》にいた女中が殺されたような事を聞いたから、旦那様に聞いてもお前などは聞かんでも宜《よ》い事だと仰しゃるから、別段|委《くわ》しくお聞き申しもしなかったが、是は容易な事ではないよ」
 と申している処へ一声《ひとこえ》高く、玄関にて、
僕「お帰りい」
村「旦那がお帰り遊ばした」
 と慌《あわ》てゝお玄関へ出て両手を支《つか》え、
村「お帰り遊ばしまし」
定「お帰り遊ばせ」
富「あい、直《すぐ》に衣服《きもの》を着換えよう」
村「お着換遊ばせ、定やお召換だよ、お湯を直《すぐ》に取って、さぞお疲れで」
富「いやもう大きに疲れました、ハアーどうも夜|眠《ね》られんでな、大きに疲れました、眠《ねむ》れんと云うのは誠にいかんものだ」
 是から衣服《きもの》を着替えて座蒲団の上に坐ると、お烟草盆に火を埋《い》けて出る、茶台に載せてお茶が出る。
村「毎日/\お夜詰《よづめ》は誠にお苦労な事だと、蔭ながら申して居りますが、貴方までお加減がお悪くなると、却《かえ》ってお上《かみ》のお為になりませんから、時々は外村《とむら》様とお替り遊ばす訳にはまいりませんので」
富「いや、外村と代っているよ」
村「今日《こんにち》の御様子は如何《いかゞ》で」
富「少しはお宜しいように見受けたが、どうもお咳が出てお困り遊ばすようだ」
定「御機嫌宜しゅう、お上は如何でございます」
富「あい、大きに宜しい、定まで心配して居《お》るが、どうも困ったものじゃ」
村「早速貴方に申上げる事がございます、茶屋町の縫がまいりまして」
富「うん」
村「彼《かれ》が払い物だと云って小袖《こそで》を二枚持ってまいりましたから、丈《たけ》は何うかと存じまして、改める積りで解きましたところが、貴方|襟《えり》の中から斯様《こん》な手紙が出ました、御覧遊ばせ」
 と差出すを受取り、
富「襟の中から、はて」
 と披《ひら》いて読み下し、俄《にわか》に顔色を変え、再び繰返し読直して居りまする内に、何と思ったか、
富「定」
定「はい」
富「茶屋町の裁縫《しごと》をいたす縫というものは何かえ、彼《あれ》は亭主でも有るのか」
定「いえ、亭主はございません、四年|已前《あと》に死去《なくな》りまして、子供もなし、寡婦暮《やもめぐら》しで、只今はお屋敷やお寺方の仕事をいたして居りますので、お召縮緬《めしちりめん》の半纒《はんてん》などを着まして、芝居などへまいりますと、帰りには屹度《きっと》お茶屋で御膳や何か喫《た》べますって」
富「其様《そん》な事は何うでも宜《よ》い、御新造松蔭の家《うち》にいた下婢《おんな》は菊と云ったっけの」
村「私《わたくし》は名を存じませんが、其の下女が下男と不義をいたして殺されたという話を聞きましたから、只今考えて居りますので」
富「只松蔭とのみで名が分らんと、他《ほか》にない苗字でもなし、尤も神原四郎治は当家の御家来と確かに知れている、その四郎治と心を合せる者は大藏の外にはないが、先方《さき》の親の名が書いてあると調べるに都合も宜しいが、ス……これ定、其の茶屋町の縫という女を呼びに遣《や》れ、直《すぐ》に……事を改めていうと胡乱《うろん》に思って、何処かへ隠れでもするといかんから、貴様|一寸《ちょっと》行って来い、先刻《さっき》の衣服《きもの》の事について頼みたい事がある、他に仕立物もある、置いてまいった衣服二枚を買取るに都合もあるから、旦那様もお帰りになり、相談をするからと申してな、それに旨い物が出来たで、馳走をしてやる、早く来いと申して、直《すぐ》に呼んでまいれ」
定「じゃア私《わたくし》がまいりましょうか」
富「却《かえ》って貴様の方が宜かろう、女は女同志で、此の事を決していうな」
定「何う致しまして、決して申しは致しません」
 と急いで出てまいりました。

        四十三

 お縫は迎いを受けて、衣服《きもの》が売れて幾許《いくら》かの口銭になることゝ悦んで、お定と一緒にまいりました。
定「旦那さま、あのお縫どんを連れてまいりました」
富「おゝ直《すぐ》に連れて来たか、此方《こっち》へ通せ」
縫「旦那様御機嫌宜しゅう」
富「其処《そこ》では話が出来ん、此方《こっち》へ這入れ構わずずうっと這入れ」
縫「はい……毎度御贔屓さまを有難う……毎度御新造様には種々《いろ/\》頂戴物を致しまして有難う存じます」
富「毎度面倒な事を頼んで、大分|裁縫《しごと》が巧《うま》いと云うので、大きに妻《さい》も悦んでいる、就《つい》ては忙しい中を態々《わざ/\》呼んだのは他の事じゃアないが、此の払物《はらいもの》の事だ」
縫「はい/\、誠に只お安うございまして、古着屋などからお取り遊ばすのと違って、出所《でどこ》も知れて居りますから上げました、途々《みち/\》もお定どんに伺いましたが、大層御意に入《い》って、黄八丈は旦那様がお召に遊ばすと伺いましたが、少しお端手《はで》かも知れませんが、誠に宜《よ》いお色気でございます」
富「それじゃア話が出来んから此方《こっち》へ這入れ」
縫「御免遊ばして……恐入ります」
富「茶を遣《や》れよ」
縫「恐入ります……これは大層大きなお菓子でございますねえ」
富「それは上《かみ》からの下されたので」
縫「へえ中々|下々《しも/″\》では斯《こ》ういう結構なお菓子を見る事は出来ません、頂戴致します、有難う存じます」
富「あゝ此の二枚の着物は何処《どこ》から出たんだえ」
縫「そりゃアあの何でございます、私《わたくし》が極《ごく》心安い人でございまして、その少し都合が悪いので払いたいと申して、はい私の極心安い人なのでございます」
富「何ういう事で払うのだ」
縫「はい、その何でございます、誠に只もう出所《でどこ》が分って居りまして、古着屋などからお取り遊ばしますと、それは分りません事で、もしやそれが何でございますね、ま随分お寺へ掛無垢《かけむく》や何かに成ってまいったのが、知らばっくれて払いに出ます事が幾許《いくら》もございます、左様な不祥《ふしょう》な品と違いまして、出所も分って居りますから何かと存じまして」
富「それは分っているが、何ういう訳で払いに出たのだえ」
縫「まことに困ります、急にその災難で」
富「むゝう災難……何ういう災難で」
縫「いえ、その別に災難と申す訳もございませんけれども、急に嫁にまいるつもりで拵《こしら》えました縁が破談になりまして、不用になった物で」
富「はゝア、これは何と申す婦人のだえ、何屋の娘か知らんけれども、何と申す人の着物だえ」
縫「そりゃアその何でございます、私《わたくし》のような名でございますね」
富「手前のような……矢張縫という名かえ」
縫「いゝえ、縫という名じゃアございませんが、その心安くいたす間柄の者で」
富「心安い何という名だえ」
縫「それはどうも誠に何でございますね、その人は名を種々《いろ/\》に取換《とりかえ》る人なんで、最初はきんと申して、それから芳《よし》となりましたり、またお梅となったり何《なん》か致しました」
富「むゝう、今の名は何という」
縫「芳と申します」
富「隠しちゃアいかんぜ、少し此方《こっち》にも調べる事があるから、お前を呼んだのじゃ、此の着物を着た女の名は菊といやアせんか」
縫「はい」
富「左様だろうな」
 お縫|揉手《もみで》をしながら、
縫「菊という名に一寸《ちょっと》なった事もあります」
富「一寸成ったとは可笑《おか》しい隠しちゃアいかん、その菊という者は此方《こちら》にも少し心当りがあるが、親の家《いえ》は何処《どこ》だえ」
縫「はい」
富「隠しちゃアならん、お前に迷惑は掛けん、これは買入れるに相違ない、今代金を遣るが、菊という者なればそれで宜しいのだ、菊の親元は何処だえ」
縫「はい、誠にどうも恐入ります」
富「何も恐入る事はない、頼まれたのだから仔細はなかろう」
縫「親元は本郷春木町三丁目でございます、指物屋の岩吉と申します、其の娘の菊ですが、その菊が死去《なくな》りましたんで」
富「うん、菊は同家中に奉公していたが、少々仔細有って自害致した」
縫「でございますけれども、これはその自害した時に着ていた着物ではございません」
富「いや/\自害した女の衣類《きもの》だから不縁起だというのではない、買っても宜《よ》い」
縫「有難う存じます、その親も死去《なくな》りました、其の跡は職人が続いて法事をいたして、石塔や何《なん》かを建てたいという心掛なので」
富「左様か、それで宜しい、もう帰れ/\……おゝ馳走をすると申したっけ、欺《だま》しちゃアならん、私《わし》は直《すぐ》に上《あが》るから」
 と川添富彌は急に支度をして御殿へ出ることになりました。御殿ではお夜詰《よづめ》の方々が次第/\にお疲れでございます。お医者は野村覺江《のむらかくえ》、藤村養庵《ふじむらようあん》という二人が控えて居ります。お夜詰には佐藤平馬、外村惣衞《とむらそうえ》と申してお少《ちい》さい時分からお附き申した御家来|中田千股《なかだちまた》、老女の喜瀬川《きせがわ》、お小姓|繁《しげる》などが交々《こも/″\》お薬を上《あげ》る、なれどもどっとお悪いのではない、床《とこ》の上に坐っておいでゞ、庭の景色を御覧遊ばしたり、千股がお枕元で軍書を読んだり、するをお聞きなさる。お熱の工合《ぐあい》でお悪くなると、ころりと横になる。甚《ひど》く寒い、もそっと掛けろよと御意があると、綿の厚い夜着《よぎ》を余計に掛けなければなりません。お大名様方は釣夜具だとか申しますが、それほど奢った訳ではない。お附の者も皆心配して居られます。いまだお年若で、今年二十四五という癇癖《かんしゃく》ざかりでございます。老女喜瀬川が出まして、
喜「上《かみ》……上」
紋「うむ」
喜「お上屋敷からお使者がまいりました」
紋「うむ、誰が来た」
喜「上《かみ》のお使いに神原五郎治がまいりまして、御病気伺いに出ました、お目通りを仰付けられたいと申します、御面倒でございましょうが、お使者ではお会いが無ければなりますまい、如何《いかゞ》致しましょうか」
紋「うむ、神原五郎治か……彼《あれ》は嫌いな奴じゃが、此処《こゝ》へ通せ」
喜「畏《かしこま》りましてございます……若殿がお会いが有りますから、これへ直《すぐ》に」
 と中田千股という人が取次ぎますと、結構な蒔絵《まきえ》のお台の上へ、錦手《にしきで》の結構な蓋物《ふたもの》へ水飴を入れたのを、すうっと持って参り、
喜「お上屋敷からのお遣《つか》い物で」
 とお枕元に置く。お次の隔《へだて》を開けて両手を支《つか》え、
五「はア」
 と慇懃《いんきん》に辞儀をする。
五「神原五郎治で、長の御不快蔭ながら心配致して居りました、また上《かみ》に置かせられてもお聞き及びの通り御病中ゆえ、碌々《ろく/\》お訪ね申さんが、予の病気より梅の御殿の方が案じられると折々《おり/\》仰せられます、今日《こんにち》は御病気伺いとして御名代《ごみょうだい》に罷《まか》り出ました、是《こ》れは水飴でございますが、夜分になりますとお咳が出ますとのこと、其の咳を防ぎますのは水飴が宜しいとのことで、これは極製《ごくせい》の水飴で、これを召上れば宜くお眠《よ》られます、上が殊《こと》の外《ほか》御心配なされ、お心を入れさせられし御品《おんしな》、早々《そう/\》召上られますように」
紋「うむ五郎治、あゝ予の病気は大した事はない、未《いま》だ壮年の身で、少し位の病魔に負けるような事はない、快《よ》い時は縁側ぐらいは歩くが、只お案じ申上げるのはお兄様《あにいさま》の御病気ばかり、誠に案じられる、お歳といい、此の程はお悪いようじゃが、何うじゃな」
五「はア一昨日《いっさくじつ》は余程お悪いようでございましたが、昨日《さくじつ》よりいたして段々御快気に赴《おもむ》き、今朝《こんちょう》などはお粥《かゆ》を三椀程召上りました、其の上お力になる魚類を召上りましたが、彼《あ》の分では遠からず御全快と心得ます」
紋「うむ悦ばしい、予が夜分咳
前へ 次へ
全47ページ中41ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング