じゃが、それを委《くわ》しく話してください」
鐵「だから云わねえ事じゃアねえ、先方《むこう》は彼《あん》な姿で来たって八州の隠密だよ」
 と一人の連《つれ》の者に云われ、一人は真蒼《まっさお》になり、ぶる/\と顫《ふる》え出し、碌々口もきけません様子。
○「なに本当に知っている訳じゃアごぜえやせん、朦朧《ぼんやり》と知ってるんで、へえ一寸《ちょっと》人に聞いたんで」
宗「聞いたら聞いたゞけの事を告げなさい、新町河原で渡邊祖五郎を殺害《せつがい》した春部梅三郎という者は何《いず》れへ逃げた」
○「あ彼方《あっち》へ逃げて……それから秩父《ちゝぶ》へ出たんで」
宗「うん成程、秩父へ出て」
○「それからこ甲府へ逃げたんで」
宗「秩父越しをいたして甲府の方へ八州が追掛《おっか》けたのか」
鐵「おゝおゝ仕様がねえな、本当に手前《てめえ》は饒舌《おしゃべり》だな」
○「饒舌だって剣術の先生や何かも皆《みん》な喋ったじゃアねえか………何《なん》でごぜえやす……えゝ其の八州が追掛《おっか》けて何したんで、当りを付けたんで」
宗「何ういう処に当りが付きましたな」
○「そりゃア何でごぜえやす、鴻の巣の宿屋でごぜえやす」
宗「はゝー鴻の巣の宿屋……(紙の端へ書留め)それは何という宿屋じゃ」
○「私《わっち》ア知りやせん、其の宿屋へ女を連れて逃げたんで、其の宿屋が春部とかいう奴が勤めていた屋敷に奉公していて、私通《くっつ》いて連れて逃げた女の親里とかいう事で」
宗「うん…それから」
○「それっ切り知りやせん」
宗「知らん事は無かろう、知らんと云っても知らんでは通さん」
○「へえ……(泣声)御免なせえ、真平《まっぴら》御免下さい」
宗「あなた方は江戸は何処《どこ》だ」
○「真平御免…」
宗「御免も何もない、言わんければなりませんよ」
○「へえ外神田《そとかんだ》金沢町《かなざわちょう》で」
宗「うん外神田金沢町…名前は」
○「甚太《じんた》っ子」
宗「甚太っ子という名前がありますか、甚太郎《じんたろう》かえ」
○「慥《たし》か然《そ》うで」
宗「甚太郎……其方《そっち》にいるお方は」
鐵「私《わっち》は喋ったんでもねえんで」
宗「言わんでも宜《よ》い、名前が宿帳と違うとなりませんぞ、宜いかえ」
鐵「へえ、下谷《したや》茅町《かやちょう》二丁目で」
宗「お名前は」
鐵「ガラ鐵てえんで」
宗「ガラ鐵という名はない、鐵五郎《てつごろう》かえ」
鐵「へえ」
宗「宜しい」
鐵「御免なさい」
 と驚いて直《すぐ》に其の晩の内|此処《こゝ》を逃出して、夜通し高崎まで逃げたという。其様《そん》なに逃げなくとも宜しいのに。此方《こっち》はお竹が病苦の中にて此の話を聞き、どうか直に此処を立ちたいと云う。
宗「何うして今から立たれるものか、碓氷を越さなければならん」
 と稍《ようや》くの事で止めました。翌朝《よくあさ》になると、お竹は尚更|癪気《しゃくき》が起って、病気は益々重体だが当人が何分にも肯《き》きませんから、駕籠を傭《やと》い、碓氷を越して松井田《まついだ》から安中宿《あんなかじゅく》へ掛り、安中から新町河原まで来ますと、とっぷり日は暮れ、往来の人は途絶えた処で、駕籠から下りてがっかり致し、お竹はまたキヤ/\差込んで来ました。宗達は驚いて抱起したが、舁夫《かごや》は此処《こゝ》までの約束だというので不人情にも病人を見棄てゝ、其の儘ずん/\往ってしまいました。宗達は持合せた薬を服《の》ませ、水を汲んで来ようと致しましたが、他に仕方がないから、ろはつ[#「ろはつ」に傍点]という禅宗坊主の持つ碗《わん》を出して、一杯流れの水を汲んで持って来ました。漸《ようや》くお竹に水を飲ませ、頻《しき》りと介抱を致しましたが、中々|烈《はげ》しい事で、
竹「ウヽーン」
 と河原の中へ其の儘|反《そり》かえりました。
宗「あゝ困ったものじゃ、何うか助けたいものじゃ」
 と又薬を飲まし、口移しに水を啣《ふく》ませ、お竹を□□[#底本2字伏字]めて我《わが》肌の温《あたゝ》かみで暖めて居ります内に、雪はぱったり止み、雲が切れて十四|日《か》の月が段々と差昇ってまいる内に、雪明りと月光《つきあか》りとで熟々《つく/″\》お竹の顔を見ますと、出家でも木竹《きたけ》の身では無い、忽《たちま》ち起る煩悩に春情《しゅんじょう》が発動いたしました。御出家の方では先《ま》ず飲酒戒《おんしゅかい》と云って酒を戒め、邪淫戒と申して不義の淫事を戒めてあります。つまり守り難いのは此の戒《かい》でございます。此の念を断切《たちき》る事は何うも難《かた》い事です、修業中の行脚を致しましても、よく宿場女郎を買い、或《あるい》は宿屋の下婢《おんな》に戯れ、酒のためについ堕落して、折角積上げた修業も水の泡に致してしまう事があります、未《ま》だ壮《さか》んな宗達和尚、お竹の器量と云い、不断の心懸《こゝろがけ》といい、実に惚れ/″\するような女、其の上侍の娘ゆえ中々|凛々《りゝ》しい気象なれども、また柔《やさ》しい処のあるは真に是が本当の女で、斯《か》かる娘は容易に無いと疾《とう》から惚込んで、看病をする内にも度々《たび/\》起る煩悩を断切り/\公案をしては此の念を払って居りましたが、今は迷《まよい》の道に踏入《ふみい》って、我ながら魔界へ落ちたと、ぐっとお竹を□□[#底本2字伏字]める途端に、温《あたゝか》みでふと気が附いたお竹が、眼を開《あ》いて見ますと、力に思う宗達和尚が、常にもない不行跡《ふぎょうせき》、髭《ひげ》だらけの頬《ほお》を我が顔へ当てゝ、肌を開いて□□[#底本2字伏字]めて居りますから、驚いて、
竹「アレー、何を遊ばします」
 と宗達和尚を突退《つきの》けて向うへ駆出しにかゝる袖を確《しっ》かり押えて、
宗「お竹さん御道理《ごもっとも》じゃ、どうも迷うた、もうとても出家は遂げられん、私《わし》はお前の看病をして枕元に附添い、次の間に寐《ね》ていても、此の程はお前の身体《からだ》が利かんによって、便所へ行《ゆ》くにも手を引いて連れて行き、足や腰を撫《なで》てあげると云うのも、実は私が迷いを起したからじゃ、とても此の煩悩が起きては私は出家が遂げられん、真に私はお前に惚れた、□□□□[#底本4字伏字]私の云う事を肯《き》いてくだされば、衣も棄て珠数《じゅず》を切り、生えかゝった月代《さかやき》を幸いに一つ竈《べッつい》とやらに前を剃《そり》こぼって、お前の供をして美作国《みまさかのくに》まで送って上げ、敵《かたき》を討つような話も聞いたが、何《ど》の様《よう》な事か理由《わけ》は知らんが、助太刀も仕ようし、又何の様な事でも御舎弟と倶《とも》に力を添える、誠に面目ない恥入った次第じゃが、何うぞ私の言う事を肯いてくだされ」
 と云われ、呆れてお竹は宗達の顔を見ますと、宗達の顔色は変り、眼の色も変り、少し狂気している容子《ようす》で、掴《つか》み付きにかゝるのを突退《つきの》けて、お竹は腹立紛れに懐へ手を入れて、母の形見の合口の柄《つか》を握って、寄らば突殺すと云うけんまくゆえ、此方《こちら》も顔の色が違いました。
竹「宗達さん、あなたは怪《け》しからぬお方で、御出家のお身上《みのうえ》で……御幼年の時分から御修業なすって、何年の間行脚をなすって、私《わし》は斯う云う修業をした、仏法は有難いものじゃ、斯ういうものじゃによって、お前も迷いを起してはならないと、宿に泊って居りましても臥床《ふせ》る迄は貴方の御教導、あゝ有難いお話で、大きに悟ることもありました、美作まで送って遣ろうとおっしゃっても、他の方なれば断る処なれど、御出家様ゆえ安心して願いました甲斐もなく、貴方が然《そ》う云うお心になってはなりません、何卒《どうぞ》迷いを晴らして……憤《おこ》りはしませんから、元々通り道連れの女と思召して、美作までお送り遊ばしてくださいまし、是迄の御真実は私《わたくし》が存じて居りますから」
宗「むゝう、是程に云ってもお聞済《きゝず》みはありませんか」
竹「どうして貴方大事を抱えている身の上で其様《そん》な事が出来ますものか」
宗「然《そ》うか……そうお前に強う云われたらもう是までじゃ、私《わし》もどうせ迷いを起し魔界に堕《お》ちたれば、飽《あく》までも邪《よこしま》に行《ゆ》く、私はこれで別れる、あなたは煩《わずろ》うている身体で鴻の巣まで行《ゆ》きなさい、それも宜《よ》いが、道の勝手を知って居《お》るまい、夜道にかゝって、女の一人旅は何《ど》の様《よう》な難儀があろうも知れぬ、さ、これで別れましょう」
竹「お別れ申しても仕方がございませんけれども、貴方の迷いの心を翻《ひるが》えしてさえくだされば、私に於《おい》てはお恨みとも何とも存じませんから」
宗「いや、お前は何ともあるまいが、此方《こちら》に有るのじゃ、私《わし》は還俗《げんぞく》してお前のためには力を添えて、何の様にも仕よう、長旅をして、お前を美作まで送って上げようとは、今迄した修業を水の泡にしてしまうのも皆《みん》なお前のためじゃ、何うぞ私の願《ねがい》を叶《かな》えてください、それとも肯《き》かんければ詮方《せんかた》がない、もう此の上は鬼になって、何の様な事をしても此の念を晴さずには置かん、仕儀によっては手込《てごめ》にもせずばならん」
 と飛付きに掛りますから、お竹は慌《あわ》てゝ跡へ飛退《とびさが》って、
竹「迷うたか御出家、寄ると只は置きませんぞ」
 と合口をすらりと引抜いて振上げ、けんまくを変えたから、
宗「おまえは私《わし》を斬る気になったのじゃな、最《も》う此の上は可愛さ余って憎さが百倍、さ斬っておくれ」
 と云いながら身を躱《かわ》して飛付きにかゝる。
竹「そんなれば最う是迄」
 と引払《ひっぱら》って突きにかゝる途端に、ころり足が辷《すべ》って雪の中へ転ぶと一杯の血《のり》で、
宗「おゝ何処《どこ》か怪我アせんか」
竹「私を斬ったな、法衣《ころも》を着るお身で貴方は恐しい殺生戒を破って、ハッ/\、お前さんは鬼になった処《どころ》じゃアない蛇《じゃ》になった、あゝ宗達という御出家は人殺しイ」
 と云うが、ピーンと川へ響けます。
宗「あゝ悪い事をした、お竹さんが此様《こん》な怪我をする事になったのも畢竟《ひっきょう》我が迷い、実に仏罰は恐ろしいものである」
 と思ったので宗達はカアーと取逆上《とりのぼ》せて、お竹が持っていた合口を捻取《ねじと》って、
「お前一人は殺しはせん、私《わし》も一緒に死んで、地獄の道案内をしましょう」
 と云いながら我《わが》腹へプツリ。
宗「ウヽーン/\」
竹「もし/\……宗達さま」
宗「あい/\……あい……はアー」
竹「あなたは大層|魘《うな》されていらっしゃいました」
宗「あい/\、あゝ……おゝ、お竹さま」
竹「はい」
宗[#「宗」は底本では「竹」]「あなたはお達者で」
竹「あなた怖い夢でも御覧なすったか、大層魘されて、お額へ汗が大変に」
宗「はい/\……お前は何うしたえ」
竹「はい、私は大きに熱が退《と》れましたかして少し落着きました」
宗「左様か、ウヽン……煩悩経にある睡眠、あゝ夢中《むちゅう》の夢《ゆめ》じゃ、実に怖いものじゃの、あゝ悪い夢を視《み》ました、悪い夢を視ました」
 と心の中《うち》に公案を二十ばかり重ねて云いながら、手拭を出して額と胸の辺《あたり》の汗を拭いて、ホッと息を吐《つ》き、
宗「あゝ迷いというものは甚《ひど》いものじゃ」

        四十

 さて又粂野の屋敷では丁度八月の六日の事でございます。此の程は大殿様が余程御重症でございます。お医者も手に手を尽して種々《いろ/\》の妙薬を用いるが、どうも効能《きゝめ》が薄いことで、大殿様はお加減の悪い中にまた御舎弟紋之丞様は、只今で云えば疳労《かんろう》とか肺労とかいうような症で、漸々《だん/\》お痩せになりまして、勇気のお方がお咳《せき》が出るようになり、お手当は十分でございますが、どうも思うように薬の効能が無い、唯今で申せ
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