いまして、長箱《ながばこ》で入りましたもので、大概橋場あたりで言付ければ残らず船でまいりまして、着換えなど沢山着換えまして、髪は油気なし、潰《つぶ》しという島田に致しまして、丈長《たけなが》と新藁《しんわら》をかけまして、笄《こうがい》は長さ一尺で、厚み八|分《ぶ》も有ったと「う、長い物を差して歩いたもので、狭い路地などは通れませんような恐ろしい長い笄で、夏|絽《ろ》を着ましても皆|肌襦袢《はだじゅばん》を着ませんで、深川の芸者ばかりは素肌へ着たのでございます。裾模様《すそもよう》が付いて居ります、紅《べに》かけ花色、深川鼠、路考茶《ろこうちゃ》などが流行《はや》りまして、金緞子《きんどんす》の帯を締め、若い芸者は縞繻子《しまじゅす》の間に緋鹿《ひが》の子《こ》をたゝみ、畳み帯、挟《はさ》み帯などと申して華やかなこしらえ、大勢並んで、次の間にお客様のおいでを待って居ります。秋田屋清左衞門の番頭も、其の頃大名の御家老などが来ると家《いえ》の誉《ほま》れ名聞《みょうもん》だというので、庭の掃除などを厳しく言付けぐる/\見廻って居ります。そらおいでだと云ってお出迎いをいたし、
番「えゝ、いらっしゃいまし」
數「あゝ、これは成程どうも好《よ》い庭で、松蔭|好《い》い庭だの」
大「はい誠にその、当家の亭主が至って茶人で、それゆえ此の庭や何かは、更に作りませんで、自然の様を見せました、実に天然のような工合で」
數「うん余程|好《よ》い庭である、むう、これは感心……岩越《いわこし》何うだえ」
岩「へえ、私《わたくし》は斯様《かよう》な処へ参ったのは始めてゞごすな、国にいては迚《とて》も斯ういう処は見られませんな、うゝん、これはどうも」
數「お前は何だ」
大「えゝ、これなるは当家の番頭、伊平《いへい》と申します不調法者で」
番「えゝ、今日《こんにち》は宜《よ》うこそ御尊来《ごそんらい》有難い事で、貴所方《あなたがた》のお入来《いで》のございますのは実に主人も悦び居りまして、此の上ない冥加《みょうが》至極の儀で、土地の外聞で、私《わたくし》においても、誠に有難いことで」
數「いや其様《そん》なに、大層に云わんでも宜《よ》い、土地の外聞なんて、亭主は余程|好事家《こうずか》のようだな」
番「えゝ鬼灯《ほおずき》などは植えんように致してございます」
數「うふゝゝ鬼灯じゃアない、風流人と申すことじゃ」
番「でございますか、なにほうず[#「ほうず」に傍点]は出来ます」
數「何を申す」
番「へい、船の上をずる/\何時《いつ》までも曳《ひ》いているような長いものをほうず[#「ほうず」に傍点]と申しますそうで」
數「いや中々の博識《ものしり》じゃ、うふゝゝ面白い男だの、此の泉水《せんすい》は潮入《しおいり》かえ」
番「へえ何と…」
數「いやさ此の泉水は潮が入《はい》るかえ」
番「へえ、何と御意遊ばします」
數「潮入りかというのじゃ」
番「へえ/\只今差上げますあの誰かお盆へ塩を持って来て上げな、どうも御癇癖《ごかんぺき》だから、お手をお洗い遊ばすのだろう、へえお塩を」
數「何を持って来るのだ、此の泉水は潮入かと申すのだ」
番「へえ、左様でございます」
大「何卒《どうぞ》これへ入らっしゃいまし」
數「うん岩越、ひょろ/\歩くと危いぞ池へ落《おっ》こちるといかん、あゝ妙だ、家根《やね》は惣体《そうたい》葺屋《ふきや》だな、とんと在体《ざいてい》の光景《ありさま》だの」
大「外面《そと》から見ますと田舎家《いなかや》のようで、中は木口を選んで、なか/\好事《こうず》に出来て居ります」
數「其の許《もと》は斯ういう事も中々|委《くわ》しい、私《わし》はとんと知らんが、石灯籠《いしどうろう》は余りなく、木の灯籠が多いの」
大「えゝ、これはその、野原のような景色を見せました心得でございましょうか」
數「あ成程、これは面白い/\……此処《こゝ》から上《あが》るのか、成程玄関の様子が面白く出来たの、入口《いりくち》かえ」
大「これからお上《あが》り遊ばしませ、お履物《はきもの》は私《わたくし》がしまい置きます」
數「これは好《よ》い席だ」
大「さゝ、是へどうぞ/\」
 と松蔭が段々案内をいたし、座敷の床の前へ褥《しとね》を出し、烟草盆や何か手当が十分届いて居ります。
大「どうぞ此処《これ》へお坐りを願います」
數「余り好《よ》い月だによって、縁先で見るのが至極宜しい、これは妙だ、此の辺は一体隅田川の流れで……あれに見ゆるのは橋場の渡しの向うかえ、如何《いか》にも閑地《かんち》だから、斯ういう処は好いの、えゝ一寸《ちょいと》秋田屋をこれへ」
大「えゝ御家老これが当家の主人秋田屋清左衞門と申します、年来お屋敷へお出入を致すもので、染々《しみ/″\》未《いま》だお目通りは致しませんが、日外《いつぞや》あの五六年以前、大夫《たいふ》が御出府の折《おり》にお目通りを致した事がありますと申し、斯様な見苦しい処ではござるが、一度御尊来を願いたいと申して居ったので、当人も悉《こと/″\》く今日《こんにち》は悦び居ります、どうかお言葉を」
數「はゝあ、秋田屋か」
清「へえ、えゝ今日《こんにち》は宜《よ》うこそ、御尊来で、誠に身に取りまして有難い事でございます、えゝ年来お屋敷さまへお出入をいたします不調法者で、此の後《のち》とも何分御贔屓お引廻しを願います」
數「あい、秋田屋か、成程、貴公は知らんが、貴公の親父の時分であったか、江戸詰の時|種々《いろ/\》世話になった事もあった、中々立派な好《よ》い家《いえ》だ、至極面白い」
清「いえ、見苦しゅうございまして、此の通り粗木《そぼく》を以て拵《こしら》えましたので、中々大夫さまなどがお入来《いで》と申すことは容易ならんことで、此の家《いえ》に箔《はく》が付きます事ゆえ、誠に有難いことで」
數「いや/\、格別の手当で辱《かたじけ》ない、あい/\、成程、これは中々立派な茶碗だな、余程道具好きだと見えるな」
大「はい、好《よ》い道具を沢山所持して居《お》る様子でございます、今日《こんにち》は御家老のお入来《いで》だと、何か大切な品を取出した様子で、なに碌《ろく》なものもございますまいがほんの有合《ありあい》で」
數「いや中々|好《よ》い茶碗だ」
大「えゝ道具は麁末《そまつ》でござるが、主人が心入れで、自ら隅田川の水底《みずそこ》の水を汲上げ、砂漉《すなごし》にかけ、水を柔《やわら》かにして好《よ》い茶を入れましたそうで」
數「成程それは有難い、其処《そこ》が親切というもので、茶はたとえ番茶でも水を柔かにして飲ませる積りで、自身に川中まで船で水を汲みに往《ゆ》く志というものは、千万|金《きん》にも替えがたく好い茶を飲ませるより福原|辱《かたじけ》なく飲む」
大「えゝ恐入りました事で」
數「大藏、立派な菓子を取ったの」
大「いえ、どうも甚《はなは》だ何もございませんで、此の辺は誠にどうも……市ヶ谷から此処《これ》へ出張《でば》りますことで、好《い》い道具や何かは皆|此方《こちら》の蔵へ入れ置きますという事で」
數「成程、火事がないから道具の好《よ》いのを運んで置くか、それは宜かろう」
大「今日《こんにち》は何も御馳走は有りませんが、御家老へ此の向うから月の上《あが》ります景色を………これは御馳走でございます、求めず天然の楽《たのし》みで、幸い今宵は満月の前夜で」
數「おゝ成程な、いやかけ違って染々《しみ/″\》挨拶もしなかったが、段々と上屋敷の事も下屋敷の事も、貴公が大分に骨を折って大きに殿様にも格別に思召《おぼしめ》し、新参でありながら、存外の昇進で、えらいものだ」
大「えへゝゝ、不束《ふつゝか》の大藏格別|上《かみ》のお思召《ぼしめ》しをもちまして、重きお役を仰付けられ、冥加至極の儀で、此の上とも何卒《どうぞ》御家老のお引立を蒙《こうむ》りたく存じます」
數「其様《そん》なに出世をしては往《ゆ》く処があるまい、中々どうして男は好《よ》し、弁に愛敬を持ち、武芸も達しておるから自然と昇進をする質《たち》だ」
大「えゝ、恐入りました事で」
數「手前も壮年の折柄《おりから》は一体虚弱だが、大きに老年に及んで丈夫になったが、どうも歯が悪くなって、旨い物を喰《た》べても余り旨いとは思わん、楽しみと云っても別になし、国に居《お》れば田舎侍だから美食美服は出来んばかりでは無い、一体若い時分からそういう事は嫌いじゃ、斯ういう清々《せい/\》とした処を見るが何よりの楽しみじゃの」
 大藏は座を進ませまして、
大「えゝどうも今日《こんにち》は何もお慰《なぐさ》みもなく、お叱りを受けるかは存じませんが、亭主が深川の芸者を呼び置きましたと申すことで、一寸《ちょっと》お酌を取りましても、武骨な松蔭や秋田屋がお酌をいたしましては、池田伊丹の銘酒も地酒程にも飲めんようなことで、甚だ御無礼ではございますが、お目通りへ其の深川の芸者どもを呼寄せることに致します」
數「おゝ成程その噂は聞いている、深川には大分美人も居《お》り、芸の好《よ》いものも居《お》るという事だが、それは宜《よ》いの、手前は芸者に逢った事はない、武骨者で殊《こと》に岩越という男が是非一緒に往《ゆ》きたい、何でも連れてってくれ、未《いま》だ碌に御府内を見たことが無いというから同道して来たが、起倒流《きとうりゅう》の奥儀を究《きわ》めあるだけあって、膂力《ちから》が強いばかりで、頓と風流気《ふうりゅうぎ》のない武骨者じゃ」
岩越「えゝ拙者は岩越|賢藏《けんぞう》と申す至って武骨者で此の後《ご》ともお見知り置かれて御別懇に」
大「今日《こんにち》は図らず御面会を致しました、手前は松蔭大藏で……好《よ》い折柄、此の後とも御別懇に……御家老|此《こ》れは濱名左傳次と申す者で、小役人でございましたが、図らず以上に仰付けられ、今日《こんにち》は何うかお目通りを致しまして、何かのお話を承われば身の修行だと申して居ります、武骨ではござるが洒落《しゃれ》た口もきゝ、皺枯《しゃがれ》っ声で歌を唄い、面白い男ゆえお目をお掛け遊ばして、何分お引立を」
數「はい/\、中々様子の好《よ》い男、なれども近い処だと宜《よ》いがの、上屋敷までは遠いから、どうか些《ちっ》と早く帰りたいがの」
大「いえ、今晩は小梅のお中屋敷へ御一泊遊ばしては如何《いかゞ》、寺家田《じけだ》の座敷が手広でござる、彼《あれ》へ御一泊遊ばしますように、是から虎の門までお帰りになっては余り遅うなりますから」
數「それは宜かろう」
大「じゃア早く/\」
 と是からお吸物に結構な膳椀で、古赤絵《ふるあかえ》の向付《むこうづ》けに掻鯛《かきだい》のいりざけのようなものが出ました。続いて口取《くちとり》焼肴《やきざかな》が出る。数々料理が並ぶ。引続いて出て来ましたのは深川の別嬪《べっぴん》でございます。
大「さ、これへ」
芸「今日《こんにち》は」
數「いや/\大勢呼んだの」
大「さ、これへ来てお酌を、大夫様《たいふさま》から」
芸「へえ、大夫様お酌をいたしましょう」
數「いや成程これは綺麗、あい/\、成程松蔭年を老《と》っても酌はたぼと云って幾歳《いくつ》になっても婦人は見て悪くないもんだの、むゝう、中々どうも……何《なん》てえ名だなに、小玉か成程、どんずり奴《やっこ》の男がいる、あれは何だ」
幇間「えゝ手前は鳥羽屋五蝶と申します幇間《たいこ》で」
數「ほゝう、なに太鼓を叩くか」
五「いえ、只口で叩きます」
數「口で太鼓を…唇でかえ」
五「いえ、なに、太鼓持で、えへゝゝ」
數「うん成程、口軽《くちがる》なことをいう、幇間《ほうかん》か、成程聞いていた、中々面白い頭だの」
五「へゝゝ、どうも未《ま》だどんずり奴《やっこ》でございます」
數「太皷持の頭は、皆《みな》此様《こん》なかえ」
五「皆《みんな》お揃いと云う訳ではございませんが、自然と毛が薄くなりましたので」
數「いや形が変って妙だ、幇間《たいこもち》は口軽だというが、何か面白いことを云いなさい」
五「これは恐入りまし
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