っ》た一粒者《ひとつぶもの》でございます、人間は馬鹿でございますが、私の死水《しにみず》を取る奴ゆえ、母が亡《なくな》りましてから私の丹誠で是までにした唯た一人の忰を殺すというのは、皆《みんな》私の心の迷い、強慾非道の罰でございます」
僧「土台呆れた話じゃが、何ういう訳でお前は我子を殺した」
五「はい、申上げにくい事でございますが、此の甲州屋も二十年前までは可なりな宿屋でございました処が、私《わたくし》は年を老《と》りましても、酒や博奕《ばくち》が好きでございまして、身代を遂に痛め、此者《これ》の母も苦労して亡りました、斯うやって表を張《はっ》ては居りますが、実は苦しい身代でございます、ところが此のお嬢様が先達《せんだっ》て宿賃をお払いなさる時に、懐から出した胴巻には、金が七八十両あろうと見た時は、面皰《にきび》の出る程欲しくなりました、あゝ此の金があったら又|一山《ひとやま》興《おこ》して取附く事もあろうかと存じまして、無理に七日までお泊め申しましたが、愈々《いよ/\》明日《みょうにち》お立ちと聞きましたゆえ、思い切って今晩|密《そっ》と此のお嬢様を殺して金を奪《と》ろうと企《たく》みました、死骸は田圃伝えに背負出《しょいだ》して、墓場へ人知れず埋めてしまえば、誰にも知れる気遣《きづか》いないと存じまして、忍んで参りました、道ならぬ事をいたした悪事は、忽《たちま》ち報い、一人の忰を殺しますとは此の上もない業曝《ごうさら》しで、実に悪い事は出来ないと知りました、私《わたくし》も最《も》う五十九でございます、お嬢さま何とも申し訳がございませんから、私は死んでしまい、貴方に申訳をいたします」
 と云切るが早いか、出刄庖丁を取って我が咽《のど》に突立てんとするから、
僧「あゝ暫く待ちなさい、まア待ちなさい、お前がこれ死んだからって言訳が立つじゃアなし、命を棄てたって何の足しにもなりゃアせん、嬢さんの御迷惑にこそなれ、宜《よ》いか先非《せんぴ》を悔い、あゝ悪い事をした、唯《たっ》た一人の子を殺したお前の心の苦しみというものは一通りならん事じゃ、是も皆《みな》罰《ばち》だ、一念の迷いから我子を殺し、其の心の苦しみを受け、一旦の懺悔《ざんげ》によって其の罪は消えている、見なさいお嬢様の一命は助かり、お前の子はお嬢様の身代りになったんじゃ、誠に気の毒なは此の息子さん、嬢さん何事も此の息子さんに免じてお前さんも堪弁《かんべん》なさい、何日《いつ》までも仇《あだ》に思っていると却《かえ》ってお前さんの死んだ御家来さんの為にもならん、宜《い》いか、又御亭主は客に対して無礼をしたとか、道楽をして棄置《すておか》れん、親に苦労をかけて堪《たま》らんから殺しましたと云って尋常に八州へ名告《なの》って出なさい、なれども一人の子を私《わたくし》に殺すのは悪い事じゃから髪の毛を切って役所へ持って行《ゆ》けば、是には何か能々《よく/\》の訳があって殺したという廉《かど》で、お前さんに甚《ひど》く難儀もかゝるまいと思う、然《そ》うして出家を遂《と》げ、息子さんの為に四国西国を遍歴して、其の罪滅《つみほろぼ》しをせんければ、兎《と》ても尋常《なみ》の人に成れんぞ」
五「はい/\」
僧「是から陰徳を施し、善事を行うが肝心、今までの悪業を消すは陰徳を積むより他に道はないぞ」
五「有難うございます」
僧「あゝ何うも気の毒な事じゃなア、お嬢さん」

        三十六

 お竹は不思議な事と心の内で忠平の霊に回向をしながら、
竹「ま、私《わたくし》は助かりましたが、誠に思い掛けない事で」
僧「いや/\世間は無常のもので、実に夢幻泡沫で実《じつ》なきものと云って、実は真《まこと》に無いものじゃ、世の人は此の理《り》を識《し》らんによって諸々《もろ/\》の貪慾執心《どんよくしゅうしん》が深くなって名聞利養《みょうもんりよう》に心を焦《いら》って貪《むさぼ》らんとする、是らは只|今生《こんじょう》の事のみを慮《おもんぱか》り、旦暮《あけくれ》に妻子眷属《さいしけんぞく》衣食財宝にのみ心を尽して自ら病を求める、人には病は無いものじゃ、思う念慮《ねんりょ》が重なるによって胸に詰って来ると毛孔《けあな》が開《ひら》いて風邪を引くような事になる、人間|元来《もと》病なく、薬石《やくせき》尽《こと/″\》く無用、自ら病を求めて病が起《おこ》るのじゃ、其の病を自分手に拵《こしら》え、遂に煩悩という苦悩《なやみ》も出る、之《これ》を知らずに居って、今死ぬという間際の時に、あゝ悪いことをした、あゝせつない何う仕よう、此の苦痛を助かりたいと、始めて其の時に驚いて助からんと思っても、それは兎《と》ても何の甲斐もない事じゃ、此の理《り》を知らずして破戒|無慚《むざん》邪見《じゃけん》放逸《ほういつ》の者を人中《じんちゅう》の鬼畜といって、鬼の畜生という事じゃ、それ故に大梅和尚《たいばいおしょう》が馬祖大師《ばそだいし》に問うて如何《いか》なるか是《こ》れ仏、馬祖答えて即心即仏という、大梅が其の言下《ごんか》に大悟《だいご》したという、其の時に悟ったじゃ、此の世は実に仮のものじゃ、只|四縁《しえん》の和合しておるのだ、幾らお前が食物《たべもの》が欲しい著物《きもの》が欲しい、金が欲しい、斯ういう田地が欲しいと云った処が、ぴたりと息が絶えれば、何一つ持って行《ゆ》くことは出来やアしまい、四縁とは地水火風《ちすいかふう》、此の四つで自然に出来ておる身体じゃ、仮に四大(地水火風)が和合して出来て居《お》るものなれば、自分の身体も有りはせん、実は無いものじゃ、自然に是は斯うする物じゃという処へ心が附かんによって、我《わが》心があると思われ、我《わが》身体を愛し、自分に従うて来る人のみを可愛がって、宜《よ》う訪ねて来てくれたと悦び、自分に背《そむ》く者は憎い奴じゃ、彼奴《あいつ》はいかんと云うようになる、人を憎む悪い心が別にあるかというに、別にあるものでもない、即仏じゃ、親父が娘を殺して金子を奪《と》ろうとした時の心は実に此の上もないノ重悪人なれども、忽《たちま》ち輪回応報《りんえおうほう》して可愛い我子を殺し、あゝ悪い事をしたと悔悟《かいご》して出家になるも、即ち即心即仏じゃ、えゝ他人を自分の身体と二つあるものと思わずに、欲しい惜しいの念を棄てゝしまえば、争いもなければ憤《おこ》る事もない、自他の別を生ずるによって隔意《かくい》が出来る、隔意のある所から、物の争いが出来るものじゃ、先方《むこう》に金があるから取ってやろうとすると、先方《むこう》では私《わし》の物じゃから遣《や》らん用を勤めたら金を遣るぞ、勤めをして貰うのは当然《あたりまえ》だから、先方《さき》へくれろ、それを此方《こっちゃ》で只取ろうとする、先方《さき》では渡さんとする、是が大きゅうなると戦争《いくさ》じゃ、実に仏も心配なされて西方極楽世界阿弥陀仏を念じ、称名《しょうみょう》して感想を凝《こら》せば、臨終の時に必ず浄土へ往生すと説給《ときたま》えり、南無阿弥陀仏/\」
 圓朝が此様《こん》なことを云ってもお賽銭《さいせん》には及びません、悪くすると投げる方があります。段々と有難い事を彼《か》の宗達という和尚さんが説示《ときしめ》したからお竹も五平を恨む念は毛頭ありません。
竹「お前此の金が欲しければ皆《みん》な上げよう」
五「いえ/\金は要《い》りません、私《わたくし》は剃髪《ていはつ》して罪滅しの為に廻国《かいこく》します」
 というので剃刀《かみそり》を取寄せて宗達が五平をくり/\坊主にいたしました。早四郎の死骸は届ける所へ届けて野辺の送りをいたし、後《あと》は他人へ譲り、五平は罪滅しのため四国西国へ遍歴に出ることになり、お竹は是より深い事は話しませんが、
「私《わたくし》は粂野美作守の家来渡邊という者の娘で、弟は祖五郎と申して、只今は美作国《みまさかのくに》へまいって居ります、弟にも逢いたいと存じますし、江戸屋敷の様子も聞きたし、弟もお国表へまいって家老に面会いたし、事の仔細が分りますれば江戸屋敷へまいる筈《はず》で、何《ど》の道便りをするとは申して居りましたが、案じられてなりませんから、家来の忠平という者を連れてまいる途《みち》で長く煩いました上、遂に死別《しにわか》れになりまして、心細い身の上で、旅慣れぬ女のこと、どうか御出家様私を助けると思召《おぼしめ》し、江戸までお送り遊ばして下さいますれば、何《ど》の様《よう》にもお礼をいたしましょう、お忙しいお身の上でもございましょうが、お連れ遊ばして下さいまし」
 と頼まれて見ると宗達も今更見棄てる事も出来ず、
宗「それは気の毒なことで、それならば私《わし》と一緒に江戸まで行《ゆ》きなさるが宜《よ》い私《わし》は江戸には別に便《たよ》る処もないが、谷中の南泉寺へ寄って已前《いぜん》共に行脚《あんぎゃ》をした玄道《げんどう》という和尚がおるから、それでも尋ねたいと思う、ま兎も角もお前さんを江戸屋敷まで送って上げます」
 と云うので漸《ようよ》うの事にて江戸表へまいりましたが、上屋敷へも下屋敷へもまいる事が出来んのは、予《かね》てお屋敷近い処へ立寄る事はならんと仰せ渡されて、お暇《いとま》になった身の上ゆえ、本郷春木町の指物屋岩吉方へまいり、様子を聞くと、岩吉は故人になり、職人が家督《あと》を相続して仕事を受取って居りますことゆえ、迚《とて》も此処《こゝ》の厄介になる事は出来ません。仕方がないので、どうか様子を下屋敷の者に聞きたいと谷中へ参りますと、好《い》い塩梅に佐藤平馬《さとうへいま》という者に会って、様子を聞くと、平馬の申すには、
平「弟御《おとゝご》は此方《こっち》へおいでがないから、此の辺にうろ/\しておいでになるはお宜しくない、全体お屋敷近い処へ入らっしゃるのは、そりゃアお心得違いな事で、ま貴方は信州においでゞ、時節を待ってござったら御帰参の叶《かな》う事もありましょう、御舎弟も春部殿も未だ江戸へはお出《いで》がない、仮令《たとえ》御家老に何《ど》んなお頼みがありましても無駄な話でございます」
 と撥付《はねつ》けられ、
竹「左様なら弟は此方《こちら》へまいっては居りませんか」
平「左様、御舎弟は確《たしか》にお国においでだという話は聞きましたが、多分お国へ行って、お国家老へ何かお頼みでもある事でございましょう、併《しか》し大殿様《おおとのさま》は御病気の事であるが、事に寄ったら御家老の福原様《ふくはらさま》が御出府《ごしゅっぷ》になる時も、お暇になった者を連れてお出《いで》になる筈がないから、是は好《よ》い音信《たより》を待ってお国にお出《いで》でございましょう、殿様は御不快で、中々御重症だという事でございまして、私共《わたくしども》は下役ゆえ深い事は分りませんが、此のお屋敷近い処へ立廻るはお宜しくない事で」
 という。此の佐藤平馬という奴は、内々《ない/\》神原五郎治四郎治の二人から鼻薬をかわれて下に使われる奴、提灯持《ちょうちんもち》の方の悪い仲間でございますから、斯《か》く訳の分らんように云いましたのは、お竹にお屋敷の様子が聞かしたくないから、真実《まこと》しやかに云ってお屋敷近辺へ置かんように追払《おっぱら》いましたので、お竹はどうも致方《いたしかた》がない、旧来馴染の出入町人の処へまいりましても、長く泊っても居《お》られません、又一緒にまいった宗達も、長くは居《い》られません理由《わけ》があって、或時お竹に向い、
宗「私《わし》は何うしても美濃の南泉寺へ帰らんければならず、それに又私は些《ち》と懇意なものが有って、田舎寺に住職をしている其の者を尋ねたいと思うが、貴方は是から何処《どこ》へ参らるゝ積りじゃ」
竹「何処へも別にまいる処もありませんが、お国へまいれば弟が居ります、成程御家老も弟を連れて、お出《いで》は出来ますまい、御帰参の叶う吉左右《きっそう》を聞くそれまではお国表にいる事でございましょうから、私《わたくし》もどうかお国へ参りとうございま
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