少しの間座敷を貸してくれ、弁当は持参してまいったから、決して心配をしてくれるな、兎や角構ってくれては却《かえ》って困る、これは貴様の妻か」
嘉「へえ、私《わし》の嚊《かゝあ》でごぜえます、ぞんぜえもので」
妻「お入来《いで》なせえまし、毎度お母《っか》が参《めえ》りましては種々《いろ/\》御厄介になります、何うかお支度を」
秋「いやもう構ってくれるな、早く屏風を立廻してくれ」
婆「畏《かしこま》りました、破けて居りますが、彼《あれ》でも借りてめえりましょう、其処《そこ》な家《うち》では自慢でごぜえます、村へ入《へい》る画工《えかき》が描《か》いたんで、立派というわけには参《めえ》りません、お屋敷様のようじゃアないが、丹誠して描いたんだてえます」
秋「成程是は妙な画《え》だ、福禄寿《ふくろくじゅ》にしては形が変だな、成程|大分《だいぶん》宜《い》い画だ」
婆「宅《うち》で拵《こしら》えた新茶でがんす、嘉八《かはち》や能くお礼を申上げろ」
嘉「誠に有難うごぜえます、貴方《あんた》飴屋が参《めえ》りますと、何かお尋ねなせえますで」
秋「其様《そん》なことを云っちゃアいけない」
嘉「実はその去年から頼まれて居りますが、婆《ばア》さまの云うにア、それは宜《え》えが訝《おか》しいじゃアなえか、何ういう理由《わけ》か知んねえ、毒な虫を捕《と》って六百文貰って宜《え》えかえ、なに構ア事はなえが、黒い羽織を着て、立派なア人が来るです」
秋「まゝ其様《そん》なことを云っちゃアいけない」
嘉「へえ/\、なに此処《こゝ》は別に通る人もごぜえませんけれども、梅の時分には店へ腰をかけて、草臥足《くたびれあし》を休める人もありますから、些《ちっ》とべえ駄菓子を置いて、草履《ぞうり》草鞋《わらじ》を吊下《つるさ》げて、商いをほんの片手間に致しますので、子供も滅多に遊びにも参《めえ》りません、手習《てならい》をしまって寺から帰って来ると、一文菓子をくれせえと云って参《めえ》りますが、それまでは誰《たれ》も参《めえ》りませんから、安心して何でもおっしゃいまし、お帰りに重とうござえましょうが、芋茎《ずいき》が大《でか》く成りましたから五六|把《ぱ》引《ひっ》こ抜いてお土産にお持ちなすって」
供「旦那さま、芋茎のお土産は御免を蒙《こうむ》りとうございます……御亭主旦那様は芋茎がお嫌いだからお土産は成るたけ軽いものが宜《い》い」
嘉「軽いものと仰しゃっても今上げるものはごぜえません、南瓜《とうなす》がちっと残って居ますし、柿は未だ少し渋が切れないようですが、柿を」
供「柿の樹《き》はお屋敷にもあります」
秋「今日《こんにち》は来ないかの」
嘉「いえ急度《きっと》参《めえ》るに相違ごぜえません」
と云っている内に、只今の午後三時とおもう頃に遣《や》ってまいりましたのは、飴屋の源兵衞でございます。
源「あい御免よ」
婆「はい、お出でなせえまし、さ、お上《あが》んなせえまし」
源「あゝ何うも草臥《くたび》れた、此処《こゝ》まで来るとがっかりする、あい誠に御亭主|此間《こないだ》は」
嘉「へえ、是はいらっしゃいまし、久しくお出《いで》がごぜえませんでしたな、漸々《だん/″\》秋も末になって参《めえ》りまして、毒虫も思うように捕《と》れねえで」
源「これ/\大きな声をするな、是《こ》れは毒の気《き》を取って膏薬を拵《こしら》えるんだ、私《わし》は前に薬種屋《きぐすりや》だと云ったが、昨日《きのう》婆《ばア》さんに会った、隠し事は出来ねえもんだ、これは口止めだよ、少しばかりだが」
嘉[#「嘉」は底本では「源」]「どうもこれは…」
源「其の代り他人《ひと》に云うといけないよ」
嘉「いえ申しませんでごぜえます」
源「私《わし》も十露盤《そろばん》を取って商いをする身だから、沢山《たんと》の礼も出来ないが、五両上げる」
嘉「えゝ、五両……魂消《たまげ》ますな、五両なんて戴く訳もなし、一疋|捕《つか》まえて六百文ずつになれば立派な立前《たちめえ》はあるのに、此様《こん》なに、大《でか》く戴きますのは止しましょうよ」
源「いや/\其様《そん》なことを云わないで取ってお置き、事に寄ると為《た》めになる事もあるから、決して他人《ひと》に云っちゃア成りませんよ、私《わし》が頼んだという事を」
婆「それは忰も嫁も心配《しんぺえ》打《ぶ》っていますが、他の者じゃアなし、毒な虫をお前様に六百ずつで売って、何ういう事で間違えでも出来やアしねえかと心配《しんぺい》してえます」
源「其様《そん》な事は有りゃアしないよ、此の虫を沢山《たんと》捕《つかま》えて医者様が壜《びん》の中へ入れて製法すると、烈《はげ》しい病も癒《なお》るというは、薬の毒と病の毒と衝突《かちあ》うから癒るというので、ま其様なに心配しないでも宜い」
婆「お金は戴きませんよ、なア忰」
嘉「えゝ、これは戴けません、此間《こねえだ》から一疋で六百ずつの立前《たちめえ》になるんでせえ途方も無《ね》え事だと思ってるくれえで、これが玉虫とか皀角虫《さいかちむし》とかを捕《と》るのなれば大変だが、豆の葉に集《たか》ってゝ誰にでも捕れるものを大金《てえきん》を出して下さるだもの、其様《そん》なに戴いちゃア済みません」
源「これ/\其様《そん》な大きな声を出しちゃアいけない」
嘉「これは何うしても戴けません」
源「そこに種々《いろ/\》理由《わけ》があるんだ、其様《そん》なことを云っては困る、これは取って置いてくれ」
嘉「へえ立前《たちめえ》は戴きます、ま此方《こっち》へお上《あが》んなすって、なに其処《そこ》を締めろぴったり締めて置け、砂が入《へい》っていかねえから……えゝゝ風が入《へい》りますから、ま此方《こっち》へ……何もごぜえませんがお飯《まんま》でも喰《た》べてっておくんなせえまし」
源「お飯は喫《た》べたくないが、礼を受けてくれんと誠に困るがな、受けませんか」
嘉「へえ」
と何う有っても受けない、百姓は堅いから何うしても受けません。源兵衞も困って、
源「そんなら茶代に」
と云って二分《にぶ》出しますと、
嘉「お構い申しもしませんのに……お茶代と云うだけに戴きましょう、誠にどうも、へえ」
源「今日は帰ります、婆《ばア》さん又|彼方《あっち》へ来たらお寄り、だが、私が此処《こゝ》へ来たことは家内へ知れると悪いから、店へは寄らん方が宜《い》い、店には奉公人もいるから」
婆「いえ、お寄り申しませんよ、はい左様なら、気を附けてお帰んなせえましよ」
源「あい」
是から麻裏草履を穿《は》いて小金屋源兵衞が出にかゝる屏風の中で。
秋月「源兵衞源兵衞」
と呼ばれ、源兵衞は不審な顔をして振反《ふりかえ》り、
源「誰だ……何方《どなた》でげす、私をお呼びなさるのは何方ですな」
秋「私《わし》じゃ、一寸《ちょっと》上《あが》れ、ま此方《こっち》へ入っても宜《よ》い、思い掛ない処で会ったな」
源「何方《どなた》でげす」
と屏風を開けて入り、其の人を見ると、秋月喜一郎という重役ゆえ、源兵衞は肝《きも》を潰《つぶ》し、胸にぎっくりと応《こた》えたが、素知《そし》らぬ体《てい》にて。
源「誠に思い掛ない処で、御機嫌宜しゅう」
秋「少し手前に尋ねたい事があって、急ぐか知らんが、同道しても宜しい、暫《しばら》く待ってくれ、少し問う事がある、源兵衞其の方は何ういう縁か、飴屋風情でお屋敷の出入町人となっている故、殿様の有難い辱《かたじけ》ないという事を思うなら、又此の方《ほう》が貴様を引廻しても遣《つか》わすが、真《しん》以て上《かみ》を有難いと心得てお出入をするか、それから先へ聞いて、後《あと》は緩《ゆっ》くり話そう」
源「へえ誠にどうも細い商いでございますが、御用向を仰付けられて誠に有難いことだ、冥加至極と存じまして、へえ結構な菓子屋や其の他《た》のお出入もある中にて、飴屋風情がお出入とは実に冥加至極と存じて居ります、殿様が有難くないなどゝ誰が其様《そん》なことを申しました」
秋「いや然《そ》うじゃアない、真に有難いと心得て居《お》るだろう」
源「それは仰しゃるまでもございません、此の後《のち》ともお引廻しを願いとう存じます」
秋「それでは源兵衞、手前が何《ど》の様《よう》に隠しても隠されん処の此方《こちら》に確かな証拠がある、隠さずに云え、じゃが手前は何ういう訳で斑猫《はんみょう》という毒虫を婆《ばゝ》に頼んで一疋六百ずつで買うか、それを聞こう」
と源兵衞の顔を見詰めている中《うち》に、顔色《がんしょく》が変ってまいると、秋月喜一郎は態《わざ》とにや/\笑いかけました。
四十一
さて秋月喜一郎は、飴屋源兵衞を柔らかに欺《だま》して白状させようという了簡、其の頃お武家が暴《あら》い事をいたすと、町人は却《かえ》って驚いて、云うことも前後致したり、言いたいことも言い兼《かね》て、それがために物の分らんような事が、毎度町奉行所でもあった事でございます。源兵衞は何うして知れたかと思って、顔色《かおいろ》を変え、突いていた手がぶる/″\震える様子ゆえ、喜一郎は笑《えみ》を含みまして、物柔らかに、
秋「いや源兵衞何か心配をして、これを言ってはならんとか、彼《あれ》を言っては他《ほか》役人の身の上にも拘《かゝ》わるだろうと深く思い過《すぐ》して、隠し立てを致すと却って為にならんぞ、定めし上役《うわやく》の者が其の方に折入《おりい》って頼んだ事も有るであろうが、其の者の身分柄にも障《さわ》るような事があってはならんから、これは秋月に言っては悪かろうと、斯う手前が考えて物を隠すと、却って悪い、と云うのは元来《もと/\》お屋敷へ出入《でいり》を致すのには、殿様を大事と心得なければならん、そりゃアまた出入町人にはそれ/″\係りの者もあるから、係り役人を粗末にしろと云うのではないが、素《もと》より手前は上《かみ》の召上り物の御用を達《た》す身の上ではないか、なア」
源「へえ誠にどうも其の、えゝ…何うも私《わたくし》がその、事柄を弁《わきま》えませんものでございまして、唯飴屋風情の者がお屋敷へお出入を致しまして、お身柄のあります貴方様を始め、皆様に直々《じき/\》斯う遣《や》ってお目通りをいたし、誠に有難い事と心得まして、只私はえゝ何うも其の有難くばかり存じますので、へえ自然に申上げます事もその前後《あとさき》に相成ります」
秋「なに有難く心得て、言う事が前後《ぜんご》になるというのは可笑《おか》しい一体何ういう訳で手前は当家の婆《ばゞあ》に斑猫《はんみょう》を捕《と》ってくれろと頼んだか、それを云えというんだ」
源「それはその私《わたくし》が懇意にいたします近辺に医者がございまして、その医者がどうも其の薬を……薬は一体毒なもので、※[#「やまいだれ+難」、第3水準1−88−63]《よう》疔《ちょう》根太《ねぶと》腫物《はれもの》のようなものに貼《つ》けます、膏薬吸出しのようなものは、斑猫のような毒が入りませんければ、早く吹切《ふっき》りません、それゆえ欲《ほし》いと申されました事でございまして」
秋「其の人は何処《どこ》の者か」
源「へえ実はその……私《わたくし》が平常《ふだん》心易《こゝろやす》くいたしますから、どうかお前頼んでくれまいかと云われて、私が其の医者を同道いたしてまいりまして、当家の婆《ばゞあ》に頼みましたのでございます」
秋「ムヽウ、其の医者は何処の者だえ、いやさ近辺にいるというが、よもやお抱《かゝ》えの医者ではあるまい、町医か外療《げりょう》でもいたすものかえ」
源「へえ、その……大概その外療をいたしましたり、ま其の風《かぜ》っ引《ぴ》きぐらいを治すような工合《ぐあい》で」
秋「何と申す医者だえ」
源「へい、その誠にその、雑《ざっ》といたした医者で」
秋「雑と致した、そんな医者はありません、名前は何というのだえ」
源「名前はその、えゝ……実はその何でございます、山路と申します」
秋「山路……山路宗庵と云うか」
源「へえ、好《よ》く
前へ
次へ
全47ページ中38ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング