、彼は陪臣でござって、お内庭へ這入りました段は重々相済まん事なれども、五郎治から私《わたくし》が言付けられますれば、即《すなわ》ち私が、兄五郎治の代《だい》を勤むべき処、御用あって御家老からお呼出しに相成りましたから、止《や》むを得ず家来勘八に申付けましたので、取《とり》も直さず勘八は兄五郎治の代《たい》でござる、何も強《し》いて之《これ》を陪臣と仰せられては誠に夜廻りをいたし、上《かみ》を守ります所の甲斐もない事でございます、勘八のみお咎《とがめ》が有りましては偏頗《かたおとし》のお調べかと心得ます」
目「それは何ういう事か」
四「えゝ是《こ》れなる遠山權六は、当春中《とうはるじゅう》松蔭大藏の家来有助と申す者を取押えましたが、有助は何分にも怪しい事がないのを取押えられ堪《たま》り兼《かね》て逃所《にげどころ》を失い、慌《あわ》てゝ權六に斬付けたるを怪しいという処から、お調べが段々長く相成って、再度松蔭大藏もお役所へ罷出《まかりで》ました。其の折《おり》は御用多端の事で、御用の間《ま》を欠き、不取調べをいたし、左様な者を引いてまいり、上役人《かみやくにん》の迷惑に相成る事を仕出《しで》かし、御用の間を欠き、不届《ふとゞき》の至りと有って、權六は百日の遠慮を申付かりました、未《いま》だ其の遠慮中の身をも顧《かえり》みず、夜な/\お屋敷内を廻りまして宜しい儀でござるか、權六に何のお咎めもなく、私《わたくし》の兄へお咎めのあると云うのは、更に其の意を得んことゝ心得ます、何ういう次第で遠慮の者が妄《みだ》りに外出をいたして宜しいか、其の儀のお咎めも無くって宜しい儀でござるなれば、陪臣の勘八がお庭内を廻りましたのもお咎めはあるまいかと存じます」
目「うむ…權六其の方は百日遠慮を仰付けられていると、只今四郎治の申す所である、何故《なにゆえ》に其の方は遠慮中妄りにお庭内へ出た」
權「えゝ」
目「何故に出た」
權「遠慮というのは何ういう訳だね」
目「何う云う訳だとは何だ、其の方は遠慮を仰付けられたであろう」
權「それは知っている、知っているが、遠慮と云うのは何を遠慮するだ、私《わし》が有助を押えてお役所へ引いて出ました時は、お役人様が貴方と違って前の菊田《きくた》様てえ方で、悪人の有助ばかり贔屓いして私をはア何でも彼《か》んでも、無理こじつけに遣《や》り込めるだ、さっぱり訳が分らねえ、其の中《うち》に御用の間を欠いた、やれ何《なん》の彼《か》のと廉《かど》を附けて長《なげ》え間お役所へ私は引出されただ、二月《にぎゃつ》から四月《しがつ》までかゝりましたよ、牢の中へ入《へい》ってる有助には大層な手当があって、何だか御重役からお声がゝりがあるって楽《らく》うしている、私は押込められて遠慮だ/\と何を遠慮するだ私の考《かんがえ》では遠慮というものは芽出度い事があっても、宅《うち》で祝う所は祝わねえようにし、又見物遊山非番の時に行きたくても、其様《そん》な事をして栄耀《えよう》をしちゃアならんから、遠慮さ、又|旨《うめ》え物を喰おうと思っても旨え物を喰って楽しんじゃアどうも済まねえと思って遠慮をして居ります、何も皆遠慮をしているが私が毎晩《めえばん》/\御寝所|近《ぢけ》えお庭を歩いているは何の為だ、若殿様が御病気ゆえ大切に思えばこそだ、それに御家来の衆も毎晩《めえばん》のことだから看病疲れで眠りもすりゃア、明方《あけがた》には疲れて眠る方も有るまい者でもねえ、其の時怪しい者が入《へい》っちゃアならねえと思うからだ、此の程は大分|貴方《あんた》顔なんど隠しちゃア長い物を差した奴がうろつか/\して、御寝所の縁の下などへ入《へい》る奴があるだ、過般《こねえだ》も私がすうと出たら魂消《たまげ》やアがって、面《つら》か横っ腹か何所《どっ》か打ったら、犬う見たように漸《ようよ》う這上ったから、とっ捕《つか》めえて打ってやろうと思う中《うち》に逃げちまったが、爾《そ》うして気を付けたら私はこれを忠義かと心得ます、他《ほか》の事は遠慮を致しますが、忠義の遠慮は出来ねえ、忠義というものは誠だ誠の遠慮は何うしても出来ません、夜《よる》巡《まわ》ることは別段誰にも言付かったことはない、役目の外《ほか》だ、私も眠いから宅《うち》で眠れば楽だ、楽だが、それでは済みませんや、大恩のある御主人様の身辺《あたり》へ気を付けて、警護をしていることを遠慮は出来ませんよ、無理な話だ、巡《まわ》ったに違《ちが》えねえ、それでもまだ遠慮して外庭ばかり巡って居りまオた、すると勘八の野郎が……勘八とは知んねえだ初まりは……犬う斬ったから野郎と押えべいと出たわけさ、それに違《ちげ》えねえでございますよ、はいそれとも忠義を遠慮をしますかな」
 と弁舌|爽《さわや》かに淀みなく述立てる処は理の当然なれば、目付も少し困って、其の返答に差支《さしつか》えた様子であります。
目「むゝう、權六の申す所一応は道理じゃが、殿様より遠慮を仰せ出《いだ》された身分で見れば、それを背《そむ》いてはならん、最も外出致すを遠慮せんければならん」
權「外出《がいしつ》だって我儘に旨《うめ》え物を喰いに往《ゆ》くとか、面白いものを見に往《い》くのなれば遠慮ういたしますが、殿様のお側を守るなア遠慮は出来ねえ、外出《がいしつ》するなって其様《そん》な殿様も無《な》えもんだ」
四「えゝ四郎治申上げますあの通り訳の分らん奴で、然《しか》るをお目付は權六のみを贔屓いたされ、勘八一人唯悪い者と仰せられては甚だ迷惑をいたします事で、殊《こと》にお目付も予《かね》てお心得でござろう、神原五郎治の家《いえ》は前《ぜん》殿様よりお声掛りのこれ有る家柄、殊に遠山權六が如き軽輩と違って重きお役をも勤める兄でござる、權六と同一には相成りません、權六は上《かみ》の仰せ出《いだ》されを破り、外出を致したをお咎めもなく、格別の思召《おぼしめし》のこれ有る所の神原五郎治へお咎めのあるとは、実に依怙《えこ》の御沙汰かと心得ます、左様な依怙の事をなされては御裁許役とは申されません」
目「黙れ四郎治、不束《ふつゝか》なれども信樂豊前は目付役であるぞ、今日《こんにち》其の方らを調ぶるは深き故有っての事じゃ、此の度《たび》御出府に成られた、御国家老福原殿より別段のお頼みあって目付職を勤めるところの豊前に対して無礼の一言であるぞ」
四「ではございますが、余り片手落のお調べかと心得ます」
目「其の方は部屋住《へやずみ》の身の上で、兄の代りとはいえども、其の方から致して内庭へ這入るべき奴では無い、然《しか》るを何《な》んだ、其の方が家来に申付けて内庭を廻れと申付けたるは心得違いの儀ではないか、前《ぜん》殿様より格別のお声がゝりのある家柄、誠に辱《かたじけ》ない事と主恩《しゅおん》を弁《わきま》えて居《お》るか、四郎治」
四「はい、心得居ります」
目「黙れ、新参の松蔭大藏と其の方兄五郎治兄弟の者は心を合せて、菊之助様をお世嗣《よつぎ》にせんが為《た》めに御舎弟様を毒殺いたそうという計策《たくみ》の段々は此の方心得て居《お》るぞ」
四「むゝ」
目「けれども格別のお声がゝりもこれ有る家柄ゆえ、目付の情を以《もっ》て柔和に調べ遣《つか》わすに、以ての外《ほか》の事を申す奴だ、疾《とく》に証拠あって取調べが届いて居《お》るぞ、最早|遁《のが》れんぞ、兄弟共に今日《こんにち》物頭《ものがしら》へ預け置く、勘八其の方は不埓至極の奴、吟味中|入牢《じゅろう》申付ける、權六」
權「はい私《わし》も牢へ入《へい》りますかえ」
目「いや其の方は四月の二十八日から遠慮になったな」
權「えゝ」
目「二十八日から丁度昨夜が遠慮明けであった」
權「あゝ然《そ》うでございますか」
目「いや丁度左様に相成る、遠慮が明けたから、其の方がお庭内を相変らず御主君のお身の上を案じ、御当家を大切と思い、役目の外に夜廻りをいたす忠義無二のことと、上《かみ》にも御存じある事で、後《ご》してはまた格別の御褒美もあろうから、有難く心得ませい」
權「有難うございます、なにイ呉れます」
目「何を下さるかそれは知れん」
權「なに私《わし》は種々《いろ/\》な物を貰《もろ》うのは否《いや》でございます、どうかまア悪い奴と見たら打殺《ぶっころ》しても構わないくらいの許しを願《ねげ》えてえもので、此の頃は余程悪い奴がぐる/\廻って歩きます、全体此の四郎治なんという奴は打殺して遣《や》りてえのだ」
目「これこれ控えろ、追って吟味に及ぶ、今日《こんにち》は立ちませえ」
 と直《すぐ》に神原兄弟は頭預《かしらあず》けになって、宅番《たくばん》の附くような事に相成り、勘八という下男は牢へ入りました。權六は至急お呼出しになって百日の遠慮は免《ゆ》りて、其の上お役が一つ進んで御加増となる。遠山權六は君恩の辱《かたじけ》ないことを寝ても覚めても忘れやらず、それから毎夜ぐる/\廻るの廻らないのと申すのではありません。徹夜《よどおし》寝ずに廻るというは、実に忠義なことでございます。此の事を聞いて松蔭大藏が不審を懐《いだ》き、どうも神原兄弟が頭預けになって、宅番が附いたは何ういう調べになった事かはて困ったものだ、彼奴《あいつ》らに聞きたくも聞くことも出来ん自分の身の上、あゝ案じられる、国家老の出たは容易ならん事、どうか国家老を抱込みたいものだと、素《もと》より悪才に長《た》けた松蔭大藏|種々《いろ/\》考えまして、濱名左傳次《はまなさでんじ》にも相談をいたし、国家老を引出しましたのは市ヶ谷|原町《はらまち》のお出入町人|秋田屋清左衞門《あきたやせいざえもん》という者の別荘が橋場《はしば》にあります。庭が結構で、座敷も好《よ》く出来て居ります。これへ連出し馳走というので川口から立派な仕出しを入れて、其の頃の深川の芸者を二十人ばかり呼んで、格別の饗応になると云うのであります。

        四十六

 時は八月十四日のことで、橋場の秋田屋の寮へ国家老の福原數馬という人を招きまして何ぞ隙《すき》があったらば……という松蔭が企《たく》み、濱名左傳次という者と諜《しめ》し合せ、更《ふ》けて遅く帰るようで有ったらば隙を覗《うかゞ》って打果してしまうか、或《あるい》は旨く此方《こちら》へ引入れて、家老ぐるみ抱込んでしまうかと申す目論見《もくろみ》でございます。大藏は悪才には長《た》け弁も能《よ》し愛敬のある男で、秋田屋に頼んで十分の手当でございます。此の寮も大して広い家《うち》ではございませんが客席が十五畳、次が十畳になって、入側《いりかわ》も附いて居り誠に立派な住居《すまい》でございます。普請は木口《きぐち》を選んで贅沢《ぜいたく》なことで建てゝから五年も経《た》ったろうという好《よ》い時代で、落着いて、なか/\席の工合《ぐあい》も宜しく、床《とこ》は九尺床でございまして、探幽《たんゆう》の山水が懸り、唐物《からもの》の籠《かご》に芙蓉《ふよう》に桔梗《ききょう》刈萱《かるかや》など秋草を十分に活《い》けまして、床脇の棚|等《とう》にも結構な飛び青磁の香炉《こうろ》がございまして、左右に古代蒔絵《こだいまきえ》の料紙箱があります。飾り付けも立派でございまして、庭からずうと見渡すと、潮入《しおい》りの泉水《せんすい》になって、模様を取って土橋《どばし》が架《かゝ》り、紅白の萩其の他《た》の秋草が盛りで、何とも云えん好《よ》い景色でございます。饗応を致しますに、丁度宜しい月の上《あが》りを見せるという趣向。深川へ申付けました芸者は、極《ごく》頭《あたま》だった処の福吉《ふくきち》、おかね、小芳《こよし》、雛吉《ひなきち》、延吉《のぶきち》、小玉《こたま》、小さん、などという皆其の頃の有名の女|計《ばか》り、鳥羽屋五蝶《とばやごちょう》に壽樂《じゅらく》と申します幇間《たいこもち》が二人、是《こ》れは一寸《ちょっと》荻江節《おぎえぶし》もやります。荻江喜三郎《おぎえきさぶろう》の弟子だというので、皆|美々《びゞ》しく着飾って深川の芸者は只今の芸者と違
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