《しゅく》はずれで一盃《いっぺい》やって、よっぱれえになって帰《けえ》って来たが、馬《むま》の下湯《そゝゆ》を浴《つか》わねえで転輾《ぶっくりけ》えって寝ちまった、眠《ねむ》たくってなんねえ、何だって今時分出掛けて来た」
早「ま、眼え覚《さま》せや、覚せてえに」
久「アハー」
早「大《でけ》え欠伸《あくび》いするなア」
久「何だ」
早「他のことでもねえが、此間《こねえだ》汝《われ》がに話をしたが、己《おら》ア家《うち》の客人が病気になって、娘子《あまっこ》が一人附いているだ、好《い》い女子《おなご》よ」
久「話い聞いたっけ、好《え》い女子《おなご》で、汝《われ》がねらってるって、それが何うしただ」
早「その連《つれ》の病人が死んだだ」
久「フーム気の毒だのう」
早「就《つい》ては彼《あ》の娘《あま》を己《おら》の嫁に貰えてえと思って、段々手なずけた処が、当人もまんざらでも無《ね》えようで、謎をかけるだ、此の病人が死んでしまえば、行処《ゆきどころ》もねえ心細い身の上でございますと云うから、親父に話をした処が、親父は慾張ってるから其様《そん》な者を貰って何うすると、頓《とん》と相手になんねえから、汝《われ》が己《おら》ア親父に会って話を打《ぶ》って、彼《あ》の娘《あま》を貰うようにしちゃアくんめえか」
久「然《そ》うさなア、どうもこれはお前《めい》ん処《とこ》の父《とっ》さまという人は中々道楽をぶって、他人《ひと》のいう事ア肯《き》かねえ人だよ、此の前《めえ》荷い馬へ打積《ぶっつ》んで、お前《めえ》ん処《とこ》の居先《みせさき》[#「居先」は「店先」の誤記か]で話をしていると、父さまが入《はえ》り口《ぐち》へ駄荷《だに》い置いて気の利かねえ馬方《むまかた》だって、突転《つッころ》ばして打転《ぶっころ》ばされたが、中々強い人で、話いしたところが父さまの気に入らねえば駄目だよ、アハー」
早「欠伸い止せよ……これは少しだがの、汝《われ》え何ぞ買って来るだが、夜更《よふ》けで何にもねえから、此銭《これ》で一盃《いっぺい》飲んでくんろ」
久「気の毒だのう、こんなに差し吊《つる》べたのを一本くれたか、気の毒だな、こんなに心配《しんぺい》されちゃア済まねえ、此間《こねえだ》あの馬十《ばじゅう》に聞いたゞが、どうも全体《ぜんてえ》父さまが宜くねえ、息子が今これ壮《さか》んで、丁度嫁を娶《と》って宜《え》い時分だに、男振も好《よ》し何処《どこ》からでも嫁は来るだが、何故嫁を娶ってくれねえかと、父さまを悪く云って、お前《めえ》の方を皆《みん》な誉《ほ》めている、男が好《い》いから女の方から来るだろう」
早「来るだろうって……どうも……親父が相談ぶたねえから駄目だ」
久「相談ぶたねえからって、お前《めえ》は男が好《い》いから娘《むすめ》を引張込《ひっぱりこ》んで、優しげに話をして、色事になっちまえ、色事になって何処《どこ》かへ突走《つッぱし》れ……己《おら》の家《うち》へ逃げて来《こ》う、其の上で己が行って、父さまに会ってよ、お前も気に入るめえが、若《わけ》え同志で斯ういう訳になって、女子《おなご》を連れて己の家へ来て見れば、家も治《おさま》らねえ訳で、是も前《さき》の世に定まった縁だと思って、余《あんま》り喧《やか》ましく云わねえで、己が媒妁《なこうど》をするから、彼《あれ》を※[#「女+息」、第4水準2−5−70]子《よめっこ》にして遣《や》ってくんろえ、家に置くのが否《いや》だなら、別に世帯《しょたい》を持たしても宜《え》いじゃアねえかという話になれば、仕方がねえと親父も諦めべえ、色事になれや」
早「成れたって……成る手がゝりがねえ」
久「女に何とか云って見ろ」
早「間《ま》が悪くって云えねえ、客人だから、それに真面目な人だ、己《おら》が座敷へ入《へい》ると起上って、誠に長く厄介になって、お前には分けて世話になって、はア気の毒だなんて、中々お侍《さむらえ》さんの娘だけに怖《おっかね》えように、凛々《りゝ》しい人だよ」
久「口で云い難《にく》ければ文《ふみ》を書いてやれ、文をよ、袂《たもと》の中へ放り込むとか、枕の間へ挟《はさ》むとかして置けい、娘子《あまっこ》が読んで見て、宿屋の息子さんが然《そ》ういう心なれば嬉しいじゃアないか、どうせ行処《ゆきどこ》がないから、彼《あ》の人と夫婦になりてえと、先方《さき》で望んでいたら何うする」
早「何だか知んねえが、それはむずかしそうだ」
久「そんな事を云わずにやって見ろ」
早「ところが私《わし》は文《ふみ》い書《け》いた事がねえから、汝《われ》書いてくんろ、汝は鎮守様の地口行灯《じぐちあんどう》を拵《こしれ》えたが巧《うめ》えよ、それ何とかいう地口が有ったっけ、そう/\、案山子《かゝし》のところに何か居《い》るのよ」
久「然《そ》うよ、己《おら》がやったっけ、何か己《おれ》え……然うさ通常《たゞ》の文をやっても、これ面白くねえから、何か尽《づく》し文《もん》でやりてえもんだなア」
早「尽し文てえのは」
久「尽しもんてえのは、ま花の時なれば花尽しよ、それからま山尽しだとか、獣類尽《けだものづく》しだとかいう尽しもんで贈《や》りてえなア」
早「それア宜《え》いな、何ういう塩梅《あんべい》に」
久「今時だから何《どう》だえ虫尽しか何《なん》かでやれば宜《え》いな」
早「一つ拵《こしれ》えてくんろよ」
久「紙があるけえ」
早「紙は持っている」
久「其処《そこ》に帳面を付ける矢立の巨《でけ》えのがあるから、茶でも打《ぶ》っ垂《たら》して書けよ、まだ茶ア汲んで上げねえが、其処に茶碗があるから勝手に汲んで飲めよ、虫尽しだな、その女子《おなご》が此の文《ふみ》を見て、あゝ斯ういう文句を拵《こしら》える人かえ、それじゃアと惚れるように書かねえばなんねえな」
早「だから何ういう塩梅《あんべい》だ」
久「ま其処へ一つ覚《おぼえ》と書け」
早「覚……おかしいな」
久「おかしい事があるものか、覚えさせるのだから、一つ虫尽しにて書記《かきしる》し※[#「まいらせそろ」の草書体、344−6]《まいらせそろ》よ」
早「一《ひとつ》虫尽しにて書記《かきしる》し※[#「まいらせそろ」の草書体、344−6]」
久「えゝ女子《おんな》の綺麗《きれえ》な所を見せなくちゃアなんねえ……綺麗な虫は……ア玉虫が宜《え》い、女の美しいのを女郎屋《じょろや》などでは好《い》い玉だてえから、玉虫のようなお前様を一《ひ》と目見るより、いなご、ばったではないが、飛《とび》っかえるほどに思い候《そうろう》と書け」
早「成程いなご、ばったではないが、飛っかえるように思い候《そろ》」
久「親父の厳《やかま》しいところを入れてえな、親父はガチャ/″\虫にてやかましく、と」
早「成程……やかましく」
久「お前の傍《そば》に芋虫のごろ/″\してはいられねえが、えゝ……簑虫《みのむし》を着《き》草鞋虫《わらじむし》を穿《は》き、と」
早「何の事だえ」
久「汝《われ》が野らへ行く時にア、簑を着たり草鞋を穿いたりするだから」
早「成程……草鞋虫を穿きい」
久「かまぎっちょを腰に差し、野らへ出てもお前様の事は片時忘れるしま蛇もなく」
早「成程……しま蛇もなく」
久「えゝ、お前様の姿が赤蜻蛉《あかとんぼ》の眼の先へちら/\いたし候《そろ》」
早「何ういう訳だ」
久「蜻蛉《とんぼう》の出る時分に野良《のら》へ出て見ろ、赤蜻蛉《あかとんぼ》が彼方《あっち》へ往《い》ったり此方《こっち》へ往ったり、目まぐらしくって歩けねえからよ」
早「成程……ちら/\いたし候《そろ》」
久「えゝと、待てよ……お前と夫婦《みょうと》になるなれば、私《わし》は表で馬追《むまお》い虫、お前は内で機織虫《はたおりむし》よ」
早「成程……私《わし》は馬《うま》を曳《ひ》いて、女子《おなご》が機を織るだな」

久「えゝ…股へ蛭《ひる》の吸付いたと同様お前の側を離れ申さず候《そろ》、と情合《じょうあい》だから書けよ」
早「成程……お前の側を離れ申さず候《そろ》か、成程情合だね」
久「えゝ、虻《あぶ》蚊|馬蠅《むまばえ》屁放虫《へっぴりむし》」
早「虻蚊馬蠅屁放虫」
久「取着かれたら因果、晩げえ私《わし》を松虫なら」
早「……晩げえ私《わし》を松虫なら」
久「藪蚊《やぶか》のように寝床まで飛んでめえり」
早「藪蚊のように寝床まで飛んでめえり」
久「直様《すぐさま》思いのうおっ晴《ぱら》し候《そろ》、巴蛇《あおだいしょう》の長文句|蠅々《はい/\》※[#かしく」の草書体、345−9]」
早「成程|是《こ》りゃア宜《え》いなア」
久「是《これ》じゃア屹度《きっと》女子《おなご》がお前《めえ》に惚れるだ、これを知れねえように袂《たもと》の中へでも投《ほう》り込むだよ」
 と云われ、早四郎は馬鹿な奴ですから、右の手紙を書いて貰って宅《うち》へ帰り、そっとお竹の袂へ投込《なげこ》んで置きましたが、開けて見たって色文《いろぶみ》と思う気遣《きづか》いはない。翌朝《よくあさ》になりますと宿屋の主人《あるじ》が、
五「お早うございます」
竹「はい、昨夜は段々有難う」
五「えゝ段々お疲れさま……続いてお淋しい事でございましょう」
竹「有難う」
五「えゝ、お嬢さん、誠に一国《いっこく》な事を申すようですが、私《わたくし》は一体斯ういう正直な性質《うまれつき》で、私どもはこれ本陣だとか脇本陣だとか名の有る宿屋ではございませんで、ほんの木賃宿の毛の生えた半旅籠同様で、あなた方が泊ったところが、さしてお荷物も無し、お連の男衆は御亭主かお兄様《あにいさま》か存じませんが、お死去《かくれ》になってあなた一人残り、一人旅は極《ごく》厳《やか》ましゅうございまして、え、横川《よこかわ》の関所の所《とこ》も貴方はお手形が有りましょう、越えて入らっしゃいましたから、私どもでも安心はして居りますが、何しろ御病気の中だから、毎朝宿賃を頂戴いたす筈ですが、それも御遠慮申して、医者の薬礼お買物の立替え、何や彼《か》やの御勘定《ごかんじょう》が余程|溜《たま》って居ります、それも長旅の事で、無いと仰しゃれば仕方が無いから、へえと云うだけの事で、宿屋も一晩泊れば安いもので、長く泊れば此んな高いものはありません、就《つい》ては一国なことを申すようですが、泊って入らっしゃるよりお立ちになった方がお徳だろうし、私も其の方が仕合せで、どうか一先《ひとま》ず立って戴きたいもので」
竹「はい、私《わたくし》はさっぱり何事も家来どもに任して置きました内に病気附きましたので、つい宿賃も差上げることを失念致した理由《わけ》でもございませんが、病人にかまけて大きに遅うなりました、嘸《さぞ》かし御心配で、胡乱《うろん》の者と思召《おぼしめ》すかは知りませんが、宿賃ぐらいな金子は有るかも知れません、直《じき》に出立いたしますから、早々|御勘定《ごかんじょう》をして下さい、何《ど》の位あれば宜《よ》いか取って下さいまし」
 とお屋敷育ちで可なりの高を取りました人のお嬢さんで、宿屋の亭主|風情《ふぜい》に見くびられたと思っての腹立ちか、懐中からずる/″\と納戸縮緬《なんどちりめん》の少し汚れた胴巻を取出し、汚れた紙に包んだ塊《かたまり》を見ると、おおよそ七八十両も有りはしないかと思うくらいな大きさだから、五平は驚きました。泊った時の身装《みなり》も余り好《よ》くなし、さして、着換《きがえ》の着物もないようでありました、是れは忠平が、年のいかない娘を連れて歩くのだから、目立たんように態《わざ》と汚れた衣類に致しまして、旅※[#「宀/婁」、347−6]《たびやつ》れの姿で、町人|体《てい》にして泊り込みましたので、五平は案外ですから驚きました。
竹「どうか此の位あれば大概払いは出来ようかと思いますが、書付を持って来て下さい」
 と云われたので、流石《さすが》の五平も少し気の毒になりましたが、
五「はい/\、えゝ、お嬢さま、誠に私《わたくし》はどうも申訳のない事をいたしました、あなた御立
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