けは相変らず願います」
秋「うむ、承知いたした、一緒に帰ろうか、いや/\途中で他人《ひと》に見られると悪いから、早く行《ゆ》け/\」
源「有難うございます」
 ほっと息を吐《つ》いて、ぶる/\震えながら出て、後《あと》を振返り/\二三丁行って、それからぷうと駈出して向うへ行《ゆ》く様子を見て、
秋「何も駈出さんでも宜さそうなものだ」
 と笑いながら心静かに身支度をいたし、供を呼んで、是から嘉八親子にもくれ/″\礼を陳《の》べて帰られましたが、丁度八月九日のことで、川添富彌という若様附でございます、御舎弟様は夜分になりますとお咳が出て、お熱の差引《さしひき》がありますゆえ、お医者は側に附切りでございます。一統が一通りならん心配で、お夜詰《よづめ》をいたし、明番《あけばん》になりますと丁度只今の午前十時頃お帰りになるのですが、御容態《ごようだい》が悪いと忠義の人は残っている事がありますので、富彌様はお留守勝だから、御新造はお留守を守って、どうかお上《かみ》の御病気御全快になるようにと、頻《しき》りに神信心などを致して居ります。御新造は年三十で名をお村《むら》さんといい、大柄な美《い》い器量の方で、お定《さだ》という女中が居ります。
村「定や/\」
定「はい」
村「あの此処《こゝ》だけを少し片附けておくれ、何だか今年のように用の遅れた事はない、おち/\土用干も出来ずにしまったが、そろ/\もう綿入近くなったので、早く綿入物を直しに遣《や》らなければならない、それに袷《あわせ》も大分《だいぶ》汚れたから、お襟を取換えて置かなければなるまい」
定「左様でございます、矢張《やはり》旦那様がお忙《せわ》しくって、日々《にち/\》御出勤になりましたり、夜もお帰りは遅し、お留守勝ですから夜業《よなべ》が出来ようかと存じますが、何だか矢張《やっぱ》りせか/\致しまして、なんでございますよ、御用が段々遅れに遅れてまいりました」
村「あの今日はお明番《あけばん》だから、大概お帰りだろうとは思うが、一時《いっとき》でも遅れると又案じられて、お上《かみ》がお悪いのではないかと、何だか私は気が落着かないよ、旦那のお帰り前に御飯を戴いてしまおうか」
定「何もございませんが、いつもの魚屋が佳《よ》い鰈《かれい》を持ってまいりました、珍らしい事で、鰈を取って置きました」
村「然《そ》うかえ、それじゃアお昼の支度をしておくれ」
定「畏《かしこ》まりました」
 と是から午飯《ひる》の支度を致して、午飯《ひるはん》を喫《た》べ終り、お定が台所で片附け物をして居ります処へ入って来ましたのは、茶屋町に居りますお縫《ぬい》という仕立物をする人で、好《よ》くは出来ないが、袴《はかま》ぐらいの仕立が出来るのでお家中《かちゅう》へお出入りをいたしている、独り暮しの女で、
縫「御免遊ばして」
定「おや、お縫さん、よくお出掛け……さ、お上《あが》んなさい」
縫「誠に御無沙汰をいたしました、此間《こないだ》は有難う……今日《こんにち》は御新《ごしん》さんはお宅に」
定「はア奥にいらっしゃるよ」
縫「実はたった一人の妹《いもと》で、私《わたくし》が力に思っていました其の者が、随分丈夫な質《たち》でございましたが、加減が悪くって、其方《それ》へ泊りがけに参って居りまして、看病を致してやったり、種々《いろ/\》の事がありまして大分《だいぶ》遅くなりました、尤《もっと》もお綿入でございますから、未《ま》だ早いことは早いと存じまして」
定「出来ましたかえ」
縫「はい、左様でございます」
定「御新造様、あの茶屋町のお縫どんがまいりました」
村「さ、此方《こっち》へお入り」
縫「御免遊ばしまし……誠に御無沙汰をいたしました」
村「朝晩は余程加減が違ったの」
縫「誠に滅切《めっきり》御様子が違いました、お変り様《さま》もございませんで」
村「有難う」
縫「御意に入《い》るか存じませんが、お悪ければ直します」
村「大層|好《よ》く出来ました、誠に結構……お前のは仕立屋よりか却《かえ》って着好《きい》いと旦那も仰しゃってゞ、誠に好く出来ました、大分色気も好くなったの」
縫「これは何でございます、お洗い張を遊ばしましたら滅切りお宜しくなりました、尤《もっと》もお物が宜しいのでございますから、はい仕立栄《したてばえ》がいたします」
村「久しく来なかったの」
縫「はいなんでございます、直《じき》に大門町にいる妹《いもと》ですが、平常《ふだん》丈夫でございましたが、長煩《ながわずら》いを致しましたので、手伝いにまいりまして、伯母が一人ございますが、其の伯母は私《わたくし》のためには力になってくれました、長命《ながいき》で八十四で、此の間|死去《なくな》りましたが、あなた其の歳まで眼鏡もかけず、歯も好《よ》し、腰も曲りませんような丈夫でございましたが、月夜の晩に縁側で裁縫《しごと》を致して居りましたが、其処《そこ》へ倒れたなり、ぽっくり死去《なくな》りましたので、それゆえ種々《いろ/\》取込んで……お小袖《こそで》ですから間に合わん気遣いはないと存じまして、御無沙汰をいたしました、今年は悪い時候で、上方辺は大分水が出たという話を聞きました、お屋敷の大殿様も若殿様もお加減がお悪いそうで」
村「あゝ誠にお長引きで」
縫「私《わたくし》は毎《いつ》も然《そ》う申しますので、伯母が死去《なくな》りましても悔《くや》むことはない、これ/\のお屋敷の殿様が御病気で、お医者の五人も三人も附いて、結構なお薬を召上り、お手当は届いても癒《なお》る時節にならなければ癒らんから、くよ/\思う事はないと申して、へえ」
村「何分|未《ま》だお宜しくないので、実に心配しているよ、夜分はお咳が出ての」
縫「然《そ》うでございますか、それはまア御心配でございますね、併《しか》しまだお若様でいらっしゃいますから、もう程無《ほどの》う御全快になりましょう」
村「御全快にならなくっちゃア大変なお方さまで、一時《いっとき》も早くと心配しているのさ」
縫「えゝ御新造様え、こんな事をお勧め申すと、なんでございますが、他《わき》から頼まれて、余《あんま》りお安いと存じまして持って出ましたが、二枚小袖の払い物が出ましたので、ま此様《こん》な物を持って出たり何かして、済みませんが、出所《でどこ》も確かな物ですから、お目にかけますが、それに八丈の唐手《もろこしで》の細いのが一枚入って居ります、あとは縞縮緬《しまちりめん》でお裏が宜しゅうございます、お平常着《ふだんぎ》に遊ばしても、お下着に遊ばしても」
村「私は古着は嫌いだよ」
縫「左様でございましょうが、出所《でどころ》が知れているものですから」
村「じゃア出してお見せ」
縫「畏《かしこ》まりました」
 とお次《つぎ》から包を持ってまいり、取出して見せました。唐手の縞柄は端手《はで》でもなく、縞縮緬は細格子《ほそごうし》で、色気も宜うございます。
村「大層|好《よ》い縞だの」
縫「誠に宜うございます」
村「これは何《ど》の位というのだえ」
縫「これで先方《むこう》じゃア最《もう》少し値売《ねうり》をしたいように申して居りますが、此の書付でと申すので」
村「二枚で此の値段書《ねだんがき》では大層に安い物だの」
縫「へい、お安うございます、貴方お裏は新しいものでございます」
村「何ういう訳で此《こ》れを払うというのだえ」
縫「先方《むこう》はよく/\困っているのでございます」
村「丈《たけ》や身巾《みはゞ》が違うと困るね」
縫「左様ならお置き遊ばしては何うでございます、一日ぐらいお置きあそばしても宜しゅうございます」
村「余《あんま》り縞柄が好《よ》いから、欲しいような心持もするから、置いてっておくれ」
縫「左様でございますか、じゃア私《わたくし》が今日の暮方までに参りませんければ、明朝伺いに上ります」
村「では後《あと》で好《よ》く※[#「てへん+僉」、第3水準1−84−94]《あらた》めて見よう」
 是をお世話いたせば幾許《いくら》か儲かるのだから先ず気に入ったようだとお縫は悦んで帰ってしまう、後《あと》でお定を呼んで、
村「手伝っておくれ、解《ほど》いて見よう、綿は何様《どん》なか」
 と段々解いて見ると。不思議なるかな襟筋《えりすじ》に縫込んでありました一封の手紙が出ました。
村「おや、定や」
定「はい」
村「此様《こん》な手紙が出たよ」
定「おや/\襟ん中から奇態でございますね、何うして」
村「私にも分らんが、何ういう訳で襟の中へ……訝《おか》しいの」
定「女物の襟へ手紙を入れて置くのは訝しい訳でございますが、情夫《いろおとこ》の処へでも遣るのでございましょう」
村「だってお前それにしても襟の中へ……訝しいじゃアないか」
定「左様でございますね、開けて御覧遊ばせよ、何と書いてあるか」
村「無闇に封を切っては悪かろう」
定「これを貴方の物にして、此の手紙を開けて御覧なすって、若《も》し入用《にゅうよう》の手紙なれば先方《むこう》へ返したって宜《い》いじゃア有りませんか」
村「本当に然《そ》うだね、封が固くしてあるよ、何と書いてあるだろう」
定「お禁厭《まじない》でございますか知らん、随分お守《まもり》を襟へ縫込んで置く事がありますから、疫病除《やくびょうよけ》に」
村「父上様まいる菊よりと書いてある、親の処へやったんで」
定「だって貴方親の処へ手紙をやるのに、封じを固くして襟の中へ縫付けて置くのは訝《おか》しゅうございますね、尤《もっと》も芸者などは自分の情郎《いろおとこ》や何かを親の積りにして、世間へ知れないようにお父様《とっさま》/\とごまかすてえ事を聞いて居りますよ」
村「開けて見ようかの」
定「開けて御覧遊ばせよ」
村「面白いことが書いてあるだろうの」
定「屹度《きっと》惚気《のろけ》が種々《いろ/\》書いてありましょうよ」
 悪いようだが封じが固いだけに、尚《な》お開けて見たくなるは人情で、これから開封して見ますと、女の手で優しく書いてあります。
村「…文《ふみ》して申上《もうしあげ》※[#「まいらせそろ」の草書体、426−5]…、極《きわ》っているの」
定「へえ、それから」
村「…益々御機嫌|能《よく》御暮《おくら》し被成候《なされそうろう》御事《おんこと》蔭ながら御嬉《おんうれ》しく存じ上《あげ》※[#「まいらせそろ」の草書体、426−7]」
定「定文句《じょうもんく》でございますね、併《しか》し色男の処へ贈る手紙にしちゃア改《あらたま》り過ぎてるように存じますね」
村「然《そ》うだの、左候《さそうら》えば私《わたくし》主人松蔭事ス……神原四郎治と申合せ渡邊様を殺そうとの悪だくみ……おや」
定「へえ……何ういう訳でございましょう」
村「黙っていなよ、……それのみならず水飴の中へ毒薬を仕込み、若殿様へ差上候よう両人の者|諜《しめ》し合せ居り候を、図らず私《わたくし》が立聞致し驚き入り候」
定「呆れましたね、誰でございますえ」
村「大きな声をおしでないよ、世間へ知れるとわるいわ……一大事ゆえ文に認《したゝ》め差上候わんと取急ぎ認め候え共、若《も》し取落し候事も有れば、他《た》の者の手に入《い》っては尚々お上《かみ》のために相成らずと心配致し、袷《あわせ》の襟[#「襟」は底本では「縫」]へ縫込み差上候間、添書《そえしょ》の通りお宅にてこれを解き御覧の上渡邊様方に勤め居り候|御兄様《おあにさま》へ此の文御見せ内々《ない/\》御重役様へ御知らせ下され候様願い上《あげ》※[#「まいらせそろ」の草書体、427−1]、申上度事《もうしあげたきこと》数々|有之《これあり》候え共取急ぎ候まゝ書残し※[#「まいらせそろ」の草書体、427−2]尚《な》おお目もじの上|委《くわ》しく可申上候《もうしあげべくそうろう》、芽出度《めでたく》かしく、父上様兄上様、菊…と、……菊というのは何かの、彼《あ》の新役の松蔭の処に奉公していた女中は菊と云ったっけかの」
定「私《わたくし》は存じませんよ」
村「松蔭の家《うち
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