御存じさまで」
秋「是は殿様のお部屋お秋の方《かた》の父で、お屋敷へまいる事もあるで、存じて居《お》る、其の者に頼まれて、貴様が此処《こゝ》の婆に斑猫を捕《と》れと頼んだのか、薬に用いるなれば至極|道理《もっとも》の事だ……当家の主人は居《お》るの、一寸《ちょっと》こゝへ出てくれ」
嘉「はい」
秋「婆も一寸こゝへ」
婆「はい」
と両人とも秋月喜一郎の前へまいりました。
秋「お前方は何かえ、此の飴屋の源兵衞は前から懇意にいたして居《お》るものかえ、毎度此の飴屋方へも行《ゆ》き、源兵衞も度々《たび/\》此方《こちら》へ参るような事があるかえ」
嘉「いえなに私《わし》が処へお出でなすった事も何もない、私は御懇意にも何《なん》にもしませんが、婆が商いに出ました先でお目にかゝったのが初《はじま》り、それから頼まれましたんで、のうお母《っかあ》」
婆「はい、なに心易くも何とも無《ね》えので、お得意廻りに歩き、商いをしべえと思って籠を脊負《しょ》って出て、お前さま、谷中へかゝろうとする途《みち》で会ったゞね、それから斯ういう理由《わけ》だが婆、何うだかと云うから、ま詰らん小商《こあきな》いをするよりもこれ、一疋虫を捕《つか》めえて六百ずつになれば、子供でも出来る事だから宜かろうと頼まれましたんで」
秋「左様か、源兵衞当家の嘉八という男も婆も手前は懇意じゃア無いと云うじゃアないか」
源「へえ、別に懇意という……なにもこれ親類というわけでも何でもないので」
秋[#「秋」は底本では「源」]「親類かと問やアせん、手前が当家の婆とは別懇だから、山路が手前に斑猫を捕《と》る事を頼んだと只今申したが、然《しか》らば手前は当家の婆は別懇でも何でもなく、通りかゝりに頼んだか山路も何か入用《いりよう》があって毒虫を捕る事を手前に頼んだ事であろうと考えるが、これは誰《たれ》か屋敷の者の中《うち》で頼んだ者でもありはせんか」
源「へえ左様でございますかな」
秋「左様でございますかな、と申して此の方《ほう》が手前に聞くんだ」
源「へえ……どうか真平《まっぴら》御免遊ばして下さいまし、重々心得違で」
秋[#「秋」は底本では「喜」]「只心得違いでは分らん、白状をせんか、此の程御舎弟様が御病気について、大分《だいぶ》夜分お咳《せき》が出るから、水飴を上げたら宜かろうというのでお上屋敷からお勧めに相成って居《お》る、その水飴を上げる処の出入町人は手前じゃから、手前の処で製造して水飴が上《あが》る、其の水飴を召上って若《も》し御病気でも重《おも》るような事があれば、手前が水飴の中へ毒を入れた訳ではあるまいけれども、手前が製した水飴を召上ったゝめに病気が重り、手前が頼んで斑猫を捕《と》らしたという事実がある上は、左様な訳ではなくても、手前が水飴の中へ毒虫でも製し込んで上《かみ》へ上げはせんかと、手前に疑ぐりがかゝる、是は当然の事じゃアないか、なア、決して手前を咎《とが》にはせん、白状さえすれば素々《もと/\》通り出入もさせてやる、此の秋月が刀にかけても手前を罪に落さんで、相変らず出入をさせた上に、お家の大事なれば多分に手当をいたして遣《や》るように、此の秋月が重役|等《ら》と申合せて計らって遣《つか》わす、何も怖い事はないから有体《ありてい》に言ってくれ、殿様のお為じゃ、殿様が有難いと心得たら是を隠してはなりませんよ、のう源兵衞」
源「へえ、私《わたくし》が愚昧《ぐまい》でございまして、それゆえ申上げますことも前後《あとさき》に相成ります事でございまして、何かとお疑ぐりを受けますことに相成りましたが、なか/\何う致しまして、水飴の中へ毒などは入れられません、透《す》いて見えます極製《ごくせい》でございますから、へえ、なか/\何う致しまして、其様《そん》なことは……御免遊ばして下さいまし」
と泣声を出し涙を拭《ぬぐ》う。
秋「何故《なぜ》泣く」
源「私《わたくし》は涙っぽろうございます」
秋「涙っぽろいと云っても何も泣くことはない、別段仔細は無いから……左様な事は致すまいなれども、また御舎弟様付とお上屋敷の者と心を合せて、段々手前も存じて居ろうが、どうも御舎弟さまを邪魔にする者があると云うのは、御癇癖《ごかんぺき》が強く、聊《いさゝ》かな事にも暴々《あら/\》しくお高声《こうせい》を遊ばして、手打にするなどという烈《はげ》しい御気性、乃《そこ》でどうも御舎弟様には附《つき》が悪いので上屋敷へ諂《へつら》う者も多いが、今大殿様もお加減の悪い処であるから、誠に心配で、万一《もしも》の事でもありはせんか、有った時には御順家督《ごじゅんかとく》で、何うしても御舎弟紋之丞様を直さねばならん、ところがその、此処《こゝ》に婆《ばゞあ》が居っては……他聞を憚《はゞか》ることじゃ……婆が聞いても委《くわ》しいことは分るまいが……、婆嘉八とも暫時《ざんじ》彼方《あっち》へ退《の》いてくれ」
婆「はい」
と立ってゆく。後《あと》見送りて、
秋「手前も存じて居《お》る通り、只今其の方が申した医者の娘、お秋の方《かた》が儲《もう》けられた菊さまという若様がある、其の方《かた》を御家督に立てたいという慾心から、菊様の重役やお附のものが皆心を合せて御舎弟様を亡《な》き者にせんと……企《たく》むのでは有りはすまいが、重役の者一統心配して居《お》る、御舎弟様は大切のお身の上、万一《まんいち》間違でもあっては公儀へ対しても相済まんことだが、そりゃア手前も心得て居《お》るだろう、只山路が頼んだというと、山路はお秋の方の実父だから、左様なこともありはせんかと私《わし》は疑ぐる、併《しか》し然《そ》うで有るか無いか知れんものに疑念を掛けては済まんけれども、大切のことゆえ有体《ありてい》に云ってくれ、其の方《ほう》御舎弟様を大切に思うなれば云ってくれ、秋月が此の通り手を突いて頼む……な……決して手前の咎めにはせんよ、出入も元々どおりにさせ、また事に寄ったら三人扶持《さんにんふち》か五人扶持ぐらいは、若殿様の御世《およ》になれば私から直々《じき/\》に申上げて、其の方一代ぐらいのお扶持は頂戴さしてやる」
と和《やわ》らかに言わるゝ程気味が悪うございますから、源兵衞は恐《おそ》る/\首《こうべ》を上げ、
源「へえ、有難う、恐入りますことで、貴方さまのような御重役が、私《わたくし》ごとき町人風情に手を突いてお頼みでございましては、誠に恐入ります、私も実はその、えゝ……始めは驚きましてございますが……実はその、へえ、お立派なお方さまのお頼みでございまして、斑猫てえ虫を捕《と》って水飴の中へ入れてくれろというお頼みでございます、初めは山路というお医者が、何とかいう、えゝ、※[#「譽」の「言」に代えて「石」、第3水準1−89−15]石《よせき》とかいう薬を入れて練ったらと云うので練って見ましたが、これは水飴の中へ入れても好《よ》く分りますので、毒虫を煮てらんびき[#「らんびき」に傍点]にいたして、その毒気《どくき》を水飴の中へ入れたら、柔《やわら》かになって宜かろうというお頼みで、迂濶《うっか》りお目通りをして其の事を伺い、これは意外な事と存じまして、お断りを申上げましたら、其の事が不承知と申すなら、一大事を明《あか》したによって手打に致すとおっしゃって、刀の柄《つか》へ手を掛けられたので、恟《びっく》り致しまして、否《いや》と云えば殺され、応《うん》と云えば是迄通り出入《でいり》をさせ、其の上多分のお手当を下さるとの事、お金が欲《ほし》くはございませんでしたが、全く殺されますのが辛いので、はいと止《や》むを得ずお受けをいたしました、真平《まっぴら》御免下さいまし」
秋「うむ、宜く言ってくれた、私《わし》も然《そ》うだろうと大概推察致して居った、宜く言ってくれた」
源「えゝ私《わたくし》が此の事を申上げましたことが知れますと、私は斬られます」
秋「いや/\手前が殺されるような事はせん、決して心配するな、あゝ誠に感心、宜く言ってくれた、これ当家の主人」
嘉「はい」
秋「今|私《わし》が源兵衞に云った事が逐一《ちくいち》分ったかえ、分ったら話して見るが宜《よ》い」
嘉[#「嘉」は底本では「梅」]「なにか仰しゃったようでごぜえますが、むずかしくって少しも分りませんが、若《わけ》え殿様に水飴を甜《な》めさせて、それから殿様にも甜めさせて、それを何ですかえ両方へ甜めさせるような事にして御扶持《ごふち》をくれるんだって」
秋「あはゝゝ分らんか、宜しい、至極宜しい、分らんければ」
嘉「それで何ですかえ、飴屋さんが御扶持を両方から貰って」
秋「宜しい/\、分らん処が妙だ、どうぞな私《わし》が貴様の家《うち》へ来て、飴屋と話をした事だけは極《ごく》内々《ない/\》でいてくれ、宜《よ》いか、屋敷の者に……婆《ばゞあ》が又|籠《かご》を脊負《しょ》って、大根や菜などを売《うり》に来た時に、秋月様が入《いら》しったと長家の者に云ってくれちゃア困る、是だけは確《しっ》かと口留をいたして置く、いうと肯《き》かんよ、云うと免《ゆる》さんよ、何処《どこ》から知れても他に知る者は無いのだから、其の儘にしては置かんよ」
嘉「はい……どうか御免を」
秋「いや、云いさえしなければ宜しいのだ」
嘉「いう処じゃアありません、婆さんお前は口がうるせえから」
婆「云うって云わねえって何だか知んねえものそれじゃア誰が聞いても、殿様は己《おれ》ア家《うち》へおいでなすった事はごぜえません、飴屋さんとお話などはなせえませんと」
秋「そんな事を云うにも及ばん、決して云ってはならんぞ」
婆「はい、畏《かしこ》まりました」
秋「源兵衞、毒虫を入れた水飴は大概もう仕上げてあるかの」
源「へえ、明後日《あさって》は残らず出来ます」
喜「明後日《あさって》出来る……よし宜く知らせてくれた辱《かたじけ》ない、源兵衛手前に何《なん》ぞ望みの物を取らしたく思う、持合せた金子も少ないが、是はほんの手前が宅への土産に何ぞ買って行ってくれ、私《わし》が心ばかりだ」
源「何う致しまして、私《わたくし》がこれを戴きましては」
秋「いや/\遠慮をせずに取って置いてくれ、就《つい》てはの、源兵衞大概此の方《ほう》に心当りもある、手前に頼んだ侍の名前は、これ誰が頼んだえ」
源「へえ、是だけは、それを言えば斬ると仰しゃいました、へえ、何うかまア種々《いろ/\》そのお書物《かきもの》の中へ、私《わたくし》にその、血で爪印をしろと仰しゃいましたから、少し爪の先を切りました」
秋「左様か、云っては悪いか、併《しか》し源兵衞|斯《こ》う打明けてしまった事じゃから云っても宜かろう」
源「何卒《どうぞ》それだけは御勘弁を」
秋「云えんかえ」
源「へえ、何うもそれは御免を蒙《こうむ》ります」
秋「併し源兵衞、是までに話を致して、依頼者の姓名が云えんと云うのは訝《おか》しい、まだ手前は悪人へ与《く》み致して居《お》るように思われる、手前が云わんなら私《わし》の方で云おうか」
源「へえ」
秋「神原五郎治兄弟か、新役の松蔭かな」
源兵衞は仰天して、
源「よ好《よ》く御存じさまで」
四十二
喜一郎は態《わざ》と笑《えみ》を含みまして、
秋「何うも其辺《そこら》だろうと鑑定が附いていた、ま宜しいが、彼《か》の松蔭並びに神原兄弟の者はなか/\悪才に長《た》けた奴ゆえ、種々《いろ/\》罠をかけて、私《わし》が云ったことを手前に聞くまいものでもないが、手前決して云うな」
源「何う致しまして、云えば直《す》ぐに私《わたくし》が殺されます、貴方様も仰しゃいませんように」
秋「私《わし》は決して云わん、首尾好《しゅびよ》く悪人を見出《みだ》して御当家安堵の想いを為すような事になれば、何うか願って手前に五人扶持も遣《や》りたいの」
源「何う致しまして、悪人へ与《く》み致しました罪で、私《わたくし》はお手打になりましても宜しいくらいで、私は命さえ助かりますれば、御扶持は戴きませんでも宜しゅうございます、お出入りだ
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