す」
宗「併《しか》しどうも女一人では行《ゆ》かれんことで、何ともお気の毒な事だ、じゃアまア美作の国といえば是《こ》れ百七八十里|隔《へだ》った処、私《わし》が送る訳にはいかんが、今更見棄てることも出来ないが、美濃の南泉寺までは是非|行《ゆ》かんければならん、東海道筋も御婦人の事ゆえ面倒じゃ、手形がなければならんが、何うか工風《くふう》をして私がお送り申したいが、困った事で、兎に角南泉寺まで一緒に行《ゆ》きなさい、彼方《あっち》の者は真実があって、随分俗の者にも仏心《ぶっしん》があってな、寺へ来て用や何《なん》かするからそいらに頼んだら美作の方へ用事があってまいる者があるまいとも云えぬ、其の折に貴方を頼んでお国へ行《ゆ》かれるようだと私も安心をします、私は坊主の身の上で、婦人と一緒に歩くのは誠に困る、衆人《ひと》にも見られて、忌《いや》な事でも云われると困る、けれども是も仕方がないから、ま行《ゆ》きなさるが宜《よ》い、私は本庄宿《ほんじょうじゅく》の海禅寺《かいぜんじ》へ寄って一寸《ちょっと》玄道という者に会って、それから又美濃まで是非|行《ゆ》きますから御一緒にまいろう、それには木曾路の方が銭が要らん」
と御出家は奢《おご》らんから、寒くなってから木曾路を引返し本庄宿へまいりまして、婦人ではあるけれどもこれ/\の理由《わけ》だ、と役僧にお竹の身の上話をして、其の寺に一泊いたし、段々|日数《ひかず》を経てまいりましたが、元より貯え金は所持している事で、漸《ようや》く碓氷を越して軽井沢《かるいざわ》と申す宿《しゅく》へまいり、中島屋《なかじまや》という宿屋へ宿《やど》を取りましたは、十一月の五日でござります。
三十七
木曾街道でも追分《おいわけ》沓掛《くつがけ》軽井沢などは最も寒い所で、誰《たれ》やらの狂歌に、着て見れば綿がうすい(碓氷)か軽井沢ゆきたけ(雪竹)あって裾《すそ》の寒さよ、丁度碓氷の山の麓《ふもと》で、片方《かた/\》は浅間山の裾になって、ピイーという雪風で、暑中にまいりましても砂を飛《とば》し、随分|半纒《はんてん》でも着たいような日のある処で、恐ろしい寒い処へ泊りました。もう十一月になると彼《あ》の辺は雪でございます、初雪でも沢山降りますから、出立をすることが出来ません、詮方《せんかた》がないから逗留《とうりゅう》という事になると、お竹は種々《いろ/\》心配いたしている。それを宗達という和尚さまが真実にしてくれても何とのう気詰り、便りに思う忠平には別れ、弟《おとゝ》祖五郎の行方は知れず、お国にいる事やら、但《たゞ》しは途中で煩《わずら》ってゞもいやアしまいか、などと心細い身の上で何卒《どうぞ》して音信《たより》をしたいと思っても何処《どこ》にいるか分らず、御家老様の方へ手紙を出して宜《よ》いか分りませんが、心配のあまり手紙を出して見ました。只今の郵便のようではないから容易には届かず、返事も碌に分らんような不都合の世の中でございます。お竹は過越《すぎこ》し方を種々思うにつけ心細くなりました、これが胸に詰って癪《しゃく》となり、折々差込みますのを宗達が介抱いたします、相宿《あいやど》の者も雪のために出立する事が出来ませんから、多勢《おおぜい》囲炉裡《いろり》の周囲《まわり》へ塊《かたま》って茫然《ぼんやり》して居ります。中には江戸子《えどっこ》で土地を食詰《くいつ》めまして、旅稼ぎに出て来たというような職人なども居ります。
○「おい鐵《てつ》う」
鐵「えゝ」
○「からまア毎日《めいにち》/\降込められて立つことが出来ねえ、江戸子が山の雪を見ると驚いちまうが、飯を喰う時にずうと並んで膳が出ても、誰も碌に口をきかねえな」
鐵「そうよ、黙っていちゃア仕様がないから挨拶《えゝさつ》をして見よう」
○「えゝ」
鐵「挨拶《えゝさつ》をして見ようか」
○「しても宜《い》いが、きまりが悪いな」
鐵「えゝ御免ねえ……へえ……どうも何でごぜえやすな、お寒いことで」
△「はア」
鐵「お前《めえ》さん方は何ですかえ、相宿のお方でげすな」
△「はア」
鐵「何を云やアがる……がア/\って」
○「手前《てめえ》が何か云うからはアというのだ、宜《い》いじゃアねえか」
鐵「変だな、えゝゝ毎日《めえにち》膳が並ぶとお互《たげえ》に顔を見合せて、御飯《おまんま》を喰ってしまうと部屋へ入《へい》ってごろ/\寝るくれえの事で仕様がごぜえやせんな、夜になると退屈《てえくつ》で仕様が有りませんが、なんですかえお前《まえ》さん方は何処《どこ》かえお出でなすったんでげすかえ」
△「私《わし》はその大和路の者であるが、少し仔細あって、えゝ長らく江戸表にいたが、故郷《こきょう》忘《ぼう》じ難《がた》く又帰りたくなって帰って来ました」
鐵「へえー然《そ》うで……其方《そちら》のお方はお三人連で何方《どちら》へ」
□「私《わし》は常陸《ひたち》の竜《りゅう》ヶ崎《さき》で」
鐵「へえ」
□「常陸の竜ヶ崎です」
鐵「へえー何ういう訳で此様《こん》な寒い処へ常陸からおいでなさったんで」
□「種々《いろ/\》信心がありまして、全体|毎年《まいねん》講中《こうじゅう》がありまして、五六人ぐらいで木曾の御獄様《おんたけさま》へ参詣《さんけい》をいたしますが、村の者の申し合せで、先達《せんだつ》さんもお出《いで》になったもんだから、同道してまいりやした、実は御獄さんへ参るにも、雪を踏んで難儀をして行《ゆ》くのが信心だね」
鐵「へえー大変でげすな、御獄さんてえのは滅法けえ高《たけ》え山だってね」
□「高いたって、それは富士より高いと云いますよ、あなた方も信心をなすって二度もお登りになれば、少しは曲った心も直りますが」
鐵「えへゝゝゝ私《わっち》どもは曲った心が直っても、側から曲ってしまうから、旨く真直《まっすぐ》にならねえので……えゝ其方《そちら》においでなさる方は何方《どちら》で」
此の客は言葉が余程鼻にかゝり、
×「私《わし》は奥州|仙台《しんでい》」
鐵「へえ…仙台《しんでい》てえのは」
×「奥州で」
鐵「左様でがすか、えゝ衣を着てお頭《つむり》が丸いから坊さんでげしょう」
×「いしやでがす」
鐵「へ何ですと」
×「医者《いしや》でがす」
鐵「石工《いしや》だえ」
×「いゝや医道《いどう》でがす」
鐵「へえー井戸掘にア見えませんね」
×「井戸掘ではない、医者《いしゃ》でがす」
鐵「へえーお医者で、私《わっち》どもはいけぞんぜえだもんだから、お医者と相宿になってると皆も気丈夫でごぜえます、些《ちっ》とばかり薄荷《はっか》があるなら甜《な》めたいもんで」
×「左様な薬は所持しない、なれども相宿の方に御病気でお困りの方があって、薬をくれろと仰しゃれば、癒《なお》る癒らないは、それはまた薬が性《しょう》に合うと合わん事があるけれども、盛るだけは盛って上げるて」
鐵「へえー、斯う皆さんが大勢寄って只|茫然《ぼんやり》していても面白くねえから、何か面白《おもしれ》え百物語でもして遊ぼうじゃアありやせんか、大勢寄っているのですから」
医「それも宜うがすが、ま能《よ》く大勢寄ると阿弥陀の光りという事を致します、鬮引《くじびき》をして其の鬮に当った者が何か買って来るので、夜中でも厭《いと》いなく菓子を買《けえ》に行《い》くとか、酒を買《けえ》に行《ゆ》くとかして、客の鬮を引いた者は坐ってゝ少しも動かずに人の買って来る物を食《しょく》して楽しむという遊びがあるのです」
鐵「へえーそれは面白《おもしれ》えが、珍らしい話か何かありませんかな」
医「左様でげす、別に面白い話もありませんですな」
鐵「気のねえ人だな何か他に」
○「手前《てめえ》出て先へ喋《しゃべ》るがいゝ」
鐵「喋るたって己《おれ》ア喋る訳には行《ゆ》かねえ、何かありませんかな、お医者さまは奥州仙台だてえが、面白《おもしろ》え怖《おっか》ねえ化物《ばけもの》が出たてえような事はありませんかな」
医「左様で別に化物が出たという話もないが、奥州は不思議のあるところでな」
鐵「へえー左様でござえやすかな」
医「貴方は何ですかえ、松島見物にお出《いで》になった事がありますかえ」
鐵「いや何処《どこ》へも行ったことはねえ」
医「松島は日本三景の内でな、随分江戸のお方が見物に来られるが此のくらい景色の好《よ》い所はないと云ってな、船で八百八島を巡り、歌を詠《えい》じ詩を作りに来る風流人が幾許《いくら》もあるな」
鐵「へえー松島に何か心中でもありましたかえ」
医「情死などのあるところじゃアないが、差当《さしあた》って別にどうも面白い話もないが、医者は此様《こん》な穢《きたな》い身装《みなり》をして居てはいけません、医者は居《い》なりと云うて、玄関が立派で、身装が好《よく》って立派に見えるよう、風俗が正しく見えるようでなければ病者《びょうしゃ》が信じません、随って薬も自《おのず》から利かんような事になるですが、医者は頓知頓才と云って先《ま》ず其の薬より病人の気を料《はか》る処が第一と心得ますな」
鐵「へえー何ういう……気を料る処がありますな」
医「先年乞食が難産にかゝって苦しんでいるのを、所の者が何うかして助けて遣りたいと立派な医者を頼んで診《み》て貰うと、是はどうも助からん、片足出ていなければ宜《よ》いが、片手片足出て首が出ないから身体が横になって支《つか》えてゝ仕様がない、細かに切って出せば命がないと途方に暮れ、立合った者も皆《み》な可愛そうだと云っている処へ通りかゝったのが愚老でな」
鐵「へえ……それからお前さんが産《うま》したのかえ」
医「それから療治にかゝろうとしたが、道具を宅《たく》へ置いて来たので困ったが、此処《こゝ》が頓智頓才で、出ている片手を段々と斯う撫でましたな」
鐵「へえ」
医「撫でている中《うち》に掌《て》を開けました」
鐵「成程」
医「それから愚老が懐中から四文銭を出して、赤児《あかご》の手へ握らせますと、すうと手を引込《ひっこ》まして頭の方から安々《やす/\》と産れて出て、お辞儀をしました」
鐵「へえ咒《まじない》でげすか」
医「いや乞食の児《こ》だから悦んで」
鐵「ふゝゝ人を馬鹿にしちゃアいけねえ、本当だと思ってたのに洒落者《しゃれもん》だね、田舎者だって迂濶《うっかり》した事は云えねい……えゝ其方《そちら》の隅においでなさるお方、あなたは何ですかえ、矢張お医者さまでごぜえやすか」
僧「いや、私《わし》は斯ういう姿で諸方を歩く出家でござる」
鐵「えゝ御出家さんで、御出家なら幽霊なぞを御覧なすった事がありましょう」
僧「幽霊は二十四五|度《たび》見ました」
鐵「へえ、此奴《こいつ》あ面白《おもしれ》え話だ、二十四五度……ど何《ど》んなのが出ました」
僧「種々《いろ/\》なのが出ましたな、嫉妬《やきもち》の怨霊は不実な男に殺された女が、口惜《くちおし》いと思った念が凝《こ》って出るのじゃが、世の中には幽霊は無いという者もある、じゃが是はある」
鐵「へえ、ど何んな塩梅《あんばい》に出るもんですな」
僧「形は絵に描《か》いたようなものだ、朦朧《ぼんやり》として判然《はっきり》其の形は見えず、只ぼうと障子や襖《からかみ》へ映ったり、上の方だけ見えて下の方は烟《けむ》のようで、どうも不気味なものじゃて」
鐵「へえー貴方の見たうちで一番怖いと思ったのはどういう幽霊で」
僧「えゝ、左様さ先年|美濃国《みののくに》から信州の福島在の知己《しるべ》の所へ参った時の事で、此の知己は可《か》なりの身代で、山も持っている者で、其処《そこ》に暫《しばら》く厄介になっていた、其の村に蓮光寺《れんこうじ》という寺がある、其の寺の和尚が道楽をしていかん彼《あれ》は放逐せねばならんと村中が騒いで、急に其の和尚を追出すことになったから、お前さん住職になってくれないかと頼まれましたが、私《わし》は住職になる訳にはゆかん、行脚《あんぎゃ》の身の上で、併《しか》し葬式でもあった時には困ろうから、後住《ごじゅう》の定《きま》
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