなんねえか」
殿「富彌、余り厳《やか》ましく云わんが宜《い》い、窮屈にさせると却《かえ》って話が出来ん、成程立派じゃなア、昔の勇士のようであるな」
權「へえー、なんですと」
殿「古《いにしえ》の英雄加藤清正とも黒田長政とも云うべき人物じゃ、どうも顔が違うのう」
權「へえーどうも誠に違います」
富「誠に違いますなんて、自分の事を其様な事を云うもんじゃア有りませんよ」
殿「これ/\小声で然《そ》うぐず/\云わんが宜《よ》い」
權「衆人《みんな》が然う云います、へえ嚊《かゝあ》は誠に器量が美《い》いって」
富「これ/\家内の事はお尋ねがないから云わんでも宜《よ》い」
權「だって話の序《ついで》だから云いました」
富「話の序という事がありますか」
殿「其の方|生国《しょうこく》は何処《どこ》じゃ、美作ではないという事を聞いたが、左様《さよう》か」
權「何でごぜえます」
殿「生国」
權「はてな……何ですか、あの勝山在にいる医者の木村章國《きむらしょうこく》でがすか」
殿「左様ではない、生れは何処だと申すのじゃ」
權「生れは忍の行田でごぜえますが、少《ちい》せえ時分に両親が死んだゞね、それから仕様がなくって親戚《みより》頼りも無《ね》えもんでがすが、懇意な者が引張《ひっぱ》ってくれべえと、引張られて美作国《みまさかのくに》へ参《めえ》りまして、十八年の長《なげ》え間|大《えか》くお世話さまでごぜえました」
富「これ/\お世話さまなんぞと云う事は有りませんよ」
權「だってお世話になったからよ」
殿「これ富彌控えて居れ、一々咎めるといかん、うん成程、武州の者で、長らく国許《くにもと》へ参って居ったか、其の方は余程力は勝れて居《お》るそうじゃの」
權「私《わし》が力は何《ど》の位あるか自分でも分りませんよ、何なら相撲でも取りましょうか」
富「これ/\上《かみ》と相撲を取るなんて」
權「だって、力が分らんと云うからさ」
殿「誠にうい奴だ、予が近くにいてくれ、予が側近くへ置け」
富「いえ、それは余り何《なん》で、此の通りの我雑《がさつ》ものを」
殿「苦しゅうない、誠に正直潔白で宜《よ》い、予が傍《そば》に居れ」
權「それは御免を願いてえもんで、私《わし》には出来ませんよ、へえ、此様《こん》な窮屈な思いをするのは御免だと初手から断ったら、白酒屋さんの、えゝ……」
殿「山川廣か」
權「あの人よ」
富「あの人よと云う事が有るかえ、上《かみ》のお言葉に背く事は出来ませんよ」
權「背くたって居《い》られませんよ」
富「居《お》られんという事は有りません、御無礼至極じゃアないか」
權「御無礼至極だって居《い》られませんよ」
殿「マ富彌控えて居れ、然う一々小言を申すな、面白い奴じゃ」
權「私《わし》ア素《もと》米搗《こめつき》で何《なん》も知んねえ人間で、剣術も知んねえし、学問もした事アねえから何うにも斯うにもお侍《さむれえ》には成れねえ人間さ、力はえらく有りますが、何でも召抱えてえと御領主さまが云うのを、無理に断れば親や女房に難儀が掛るというから、そりゃア困るが、これ/\で宜くばと己《おら》がいうと、それで宜《い》いから来いと云われ、それから参《めえ》っただねお前《めえ》さま…」
富彌ははら/\いたしまして、
富「お前《めえ》さまということは有りませんよ、御前様《ごぜんさま》と云いなさい」
權「なに御前と云うのだえ、飯だの御膳だのって何方《どっち》でも宜《い》いじゃアないか」
殿「これ富彌止めるな、宜しいよ、お前《まえ》も御前も同じことじゃのう」
權「然うかね、其様な事は存じませんよ、それから私《わし》が此処《こゝ》の家来《けれえ》になっただね、して見るとお前様《めえさま》、私のためには大事《でえじ》なお人で、私は家来《けらい》でござえますから、永らく居る内にはお互《たげ》えに心安立《こゝろやすだ》てが出て来るだ」
富「これ/\心安立てという事がありますか」
權「するとお大名《でえみょう》は誠に疳癪持だ」
富「これ/\」
殿「富彌又口を出すか、宜しい、控えよ、実に大名は疳癪持だ、疳癪がある、それから」
權「殿様に我儘が起《おこ》れば、私《わし》にも疳癪が有りますから、主人に間違った事を云われると、ついそれから仲が悪くなります、時々逢うようにすれば、人は何となく懐かしいもので、あゝ会いたかった、宜く来たと互《たげ》えに大騒ぎをやるが、毎日《めえにち》傍にいると、私が殿様の疳癪をうん/\と気に障らねえように聞いていると、私が胡麻摺になり、※[#「言+滔のつくり」、第4水準2−88−72]諛《へつれえ》になっていけねえ、此処にいる人に偶《たま》には些《ちっ》とぐれえ腹の立つ事があっても、主人だから仕方がねえと諦め、御前さまとか御飯《おまんま》とかいう事になって、実の所をいうと然ういう人は横着者だね」
殿「成程左様じゃ、至極左様じゃ、正道《せいどう》潔白な事じゃ、これ權六、以来予に悪いことが有ったら其の方|諫言《かんげん》を致せ、是が君臣の道じゃ、宜しい、許すから居てくれ」
權「尊公《あんた》がそれせえ御承知なら居ります」
殿「早速の承知で過分に思う、併し其の方は剣道も心得ず、文字《もんじ》も知らんで、予の側に居《お》るのは、何を以て君臣の道を立て奉公を致す心得じゃ」
權「他に心得はねえが、夜夜中《よるよなか》乱暴な奴が入《へえ》るとなりませんから、私《わし》ゃア寝ずに御殿の周囲《まわり》を内証《ないしょう》で見廻っていますよ、もし狐でも出れば打殺《ぶっころ》そうと思ってます」
殿「うん、じゃが戦国の世になって戦争の起った時に、若《も》し味方の者が追々敗走して敵兵が旗下《はたもと》まで切込んでまいり、敵兵が予に槍でも向けた時は何う致す」
權「然うさね、其処《そこ》が大切だ」
殿「さ何う致して予を助ける」
權「そりゃア尊公《あんた》どうも此処に一つ」
と權六は胸をたゝき、
「忠義という刄物が有るから、剣術は知らねえでも義という鎧を着ているから、敵が槍で尊公に突掛《つきか》けて参《めえ》れば、私《わし》ア掌《て》で受けるだ、一本脇腹へ突込まして、敵を捻《ひね》り倒して打殺《ぶちころ》してやるだ、其の内に尊公を助けて逃がすだけの仕事よ」
殿「うん成程、立派な事だ、併《しか》し然う甘《うま》く口でいう通りに行《ゆ》くかな」
權「屹度《きっと》行《や》ります、其処は主《しゅう》家来の情合だからね」
殿「うん面白い奴じゃ、然《しか》らば敵が若し斯様に致したら何うする」
とすっと立ち上って、欄間に掛けて有りました九尺|柄《え》の大身《おおみ》の槍を取って、スッ/\と二三度しごいて、
「斯様に突き掛けたら何う致す」
と真に突いて蒐《かゝ》った時に權六が、
權「然うすれば斯う致します」
と少しも動かずに、ジリ/\と殿様の前へ進むという正直律義の人でございます。
十
粂野紋之丞前次と仰しゃる方は、未だお部屋住では有りますが、勇気の優れた方で、活溌なり学問もあり、実に文武兼備と講釈師なら誉《ほめ》る立派な殿様でございますなれども、そこはお大名の疳癪で、甚《ひど》く逆らって参ると、直《すぐ》に抜打《ぬきうち》に御家来の首がコロリなどゝいう事が有るもので、只今の華族さまは開《ひら》けて在《いら》っしゃいますから、其様《そん》な野蛮な刄物三昧《はものざんまい》などはございませんが、前次様は御勇気のお方だけあって、九尺柄の大身の槍をすっと繰出した時に、權六は不意を打たれ、受くるものが有りませんから左の掌《て》で、
權「むゝ」
と受けましたが剛《ひど》い奴で、中指と無名指《くすりゆび》の間をすっと貫かれたが、其の掌で槍の柄を捕まえて、ぐッと全身の力で引きました。前次公は蹌《よろ》めいて前へ膝を突く処を、權六が血だらけの手で捕《おさ》え付け、
權「其の時は斯う捻り倒して敵を酷《ひど》え目に遇《あ》わして、尊公《あんた》を助けるより他はねえ、何うだ、敵も魂消《たまげ》るか」
と大力《だいりき》でグックと圧《お》すから前次公も堪《た》えかねまして、
殿「權六|宥《ゆる》せ、宥せ」
と云うは余程苦しかったと見えます。これを見るとお側に居りました川添富彌、山田金吾も驚きましたが、御側小姓の外村惣江が次の間に至り、一刀を執《と》って立上り、
惣「棄置かれん奴」
とバラ/\/\と二人|来《きた》って權六へ組付こうとするを睨《にら》み付け、
權「寄付くと打殺《ぶっころ》すぞ」
惣「斬ってしまえ、無礼至極な奴だ、御前を何と心得る、如何《いか》に物を心得んとは申しながら、余りと申せば乱暴狼藉」
と立ちかゝるを、殿様は押されながら、
殿「いやなに惣江、手出しをする事は必ずならんぞ、權六放してくれ、あ痛い、放せ、予が悪かった、宥せ/\」
權「宥せと云って敵じゃア許せねえけれども、先《ま》ず仕方話だから許します、さ何うだね」
殿「ハッ/\」
と殿様は稍《ようや》く起上りましたが、血だらけでございます。是は權六の血だらけの手で押付けられたから、顔から胸から血だらけで、これを見ると御家来が驚きまして、呆れて口が利けません。
殿「ハッ/\、至極|道理《もっとも》だ」
權「道理だって、私《わし》が何も手出し仕たじゃアねえのに、押《おせ》えるの斬るのと此処にいる人が云うなア分んねえ、咎《とが》も報いも無《ね》えものを殿様が手出しいして、槍で突殺《つッころ》すと云うだから、敵が然うしたら斯うだと仕方話いしてお目に掛けたゞ、敵なら捻り殺すだが、仕方話で、ちょっくら此の位《くれえ》なものさ」
殿「至極|正道《しょうどう》潔白な奴じゃ、勇気なものじゃ、何と申しても宜しい、予に悪い事があったら一々諫言をしてくれ、今日《きょう》より意見番じゃ、予が側を放さんぞ」
と有難い御意で、それからいよ/\医者を呼び、疵の手当を致して遣《つか》わせと、殿様も急に血だらけですからお召替になる。大騒ぎでござります。御褒美として其の時の槍を戴きましたから、是ばかりでも槍一筋の侍で、五十石に取立てられ、頭取下役《とうどりしたやく》という事に成りましたが、更に※[#「言+滔のつくり」、第4水準2−88−72]《へつら》いを致しませんが、堅い気象ゆえ、毎夜人知れず刀を差し、棒を提げて密《そ》っと殿様のお居間の周囲《まわり》を三度ずつ不寝《ねず》に廻るという忠実なる事は、他の者に真似は出来ません立派な行いでございます。又お供の時は駕籠に附いてまいりません。
權「私《わし》ア突張《つッぱ》ったものを着て、お駕籠の側へ付いてまいっても無駄でごぜえます、お側には剣術を知ってる立派なお役人が附いているだから、狼藉者がまいっても脇差を引抜いて防ぎましょうが、私ア其の警衛《けいえい》の方々に狼藉者が斬付けるとなんねえから、若《も》し怪しい奴が来るといかねえから私ア他の人の振《ふり》で先へめえりましょう、袴《はかま》などア穿《は》くのは廃《よ》して貰《もれ》えま
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