腹でございましょうが、あなたを私が見くびった訳でもなんでもない、実はその貴方にお費《かゝ》りのかゝらんように種々《いろ/\》と心配致しまして、馬子や舁夫《かごかき》を雇いましても宿屋の方で値切って、なるたけ廉《やす》くいたさせるのが宿屋の亭主の当然《あたりまえ》でへえ見下げたと思召《おぼしめ》しては恐入ります、只今御勘定を致します、へい/\どうぞ御免なすって」
と帳場へまいりまして、
五「あゝ大層|金子《かね》を持っている、彼《あれ》は何者か知らん」
と暫《しばら》くお竹の身の上を考えて居りましたが、別に考えも附きません。医者の薬礼から旅籠料、何や彼《か》やを残らず書付にいたして持って来ましたが、一ヶ月居ったところで僅かな事でございます。お竹は例の胴巻から金を出して勘定をいたし、そこ/\手廻りを取片附け、明日《あす》は早く立とうと舁夫《かごや》や何かを頼んで置きました。其の晩にそっと例の早四郎が忍んで来まして、
早「お客さん……お客さん……眠《ねぶ》ったかね、お客さん眠ったかね」
竹「はい、何方《どなた》」
早「へえ私《わし》でがすよ」
竹「おや/\御子息さん、さ此方《こちら》へ……まだ眠《ねむ》りはいたしませんが、蚊帳《かや》の中へ入りましたよ」
早「えゝ嘸《さぞ》まア力に思う人がおっ死《ち》んで、あんたは淋《さみ》しかろうと思ってね、私《わし》も誠に案じられて心配《しんぺえ》してえますよ」
竹「段々お前さんのお世話になって、何《なん》ぞお礼がしたいと思ってもお礼をする事も出来ません」
早「先刻《さっき》親父が処《とけ》え貴方《あんた》が金え包んで種々《いろ/\》厄介になってるからって、別に私《わし》が方へも金をくれたが、そんなに心配《しんぺい》しねえでも宜《え》え、何も金が貰いてえって世話アしたんでねえから」
竹「それはお前の御親切は存じて居ります誠に有難う」
早「あのー昨夜《よんべ》ねえ、私《わし》が貴方《あんた》の袂《たもと》の中へ打投《ぶっぽ》り込んだものを貴方|披《ひら》いて見たかねえ」
竹「何を…お前さんが…」
早「あんたの袂の中《なけ》へ書《け》えたものを私《わし》が投《ほう》り込んだ事があるだ」
竹「何様《どん》な書いたもの」
早「何様《どんな》たって、丹誠して心のたけを書いただが、あんたの袂に書いたものが有ったんべい」
竹「私は少しも知らないので、何か無駄書《むだがき》の流行唄《はやりうた》かと思いましたから、丸めて打棄《うっちゃ》ってしまいました」
早「あれ駄目だね、流行唄じゃアねえ、尽《づく》しもんだよ、艶書《いろぶみ》だよ、丸めて打棄っては仕様がねえ、人が種々《いろ/\》丹誠したのによ」
と大きに失望をいたして欝《ふさ》いでいます。
三十四
お竹は漸々《よう/\》に其の様子を察して、可笑《おか》しゅうは思いましたが、また気の毒でもありますからにっこり笑って、
竹「それは誠にお気の毒な事をしましたね」
早「お気の毒ったって、まア困ったな、どうも私《わし》はな……実アな、まア貴方《あんた》も斯うやって独身《ひとり》で跡へ残って淋《さび》しかろうと思い私も独身《ひとりみ》でいるもんだから、友達が汝《われ》え早く女房を貰ったら宜《よ》かろうなんてって嬲《なぶ》られるだ、それに就《つ》いては彼《あ》の優気《やさしげ》なお嬢さんは、身寄頼りもねえ人だから、病人が死なば己《おら》がの女房に貰いてえと友達に喋《しゃべ》っただ、馬十《ばじゅう》てえ奴と久藏てえ奴が、ぱっ/\と此れを方々《ほう/″\》へ触れたんだから、忽《たちま》ち宿中《しゅくじゅう》へ広まっただね」
竹「そんな事お前さん云立《いいた》てをしておくれじゃア誠に困ります」
早「困るたって私《わし》もしたくねえが、冗談を云ったのが広まったのだから、今じゃア是非ともお前《めえ》さんを私の女房にしねえば、世間へ対《てえ》して顔向が出来ねえから、友達に話をしたら、親父が厳《やか》ましくって仕様がねえけんども、貴方《あんた》と己《おれ》と怪《おか》しな仲になっちまえば、友達が何うでも話をして、親父に得心のうさせる、どうせ親父は年い老《と》ってるから先へおっ死《ち》んでしまう、然《そ》うすれば此の家《うち》は皆《みんな》己のもんだ、貴方が私の女房に成ってくれゝば、誠に嬉しいだが、今夜同志に此の座敷で眠《ねぶ》っても宜《よ》かんべえ」
竹「怪《け》しからん事をお云いだね、お前はま私を何だとお思いだ、優しいことを云っていれば好《い》い気になって、お前私が此処《こゝ》へ泊っていれば、家《うち》の客じゃアないか、其の客に対して宿屋の忰が然《そ》んな無礼なことを云って済みますか、浪人して今は見る影もない尾羽打枯《おはうちから》した身の上でも、お前たちのようなはしたない下郎《げろう》を亭主に持つような身の上ではありません、無礼なことをお云いでない、彼方《あっち》へ行きなさい」
早「魂消《たまげ》たね……下郎え……此の狸女《たぬきあま》め……そんだら宜《え》え、そうお前の方で云やア是まで親父の眼顔《めかお》を忍んで銭を使って、お前《めえ》の死んだ仏の事を丹誠した、また尽《つく》しものを書いて貰うにも四百《しひゃく》と五百の銭を持ってって書いて貰ったわけだ、それを下郎だ、身分が違うと云えば、私《わし》も是までになって、あんたに其んなことを云われゝば友達へ顔向が出来ねえから、意気張《いきはり》ずくになりゃア敵《かたき》同志だ、可愛さ余って憎さが百倍、お前の帰《けえ》りを待伏《まちぶせ》して、跡を追《おっ》かけて鉄砲で打殺《ぶッころ》す気になった時には、とても仕様がねえ、然《そ》うなったら是までの命だと諦めてくんろ」
竹「あらまア、そんな事を云って困るじゃアないか、敵同志だの鉄砲で打《う》つのと云って」
早「私《わし》は下郎さ、お前《まえ》はお侍《さむれえ》の娘《むすめ》だろう、併《しか》し然《そ》う口穢《くちぎたな》く云われゝば、私だって快くねえから、遺恨に思ってお前《めえ》を鉄砲で打殺《ぶちころ》す心になったら何うするだえ」
竹「困るね、だけども私はお前に身を任せる事は何うしても出来ない身分だもの」
早「出来ないたって、病人が死んでしまえば便りのない者で困るというから、家《うち》へ置くべいと思って、人に話をしたのが始まりだよ、どうも話が出来ねえば出来ねえで宜《え》いから覚悟をしろ、親父が厳《やか》ましくって家《うち》にいたって駄目だから、やるだけの事をやっちまう、棒鼻《ぼうばな》あたりへ待伏せて鉄砲で打《ぶ》ってしまうから然《そ》う思いなせえ」
竹「まアお待ちなさい」
と止めましたのは、此様《こん》な馬鹿な奴に遇《あ》っては仕様がない、鉄砲で打《う》ちかねない奴なれど、斯《かゝ》る下郎に身を任せる事は勿論出来ず、併《しか》し世に馬鹿程怖い者はありませんから、是は欺《だま》すに若《し》くはない、今の中《うち》は心を宥《なだ》めて、ほとぼりの脱《ぬ》けた時分に立とうと心を決しました。
竹「あの斯うしておくれな私のようなものをそれ程思ってくれて、誠に嬉しいけれども、考えても御覧、たとえ家来でも、あゝやって死去《なくな》ってまだ七日も経《た》たん内に、仏へ対して其んな事の出来るものでもないじゃアないか」
早「うん、それは然《そ》うだね、七日の間は陰服《いんぷく》と云って田舎などではえら厳《やか》ましくって、蜻蛉一つ鳥一つ捕ることが出来ねえ訳だから、然ういう事がある」
竹「だからさ七日でも済めば、親御も得心のうえでお話になるまいものでもないから、今夜だけの処は帰っておくれ」
早「然《そ》うお前《まえ》が得心なれば帰る、田舎の女子《おなご》のように直《す》ぐ挨拶をする訳には往《い》くめえが、お前のように否《いや》だというから腹ア立っただい、そんなら七日が済んで、七日の晩げえに来るから、其の積りで得心して下さいよ」
とにこ/\して、自分一人承知して帰ってしまいました。斯様《かよう》な始末ですからお竹は翌朝《よくあさ》立つことが出来ません、既に頼んで置いた舁夫《かごかき》も何も断って、荷物も他所《わき》へ隠してしまいました。主人の五平は、
五「お早うございます、お嬢さま、えゝ只今洪願寺の和尚様が前をお通りになりましたから、今日お立ちになると申しましたら、和尚様の言いなさるには、それは情《なさけ》ない事だ、遠い国へ来て、御兄弟だか御親類だか知らないが、死人を葬り放《ぱな》しにしてお立ちなさるのは情ない、せめて七日の逮夜《たいや》でも済ましてお立ちになったら宜《よ》かろうに、余りと云えば情ない、それでは仏も浮《うか》まれまいとおっしゃるから、私《わし》も気になってまいりました、長くいらっしゃったお客様だ、何は無くとも精進物で御膳でもこしらえ、へゝゝゝ、宅《うち》へ働きにまいります媼達《ばゞあたち》へお飯《まんま》ア喰わして、和尚様を呼んで、お経でも上げてお寺|参《めえ》りでもして、それから貴方《あなた》七日を済まして立って下されば、私《わたくし》も誠に快《こゝろよ》うございます、また貴方様も仏様のおためにもなりましょうから、どうか七日を済ましてお立ちを」
竹「成程|私《わたくし》も其の辺は少しも心附きませんでした、大きに左様で、それじゃア御厄介|序《ついで》に七日まで置いて下さいますか」
というので七日の間泊ることになりました。他に用は無いから、毎日洪願寺へまいり、夜は回向《えこう》をしては寝ます。宵《よい》の中《うち》に早四郎が来て種々《いろ/\》なことをいう。忌《いや》だが仕方がないから欺《だま》かしては帰してしまう。七日まで/\と云い延べている中《うち》に早く六日経ちました。丁度六日目に美濃の南泉寺《なんせんじ》の末寺《まつじ》で、谷中の随応山《ずいおうざん》南泉寺の徒弟で、名を宗達《そうたつ》と申し、十六才の時に京都の東福寺《とうふくじ》へまいり、修業をして段々|行脚《あんぎゃ》をして、美濃路|辺《あたり》へ廻って帰って来たので、まだ年は三十四五にて色白にして大柄で、眉毛のふっさりと濃い、鼻筋の通りました品の好《よ》い、鼠無地に麻の衣を着、鼠の頭陀《ずだ》を掛け、白の甲掛脚半《こうがけきゃはん》、網代《あじろ》の深い三度笠を手に提げ、小さな鋼鉄《くろがね》の如意を持ちまして隣座敷へ泊った和尚様が、お湯に入り、夕飯《ゆうはん》を喰《た》べて夜《よ》に入《い》りますと、禅宗坊主だからちゃんと勤めだけの看経《かんきん》を致し、それから平生《へいぜい》信心をいたす神さまを拝んでいる。何と思ったかお竹は襖《ふすま》を開けて、
竹「御免なさいまし」
僧「はい、何方《どなた》じゃ」
竹「私《わたくし》はお相宿《あいやど》になりまして、直《じ》き隣に居りますが、あなた様は最前お著《つき》の御様子で」
僧「はい、お隣座敷へ泊ってな、坊主は経を誦《よ》むのが役で、お喧《やか》ましいことですが、夜更《よふけ》まで誦みはいたしません、貴方も先刻《さっき》から御回向をしていらっしったな」
竹「私《わたくし》は長らく泊って居りますが、供の者が死去《なくな》りまして、此の宿外《しゅくはず》れのお寺へ葬りました、今日《こんにち》は丁度七日の逮夜に当ります、幸いお泊り合せの御出家様をお見掛け申して御回向を願いたく存じます」
僧「はい/\、いや/\それはお気の毒な話ですな、うん/\成程此の宿屋に泊って居る中《うち》、煩《わずろ》うてお供さんが…おう/\それはお心細いことで、此の村方へ御送葬《ごそう/\》になりましたかえ、それは御看経《ごかんきん》をいたしましょう、お頼みはなくとも知ればいたす訳で、何処《どこ》へ参りますか」
竹「はい、こゝに机がありまして、戒名もございます」
僧「あゝ成程左様ならば」
と是から衣を着換え、袈裟《けさ》を掛けて隣座敷へまいり、机の前へ直りますと、新しい位牌があります、白木の小さいので戒名が書いてあります。
僧「あゝ、是ですか、えゝ、むう八月廿四|日
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