でも決して相成りません、私《わたくし》はお手打に成ります、上《かみ》のお手打は元より覚悟、お手打になっても聊《いさゝ》か厭《いと》いはございませんが、水飴は毒なるものと思召《おぼしめ》しまして此の後《ご》も召上らんように願います、仮令《たとい》喜一郎が持って参りましょうとも、水飴を召上る事は相成りません」
紋「何《なん》じゃ何の事じゃ、白痴《たわけ》め」
喜「拙者が持って参った水飴が毒じゃと申すのか、ムヽウ……それじゃア斯う致そう、拙者がお毒味を致そう。上《かみ》お匙《さじ》を拝借致します」
と入物《いれもの》の蓋を取り除《の》けて水飴を取りにかゝるから、川添富彌がはてなと見て居ります。秋月は富彌の顔を見ながら、水飴を箸の端《さき》へ段々と巻揚《まきあ》げるのを膝へ手を置いて御舎弟紋之丞殿が見詰めて居りましたが、口の処へ持って来るから。
紋「喜一郎、毒味には及ばん」
喜「はっ」
紋「もう宜しい、予は水飴は嫌いになった、毒味には及ばん、水飴は取棄てえ」
喜「はッ」
紋「喜一郎が勧めるのも忠義、富彌が止《とゞ》むるも忠義、二人して予を思うてくれる志|辱《かたじけ》なく思うぞ」
喜「ほう」
富「ほう」
御懇《ごこん》の御意で喜一郎富彌は落涙《らくるい》致しました。
喜「富彌有難く御挨拶を申せ……有難うございます」
富「あゝ有難うございまする」
と涙を払い
富「無礼至極の富彌、お手打になっても苦しからん処、格別のお言葉を頂戴いたし、富彌死んでも聊《いさゝ》か悔《くや》む所はございません」
紋「いや喜一郎と富彌の両人へ何か馳走をして遣《や》れ、喜瀬川は料理の支度を」
老女「はい」
と鶴の一声《ひとこえ》で、忽《たちま》ち結構なお料理が出ました。水飴を棄《すて》ると、お手飼《てがい》の梅鉢《うめばち》という犬が来てぺろ/\皆甜めてしまいました。それなりに夜《よ》に入《い》りますとお庭先が寂《しん》と致しました。尤《もっと》も御案内の通り谷中三崎村の辺《へん》は淋しい処で、裏手はこう/\とした森でございます。所へ頭巾|目深《まぶか》に大小を無地の羽織の下に落差《おとしざ》しにして忍んで来る一人の侍、裏手の外庭の林の前へまいると、グックと云うものがある。はて何だろうと暗いから、透《すか》して見ると、お手飼の白班《しろぶち》の犬が悶《もが》いて居ります。怪《あや》しの侍が暫《しばら》く視て居《い》る。最前から森下の植込《うえご》みの蔭に腕を組んで様子を窺《うかご》うて居るのは彼《か》の遠山權六で、曩《さき》に松蔭の家来有助を取って押えたが、松蔭がお羽振が宜《い》いので、事を問糺《といたゞ》さず、無闇に人を引括《ひっくゝ》り、上《かみ》へ手数を掛け、何も弁《わきま》えん奴だと權六は遠慮を申付けられました、遠慮というのは禁錮《おしこめ》の事ですが、權六|些《ちと》とも[#「些《ちと》とも」は「些《ち》とも」「些《ちっ》とも」などの誤記か]遠慮をしません、相変らず夜々《よな/\》のそ/\出てお庭を見巡《みまわ》って居りますので、今權六が屈《かゞ》んで見て居りますと、犬がグック/\と苦しみ、ウーンワン/\と忌《いや》な声で吠《ほ》える、暫く悶《もが》いて居りましたが、ガバ/\/\と泡のような物を吐いて土をむしり木の根方へ頭をこすり附けて横っ倒しに斃《たお》れるのを見て、怪しの侍が抜打《ぬきうち》にすうと犬の首を斬落《きりおと》して、懐から紙を取出し、すっかり血を拭《ぬぐ》い、鍔鳴《つばなり》をさせて鞘《さや》に収め、血の附いた紙を藪蔭へ投込んで、すうと行《ゆ》きに掛るから權六は怪しんですうッと立上り、
權「いやア」
と突然《だしぬけ》に彼《か》の侍の後《うしろ》から組附いた時には、身体《しんたい》も痺《しび》れ息も止《とま》るようですから、侍は驚きまして、
曲者「放せ」
權「いや放さねえ、怪しい奴だ、何者だ、何故犬う斬った、さ何者だか名前を云え」
曲「手前たちに名前を申すような者じゃアねえ、其処《そこ》放せ」
權「放さねえ、さ役所へ行《ゆ》け」
曲「役所へ行《ゆ》くような者《もん》じゃア無《ね》え」
權「黙れ、頭巾を深く被りやアがって、大小を差して怪しい奴だ、此のまア御寝所《ごしんじょ》近《ちけ》え奥庭へ這入りやアがって、殊《こと》に大切な犬を斬ってしまやアがって、さ汝《われ》何故犬を斬った」
曲「何故斬った、此の犬は己《おれ》に咬付《かみつ》いたから、ムヽ咬付かれちゃアならんから斬ったが何うした」
權「黙れ、己《おれ》ア見ていたぞ、咬付きもしねえ犬を斬るには何か理由《わけ》があるだろう、云わなければ汝《うぬ》絞殺《しめころ》すが何うだ」
曲「ムヽせつないから放せ」
權「放せたって容易にア放さねえ、さ歩《あゆ》べ、え行《い》かねえか」
と大力無双《だいりきむそう》の權六に捉《とら》えられたのでございますから身動きが出来ません。引摺《ひきず》られるようにしてお役所へ参り、早々届けに成りました事ゆえ、此の者を縛《くゝ》し上げまして、其の夜《よ》罪人《とがにん》を入れ置く処へ入れて置き、翌日お調べというのでお役所へ呼出しになりました時には、信樂豐前《しがらきぶぜん》というお方がお目付役を仰付けられて、掛りになりました。此の信樂という人は左《さ》したる宜《よ》い身分でもないが、理非明白な人でありますから、お目付になって、内々《ない/\》叛謀人《むほんにん》取調べの掛りを仰付けられました。差添《さしぞえ》は別府新八《べっぷしんぱち》で、曲者は森山勘八《もりやまかんぱち》と申す者で、神原五郎治の家来であります。呼出しになりました時に、五郎治の弟《おとゝ》四郎治が罷《まか》り出ます事になりお縁側の処へ薄縁《うすべり》を敷き、其の上に遠山權六が坐って居ります。お目付は正面に居られます。また砂利の上に莚《むしろ》を敷きまして、其の上に高手小手《たかてこて》に縛《くゝ》されて森山勘八が居りますお目付が席を進みて。
目付「神原五郎治|代《だい》弟《おとゝ》四郎治、遠山權六役目の儀ゆえ言葉を改めますが、左様に心得ませえ」
四「はっ」
權「ほう」
目付「權六其の方昨夜外庭見廻りの折《おり》、内庭の檜木山《ひのきやま》の蔭へまいる折柄《おりから》、面部を包みし怪しき侍|体《てい》のものが、内庭から忍び出《い》で、お手飼の梅鉢を一刀に斬りたるゆえ、怪しい者と心得て組付き、引立て来たと申す事じゃがそれに相違ないか」
權「はい、それに相違ございません、どうも眼ばかり出して、長《なげ》え物を突差《つッさ》しまして、あの檜木山の間から出て来た……、怪しい奴と思えやして見ているうち、犬を斬りましたから、何でも怪しいと思えやしたから、ふん捕《づか》めえました」
目付「うん……神原五郎治家来勘八、頭《かしら》を上げえ」
勘「へえ」
目「何才になる」
勘「三十三でございます」
目「其の方|陪臣《ばいしん》の身の上でありながら、何故《なにゆえ》に御寝所近い内庭へ忍び込み、殊《こと》には面部を包み、刄物を提げ、忍び込みしは何故《なにゆえ》の事じゃ、又お手飼の犬を斬ったと申すは如何《いか》なる次第じゃ、さ有体《ありてい》に申せ」
と睨《ね》めつけました。
四十五
勘八は図太い奴でございますから、態《わざ》と落著振《おちつきはら》いまして、
勘「へえ、誠に恐入りましてございます。お庭内へ参りましたのは、此の頃は若殿様御病気でございまして、皆さんが御看病なすっていらっしゃるので、どうもお内庭はお手薄でございましょうから、夜々《よる/\》見廻った方が宜《い》いと主人から言いつかりました、それにお手飼の犬とは存じませんで、檜木山の脇へ私《わたくし》が参りましたら、此の節の陽気で病付《やみつ》いたと見えまして、私に咬付《かみつ》きそうにしましたから、咬付かれちゃア大変だと一生懸命で思わず知らず刀を抜いて斬りましたが、お手飼の犬だそうで、誠にどうも心得んで、とんだ事を致しました、へえ重々恐入りましてございます」
目「そりゃアお手飼の犬と知らず、他《ほか》の飼犬にも致せ、其の方陪臣の身を以《もっ》て夜中《やちゅう》大小を帯《たい》し、御寝所近い処へ忍び入ったるは怪しい事であるぞ、さ何者にか其の方頼まれたので有ろう、白状いたせ、拙者|屹度《きっと》調《しらべ》るぞ」
勘「へえ、何も怪しくも何ともないんでございます、全く気を付けて時々お庭を廻れと云われましたんでございます、それゆえ致しました、此処《こゝ》においでなさいます主人の御舎弟四郎治様も爾《そ》う仰しゃったのでございます」
目「うむ、四郎治其の方は此の者に申付けたとの申立《もうしたて》じゃが、全く左様か」
四「えゝ、お目付へ申上げます、実は兄五郎治は此の程お上屋敷のお夜詰《よづめ》に参って居ります、と申すは、大殿様御病気について、兄も心配いたしまして、えゝ、番でない時も折々は御病気伺いに罷《まか》り出《い》で又御舎弟様も御病気に就《つ》きお夜詰の衆、又御看護のお方々もお疲れでありましょう、又疲れて何事も怠り勝の処へ付入《つけい》って、狼藉者《ろうぜきもの》が忍入るような事もあれば一大事じゃから、其の方|己《おれ》がお上屋敷へまいって居《お》る中《うち》は、折々お内庭を見廻れ、御寝所近い処も見廻るようにと兄より私《わたくし》が言付《いいつ》かって居ります、然《しか》る処昨日御家老より致しまして、火急のお呼出しで寅の門のお上屋敷へ罷出《まかりで》ましたが、私は予々《かね/″\》兄より言付かって居りますから、是なる勘八に、其の方代ってお庭内を廻るが宜《よ》いと申付けたに相違ござらん、然るに彼がお手飼の犬とも心得んで、吠《ほ》えられたに驚き、梅鉢を手打にいたしました段は全く彼何も弁《わきま》えん者ゆえ、斯様な事に相成ったので、兄五郎治に於《おい》ても迷惑いたします事でござる、併《しか》し何も心得ん下人《げにん》の事と思召《おぼしめ》しまして、幾重にも私が成代ってお詫を申上げます、御高免《ごこうめん》の程を願いとうござる、全く知らん事で」
目「むう、そりゃ其の方兄五郎治から言付けられて、其の方が見廻るべき所を其の方がお上屋敷へまいって居《お》る間、此の勘八に申付けたと申すのか、それは些《ち》と心得んことじゃアないか、うん、これ申付けても外庭を見廻らせるか、又はお馬場口を見廻るが当然、陪臣の身分で御寝所近い奥庭まで夜廻りに這入れと申付けたるは、些と訝《おか》しいようだ、左様な事ぐらいは弁《わきま》えのない其の方でもあるまい、殊《こと》に又帯刀をさせ面部を包ませたるは何う云う次第か」
四「それは夜陰《やいん》の儀でござるで、誠にお馬場口や何か淋しくてならんから、彼に見廻りを申付ける折《おり》に、大小を拝借致したいと申すから、それでは己《おれ》の積《つもり》で廻るが宜《よ》いと申付けましたので、大小を差しましたる儀で、併《しか》し頭巾を被りましたことは頓《とん》と心得ません……これ勘八、手前は何故《なぜ》目深《めぶか》い頭巾で面部を包んだ、それは何ういう仔細か、顔を見せん積りか」
勘「えゝ誠にどうも夜《よ》になりますと寒うございますんで、それゆえ頭巾を被りましたんで」
目「なに寒い……当月は八月である、未《いま》だ残暑も失《うせ》せず、夜陰といえども蒸《いき》れて熱い事があるのに、手前は頭巾を被りたるは余程寒がりと見ゆるな」
勘「へえ、どうも夜《よる》は寒うございますので」
目「寒くば寒いにもせよ、一体何ういう心得で其の方が御寝所近くへ這入った、仔細があろう、如何様《いかよう》に陳じても遁《のが》れん処であるぞ、兎や角陳ずると厳しい処の責めに遇《あ》わんければならんぞ、よく考えて、迚《とて》も免《のが》れん道と心得て有体《ありてい》に申せ」
勘「有体たって、私《わたくし》は何も別に他から頼まれた訳はございませんで、へえ」
目「中々|此奴《こやつ》しぶとい奴だ、此の者を打ちませえ」
四「いや暫く……四郎治申し上げます、暫くどうぞ
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